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Cloudnoise  作者: 三畳紀
1.Hung time
2/12

Hung time 2

 ゴールデンウィーク前の日曜日。雲一つない快晴の空からは燦々と陽光が降り注ぐ図南となん総合運動公園の園内を響太は1人歩いている。梅雨を飛び越して夏が訪れたような外気とは対照的に、響太の胸中は暗鬱とした思いでどす黒く淀んでいる。


 同じ敷地内にある体育館でバスケットボールの大会が催されており、中学バスケ部の同期が入部早々スタメンを勝ち取って試合に出場するという話を耳にして、かつての戦友の応援に響太はやってきたつもりだった。


 しかし体育館に入って5分も経たないうちに、コート上にプレイヤーとして立つのではなくスタンドから観衆の1人として試合を観戦することに居心地の悪さを響太は覚えるようになってきた。


 中学時代と同じくフォワードのポジションを高校のチームでも与えられ、体格だけでなく経験値でも上回る対戦校のディフェンス陣に果敢に挑んでゴールを割ろうとする同期の姿を見ていると、スタンドに座ってただ試合を眺めている響太の自分への苛立ちは納まるどころか時間が経つにつれ強まっていくばかりだった。


 かつてのチームメイトの活躍もあり彼の学校が7点をリードしたままハーフタイムに入ると、とうとう居た堪れなくなった響太は応援をしに来た戦友に一声もかけずに会場を後にした。


 バスケプレイヤーたちが熱戦を繰り広げる体育館から逃げるように、いや文字通り響太は逃げ出した。


今もバスケを続け、高校デビューを果たし、今後もプレイヤーとして挑戦し続ける展望が開かれている同期と、夢中で取り組んでいたバスケを続けなくなり、何の刺激も目標もないまま無為に日々を過ごす自分。


かつて同じチームにいた者同士なのにバスケプレイヤーとしての明暗がはっきりと分かれてしまったこと理不尽さへの怒りに駆られ、響太は両の拳を固く握り締める。そして込み上げてきた暗い情念に流されるまま、響太はその鬱積した思いを晴らすため左の拳をそばに建てられた公衆便所の壁に叩き付けた。


拳骨を叩き付けられた公衆便所の壁に鈍い音が響く。


「結構力込めて殴ったのにあんま痛くないって、ホントどうなってんだよオレの左手?」


 公衆便所の壁から拳を離しながら響太は表情を歪める。ゆっくりと解いていく左の拳の肉体的な痛みではなく、打撃音が立つほどの勢いで殴りつけたはずなのにほとんど拳が痛みを感じていないことが響太の心を締め付けた。


 公衆便所の壁を殴りつけても自身の置かれている現況に対する響太の怒りは収まらず、むしろ先ほどよりも膨れ上がっていた。やり場のない怒りが再び暴発しそうになると、今度は補助陸上競技場のフェンスを響太は八つ当たりの対象に定める。


 しかし響太が力を込めた右腕の掌で補助陸上競技場のフェンスを打つよりも先に、周囲に大きな衝突音がこだまする。


しかも響太の耳に飛び込んできた衝突音は一つではない。硬質な何がぶつかり合う高く鋭い音と、それに一拍遅れて重みのある何かが地面に落ちた鈍い音だった。


それらの音を耳にして我に返った響太はフェンスの真ん前に張り付いて、奥で何が起こっているのか確かめようと目を凝らす。


フェンス越しに奥の様子を窺う響太の視界に映ったものは、10分も被っていれば頭が蒸れそうなヘルメットを筆頭に、もともと太い腕の威圧感をいっそう高める肩パットや膝を保護するニーパットなど初夏の清々しい陽気に似つかわしくない重装備の防具に身を包んだ大勢の男たちが、誇張ではなく文字通りぶつかり合う光景だった。


「セーッ、ハッ、ハット!」


 芝が疎らに生えたフィールドにいる選手の中でも特に体格のいい選手たちが、肩を寄せ合うようにして並んだ最前列の真後ろに控えた比較的細身の選手がよく通る声を張り上げると、隊列の中央に構えた選手の大きく開いた股の間から何かが後方に投げ出される。


 それを合図にして、同じように横一線に並んでいた相手チームの豪傑たちが一斉に敵陣に向かって突進を開始する。号令をかけた選手が隊列の中央に陣取る選手から投げ渡されたものを受け取るのと、両軍の最前列に並んだ選手たちがぶつかり合うのは同時だった。


 互いの力が拮抗し相撲の土俵際のようなを押し合いを続ける者、均衡が破れて土をつけられる者、一度は押し合いを制したもののまた新たな敵とぶつかり始める者。補助陸上競技場の広大なフィールドが狭く見えるほど敵味方入り乱れて混沌とした様相が響太の眼前で展開されていた。


 乱戦の中、味方の選手から何かを受け取った選手は伸ばした右腕を前方に振り抜く。勢いよくその選手の手から投擲されたものは弧を描いて飛んでいき、その先に味方の選手が走り込んでくる。号令をかけた選手から投げ出された物体を、味方の選手は軽く飛び上がりながら両手を広げて掴み取った。


