第三話
昨日は家に帰ってから何してたっけ?
考えてもまったく思い出せないや。
「はぁ…」
1つため息をついてから教室のドアを開ける。
初めに目に入ってきたのは高坂くんだった。
…どうしよう。
挨拶する?…って言うか、別に気まずくなる必要無いよね。
私と高坂くんの間に何かあったってわけじゃないんだし…
「おはよ。どしたの?」
悶々と頭の中で考えを巡らせてゆっくり席に近づいていた私。
高坂くんにいきなり挨拶されて驚いて固まってしまった。
「桐生さん?」
「え、あっ、うん。おはよ!」
慌ててそう言って席に座る。
やっぱり視線が行ってしまったのは彼の左手。
昨日のコトが現実なんだと思い知らされる。
彼女…いるんだよね。
聞いてもいいのかな…?
「ねぇ、高坂くん」
「ん?」
「……トキって人、誰なの?」
あぁ、もう。
自分の性格が凄く嫌になる。
なんで私はいつもこうなの?無難な行動ばっかり。
「時季…?」
ほんの一瞬、沈黙したのが分かった。
高坂くんは話しやすいように横向に座っていて、視線を教室に巡らせる。
「…宮本時季っていって、中学の時のダチ。バスケ部で一緒でさ、孝介先輩も同じバスケ部だったんだ」
「バスケ部?意外だね」
高坂くんは確か帰宅部だ。
運動っていうより、頭が良いイメージの方がある。
「俺は他に入りたい部活も無かったから入っただけ」
いたずらっ子のような笑顔。
それでもバスケは好きなんだなぁって、なんとなく伝わってくるよ。
「だけど、時季は違う。あいつはバスケで食ってけるようになるのが夢だったから。最初それ聞いた時はただのバスケバカかと思ったけど…それだけじゃなかった。ちゃんと実力も伴っててさ」
その口振りから分かったのは2人がすごく仲が良いんだってこと。
それから、高坂くんはこんな表情もするんだってこと。
でも、ほんの少しだけ…寂しそうに見えるのは何でだろう?
「あいつのバスケはすごいよ。高校もスポーツ推薦もらってさ。ボール奪ってシュート打つだけで高校に進学した。地方だけどバスケの名門校にね」
「そんなにすごい人なんだ…」
「夏〜!おはよ!」
突然の声。
驚いて視線を向けると佐原さんが教室に勢いよく入ってきたところだった。
「おはよ」
佐原さんが目の前に来ると高坂くんが口を開く。…佐原さん、ドア開けっ放しだよ。
そんな風に心の中で呟いたあと、そんな自分にまた少し嫌になる。
ふと見上げると高坂くんの前に立っている佐原さんと目があった。
…睨まれてる…?
「佐原」
「ん?何ぃ?」
高坂くんに名前を呼ばれると途端に表情が変わった。
分かりやすいなぁ。
高坂くんは人差し指でドアを指差して言う。
「お前ドア開けっ放し。閉めて来いって」
「あ!ごめーん。早く夏に会いたくってさ」
佐原さんは慌ててそれを閉めに行く。
高坂くんも同じこと思ってたんだって思うと、少し気分が明るくなった。
佐原さんがドアを閉めて戻ってきた時にまたドアが開く。
見るとあゆみが眠そうな顔で入ってきたところ。
ほとんど佐原さんが一方的にだけど、話してるこの2人の間に入る気は起きない。
私は席を立ってあゆみに話し掛けに行った。
聞けば、あゆみは私が帰った後勝手に孝介さんのゲームを初期化して徹夜で攻略しようと頑張ってしまったらしい。
『ダメだ。ちょっと寝てくる』
そう言って1限目が終わった直後に保健室へ行ってしまった。
孝介さんの涙が目に浮かぶ。
「寝起きのあゆみにジュースでも買っていってあげるか」
結局あゆみは戻ってこないまま1日の授業は終わってしまった。
鞄は教室に置いたまま、100円玉とケータイだけ持って売店に向かう。
寝起きの悪いあゆみの機嫌をとるには、保健室へ起こしに行く前に彼女の大好きなレモンティーが必須だ。
売店は隣の棟にあるから、1階まで降りたら廊下と言うより“屋根の下にある敷石の上”という呼び方のが的確な通路を通らなきゃいけない。
棟と棟の間にあるその場所は風通しもずいぶんよかった。
私が丁度その場所に差し掛かった時も例外なわけはない。
「あ…!」
慌ててスカートを抑えた拍子に、100円玉を落としてしまった。
きれいに転がった100円玉は中庭の方へ向かう。
追いかけると、それを拾い上げてくれた男の人がいた。
「あの、すいません…それ私が落としちゃって」
「おっ、そっか。野郎だったら貰っちまおうかと思ってた」
はい、とその人は私に手渡してくれる。
「ありがとうございます」
私はお礼を言いながらも怪訝な表情だったと思う。
その人は整った顔立ちに金髪、耳には沢山のピアス。そしてなぜか私服だったのだ。
「名前は?」
「え?」
女の子なら誰でもときめいてしまいそうな笑顔。
私にも少しは効き目があったものの、あゆみの言葉を思い出していた。
『鈴子、あんたは素直だけど無防備すぎるの。妙な男に簡単に名前だのアドレスだの教えちゃダメだからね!』
私の中で、今目の前にいるこの人は確実に“妙な男”に値する。
「…なんで教えなきゃならないんですか」
「いやぁ、出会った記念に」
…なんなのこの人!?
私がそう思った瞬間にポケットに入っているケータイが振動した。取り出してみるとそれはあゆみからの着信。
「もしもし、あゆみ?」
私は目の前の金髪男を放置したまま電話に出る。
「あ、うん。今レモンティー買ってから起こしに行こうかと思ってたの。え?…はいはい、買って行きますよー。ん、じゃね」
あゆみは私がレモンティーを買って迎えに行くまでもう一眠りするらしい。
ため息をつきながら終話ボタンを押すと、まだそこにいる金髪男。
「なんですか?」
「名前教えてくれないんなら、桃ちゃんって呼ぼうっと」
唐突に満面の笑みで言う。
「何それ?」
「だって桃ちゃん、今日のパンツはピ…──」
「鈴子です!!だいたい何でそんなことっ…!」
相手の言いたいことが分かって、声を張り上げた。
自分で顔が真っ赤になってるのが分かる。
それを見ながら金髪男は面白そうに笑っていた。
「だってほら、さっきお金落とした時に風がさ」
「見てたの!?」
「ブッブー。残念。見えちゃったの。俺ってラッキー?」
この人って…!
私は何も言う気がなくなり、もう無視してとっとと売店に向かうことにした。
「待った、悪かったって」
その場を立ち去ろうとして歩き始めると腕を掴まれる。
「悪いと思うなら放して」
「そんな、冷たいじゃん。お詫びにレモンティー奢るよ。鈴子チャンと、それからあゆチャンの分もね」
なんであゆみのことまで知ってるのかとびっくりして思わず振り返る。
でもよく考えたらさっきの電話の会話を聞かれてたんだっけ。
思い出しても時既に遅し。
私は結局この人と売店に向かうしかなかった。