First down 3
桜の花も散り、新緑が枝を彩るようになった龍岳大学のグラウンド。
そのあちこちで活動する各種運動部の中には、この春に入部したばかりの新入生たちの姿が見受けられるものの、二十歳に手が届くあるいはそれ以上の年齢の者もいる状況では初々しさよりもふてぶてしさの方が顕著に窺える。
しかし数年前に老朽化した校舎の解体に伴ってグラウンドの一部となった更地で活動しているアメフト部には、まだあどけなさが抜けきれず青年と呼ぶのが憚られるほど若々しい者が数人混じっている。
厳密に言えば周囲から浮き上がって見えるほど少年たちは龍岳大学の学生ではない。この近所にあるくいな橋高校の生徒たちだった。
部活の宝庫と呼ばれ、多種多様な部活動や同好会がひしめき合っているくいな橋高校のグラウンドの使用状況は明らかに過密であり、のびのびと活動出来る場を求めて学外へと出て行く団体も少なくない。
「さすがに公立校のウチと違って、私学のグラウンドは広いッスねぇ」
本格的な練習開始前のウォーミングアップのランニング中、このグラウンドを使用するのは初めての響太は、普段体育の授業で使っているくいな橋高校のグラウンドの数倍になる広大な敷地面積に感嘆の声を漏らす。
「芝も張られていない土のグラウンドだし、他の部活との兼用で毎回十分な広さが確保できる訳じゃないが、それでも学内に留まるよりは格段にいい条件で練習はできることは確かだな」
「カンナさんさまさまッスね。ホント、カンナさんがキャプテンの彼女でよかった~」
「……本練習が終わった後にそんな減らず口が利けるといいけどな」
くいな橋高校のアメフト部も活動内容が制限される自校のグラウンドの外に出て活動することを選んだ団体の一つであり、同校の生徒会長でアメフト部の臨時マネージャーを務める天満カンナが知人を通じて慢性的な部員不足に悩む龍岳大のアメフト部と合同で練習できる体制を整えたのだった。
正式には今日が入部初日の響太が軽口を利くと、上鳥羽はまだ一度もまともに練習を経験していない彼が余裕ぶっていられるのは今のうちだと脅しをかける。
「望む所ッスよ」
打ち込むものを見つけられずに鬱屈とした日々を過ごしていた響太は、厳しい練習が待ち構えていることに対して強気な態度で応じる。上鳥羽と響太のやり取りがひと段落ついた時にちょうど荷物を置いているベンチの前まで一同は戻ってきたので、ランニングを終えて少し弾んだ息を整えながら準備体操を始めた。
「お、みんな前の試合の結果を引き摺らずにちゃんと練習に出てるわね」
本来の使用者である龍岳大の部員たちはまだ誰も練習場に来ておらず、くいな橋高校の部員20人余りが輪になってストレッチをしていると、部員が揃っていることに感心したような高い声が聞こえる。
「霧島さん、なんでここに!?」
「……部員の他に1人余計な奴がいるみたいね」
そちらを振り向きながら響太が呼んでくると、高校の制服のブレザーで大学のグラウンドを闊歩する葵は不機嫌そうなしかめっ面をする。
「今日からは俺もアメフト部の一員なんだし、邪魔者扱いしないで欲しいッス。試合もないのに霧島さんこそアメフト部に何の用ッスか?」
「次の週末に戦う天主堂高校のプレイを研究したデータを届けに来たのよ。まぁ、試合に出る見込みのないアンタには関係のない話でしょうけど」
邪険にされた響太の反論を軽く聞き流して、葵は肩にかけた通学用のバックの口を開くと、中から1冊のファイルを取り出した。ファイルには大量のルーズリーフが閉じ込まれており、更に重要な部分を示すように何十枚も付箋が張られている。
「毎回入念なスカウティングをありがとう。次の試合では葵ちゃんの努力に報いられるような結果を出してみせると言いたいところだが……」
「このブロックのディフェンディングチャンピオンで、全国屈指の強豪校を相手に無理な注文はしないわよ。アタシだってそのファイルの編集をやる意味があるのかって何度も投げ出しそうになったんだから」
分厚いファイルを受け取った上鳥羽が弱腰な発言をしながら苦笑すると、葵もそれに共感するように肩を竦める。
「天主堂のアメフト部ってそんなに強いんスか?」
「これだからど素人は……剛腕QB、雑賀を軸に相手のディフェンスを圧倒するテンポの早いパスオフェンスの爆発力で、天主堂アークスの名は高校アメフト界に知れ渡っているわ」
「なら天主堂自慢のパスプレイを封じちゃえば、ウチにも勝ち目があるってことッスよね?」
「アンタがいつもそうしているように口で言うのは簡単だけどね、雑賀のパスの球速とコントロールの良さはアメフト界どころかプロ野球のスカウトの目にも留まるほどのものなのよ。おまけにその剛速球を受けるレシーバーにもタレントは揃っているし、普通にやったら、まずウチの守備力じゃ天主堂のパスオフェンスを止められないわ」
