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Cloudnoise  作者: 三畳紀
1.Hung time
3/12

Hung time 3

 文武両道を校訓にしつつ、生徒の自発性を尊重するという校風を掲げるくいな橋高校には数多くの部活動やサークルが存在している。全ての部が活動に十分な部員を確保しているかどうかを差し置けば、野球部やサッカー部という人気競技から薙刀部やライフル射撃部といったマイナーな競技まで大半の運動部がくいな橋高校に存在している。


 しかしそれだけ雑多に部活があるとは知っていても、くいな橋高校にアメフト部が設立されていたことを響太は葵に聞かされるまで知らなかった。


「自分の学校にどんな部活があるのかも知らないなんて、これだから女遊びにしか興味がない奴は」


「いや、だってアメフト部がウチの学校で活動しているトコなんて見たことないッスよ?」


「ライフル射撃部とか登山部とか外の施設を使って活動している部活なんてウチの学校にはいくらでもあるじゃない。ウチのアメフト部は近所の大学のグラウンドで、そこのアメフト部と一緒に練習してるの」


 アメフト部の存在を今まで知らなかったことが恥であるような言い方を葵はしたものの、校外で活動しているのならば自分が知らないのも無理のない話ではないかと響太は理不尽さを覚えずにはいられなかった。


 しかし下手に反論するとまた葵の機嫌を損ねて話が拗れそうなだけなので、響太はその不満を口に出さず自分の胸中に留めておくことにする。


「でも霧島さんがアメフトに興味があるなんて、ちょっと意外ッス」


「何に興味を持とうがアタシの自由でしょ。それにアメフトは見た目の激しさ以上に、戦術を駆使して相手をどう出し抜くかって駆け引きが重要なすごく知的なスポーツよ。そういう意味じゃ頭脳明晰なアタシが観るのにはぴったりなものね」


「へぇ、じゃあアメフト選手って脳筋じゃ出来ないんスね」


「そうよ、どれだけ高い運動能力を持っていても馬鹿はアメフトじゃ必要とされない。フィールド上の選手全員が意図を理解していなければ、いくら綿密に作戦を立案しても成功は導けない。一人でも間違ったプレイをしてしまえば、その時点でその作戦は破綻してしまう」


 葵は響太の言葉を首肯すると、黒いユニフォームのチームがフィールド内で組んでいる円陣を指差した。攻撃の司令塔であるクォーターバックの選手が何やら周りの選手たちに指示を出しており、単に気合いを入れるために円陣を組んでいるという訳ではなさそうである。


「だから北辰学園が今やっているみたいに、選手たちは貴重な試合時間を削ってでもフィールド上でハドルを組んで作戦を確認し合うの。6ヤードを残してサードダウン・コンバージョンを迎えている状況では、特に慎重かつ的確な作戦の遂行が求められるわ」


 葵の説明は所々響太の理解できない部分があったが、黒いユニフォームを着用し、現在攻撃権を持っている相手のチームがこの近隣ではスポーツ学校として名の知られた北辰学園であるらしいこと、北辰学園の選手たちが組んでいる円陣のことをアメフトの用語ではハドルというらしいこと、そして守備側のくいな橋高校だけでなく攻撃側の北辰学園にとっても次の攻撃が正念場であることは理解できた。


 葵が真剣な眼差しでこれから始まる勝負所の攻防を食い入るように見つめているのにつられたように、響太も固唾を飲んでサードダウンの行く末を見守る。


 ハドルを解いてラインの選手たちがエンドゾーンまでの残り僅かな距離を死守しようと気迫を漲らせるくいな橋高校の選手と対峙しても、陣形の外側に並ぶ北辰学園のレシーバー陣は前後左右に忙しく移動し続けてなかなか動きを止めようとしない。


 くいな橋高校の選手の背後に立つゴールポストの脇に置かれたプレイクロックが残り10秒を切ってもまだ北辰学園は攻撃を始めようとしなかった。試合を傍観しているだけの響太ですら北辰学園がプレイを始めないことに焦れているのだから、フィールド上でそれを迎え撃つくいな橋高校の選手たちは相当神経をすり減らしていることだろう。


 プレイを開始する制限時間まで残り5秒、北辰学園のレシーバーの1人が自陣の右翼から左翼に向かって全速力で横切っていく。


「セーッ、ハット!」


 残り3秒、ラインの左端に立つ選手の真後ろで走っていた選手が足を止めると、クォーターバックにボールが投げ渡されて北辰学園のサードダウンの攻撃が始まった。


 プレイ開始直前にレシーバーが二人になったことで、くいな橋高校は左翼の守りに意識を傾けなければならない状況に陥る。クォーターバックにボールが渡ると、サイドラインの手前に陣取っていた北辰学園のレシーバーがエンドゾーンに向かって猛然と走り出す。


 くいな橋高校の後衛の選手は進路を塞ぐようにそのレシーバーの前方に回り込む。しかしサイドラインの近くで構えていたレシーバーをマークすることに気を取られていたせいで、プレイが始まるぎりぎりに左翼にセットしたもう一人のレシーバーへの警戒が疎かになっていた。


