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菜の花の向こうに、君の笑顔

春の筑後川河川敷を舞台にした、静かで甘い一日を描いた短編です。


Barのカウンター越しに交わす何気ない会話から始まった小さな約束が、菜の花の黄色い海と夕陽の黄金色の中で、ゆっくりと形になっていく——。


健康のために始めたはずのサイクリングが、心を満たす大切な時間に変わっていく瞬間を、ほろ苦く、でも優しく、丁寧に綴りました。


読み終わったあと、少しだけ胸が温かくなるような、そんなお話です。


どうか、ゆったりと寄り添うように読んでいただけたら嬉しいです。

 Bar風花のカウンターは、閉店間際の柔らかな灯りに照らされていた。


 最後のグラスを磨き終えた美和さんは、棚にそれを戻しながら、カウンター席に座る天ちゃんに視線を向ける。


 天ちゃんは空になったブールヴァルディエのグラスを指で軽く叩き、スマホをいじりながらぼんやりと窓の外を見ていた。


 「天ちゃん、最近顔色いいよね。ちゃんと睡眠取れてるみたいね?」


 美和さんが柔らかく切り出す。


 天ちゃんが小さく笑ってグラスを置く。


 「んー、それもあるけど、最近早起きして朝サイクリングしてるんだ。体が軽くなった気がするよ」


 「へえ、いいね。私も立ち仕事で足がむくむし、肩凝るし……運動不足だなって最近実感してる。体動かさないと代謝落ちるし、健康的にマズいよね」


 美和さんがカウンターに肘をつき、興味深そうに続ける。


 「健康って、結局日常の積み重ねだよね。朝の空気吸ってペダル漕ぐだけで、血流良くなって頭もスッキリするって、天ちゃんみたいに」


 天ちゃんが頷く。


 「そうそう。俺も前は夜更かしばっかだったけど、今は全然違うよ」


 美和さんがふっと息を吐き、目を細めた。


 「そういえば、この時期の筑後川河川敷、菜の花が満開でめちゃくちゃ綺麗だって話題になってるよね。久留米から原鶴温泉あたりまで、河川敷のサイクリングロードが土手一面黄色い絨毯みたいになってて……走ったら最高だろうな。福岡の春の定番景色だって」


 天ちゃんの目がぱっと輝く。


 「見たよ、SNSで! 筑後川沿いの道、菜の花の黄色が川の青と空に映えて、めっちゃ爽快。サイクリングロードが整備されてるから、のんびり並走できるし、アブラナの香り感じながら漕いだら、心も体もリフレッシュ間違いなしだわ」


 美和さんはカウンター越しに手を伸ばし、天ちゃんの指先に軽く触れた。


 その感触が、いつもより少し温かい。


 「ねえ、天ちゃん。日帰りでサイクリング、行かない? 筑後川河川敷のあの菜の花満開ロード、走ってみたくない?」


 「……え、美和さんが誘ってくれるの?」


 「うん。私が誘う」


 美和さんの声は静かだけど、確かだった。


 「天ちゃんのブリヂストンANCHOR RL3 DROP、赤×ガンメタリックのフレームがあの黄色い背景に映えそう。私のビアンキ SPECIALISSIMA RCは、白フレームに桜の花びらが散りばめられたスペシャル塗装……春の筑後川にぴったりでしょ?」


 天ちゃんが目を丸くして、思わず身を乗り出す。


 「白に桜の花びら……それ、最高じゃん。黄色い菜の花の海に桜散る白いバイク、絵になるよ。美和さんに似合いすぎる」


 美和さんがくすりと笑い、頰を少し赤らめて続けた。


 「ちょっと気合い入っちゃった塗装だけど……追いかけてくれるよね? 河川敷の平坦な道なら、のんびり並走できるし。菜の花の黄色い絨毯を二人で駆け抜けるの、想像しただけでワクワクする」