次の対戦校に関する情報を一切持たない響太がその力量を訊ねると、葵は淡々とした口調でくいな橋高校が試合に勝利する見込みが絶望的であることを語る。葵が言葉を紡ぐにつれて、天主堂高校と自分たちとの戦力差を目の当たりにしてきた上鳥羽や他の部員たちの表情が次第に曇っていった。
「じゃあ霧島さんは始まる前から試合を諦めろって言いたいんスか!?」
「ヒラギノくん、人の話を聞き終わる前に勝手に結論付けるんじゃないわよ」
「え、ってことは天主堂のパスオフェンスへの対策に霧島さんは何かアイディアがあるんスね?」
「アイディアと言えるほどのモンじゃないけどね、一応対抗策がない訳じゃないわ」
試合前から勝負を捨てるよう葵が示唆しているように感じて響太が憤慨すると、葵は強力な天主堂のパスオフェンスを封じるための打開策もない訳ではないとほのめかす。
「それは一体……」
「雑賀を起点にするパスオフェンスが止められないなら、パスを投げる前に雑賀を潰すしかないでしょ。そしてウチには雑賀の盾となるラインを打ち破れるパワーと、パスを投げる前に雑賀まで突進できるスピードを持った奴がいるわ」
響太が天主堂オフェンスへの対抗策を教えるように催促すると、葵は円陣を囲む者の中でも特に体格に恵まれている部員に目を留めて自分の考えを打ち明けた。
「パスを放る前に来栖が雑賀をQBサックで仕留めるってことか」
上鳥羽が円陣を囲む巨漢、来栖に目を向けて葵の意図を汲み取ると、彼女は小さく首を縦に振った。
「互いの肩が触れるくらい間隔を狭めることで強固な防壁となる天主堂のオフェンスラインを押し込んで、パスを投げるよりも早く雑賀を潰すのはクーくんでも容易なことじゃないのは分かっている。おまけに一度きりの奇襲というならともかく、そう何度もこの手だけで攻撃の芽を潰せるほど天主堂は楽な相手じゃない。でも、十回に一回でいいからクーくんがサックできれば、その度に雑賀に相当なダメージを与えられるわ。そして攻撃のリズムを狂わせていけば、ウチが巻き返せる望みはあると思う」
「守りを固めても駄目、点の取り合いを挑んでも駄目ならそれしかねーな」
長距離からのフィールドゴールでも得点できる機会をものにできる、くいな橋高校のポイントゲッターであるキッカーの高瀬川も葵の意見に共感した。
「来栖さんのパワーとスピードならきっと天主堂のすげぇクォーターバックも捕えられますよ!」
「正直ウチのラインバッカーのスピードじゃブリッツしてもサックする前に雑賀ならパスを通してしまいそうだから、より近い位置からチーム最速のスピードを持つ来栖先輩が突っ込むのが最良の選択だろうが、天主堂のラインもかなり強いぞ?」
周囲の言葉に乗せられて響太が短絡的な見解を口にするが、嵐山は来栖と肩を並べて相手のラインとぶつかり合う立場から楽観視できないことを告げる。
「言った通り普通にやりあえば正直言ってウチに勝ち目はない。なら一か八かの賭けに出て普通じゃない状況を作り出し、混沌とした状態の中で勝ちを奪い取るしかないでしょ」
「……要するに天主堂との戦いに勝つも負けるも全部俺次第ってことか?」
葵の示した奇策に対して喧々諤々と意見が飛び交う中、渦中の人物である来栖は静かに沈黙を保っていた。だが彼が固く閉ざしていた口を開いて発した言葉は、その場に会した一同に重くのしかかる。
「そんなつもりはないが、ウチが天主堂に勝つ僅かな糸口をお前が担っているのは否定できないな……」
「ハァ? 調子に乗ってんじゃないわよ、クーくん」
来栖にチームの命運を委ねてしまうことになるのは否定できないと上鳥羽が認めようとすると、葵が不愉快そうな顔で口を挟んでくる。
「上鳥羽先輩が言うように、アンタがウチに残された微かな勝利への可能性のキーマンではあることは事実よ。でもアンタが雑賀にサックするだけじゃ状況は大きく変わる訳じゃない、あくまでもウチが勝つための布石の一つに過ぎないのよ」
「霧島さん、そんな言い方はマズいッス……」
「確かにな。俺が雑賀をサックしても、仮にそのダメージで雑賀をサイドラインに下げられたとしてもそれだけじゃ試合には勝てねぇ」
葵の高飛車な発言を聞いて来栖が気をよくするはずがないと響太は彼女を宥めるが、来栖はいつもの仏頂面のままで特に機嫌を悪くしたようには見えない。
「だが俺が雑賀を潰せなきゃ、ウチは天主堂の猛烈なパスオフェンスに一方的に押されるだけだぜ。そしてあんな態度をされて俺が素直にその役目を引き受けると思うか、葵?」
