第二話
もしも…
王子様が茨の城の中で迷ったとしたら。
白雪姫が眠る棺が、馬に乗った王子様の視界に入らなかったとしたら。
シンデレラが落としたガラスの靴を、王子様が気付かずに蹴っ飛ばしてしまったとしたら。
そんな風に考えてしまう私は、卑屈すぎるのかな…?
あゆみはモテはするけど基本的に男に興味がない。だからクラスメートですら、その名前をきっと私と同じように覚えてなんかないと思う。
「ねぇ、あゆみ。あの人の名前なんて…分かんないよね?」
それでも休み時間に入って早速尋ねてみたのは、単に他に聞ける人がいなかったから。相手は私の名前を知っていたのに今更本人に名前の確認なんかできなかったんだ。
でも私が指差した先の人物…つまり、私の前の席の人を見たあゆみは一瞬の間の後
「あぁ」
と言ったから驚いた。
「高坂夏だよ」
「高坂くん、かぁ。てかあゆみ、なんで知ってんの?」
「鈴子が聞いてきたんじゃん…」
私の疑問に呆れたようにため息をつくあゆみ。
いや、それはそうなんだけど。
なんだか釈然としない気持ちでいると、突然教室のドアが開いてギャルっぽい派手な女の子が入ってきた。その子はまっすぐ高坂くんの席へ向かう。
「夏!」
外を見ていた高坂くんは彼女に声をかけられて初めて気づいたようだった。
「ね、今日アイス食べに行こうと思って」
「そうか」
「も〜。夏も一緒だよ?」
「なんで」
「夏と一緒に食べたいからぁ」
「行かね」
いやいやいやっ…さっきから3文字しか返答してませんけど!
それでもあの子はめげずに高坂くんに話しかける。それどころか、寧ろ嬉しそうと言った方が適切だった。
私が面食らってその様子を見ているとあゆみがボソッと呟く。
「…うるさい」
「あの子すごいねぇ。付き合ってるってワケじゃ…」
「そんなことあるわけないでしょ。確か…佐原美月とか言ったかな。高坂の追っかけだよ」
「へ?あ、そうなんだ…」
あゆみのあまりに早い返事に少し面食らってしまった。
それにしても、追っかけって。
モテるんだなぁ…なんて感心してしまう。
「そんなことより鈴子。今日うちにご飯食べにおいでよ?父親も兄貴もいないからさ」
唐突なあゆみのお誘い。思い出したかのように言うと、満面の笑みで少し首を傾げて覗き込む。こんなあゆみの仕草が出た時には既に拒否権なんてものは存在しない。
私は今までの経験上、すんなりとそれに頷いた。
あゆみの家は駅から少し離れた住宅街に位置する一軒家。
マンションで家族3人暮らしの私にとっては憧れだったが、あゆみに言わせれば『駅から遠いのはとんでもなく不便だし、マンションのが高くてカッコイイじゃん!』って。
「鈴子ちゃんか〜。よろしくな!」
「ていうか何でいるワケ!?」
今目の前で繰り広げられようとしている兄妹喧嘩。
あゆみのお兄ちゃん、孝介さんの挨拶に頷こうとしたらあゆみの声に遮られてしまった。
「なんでって…お前それが兄に対する態度かよ」
「鈴子に手出したら東京湾に沈めるから」
あゆみの絶対零度の声色に、私の肩へ伸びかけていた孝介さんの手が止まる。
「…よし、飯食うか!」
突然そう言って話をそらすと孝介さんはさっさとダイニングに行ってしまった。
私は笑いを堪えることができない。
「…何笑ってんの?」
「別に〜。仲良いんだね、お兄ちゃんと」
「だからブラコンみたいに言うのよしてよね…」
あゆみは眉間に皺を寄せてそう言うとキッチンから、おばさんが夕食の準備が出来たことを知らせる声がした。
私は住宅街独特の駅までの暗い道を歩いていた。
あゆみの家からの帰り道。
隣には、孝介さんが並んでいる。
「あの、ホントに駅までで大丈夫ですよ?」