 天ちゃんが苦笑しながら、触れられた指を軽く握り返す。


 「置いてくわけないよ。むしろ、美和さんに引っ張ってもらいたいくらい。健康のためにも、いい運動になるし。あの景色見ながら漕いだら、最高の一日になるよ」


 「じゃあ、決まりね。来週の土曜、朝早く出発して、筑後川河川敷の菜の花満開ロードを走ろう。

途中で休憩して、カフェ寄ったり、写真撮ったり……体動かして、たくさん笑って」


 天ちゃんの頰がほんのり赤らむ。


 「楽しみだよ、美和さん」


 美和さんも微笑んで、ゆっくり手を離した。


 店の明かりを一つずつ消しながら、呟くように言った。


 「私も。すごく楽しみ」


 閉店作業の最中、二人の間に生まれた約束は、春の訪れのように優しく、でも確かな熱を帯びていた。



 

 Bar風花のカウンターで交わした約束から一週間。


 春の陽気が心地よい土曜の朝、久留米百年公園の駐車場は柔らかな朝霧に包まれていた。


 美和さんは白いフレームに桜の花びらが優しく散りばめられたスペシャル塗装のビアンキ SPECIALISSIMA RCを、天ちゃんは赤×ガンメタリックのブリヂストン ANCHOR RL3 DROPを並べて準備を進めている。



 ヘルメットを被った姿で互いに視線を交わすと、少し照れくさそうに笑い合う。


 美和さんは春らしい軽やかなスタイル。


 淡いピンクがかった長袖のサイクルジャージ(薄手のウィンドブレーカー機能付き)をベースに、桜の花びらをイメージした淡いグラデーションの袖口がアクセント。


 下は黒のビブショーツにレッグウォーマーを重ね、足元は白ベースのサイクルシューズ。


 肩に薄手のライトグレーのアームウォーマーを巻き、朝のひんやりした空気に備えている。


 全体的に女性らしい柔らかい色合いと、桜塗装のバイクにぴったりマッチして、春の筑後川に溶け込むようだ。


 天ちゃんは赤×ガンメタのバイクに負けない鮮やかなコーディネート。


 赤みがかったオレンジ寄りの半袖サイクルジャージに、薄手の長袖アンダー(ベースレイヤー)をインナーに着て体温調整しやすく。


 下は黒のビブショーツに膝上までのレッグカバー、足元はガンメタに合うダークグレーのシューズ。


 袖をまくったり脱いだりしやすいよう、ジャージのジッパーを少し下げて準備万端。


 ヘルメットはマットブラックで、シンプルにカッコよくまとめている。


 ヘルメットを被った姿で視線を交わすと、静かに微笑み合う。


 「……おはよう、天ちゃん。早起きできた?」


 「おはよう、美和さん。……昨日の夜、ワクワクして全然寝れなくて。5時半に目が覚めちゃったよ」


 美和さんが小さく息を吐き、柔らかく微笑む。


 「私も同じ。Barを閉めてから、今日のルートを何度も確認して……眠れなかったわ。

 天ちゃんの赤オレンジのジャージ、朝日でキラキラしててとても素敵」


 天ちゃんが照れくさそうにバイクのハンドルを撫でる。


 「美和さんのピンクのジャージこそ……袖の桜グラデーションが、白いバイクとぴったりで、春そのものだよ」


 「……ありがとう。じゃあ、行きましょう」


 二人は軽く拳を合わせ、筑後川河川敷のサイクリングロードへ滑り出した。



 