しかし味方の投げた物体を確保した白地を基調に所々赤い箇所のあるユニフォームを着たチームの選手が地に足を着くと同時に、黒い腑にフォームを纏う相手チームの選手が飛び掛かる。


強襲してきた相手から、首を竦めて厚みのあるヘルメットとパットで保護した肩でタックルされた白地のユニフォームの選手はその衝撃に耐え切れず横に吹き飛ばされ、先ほど取ったものも手の中からこぼしてしまう。


 白いユニフォームの選手の手から芝の上に落ちたものは、人の頭ほどの大きさがある楕円形の物体だった。楕円形の物体は不規則に数回弾んだ後、フィールドを仕切る白線の外側へと転がり出て行く。


「あれってアメフト、だよな……?」


 フィールドの両端に聳える上方が二股に分かれた独特の形状のゴールポスト。頑健な肉体を誇る選手たちが奪い合う楕円形のボール。そしてバスケットボールなら即退場になる激しいぶつかり合いが公然と認められるため、ヘルメットや全身を覆うプロテクターを着用して選手が試合に臨む競技性。


 それらの特徴から目の前でアメフトの略称で呼ばれることも多いアメリカンフットボールの試合が行われていることを響太は理解したが、初めて直に見るアメフトの迫力にすっかり飲まれてしまっていた。


 味方からのパスを受け手が確保しきれず落球したことで白地のユニフォームのチームの攻撃は仕切り直しになったらしく、先ほどと全く同じ地点から試合が再開される。


 しかし今回は守備側の黒いユニフォームのチームの気迫が勝り、白地のユニフォームのチームの選手の大半が押し合いに競り負けた。


前回と同じく攻撃を開始の号令を出した選手は、黒いユニフォームの選手たちが数人がかりで肉薄してくると、やむを得ないという様子で味方が誰もいない方向にボールを投げ捨てる。


 ボールを保持していた選手があさっての方向に放り出すと、黒いユニフォームのチームの選手たちは慌てて突進する勢いを緩め、走る進路を変更して白地のユニフォームの選手から離れていった。


 最前列に並び、真っ先に相手選手と組み合う選手たちをラインと呼び、攻撃開始の合図を出して、ラインの選手から投げ渡されたボールを前方にいる自軍の選手にパスを捌く司令塔の役割を担う選手をクォーターバックと言う。


衛星放送でやっていたアメフトの試合を何気なく観戦した際に頭の片隅に記憶していたそれらのポジションの名称と役割を、今実際にアメフトの試合を観戦することで響太は一致させることができた。


またしても相手の守備にパスを阻まれた白地のユニフォームのチームが少し陣形を変える。攻撃側のチームが陣形を変化させるのと対応するように、守備側の黒いユニフォームのチームも隊列を変えてきた。


両チームとも最前列に選手を横一列に並べていることは先ほどまでと変わらないが、最前列に配置された選手数は増えている。最前列に控える選手が増えたことで後方に位置する選手数は自然と少なくなり、攻撃側の白地のユニフォームのチームは離れた場所に1人選手を置いただけだった。


攻撃側のチームのラインの中央にいる選手が、先ほどよりも遠くに立つ後方の味方選手にボールを投げ渡す。今回ボールを受けたのはこれまで攻撃を指揮していたクォーターバックの選手ではなく、違う背番号の選手だった。


クォーターバックを務めていた選手に代わって味方からのボールを捕球したその選手は、即座に受け取ったボールを手放して足元へ落としていく。そして後方に引いていた右足をボールの落下に合わせて前方へ蹴り出した。


快音を響かせて蹴り上げられたボールは高々と宙を舞い、半円状の軌道を描きながら敵陣深くに飛んでいく。


守備側の後衛選手たちは味方のラインの選手より遙か後方で待機していたが、予想以上に攻撃側のチームの選手が蹴ったボールの飛んだらしく、ボールを追って背走する羽目になった。


しかし攻撃側の選手の蹴ったボールは飛距離もさることながら球速も相当出ており、守備側の選手が追いつく前に地面へ落ちる。球形のボールでさえ弾む軌道を予測するのは容易ではないのに、まして楕円形をしているアメフトのボールではどこに弾むかを事前に予測できるはずはなかった。不規則なバウンドを続けるボールを確保しようと守備側のチームの選手たちは懸命に追うものの、結局フィールド内で捉えることはできずにボールはサイドラインを越えて外に飛び出てしまう。


 攻撃側のチームに与えられる一度の攻撃権は4回プレイできるチャンスが付与され、その間に10ヤード(約9m)以上、敵軍のゴール方向に前進すると再度攻撃権を獲得できるという陣取り合戦が、アメフトの試合展開の簡潔に表現である。


 なお4回プレイを終えた時に攻撃を始めた地点から10ヤード以上相手ゴール方向に前進できていないと、攻撃を終えた地点で攻守交代となる。攻撃権を喪失して次のプレイからは守備に回ることを考えた際、自軍のゴールから出来るだけ離れた場所から相手の攻撃を始めさせることが望ましい。


