貴方の背中
初めて小説というものを書いたもので、拙いものとは思いますが、お目汚しと思いますが、せめて何か心に残るものがあればと願います。
貴方の背中に私の手は届かない。
何度手を伸ばしても決して触れる事はない。
それでも私は…。
防具の独特のきつい臭いに冷却スプレーの匂い、そして床の木のいい香り。深呼吸をしてから手拭いを頭に巻き、面を被る。審判の合図で互いに蹲踞の姿勢に入った
竹刀を手に取り対戦相手を見据える。勿論相手も面を被っているから表情までは近くに寄らない限りは見えるはずもない。だが相手の気迫は伝わってくる。
思わずふるりとふるりと震えてしまう、だが決勝戦へ行くために負けるわけにはいかない。
もう一度、今度は短く息を吸い、そして吐く。審判が開始の合図を出し、私は掛け声とともに足を大きく踏み出した
「…はぁ」
私は会場の外のベンチに胴着姿のまま足を投げ出し座っていた。
勝てると思ったのに…決勝戦さえ行けなかった…
目尻から涙がこぼれ落ちそうになり私は乱暴に袖で拭った。
胴着独特の臭いと自分の汗の匂いが鼻につく。三年間の努力の匂い。また溢れそうになる涙に思わずぐっと眉間に皺が寄せる
「そんなに乱暴に拭いたら赤くなるだろうが」
そんな声と共にいきなり頭に軽い衝撃が走った。「めーんっ」とふざけた口調で何度も頭に手刀を入れてくる。こんなことをしてくる人は私は一人しか知らない。
「ちょっと、止めてくれませんか」
落ち着いて言ったつもりだったが出てきたのは地を這いそうなくらいに低い声だった。
その声を聞いて相手が手刀を止めたのを感じた。
「なんだ、せっかく慰めてやろうと思ったのに」
「慰めになってませんし、何より今の状況でそれは逆効果にしかなりません。」
大体、面で負けたのに頭に手刀を入れる行為の何が慰めだ。
馬鹿にしてるとしか思えない行為に腹が立つ。
「大体何で先輩がいるんですか、卒業した筈でしょう?」
「OBが可愛い後輩の応援に来ちゃ悪いか?」
「来るも何も…大学も大会でしょうが!!試合はどうしたんですか!?試合は!?」
ふざけているようにしか聞こえない答えに私は噛みついた。
「昼休憩だよ、休憩、終わったら決勝戦だよ。大体、会場は同じなんだから後輩の頑張りを見にくるのは当たり前だろ?」
「…そうですか。」
「なんだよその素っ気ない返事は、もうちょっと可愛げのある返事は出来んのかねぇ」
やれやれと大袈裟に首を降る先輩。だが、ささくれ立った私の心にわざと傷をつけに来たようにしか見えない。
「悪かったですね、可愛げがなくて。そんなもの剣道には必要がないのでどっかに置いてきましたよ。」
「花の女子高生が言う言葉じゃねえだろ。それはよ…。昔のお前はおしとやかで可愛かったのになぁ」
「今更ですよ。まあ、その花の女子高生の青春も終わっちゃいましたけどね…。」
そうだ、もう終わってしまったんだ。
自分の放った言葉で改めて自分の三年間が終わったことに気づく。
ただがむしゃらに練習してきた日々。入部してからの練習は血反吐を吐きそうになるほど辛いものだった。
血豆が潰れて竹刀に血が付いても竹刀を振り、足の皮は剥けて厚くなり更に剥け、テーピング無しでは踏み込めなくなってしまった。髪の毛は邪魔になるからとずっと短くしていた。
人生に一度しかない高校生活。その全てを剣道に注いできた。
辞めることもできた
手を抜くこともできた。
けど、それをやらなかったのは目の前のこの人に少しでも追い付きたかったから。
体験入部でたまたま道場を覗いた私に対して、先輩は問答無用で私を剣道部に引き込んだのだ。
「あ?茶道部に入りたいだぁ?どうせ入るなら体動かせる剣道の方がいいぞ!同じ和だしな!」そう言ってハッハッハと先輩は笑って私の肩をバシバシ叩いた。
当時の私は貧弱であまり運動には向かないと自分でも分かっていた。けど、このまま茶道部に入ったらこの訳の分からない先輩に何をされるか分からない。泣く泣く入部した剣道部は正に地獄だった。
夏は暑く冬は寒い、防具は臭いし汗だくになる。それにうちの剣道部は男女一緒に稽古をする、容赦のない扱きに毎日生傷が絶えず、泣きながら帰る日々だった。
そんな私に先輩は
「俺が引き込んだんだから俺が面倒見てやる!!」
そう言って付きっきりで教えてくれた。まぁ、県内屈指と言われる先輩との練習の方が死ぬほどキツかったんだけど…。
そのお陰でどんどん体力がついて、先輩のお陰でちょっとだけ剣道の楽しさを知った。と先輩に伝えた時、先輩は照れたようにそっぽを向いたのを見て私は思わず笑ってしまった。
思えばあの頃からかも知れない
部員が帰った後、たった一人で素振りをする先輩に
自分が負けても決して皆の前では涙を見せなかった先輩に
私が初試合で勝った時、自分のことのように嬉しがり汗だくの私を抱きしめた先輩に
