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Cloudnoise  作者: 三畳紀
1.Hung time
1/12

Hung time 1

 入学時に咲き誇っていた桜の花が生い茂る新緑に変わり、ようやく新入生たちも高校生活に慣れ始めた4月下旬。スポーツテスト後の余暇、室内球技に興じる者もいれば、クラスメイトとの談話に花を咲かせる者もおり、生徒たちはそれぞれの方法で満喫している。


 うららかな陽気の中にいる爽快感だけでなく、ゴールデンウィークを間近に控えていることもあって場の雰囲気はとても華やいでいるのに、霧島葵きりしまあおいはどこか不満げな表情でぬるくなったスポーツドリンクを啜っていた。


「ねえ、霧島さんは誰が一番だと思う?」


「え、何のこと?」


「やだなぁ、向こうのリングの下でやってる、誰が一番高くジャンプできるかの勝負に決まってるじゃない」


 相手の女子生徒は、自分の問いかけの趣旨を葵が汲めなかったことに意外そうな顔を浮かべつつ、体育館の正面玄関の方にあるバスケットボールのゴールリングを指し示す。


「あっちのリングの下?」


 相手の女子生徒が示した方向に視線を移すと、確かにゴールリングを取り囲むようにして人だかりができていた。しかもそこにいる大半が女子生徒で、何かに興奮しているように落ち着かない様子だ。


 しばらく葵がゴールリングの辺りを眺めていると、人の輪の中から突然誰かが垂直に飛び上がった。跳躍したのは隣のクラスのサッカー部員で、精一杯伸ばした彼の指先が頭上から垂れ下がるゴールネットに掠り、それがかすかに揺れると、女子生徒たちの間から黄色い歓声が湧き上がった。


「なるほど、スポーツテストの種目になかった垂直跳びの優劣を、各部のイケメンたちが改めて争っているのね」


「そうなの。ね、霧島さんも見にいこ!」


「ええ」


 学年を代表する美男子が一堂に会していても、小学生の男子が躍起になるような勝負に葵はさして興味は持てなかった。しかしクラスメイトの誘いを拒む理由もなかったので、葵は人付き合いの一環に少年たちの幼稚な対決の観戦に同行することにした。


 サッカー部の男子の指先がゴールネットに触れた時に割れんばかりの歓声が巻き起こったが、その後の挑戦者たちも同様にゴールネットの端に手を届かせる跳躍を見せる。


 参加している男子たちはみな平均以上の身長のようだが、飛び抜けて体格に恵まれた者はいない。参加者たちが似通っているのは跳躍力だけでなく、ひ弱ではないが頑健とは言い難い細身の体格や、目鼻立ちが整って小奇麗ではあってもどこか頼りない顔つきなど身体的な特徴も同じだった。


 流行を追う嗅覚やそれを実践できる器用さを持つが故に、誰も似たような印象になってしまっている少年たちの勝負はすぐに飽きてきたので、葵は観戦を切り上げて教室に戻ることにする。


「ごめん。アタシ、先帰るわ」


「まーまー霧島さん、教室に戻るのはオレが跳んだ後でもいいでしょ?」


 しかし葵が正面玄関に向かって一歩踏み出した瞬間、軽薄な声と共にいきなり背中から肩に手を回された。


「ちょっとアンタ、気安く触んじゃないわよ!」


 高校に入学してからは大人の女を心がけて澄ました態度で振る舞ってきた葵だったが、何の断りもなしに軽々しく肩を組まれたことで激昂し、感情を剥き出しにして無礼な奴の腕を力一杯払いのける。


 葵を抱き留めた男子はジャンプ力勝負に加わっている他の参加者たちと似通った風体の優男だった。振り向きざまに睨みつけた相手の顔は、案の定見覚えのないものであったが、相手の男子は締まりのないにやけ面で平然と怒気を顕わにした葵と相対する。


「あれ怒らせちゃった、案外霧島さんウブなんスね?」


「知らない奴から急に馴れ馴れしくされたら誰だっていい気はしないでしょ?」


「確かにそーかもしれないッスね。じゃあまずは自己紹介を。オレ、6組の柊野響太ひらぎのきょうた、よろしく」


 初対面の女性の肩に唐突に手をかけた行動だけでなく人を喰ったような話し方も葵の神経を逆撫でするが、それら鼻に着く言動を補って余るくらい彼は爽やかな笑みを浮かべていて、20cmほど上にある笑顔に葵はしばしの間、見入ってしまう。


「チャラくてウザいヒラギノくんね、よーく覚えておくわ」


「これから3年間一緒に過ごす仲なんだし、あんま邪険しないで欲しいんスけど」


 困ったような素振りを見せてはいるが、笑いを堪えた口元やにやついた目つきで、葵に蔑ろにされても響太が全く動じていないことは衆目に明らかだった。


「じゃ、いっちょ跳んでくるッス」


「はいはい、テキトーに頑張って」


 響太は応援を求めるように目配せするが、葵から戻ってきたのは気のない返事だけだった。なかなか自分に靡いてくれない葵の気難しさに、響太は溜め息を吐いて落胆した振りを見せる。


