雛人形 1
僕と竹内雛とは、小・中・高校と同じ学校なだけで、それだけの関係である。親しく話したこともないし、そもそも話したことがあるだろうか。思い出せない。
しかし、この小・中・高と同じ学校に通っているというのは、意外と珍しく、小学生来の同級生は、彼女もいれて両手で数えられるほどしかいない。 意外にも多くの人が、私立の学校を選んだり、隣の町の学校を選んだり、色々な選択肢に対し、色々な決断をしていたみたいだ。僕はというと、育った街にある、自転車で通える距離にある公立の高校を選んだ。
だから何だということはない。結局僕は竹内雛について何も知らないのだから。僕が彼女について知っていることは外見上のことだけ、普通の第三者から観察できることくらいだ。
竹内雛は、気持ちの良いショートカットをしている。
頭も良くて、スポーツもできて、何をやらしても大体平均以上はこなしてしまう女の子だ。
整った可愛らしい愛嬌のある顔をしていて、同じくらい可愛くて、同じような雰囲気の女の子たちといつもグループをつくっていた。彼女は、満ちはしないけれど、足りた学校生活を送っていた。周りの人には、そのように映って見えた。
しかし、実際はどうだったかと言うと、そうではないのだ。そうでなければ、僕と竹内雛は、寒い冬の夜に出くわさなかったし、そうでなければ僕らの運命が交わることもなかった。
例えばまず、彼女の家庭環境について。彼女の両親は健在で、一見、普通で健全な家庭に見えるが、彼らの持つ”事情”を知っている人は知っているだろうし、彼女が言うには、最近は近所に聞こえるほどの大きさで親と喧嘩をしていたらしい。
けれど、僕はこういった情報は一切知らなかった。きっと、こういう家庭事情や近所の噂というのは、子を持つ親同士のネットワークで共有されて、両親のいない僕が知る由もないのだ。
だけど、誰も彼女の心にある闇に気が付かなかったし、言及しなかったし、彼女も誰に言わなかった。 彼女は死んでもいいと思っていたし、死ぬことを受け入れてさえもいた。結局、今回の件ではこれが一番いけなかった。
人は生きるほどに、傷つき自由に身動きできなくなっていく。そういう風に僕は感じる。生きるほどにしがらみが体にまきつき、自由がきかなくなっていく。その意味では、彼女は生まれつき、強固なしがらみに巻き付かれていたと言ってもいいだろう。
そして、そのしがらみを振りほどこうとしたとき、彼女の一部分は、どこか闇の中へ消えていった。
ともあれ、これは時間にしては、一晩の出来事。スピード解決。まだ春の足音は遠い2月1日のことだった。