けど、その想いを伝えることはなかった。伝えられなかった。もしこの想いを打ち明けたら、今の関係が壊れるような気がして。
この関係が壊れて、先輩の傍に居られないのなら。
私はこの想いを隠そう、気付かれないように。深く深く押し込めて。
そして貴方への想いを剣に込める。せめて貴方に剣で追いつけるように
先輩が卒業するとき、溢れそうになる愛の言葉と涙の代わりに出てきたのは「結局一本も取らせてくれませんでしたね。」という可愛げのない言葉
それを聞いた先輩はニヤリと笑って
「お前が優勝するくらい強くなれば考えてやるよ。」
そう言って卒業証書が入った筒で私の頭を軽く叩いてさっさと卒業生の輪に戻っていった先輩。
先輩が卒業して心にポッカリ空いた穴を埋めるように必死に稽古をしていたら、何時の間にか女子メンバーの主将に選ばれるようになっていた。
こんな私を好きだと言ってくれる男子もいた。
けど、それでも
私は
「お前は頑張ったよ。」
昔を思い出していた私は、その言葉に急に現実に引きもどされた。
思わず先輩を見ると
見たこと無いほど真剣な目をした先輩がそこにはいた。
「お前は、頑張った。」
もう一度同じ言葉を繰り返し、私を見つめる先輩
その視線に耐えられず、思わず俯いてしまった。
駄目、そんな目で見ないで…、負けてしまった私に優しくしないで
瞑った目から再び涙が溢れてきた。駄目、先輩の前で泣きたくない。こんな姿見せたくない。
その思いとは裏腹に、はらり、はらりと涙が零れていく
泣くな…泣くんじゃない自分……お願いだから。
…ここから逃げよう。涙がおさまるまでどこかに隠れよう。
私は踵を返し逃げようとしたけど
「どこへ行くんだよ。」
先輩に腕を取られて動けなくなってしまった。
なんで…行かせてくれないのっ。
「っ…先輩もそろそろ行かないと、試合はじまっちゃいますよ…。」
無理して声を出したのにその声は震えていて、明らかに泣いていたことが分かる声だった。
思わず唇を噛みしめる。こんな声を出したかった訳じゃない。こんな姿が見せたかった訳じゃない…。
そんな私の気持ちも知らずに先輩は話し出した。
「俺はさ、お前に恨まれてるんじゃないかってずっと不安だった。無理矢理剣道部にもろ文学少女みたいなお前を引き込んじまったこと。」
そりゃ、最初は恨みましたよ。顔を見るのも嫌なくらいでしたよ。
「けどさ、俺はお前との切っ掛けを無くしたくなかったんだよ。少しでもお前に関わりたくて無理矢理お前を剣道部に入れたんだ。俺は。」
何で…会ったばかりの私にそんなことしたんですか。
「俺は…」
先輩は私の手を放した。ゆっくりと私は振り返る。
私の涙で潤んだ視界に顔を真っ赤にした先輩が映る。
先輩は口を開いたり閉じたりしながら何かを言おうとしてる。
「先輩何を「俺は!」
私の声をかき消すような大声で先輩は
「お前が、好きなんだ!」
周りの音が何も聞こえない
先輩以外何も見えない
嘘だ、先輩が私の事を好きなわけがない
「一目惚れだったんだ、初めて見たときから…。」
嘘だ
「ごめん、辛い思いいっぱいさせた事は自覚してる。俺の自己満足だったって言うことも分かってる。」
そう言って辛そうに先輩は笑った。
「それでも、剣道を辞めないでいてくれて、俺の傍にいてくれてありがとな。それだけ言いたかった。」
茫然としている私を見ることなく目の前から去ろうとする先輩。
嫌、また先輩の背中が遠ざかる。届かなくなる
もう、この想いを隠さないでいいの?
貴方に伝えてもいいの?
貴方に…
好きと伝えてもいいの?
「優勝したら!!!!!!」
突然出した大声に先輩は弾かれたように此方を見た。
「先輩が優勝したら、先輩に告白してもいいですか??!!!」
途中緊張でひっくり返った声に恥ずかしくなる。
それでも
「言い逃げなんか許せません!!私も、私にも告白ぐらいさせてください!!!!!」
私の顔が熱くなっていくのが分かる。それと同じく、先輩の顔も赤く染まっていく。
改めて自分が言ったことの恥ずかしさで、私は思わず顔に手を当てて俯いてしまった。
すると、何時のまに近くに来たのか急に先輩に抱き締められ、耳元にそっと囁かれた。
「…勝ってくるからちゃんと見とけ。」
当てていた手をどかして慌てて目を開けると、既に背を向けて去っていく先輩の背中があった。
その背を見ても、もう寂しくない
もう届かないなんて思わない。
やっと、その背中に
手が届く。
いやぁ、こんな青春したかったな!と妄想しながら書きました。
私が剣道をやっていたのは中学でしたがあの三年間で今の私が構築されたように感じます。
なので、剣道に出会えたことはとても嬉しく、またとても誇らしく感じています。
こんな拙いものを最後まで読んでいただき誠に恐縮でございます。また書くことがあれば、気が向きましたら読んでいただけたらと思います。