 攻撃側のチームは3度目の攻撃を終えた際に攻撃を始めた地点から10ヤード以上の前進をすることが難しいと判断すると、最終4度目の攻撃はボールを敵陣に蹴り返して、相手の攻撃開始地点を押し下げる戦術を選ぶ。


 ボールを蹴り飛ばして陣地回復を図るプレイをアメフトではパントと呼び、それまで攻撃の指揮を執っていたクォーターバックに代わって、パンターと呼ばれるキック力が高い選手がラインの後方に配置されるようになる。


 今白チームが行った一連の動作がそのパントであり、黒チームはボールがフィールド内にあった最終地点から攻撃を始めるということを、響太はテレビ観戦で齧った知識で状況把握した。


 フィールドの中央付近で白チームの攻撃は途切れてしまったが、パントによって大幅に陣地の回復に成功し、黒チームは自陣10ヤードというきわどい位置から攻撃を始めなければならなくなった。


 しかし絶妙な位置に落とした白チームのパントの甲斐も空しく、黒チームは最初に得た攻撃権ではパスを二度連続で成功させて一気に20ヤード近く前進する。ボールを保持したまま4回以内の攻撃で10ヤード以上の前進に成功し、再度攻撃権を獲得することをファーストダウンの獲得とアメフトでは称すが、黒チームは着実に前進を続けて二度、三度とファーストダウンを更新していく。


 アメフトのフィールドの長辺は全長100ヤードあるが、0ヤード地点からその奥にあるゴールポストまでの10ヤードをエンドゾーンと呼ぶ。エンドゾーンからフィールド中央に向かって20ヤード以内の範囲をレッドゾーンと言い、この地点まで侵攻すると攻撃側のチームが得点する見込みはかなり高いものとなる。


じりじりと相手チームの攻撃に押されて後退させられた白チームは、とうとうレッドゾーン内となる自軍18ヤード付近まで黒チームに攻め込まれていた。


「いくぜ、タッチダウン取るぞぉ!」


「オゥッ!」


 レッドゾーンに到達した黒チームのクォーターバックの気合いに、彼の仲間たちは威勢のいい返事をする。


攻撃側のチームがエンドゾーンまでボールを確保したまま到達するとタッチダウンとなり、6得点が自軍の点数に加算される。


ちょうどスコアボードの裏側の方向にいるせいで響太には黒チームが現在リードしているのか、それとも追いかける立場なのかは分からない。しかしここで一本タッチタウンを決めれば、この後のプレイに勢いをつける弾みになることはアメフトに関して素人の響太にも察せられた。


「ねぇ、オフェンスもディフェンスもやられっぱなしで悔しくないの!?」


「えっ、今の声って……」


 攻守両面で劣勢に立たされている白チームの選手たちに対して檄が飛ぶ。聞き覚えのあるその声のした方に向けた視界に意外な人影を認めて、響太は思わず驚嘆する。


「ここを死守しなきゃ試合が決まっちゃうわよ!」


「やっぱり霧島さんだ、でもなんであの人がアメフトの試合を?」


 窮地に立たされている白チームに発破をかける気風のいい声がやはり葵のものだと響太は確信する。しかし声を聞いてもなお、才色兼備ではあっても居丈高な態度がいただけない葵が声を大にしてアメフト選手たちに声援を送る姿が響太には想像できなかった。


 本当に葵がアメフトの応援をしているのかを自身の目で確かめるため、響太は補助陸上競技場の入り口を目指してフェンス沿いを走り出す。競技場の入り口を通り抜けても響太は足を止めず、一気に葵の声が聞こえた辺りまで駆け抜けた。


「ヒラギノくん、なんでアンタがここにいるのよ?」


 響太が周囲を見渡して葵の姿を探していると、背後から葵の声が聞こえてきた。振り返えると響太がこの場にいることが気に食わないというように、眉間に皺を寄せた葵が確かにそこにいる。


「そこの体育館で中学のバスケ部の同期の試合を見た帰りに前を通りかかったら、霧島さんの声が聞こえたんで、本当にいるのかなぁって確かめに来ただけッス」


「アタシがいるのが分かったならさっさと帰れば。今アンタに構っている暇はこれっぽっちもないの」


 響太は真実を語っただけだったが、葵は取りつく島もなく彼の傍を素通りしてフィールドに近い位置から試合観戦を再開する。


「白いユニフォームのチームを応援してるみたいッスけど、あのチームに知り合いがいるんスか?」


響太は葵の隣に並び、彼女が白チームの応援をする理由を訊ねる。葵は一歩右側に移動して響太と距離を開けて、フィールド内で行われている激戦を凝視し続ける。しかし自分が移動した分だけ響太も距離を詰めてくると、葵は鬱陶しそうに眼を細めた顔で彼を一瞥する。


「知り合いも何も、自分の学校のアメフト部を応援しちゃいけない訳?」


「えっ、ウチの学校にアメフト部なんてあるんスか!?」


 自分の投げかけた質問に対する葵の返答の意外さに響太は驚きを隠せなかった。


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