 幅の広い肩を落として背筋を丸めた意気消沈とした姿勢のまま響太はゴールリングの真下に立つが、自分の冷淡な反応によって彼が本当にモチベーションを殺がれたとしても葵は微塵も良心の呵責を覚えなかった。


 ゴールリングの下に佇んだまま、響太はなかなか跳ぼうとしない。ジャンプする位置に着いたのに響太は跳躍しないことで高まった興奮を発散できない観衆や、出番を任されてかすかに苛立ちを浮かべた今後の挑戦者の視線に曝されることを楽しんでいるように、響太は泰然自若とした様子でジャンプする気配を見せない。


 挑戦する気がないならさっさと他の者に代われと葵の喉まで罵倒が出かかった時、それまで呆然と虚空を仰いでいた響太の目が軽く閉じられる。そして閉じられていた瞼が開かれた瞬間、それまで終始おどけていた響太の目つきが真剣なものになり、彼がこの跳躍に集中しきっていることに葵は気づいた。


「ふっ!」


 弛緩させた筋肉を引き締め、裂帛の気合いを吐き出し響太は力強く板張りの床を蹴って飛び上がる。長い腕を垂直に伸ばしながら全身のバネを使って跳躍した響太の体は、周囲を取り巻く同級生たちの遙か頭上まで高々と舞い上がる。


 そして大きく広げられた響太の右手の指は、体育館のフロアから3m上空に設置されたゴールリングに触れた。指先がかかっただけだったのでさすがに掴めはしなかったが、リングにぶら下がっていたと錯覚するほど長い時間、響太の体は宙に浮いていた。


 これまで跳んだ誰よりも高い跳躍を見せた響太が、両足でしっかりとフロアを捉えて着地を決めてからも周囲の観客や対戦相手たちは呆然としていた。


 ジャンプ力の対決を観戦していた女子だけでなく、競争相手の男子からもどよめきが上がり、その声が体育館中に響き渡ったのは、響太がフロアに着地してから数秒経ってからのことだった。


「どうッスか、見ていってもらうくらいの価値はあったでしょ?」


「そうね。あれだけ跳べば、多分アナタが一番でしょうね」


 しかし周囲の人間と違い、響太の見せた大跳躍への葵の反応は薄いものだった。周囲の喧騒を尻目に、葵は何事もなかったように再び歩き始める。


「ねぇ霧島さん、なんであんな高く跳べるのとか中学の時は何部だったのとか、そういうこと気にならないんスか?」


 葵の無反応さに逆に動揺しながら、慌てて響太は遠ざかっていく葵の背を追う。


「別に。だってあれくらいのことなら、ウチの姉さんの彼氏で見慣れているし」


「あれくらいって……霧島さんのお姉さんの彼氏ってそんなに高くジャンプできるんスか?」


「身長も190cm以上あってアンタよりでかいってこともあるけどね、あっちのゴールリングが壊れているのはソイツのせいよ」


「マジッスか、そしたら霧島さんのお姉さんの彼氏ってウチの番長ってことになるッスよ!?」


 玄関に向かって歩を進めながら、葵は響太たちがジャンプ力対決をしていたゴールリングの反対側を顎でしゃくって示す。向かい側のバックボードは彼女たちの会話にあった通り、留め具の部分が破損してゴールリングが外れている。


 先週3年生が行ったスポーツテスト後の余暇に、何人も喧嘩相手を病院送りにしているこの学校の番長がその膂力を振るってリングを破壊したという噂は、響太たち1年生の間でも有名な話だった。


「妹としては不本意ながらね。まぁ、姉さん自身は納得してるみたいだから他人が口出しするような話じゃないでしょ」


 発言とは裏腹に姉がこの学校の番長と交際していることをまんざら不満ではない顔で、葵は響太の問いに頷き返す。


「そんなヤバい奴と付き合ってて、お姉さん大丈夫なんスか!?」


 野次馬的な興味本位ではなく、傍若無人な黒い噂を裏付ける証拠を目の当たりにして、この学校の番長に関係を強いられている葵の姉の身を響太は案ずる。


「お世辞にも知り合いであることが自慢できるような奴ではないけど、アンタみたいにヘラヘラした態度で他人に付き纏わないし、自分のやることに筋は通しているわ」


 しかし響太の良心からの心遣いは葵の機嫌を損ねたらしい。葵はその場に立ち止まり、これまで以上に不機嫌そうな、姉の恋人が悪し様に言われていることが心外そうに険しい目つきで響太の顔を見上げる。