だが案の定、先ほどの葵の発言は来栖の気分を害していた。もし来栖が次の試合を欠場するとでも言い出せば、くいな橋高校は天主堂高校の圧倒的な攻撃力になす術もなく一方的に撃ち込まれてしまうと考え、上鳥羽や嵐山たち他の部員の顔が青褪める。
「そう言えばクーくん。天主堂と試合をやる日は曇りがちの天気で気温もそんなに上がらないらしいから、姉さんも会場に応援に来るそうよ」
「……何?」
「せっかく観戦に来たのにフィールドにクーくんがいないんじゃ、姉さんきっと悲しむわねぇ。クーくんの活躍でウチが逆境を跳ね除けて天主堂に勝てたら、姉さんは泣いて大喜びするでしょうけど、クーくんにやる気がないんじゃ仕方ないわねぇ。ああ、姉さんカワイソウ」
葵は芝居がかった仕草で姉への同情を表現しながら、ちらちらと意味ありげな視線を来栖に投げかける。
「……おい葵、天主堂戦に丹が応援に来るってのは本当だろうな?」
「アタシが天主堂の研究で夜更かししてるのを注意した時にそう言ってたわ。この間の試合は応援に行けなかったし、次はクーくんのカッコいいトコを見るんだって言ってたけど、クーくんは自分に責任を押し付けられるのが嫌だから頑張るつもりないんでしょ?」
「……誰もそんなこと言ってねぇだろ、ただお前の生意気な態度にむかついただけだ」
丹という名前らしい葵の姉と来栖が交際していることは響太もしていたが、予想以上に来栖は自分の恋人である葵の姉に惚れこんでいるらしい。天主堂高校との試合を彼女が観戦しに来ると葵がほのめかした途端、急に態度を一転させてしまった。
「上鳥羽」
「なんだ来栖?」
「天主堂と戦うまでにあの生意気な小娘が調べた敵の情報を全部頭に叩き込め。意地でも雑賀のことは俺が抑えるから、お前は天主堂よりも多く点を取る作戦を考えろ」
来栖は上鳥羽の方に向き直ると、天主堂戦に向けて及び腰だったアメフト部のキャプテンに勝利への執念を燃やすように焚きつける。
「言われるまでもなくそのつもりだ、葵ちゃんの頑張りを無駄にする気はないさ」
来栖だけにチームの命運を託すのではなく、キャプテンであり攻撃の司令塔としてもチームを勝利に導けるよう上鳥羽も彼の熱意に感化されたようだった。
「つーことは来栖さん、この地区最強の相手に一歩も引くつもりはないんスね?」
「おい、勘違いしてんじゃねぇぞ一年坊」
「す、すみません……」
フットボーラーとして畏敬の念を抱いている来栖も天主堂戦での勝利に意欲的になったことを響太は嬉しく思うが、思い違いをしていると言われて馴れ馴れしく話しかけたことを自省する。
「天主堂を相手に一歩も引くつもりがないんじゃなくて、全国でも指折りの強豪を乗り越えるんだよ」
「……はい!」
立ちはだかる壁がどんなに大きなものでも臆することなく全力でぶつかってその先へ進んでいくという来栖の力強い一言に、響太も共鳴するように返事をした。
「彼女が応援に来る時だけじゃなくて、来栖先輩がいつも熱血馬鹿やっててくれりゃ、ウチはクリスマスボウルだって制覇できんじゃねーの?」
「いや、口には出さないだけで基本的に先輩は熱い人だと俺は思うけどな」
彼女が観に来るか来ないかで来栖の試合に対するモチベーションが変わられては困ると高瀬川が皮肉を言うと、試合中は常に来栖と肩を並べている嵐山が彼の発言を訂正した。
「ねぇ次の天主堂戦に勝ちに行くつもりなら、いつまでも駄弁ってないでさっさと練習を始めた方がいいんじゃない?」
「ああ、今日も練習気合い入れていくぞ。レッツゴープテリクス、フライハイ!」
「フライハイ!」
次戦に向けてチームのテンションが高まったことを見届けた葵に促されると、上鳥羽が練習開始の号令をかける。上鳥羽の掛け声に響太を含めて部員全員が威勢よく応じると、ポジションごとの練習場所へと散っていった。
葵がベンチに腰かけて監督のように選手たちが練習をする姿を見守っている姿を、言い方や態度に問題はあっても、強大な敵との一戦を控えているチームの雰囲気を彼女が盛り上げたのは事実だろうと思いつつ、またしても意外な一面を見せた彼女を注視する。
「ヒラギノくん、アンタもぼさっとしてないで練習してくれば?」
「いや練習しようにも、まだどのポジションやるか決まってないんで……」
「柊野くん、君はレシーバーの練習に参加してくれ!」
早く練習するよう葵に言われても、ポジションが未定の状態では参加のしようがないと響太が訴えた瞬間、彼のことを置き去りにしていたことに気づいた上鳥羽がレシーバーの練習に加わるよう呼ぶ。
「ほら、キャプテンが呼んでるんだしさっさと行く!」
「分かりました、よろしくお願いします!」
葵が腕を伸ばした方向にレシーバーと彼らにパスを出すクォーターバックの上鳥羽が集まっており、響太は大きな声で返事をしてそちらへと走り出した。