「いーからいーから。ちゃんと家まで送らないと俺があゆみに怒られる」
数十分前に突然あゆみがにこやかに口にしたのは『んじゃ兄貴、鈴子のことよろしくね〜』なんて言葉。
なんて言うか…今日の数時間でこの兄妹の力関係がだいぶ見えてきた気がする。
「…なぁ、鈴ちゃん」
ふと孝介さんが口を開く。
私はいつの間にか孝介さんに“鈴ちゃん”と呼ばれるようになっていた。
「あゆみってさぁ、男とかいないの?」
「え?」
孝介さんの言葉に思わず吹き出してしまった。そしてからかうように言ってみる。
「あゆみがブラコンなのかと思ったら、孝介さんはシスコンですか?」
「いやぁ、俺はあゆみが大事だけどね」
驚いたことに、サラリと孝介さんは言う。
「それにしてもあゆみがブラコンってことはないでしょ。いや、実際そうだったら俺にとっては嬉しい限りだけど。…あの扱いじゃあねぇ」
大げさにため息をついてみせる孝介さん。
「でもあゆみ、言ってましたよ。孝介さん以下の男と付き合うなんて有り得ないって」
「…あゆみが?」
孝介さんは立ち止まって驚いたように私を見つめる。
もちろん私は軽い気持ちでその話をしただけ。
だから孝介さんが見せた反応は意外だった。
「あの…?」
「あー…いや、鈴ちゃんがあゆみと知り合ったのって高校でだっけ?」
「はい。入学式で」
「そっかぁ。うん、また遊びにおいで」
「え?あ、はい…?」
よく分からない会話になってきた。
不自然に頷く孝介さん。この違和感の理由を問い詰めても、きっとこの雰囲気じゃ無駄だろうなって感じさせる妙な空気。
疑問に思いながらも駅に近づいて、そして改札へ向かう。
「孝介先輩?」
…びっくりした。私たちが向かっていた改札から出てきたのは見知った人。
孝介さんに声をかけたその人は…
「お?夏じゃん!久々だなぁ!」
高坂くん。
え?この二人…知り合いなの?
私が混乱して突っ立ったままいると、初めて高坂くんと目があった。
「…先輩…妹の友達にまで手出してんですか」
「アホか。送るんだよ。うちに飯食いに来たの!…って、お前ら知り合い?」
朝と同じように、ふうん、と相槌を打つ高坂くん。
「同じクラスで席も前後。ちなみに自慢の妹サンとも同じクラスですよ。まぁ…市川は一言もそんなこと言わないだろうけど」
「え、そうだったのか?」
…何だろう、コレ。
高坂くんの口振りだと、あゆみと高坂くんは知り合いだったの?
でも話してるところなんて見たことないし、目だって合わせてなかったはずなのに。
高坂くんはふと思い出したように孝介さんに視線を戻した。
「先輩、今度暇な時言ってくださいよ。知ってました?時季が帰ってきてるの。先輩にも会いたがってるんですよ」
その言葉に、孝介さんは絶対に驚いたんだと思う。
高坂くんの言葉自体にも…って言うのかな。その表情にも、何か含みを感じた。
トキっていったい…?
私の視線に気づいて、孝介さんは出かかった言葉を飲み込んだみたい。
高坂くんの肩に片手を置いた。
「ま、その話はまたゆっくり聞かせろよ。今はうちの女王様の命令でこちらのお姫様を城にお届けしなきゃなんないからさ」
「…先輩それ寒い」
「うるせー」
二人は軽く手を振り合う。
「じゃあね、桐生さん」
「うん…バイバイ」
…私は気づいてしまった。
高坂くんが何気なく、私にも振ってくれた左手。
その薬指に輝いていたのはシンプルな銀。
今朝の彼の笑顔を思い出す。
それと同時に、私の目に焼き付いて離れてくれない、ちかちかとその存在を示す指輪。
あぁ、そっか。
どうも私は、童話の中のお姫様にはなれないらしい。
私のこの履き慣れた黒いローファーは、蹴っ飛ばされる運命にあるみたいだ。