 遅れて左翼に配置された北辰学園のレシーバーにパスを通されてしまえば、エンドゾーンまで走られかねない。くいな橋高校の守備の後衛選手たちはエンドゾーン手前でレシーバーを止めるため、一斉に左翼へと寄っていく。


 だがレシーバーの数を増やした北辰学園の左翼であった動きは全て陽動であり、クォーターバックが狙う本来のパスターゲットは右翼のレシーバーだった。


餌に食いついて後衛の選手が左翼に流れたため、右翼のレシーバーの進路を妨げる者は1人もいない。後は右翼の空いているスペースにボールを投げ込めば、タッチダウンを獲るためにハドルで確認した作戦が完成することを確信しながら北辰学園のクォーターバックはボールを握った右腕を振り抜いた。


北辰学園のクォーターバックの手から放たれたボールは綺麗な横回転をかけられて、予定通りの軌道を飛んでいく。だがボールは数ヤードも飛ばないうちに、下方から急激に伸び上がってきた大きな手に弾かれて、大きくパスターゲットから逸れてしまった。


「た、たけぇ!」


 スポーツテスト後のジャンプ力対決で各運動部員を差し置いてトップの成績だった響太さえ驚愕するほど、値千金のパスブロックした守備側の選手は高くジャンプしていた。


 広い視野を確保しつつボールを高い位置からリリースしてパスを成功させやすくできるという点で、長身であることが優れたクォーターバックとなる資質の一つに挙げられる。北辰学園のクォーターバックの上背は日本人のアメフト選手としては比較的大柄な180cmくらいあり、ボールは2mほどの高さから上空にアーチを描くように放たれた。


くいな橋高校の選手がブロックした時点でボールはフィールドにいる選手たちの遙か頭上を飛んでおり、まさかその高さを通るパスが止められるとは北辰学園の選手たちは夢にも思わなかった。


パスコースから弾きだされたボールは未だにふらふらと宙を舞っている。ボールが地面に着く前に北辰学園が抑えれば彼らの攻撃権は維持されるが、くいな橋高校の選手がボールを抑えてしまうとターンオーバーとなり、その瞬間から攻守が逆転してしまう。


パスブロックされてボールが弾かれた方向は右翼であり、攻撃側の北辰学園も守備側のくいな橋高校も左翼に選手が固まっているため、そのまま両軍ともボールを空中で確保することはできそうにない。


 ファーストダウンの更新どころかタッチダウンを奪う絶好の機会を逃してしまったものの、今の位置からならフィールドゴールで3点は稼げると、落下していくボールを目で追いながら次に選択するプレイの算段をしていた北辰学園のクォーターバックの視界を一瞬大きな影が猛スピードで掠めて行った。


「しまった!」


 パスを叩き落としたくいな橋高校のラインの選手が信じられないスピードでボールの落下地点に走り込んで、長身をくの字に折り長い腕を伸ばして地面に着く前にボールを確保するのをみすみす見逃してしまった失策に北辰学園のクォーターバックは歯噛みする。


ボールを捕って攻撃権を奪い返したくいな橋高校のラインの選手は、不安定な前傾姿勢のまま北辰学園のエンドゾーンに向かって走り出した。


「行かせるか!」


 ターンオーバーをされて一瞬のうちに攻守が入れ替わってしまったために、本業ではない守備を北辰学園のクォーターバックはせざるを得ない状況に陥る。だが自分の犯した失態は自分で尻拭いをすると即座に気持ちを切り替えて、北辰学園のクォーターバックはくいな橋高校のラインの選手へと突進していった。


 決して小柄ではない北辰学園のクォーターバックよりも縦横更に一回り大きなボールを運ぶくいな橋高校のラインとの体格差を考慮して、北辰学園のクォーターバックは無理して単独で相手を潰さずに、多少の陣地を喪失することを覚悟して味方がヘルプに回ってくるまでの時間稼ぎの足止めに専念したタックルを仕掛けることにする。


 だがくいな橋高校のラインの選手は北辰学園のクォーターバックの渾身のタックルが決まる直前、相手が突き出してきたヘルメットを大きな右の掌を添えると、腕に筋肉を隆起させて力を込めて下方に押し込む。


 体重を乗せた会心の一撃を右腕一本で止められてしまった北辰学園のクォーターバックは、体勢を崩されてなす術もなくフィールド上に突き倒されてしまった。


 くいな橋高校のラインの選手の驀進ばくしんはまだ止まらない。


陣形の最後尾にセットしていた北辰学園の体格のいいランニングバックが真横から仕掛けてきたタックルを食らっても、両足のスパイクで大地を踏み締め、強引に姿勢を保つ。


更にそこから歩みを止めず、一歩一歩力強く地面を蹴って走り続けたことで、胴に回された北辰学園のランニングバックの腕を振り解いてしまった。力負けしたランニングバックの足元がよろけた隙に、くいな橋高校のラインの選手は敵陣まで侵攻してしまう。


