Mask3 偽りの笑顔
屋敷の中を導かれるように進む少年。
初めて訪れた場所なのに、なぜか進むべき道を知っていた。
三つの仮面は知っていた。“四つ目の仮面”がどこにあるのかを。少年が進むにつれて、仮面の共鳴が強くなっていく。
屋敷の奥へと進んでいく少年は、ある扉の前で足が止まった。他の扉よりも手の込んだ装飾だ。
そこで仮面の共鳴は最大になった。
金色のドアノブに手をかけて回すと、扉は静かに開いた。廊下と室内の空気が混ざり始めると、辺りが一気に冷え込む。
少しでも気を抜けば立っていられなくなるような凄まじい緊張感。それでも覚悟を決めた少年を止められるものは何もなく、部屋はその若き兵の進入をあっさりと許した。
「ここまで来たか……」
野太い声。
部屋の中央にある椅子に座り、腹の前で両手を組む男がいた。
白髪と同じ色をしたスーツを着て、顎に髭を生やした初老の男。その名をギル・ゴードンという。
「小娘と同じ民族の者だな?」
少年は左手を腰に近づける。
その様子を見て、ギルは怪しく微笑んだ。
「お前が取り返しにきたものは知っている。コレだろう?」
その言葉に少年は一瞬反応した。
その反応を見逃さなかったギルは高笑いをして、それから右手に持ったリモコンを操作した。
機械音の響く室内を、少年は見渡した。
ギルの背後の壁が、徐々に天井の中へと消えていく。
消えていく壁の向こうには網目の鉄格子があり、その向こうでは一人の少女がしっかりと格子にしがみつき、少年を見ていた。
「ヴォロー!」
涙ながらに少年の名前を呼ぶ少女。
彼女の肌は少年と同じ褐色で、同じようなボディーペイントと、獣の骨で作ったピアス。
細い五指を格子に絡ませ、食い込むほどにしっかりと握り締めていた。
少年の脳裏に甦る記憶。後悔ばかりの記憶。
それは、この戦いの始まりの出来事だった。
とある小さな国に、広い密林の中で暮らす少数民族がいた。
その中に、一切の感情を表現できず、言葉すら喋れぬ少年ヴォローはいた。
あまり周りと馴染むこともなく育ったヴォローは、ただひたすらに剣技を磨くだけの日々を過していた。
その無表情な顔で繰り出される殺人技の華麗さは、見るものに次第に恐怖を植えつけていった。
冷酷な少年、悪魔の子供。そう言われ続けて育ったヴォロー。
そんな彼を哀れに思った酋長は、代々民族が祭る仮面をヴォローに授けた。
「例えばお前が嬉しい時、その“喜の仮面”をつけて感情を表しなさい。怒った時は“怒の仮面”。悲しければ“哀の仮面”。楽しければ“楽の仮面”を、だ」
それぞれの仮面には、それぞれの感情を強く抱いた者達が宿っていた。被った者のその感情を、周囲に強く伝える仮面なのだと酋長は言った。
「お前に仮面を託す。それを返す時は、お前が喜怒哀楽を知った時、仮面を必要としなくなった時だ。それまで、我々の守り続けてきた表情をお前に貸し与える」
少年は内心でとても嬉しかった。
だから、仮面を譲り受けた直後にさっそく“喜の仮面”をつけた。
誰もがそんなヴォローを見て怒った。なぜ我々の宝をヴォローに渡したのか、それが許せなくて仕方が無かった。
それでも少年は仮面を手放さなかった。今まで欲しかった感情を手に入れることができた。それだけで少年はいつまでも幸せな気分に浸れた。
しかし、この民族にはもう一人、感情を表せない者がいた。
それはコリンという少女だった。
コリンがヴォローと違うところは、彼女は怒りと悲しみの感情だけは持っているということだった。
集落の小川の近くで、一人で泣いているコリンを見つけたヴォロー。
彼女はヴォローに気がつくと、今度は怒り出して泥を投げつけた。
「あなたはいいじゃない! 酋長に仮面をもらえて! 今まで口には出したことなかったけど、あなたを仲間だと思ってた! あなたは簡単にあたしを裏切ったのよ!」
その言葉を聞いて、ヴォローは哀の仮面をつけて見せた。そんな行動が、さらにコリンを苛立たせる。
コリンは、持ち合わせた仮面を使って自由に表情を変えるヴォローが羨ましかったのだ。
「もうどっか行ってよ! そんな仮面もあなたの顔も見たくないの!」
俯くコリン。自分の苦しみを分かち合える仲間だと思っていた。しかし、結局自分は独りになってしまった。
涙が膝の上に落ちるのを見たとき、コリンは自分に近づく足音を聞いた。
それはヴォローの足音。
コリンはさらに眉を吊り上げて言った。
「あっち行ってって言ったでしょう!」
ヴォローは仮面を外していて、いつも通りの無表情のまま腰に手を持っていった。そして腰から下げた四つの仮面のうち、喜の仮面を手にした。
優しく垂れ下がった目の穴と、細く開かれた口の穴。作りは古い木なのに、あちこちは薄汚れてしまっているのに、それでもその仮面の笑顔は美しい女神に見えた。それもそのはず。昔、女神と言われ称えられた王女の微笑みが宿っているのだから。
ヴォローはその仮面をなんの躊躇いも無くコリンに差し出した。
コリンはそのヴォローの行動を見て驚いた。
何をしているのか。
「まさか……これをあたしに?」
相変わらずの無表情で頷くヴォロー。