「オレだって霧島さんが思ってるほどいい加減な人間じゃないッスよ!?」


「ふーん、誠意のある人間がこの入学して一月も経たないうちに3人も女の子と付き合って別れるとは思えないけど?」


「それは誤解ッス。その話に出てくるたちとは何回か遊んだだけで、付き合ってた訳じゃ……」


「じゃあアタシもアンタに何回か遊ばれて、飽きられたらあっさり捨てられちゃうんだ?」


 響太の顔と名前は一致していなかったが、彼がこの一月の間に3人の女子と立ち代わり入れ代わりで付き合ったという噂は葵の耳にも伝わっていたらしい。


 入学早々女たらしぶりを発揮しているという噂は、話に尾鰭がついた嘘だと響太は必死に弁明するが、知人を侮辱されて臍を曲げた葵は聞く耳を持たない。


「噂でしか知らないのに、お姉さんの彼氏のことを悪く言ったのは謝ります。だから霧島さんもオレに偏見を持たないでください」


「チャラチャラ女と遊んでる奴じゃ説得力ゼロなんですけど。まぁ、アンタ以外にもこの学校にはそんな奴たくさんいるか。進学率や部活の成績は私立に押されてる上、生徒にやる気もないなんてホントここはどうしようもない学校ね」


「……そんなに不満が山積みならどうしてウチに来たんスか。中学はかなりいいトコに通ってたんでしょう、ならあんたが望む環境の学校に行けばよかったじゃないッスか!?」


 葵の居丈高な態度にとうとう響太は業を煮やして、不平ばかり募らせるのであれば、くいな橋高校ではなく彼女が満足できる環境の学校に入学すればよかったのだと反論した。


「文武両道を校訓に生徒の自発性を尊重する校風が、高校時代を過ごす場に望むものだったからアタシはここに来た。でも、この1か月でこの学校が掲げている校訓は全部嘘っぱちだってことを思い知ったわ」


 響太からの非難に反発もせず、むしろそれを肯定するような言葉を淡々と葵は紡ぐ。浴びせられた罵声に対して真っ向から衝突してくるものと予想していた葵の反応は、響太にとって予想外なものだった。


 自分が高校生活を謳歌する場所としてくいな橋高校を選び、夢と希望を持って入学したはずが現実はそれを裏切るものだったことが、葵がこの学校で起こる出来事に対して不満を抱く根源になっているのではないかと響太は直感する。


「かくいうアタシも遊び惚けているアンタをとやかく筋合いはないわね。期待してた環境と違うと言い訳して不満を言ってばかりで、他のみんなと同じように何となく毎日を過ごしてるだけなんだから」


 響太を始め、何事にも打ち込まず惰性で毎日を送る他人の姿勢を批判しているものの、結局自分も彼らと同類だと葵は自嘲して、また玄関に向かって歩き始める。それまで高飛車で強気な姿勢を崩さなかった葵の顔に物寂しげな色が浮かんだのを見て、響太は彼女に同情の念を覚え、何か励ましになるような言葉をかけてやりたくなる。


 だが二人の間に出来た蟠りを払い取る言葉を、響太は葵が正面玄関に辿り着き、体育館シューズから上履きに履き替えるまでの間に思いつけなかった。結局、遺恨がある状態で響太は葵が校舎に戻っていく様を見送ることしかできない。


 初めから特別なものを求めもしなかった自分よりは、自分が望むような青春を謳歌する舞台として選んだ葵の方がまだくいな橋高校に入学した理由があると響太が思ったのは、葵の姿が体育館と校舎を結ぶ渡り廊下から完全に見えなくなった頃だった。


「まったく、肝心な時はいつも何もできない自分がんなるよ……」


 参加していたジャンプ力対決では図抜けた成果を残すようにどうでもいい時には活躍できる反面、傷心した葵に慰めの言葉をかけて自分に抱いた不信感を払拭できなかったように大事な場面では力を発揮できない間の悪さに、響太は自虐的な独り言を呟く。


「響太、やっぱお前が一番だったわ」


「おいおい、運動部の皆さんが帰宅部のオレに負けるようじゃ、ゴールデンウィーク遊んでる場合じゃなくない?」


 同じクラスのサッカー部員からやはり自分がジャンプ力対決を制したことを伝えられると、響太は軽口で応えて未だ絶えないゴールリングの下の人だかりの中へ戻っていく。


「つか響太、帰宅部なのにあんだけ高くジャンプできるってありえなくね?」


「こう見えてもオレ、中学ん時はバスケでちょっと有名人だったんスよ」


「だったら高校でもバスケしろよ~ウチなら即レギュラーじゃね?」


「必死こいて部活打ち込むのは中学までで充分ッスわ、3年間しかない高校時代を部活なんかで潰すのはもったいないッス」


「うわぁ、ちょっとみんなより高くジャンプできるからって調子こいてる~」


 その場のノリに合わせて冗談めかした物言いを繰り返すことに響太は空しさを覚えつつも、他のことも一切顧みずに打ち込みたいものなど何もない今の自分にとって一番苦しくない生き方は、葵が糾弾した惰性で送る学園生活に身を置き続けることだと割り切ることにした。

 

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