その前方にはもう一人もその歩みを妨げる相手ディフェンスはおらず、くいな橋高校の選手は独走したままエンドゾーンまで一息に駆け抜けた。


「速い、いやそれ以上に強い……」


 くいな橋高校のラインの選手は途中2度も相手の守備に足止めされたにも関わらず、80ヤード近くあったエンドゾーンまでの距離を10秒ほどで走破した。体格に恵まれた選手がひしめきあっているフィールド上でも一際目立つ巨躯であるのに、短距離走の選手のような走力と当たり負けしないフィジカルの強さを併せ持つタッチダウンを決めたラインの選手の運動能力に仰天したのは響太だけでなく、補助陸上競技場にいる誰もが同じだった。


「いいわよクーくん、ナイスタッチダウン!」


「霧島さん、あの人と知り合いなんスか!?」


「まぁ、知り合いと言われればそうかな」


「ブロックしたボールを自分で捕って、そのままディフェンスを振り切ってタッチダウンを決めるなんてあの人何者ッスか!?」


 絶体絶命のピンチを救っただけでなく、逆襲の一撃となるタッチダウンを奪ったラインの選手に葵が親しげに声援を送るのを聞いて、響太は彼が何者なのかを教えるよう彼女に頼み込む。


「強面で言動が粗暴、おまけに他所の不良としょっちゅう揉めるせいで番長扱いされている、ウチの姉さんの彼氏よ」


 薄々そんな予感はしていたものの、学校のゴールリングを破壊した悪名高き不良とたった今目覚ましい活躍をしたアメフト選手が同一人物と教えられても、響太はどうも腑に落ちない。


「でもあの人が噂の……でもなんでそんな人がアメフトを?」


「ウチのクォーターバックと仲がよくて勧誘されたってことと、学校からもアメフト部に協力すれば多少の問題には目を瞑るって条件を示されたかららしいわ。と言っても試合に来るだけで練習にはロクに参加してないけどね」


「やっぱり色々問題のある人みたいッスけど、あの身体能力には素直に感心するッス」


「バスケのリングに触るくらいじゃアタシが驚かないことにようやく納得したみたいね」


「悔しいけど霧島さんの言う通り、今のオレじゃあの人には敵わないッス」


 自分がバスケットゴールのリングに手を届かせても葵が驚かなかった理由を目の当たりにして、響太は自分が井の中の蛙だったと大人しく認める。


「霧島さん、自分より能力が上だと認めた相手のこと、せめて名前くらいは知っておきたいんスけど」


来栖託人くるすたくとよ」


「来栖さん、よーく覚えておきますよ」


 素行に問題は多々あるようだが、高校に進学して初めて敬意を表した男の名前を、響太はしみじみと反芻して胸に刻み込む。


「わざわざ名前を覚えとくような奴じゃないわ。それに無駄にいいガタイしてんだから、ちょっとくらい人より運動できなきゃ格好つかないじゃない」


「あれはちょっとなんて運動が出来るってレベルじゃないッスよ。あんなすげえ動き、見るの久々ッス!」


「たかが高校の地区大会でそんなに興奮していたら、NFLを見たらテンションの上がり過ぎでアンタ昇天しちゃうかもよ?」


 たった一度ハイライトを目にしただけで、学校一のワルに羨望の念を抱いた響太の単純さに葵は呆れる。


「いえ、あの人は別格ッス。来栖さんがいるんだから、絶対この試合も勝ちますよ」


「残念だけど、1人凄い奴がいるだけで勝てるほどアメフトは甘いスポーツじゃないわ」


 来栖が更に活躍を見せてチームを勝利に導くに違いないと響太が安直な意見を述べると、葵が冷めた言葉を返してきた。


「さっきのタッチダウンで点差は縮んだけど、ウチはまだ3点負けてんのよ。おまけに最終第4クォーター残り3分、仮にこの後のボーナスプレイでツーポイント・コンバージョンが成功しても、1点負けたまま相手に攻撃権が戻ってしまうわ」


「一発で逆転は出来ないみたいッスけど、3分も残ってりゃ十分じゃないッスか?」


「アンタ、ホントにアメフトに関しては素人ね。リードしているチームが攻撃権を得た状態で試合時間の残りが3分なら、時間を潰して相手に攻撃時間を与えない戦術を採るに決まってるわ」


「えっ、それってどういうことッスか?」


「下手するとウチはもう2度と攻撃権を得られずに試合終了を迎えるってことよ。しかも仮に攻撃権を取り返せたとしても、僅かな残り時間で北辰学園自慢の堅守を切り崩して得点することはかなり難しいわ」


 運動神経がよくてもアメフトに関する知識がない響太に葵は辟易した様子だが、溜め息を一つ吐くと辛抱強く今試合がどういった局面にあるかを解説し始める。そして葵は、北辰学園が勝利を半ば手中に収めつつある危機的な状況であると言って話を結んだ。


「ここで1点差まで詰めても、それ以上点は入らない可能性が高いってことッスね?」


「そういうこと、ここからが両チームにとってホントの正念場よ」


 葵は固い面持ちで頷き返してくると、非常に事態が緊迫していることを肌で感じて、響太は汗ばむ陽気の下にいるはずなのに背筋に寒気を覚えた。


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