ヴォローは知っていた。仲間とは、互いの気持ちを分かち合える者のことを言うのだと。
だから分かち合った。感情を持たない少年は、それでも充分感情について知っていたのだ。
少女はおもむろにその仮面を受け取ると、それを見つめたままどうしたらよいのか分からなかった。
とても嬉しい気分であったはずだ。
だが、顔は笑ってくれない。
ヴォローを見ると、彼は自分の顔に楽の仮面を被せた。
コリンも慌てて仮面を被った。
笑い声の無い二人は それでも愉快に微笑む仮面をつけて見つめあった。
ヴォローにとって、そしてコリンにとって、お互いが初めての友達だった。
苦しみを分かち合える。悲しみを分かち合える。怒りを、喜びを分かち合える。
二人の絆は強まっていった。
そして時が流れていったある日、コリンがヴォローを呼び出した。
「今日は……ヴォローにお別れを言いに来たの」
ヴォローは無表情のまま困惑した。
「働きに行かなきゃいけないの……ギル・ゴードンっていう人のところで」
ヴォローの心は激しく動揺した。
元々ヴォロー達の民族は、完全なる自給自足の生活をしていた。自然と共に暮らし、自然を利用し、自然を敬っていた。
しかし、最近では他文化を取り入れようとする動きが見られるようになり、昔ながらの民族の暮らしは失われつつあった。
他との交流を持つこと自体は、酋長もさほど反対はしなかった。
しかし、そのためには金銭が必要であるということが問題だった。
金銭というものを知らずに暮らしてきた彼らは、何とかして金を稼ぐ必要があった。守り続けてきた民族の誇りともいえる生活を捨てるために。
そして彼らの選んだ道は、出稼ぎに出るということだった。すでにもう何人かの者は、彼らの集落を出て行った後だった。
コリンも明日、集落を出るのだと言う。
ヴォローは哀の仮面をつけて首を横に振った。何度も何度も首を振った。
ヴォローの心配は一つだけではなかった。
ギル・ゴードン。彼について、とある旅人からこっそりと話を聞いたことがあった。
高い賃金で労働者を誘い、実際にはそんな賃金などは支払わずに死ぬまで働かせる。例え労働者が病に倒れようとも、決して休ませることはない。与える飯は家畜並。逃げ出そうとする者がいれば容赦なく虐待、もしくは殺すだけ。外部との連絡手段もないので、助けを求めることも出来ないという。
ヴォローはコリンの腕を掴んだ。
コリンはおもむろに仮面をつけて言った。
その仮面は喜の仮面。優しい女神の微笑を浮かべた仮面。
「心配しないで、また会えるから。きっと帰ってくるから」
そういって彼女は笑った表情を被った。
その笑顔を見せられては、無理に引き止めることが出来なかった。
仮面は彼女に預けたままにした。二人を繋ぐものがあった方が良かったから。
そしてコリンが出て行ってから二ヶ月後、まだ落ち込むヴォローに酋長は言った。
「ヴォロー。もしもお前が悩んでいるのなら、私は止めることなどしないから、行ってきなさい」
ヴォローは酋長の目を見つめて固まった。
さらに話は続いた。
「仮面をつけたコリンの気持ちが伝わったのなら、行ってきなさい」
仮面をつけたコリンの気持ち。
ヴォローは考えた。
なぜあの時彼女は喜の仮面をつけたのか。
自分を安心させる為に笑顔を被ったのか。いや、そうではない。
コリンは助けを求めていたのではないか。自分に力ずくでも引き止めて欲しかったのではないか。
あの時、コリンが喜の仮面をつけたのはなぜか。
再び会う約束を笑顔でしたかったのか。
違う。そうではなかった。
コリンは、顔を隠すことが出来れば仮面など何でも良かったのだ。
そうだ。
あの時仮面をつけた本当の理由は、涙を隠す為だった。
ヴォローは走り出していた。
真っ直ぐに走って集落を飛び出した。
心の中で何度も何度も叫んだ。
声は出せなかったし、表情に表すこともできなかった。
だが叫んでいた。
そう、彼女を救うという誓いの言葉を。
格子を握る彼女の手は、癒えない傷で埋め尽くされていた。どことなく顔も細身を増したように見えた。
なぜ彼女だけ格子の中に閉じ込められているのか、それが不思議だったが、それはすぐに分かった。
彼女がいつも手放さなかった喜の仮面が見当たらない。
しかし、仮面同士の共鳴は、喜の仮面がこの部屋にあることを示していた。
「お前の持つ仮面も素晴らしいな」
突然のギルの声。
少年は理解した。この男は、仮面を奪う為にコリンを牢に閉じ込めたのだ。
ヴォローは腰から素早く仮面を取り出した。
黄ばんでしまった歯を食いしばり、吊り上った目の穴に真っ赤な光。
それは“怒の仮面”。魔獣に家族を奪われた狩人の怒りが宿った仮面。
決して絶えぬ怒りの炎は、少年の心を昂らせた。
「私もこの仮面の力を知ったのはつい最近でね。まさかあんな少数民族からやってきた小娘が、こんな素晴らしいものを持ってきてくれるとは……」
ギルは喜の仮面を取り出した。
コリンがつければ女神の笑顔に見えたその仮面は、ギルがつけた瞬間に背筋も凍るような冷笑に見えた。
壁に掛けてあった両刃剣を手に取り、ギルは言った。
「三つの仮面をよこせ」
少年は走り出した。
仮面を取り戻す為に。コリンを取り戻す為に。