一面の菜の花の黄色い海が広がる。

土手全体が黄金色の絨毯のように波打ち、甘い蜜のような香りが風に乗って二人を包む。


美和さんが少し前を走り、天ちゃんが追いかける形で並走する。


美和さんが振り返って、落ち着いた声で言う。


「この黄色……本当に元気が出るわね。踏み込むたびに香りが強くなって、心が軽くなる」


天ちゃんが息を弾ませながら隣に並び、肩が触れそうな距離になる。


「うん……健康のために始めたはずなのに、心が先に癒されてる。 美和さん、風強いけど、ペース大丈夫?」


 美和さんが小さく微笑んで、ギアを軽くする。


 「大丈夫よ。一緒にゆっくりでいいわ。こうやって並んでいると、Barのカウンターにいるみたいね」


 天ちゃんが苦笑しながら返す。


 「今日は完全に逆だね」


 美和さんが静かに目を細める。


 「……ふふ、たまには追いかけられるのも悪くないわ。

天ちゃん、もっと近くに来て。風を二人で受け止めましょう」


 二人のペダル回転がぴったり同期し、息遣いが重なる。


 「この香り……菜の花の匂いって、甘くて少し苦いよね。ブールヴァルディエみたい」


 美和さんが頷く。


 「ええ。今日の景色を、全部飲み物にできたらいいのに……」


 天ちゃんが笑う。


 「作ってよ。今度Barで。『筑後川の春』みたいな名前で」


 美和さんが目を輝かせて、静かに答える。


 「……いいわね」



 

 中盤、吉井町の白壁土蔵が並ぶ通りへ寄り道。


 古民家の温もりに包まれた「川辺の灯 うきは」で、二人は隣同士に座る。


 コーヒーとクリームソーダを前に、静かに乾杯のようにカップを合わせる。


 美和さんがスプーンでアイスをすくって、天ちゃんに差し出す。


 「……一口、どう?」


 「甘くて冷たくて……春みたい」


 美和さんが穏やかに笑う。


 「……今度Barで作るわ。天ちゃんのためだけの特別な一杯を」


 折り返しの長野水神社では、桜の花びらが舞う中、手を繋いでお参り。


 美和さんが静かに言う。


 「……ここまで来れてよかった。体も心も、軽くなった気がするわ」


 帰り道は追い風で爽快。


 菜の花の香りに包まれながら、二人は穏やかに並走する。


 百年公園に戻る少し前、二人は河川敷の小さな展望台のような場所に自転車を停めた。


 夕方が深まり、空は淡いオレンジから深い茜色、そして紫へと移り変わっている。


 筑後川の水面が夕陽を映して黄金色に溶け、土手一面の菜の花がその光を浴びて柔らかな金色の絨毯のように輝く。


 風が止み、菜の花の甘い香りが濃く静かに漂う。


 二人はベンチに腰を下ろし、ヘルメットを外して肩を寄せ合う。


 美和さんの淡いピンクのジャージが夕陽に染まって、桜色に優しく変わっていく。


 美和さんが静かに筑後川を見つめながら、そっと呟く。


 「……きれい。夕陽が菜の花に溶けていくみたい……全部が黄金色に染まって、夢のよう」


 天ちゃんが自然に美和さんの肩を抱き寄せる。


 彼女の体温がジャージ越しに優しく伝わる。


 その温もりが、今日一日中感じてきた風や汗や香りを、すべて優しく溶かしていくようだった。


 「うん……健康のために始めたはずのサイクリングが、こんなに心を満たす一日になるなんて……美和さんと一緒じゃなかったら、きっと味わえなかった」


 美和さんがゆっくり天ちゃんの手を取り、指を一本一本、まるで大切なものを確かめるように絡めていく。


 夕陽の光が二人の手に優しく落ち、指先から心まで温かく染み込んでいく。


 美和さんが天ちゃんの肩に頭を預け、静かに息を吐く。


 その吐息が、天ちゃんの首筋に触れて、かすかに震えた。


 「……天ちゃん。今日は本当にありがとう。朝からずっと一緒にいて、風を感じて、景色を見て、笑って……こんなに穏やかで、温かい一日を一緒に過ごせて、心が満ちていくわ。

 Barのカウンター越しじゃなくて、こうやって隣で、夕陽を見ている今が……一番幸せ」


 その言葉を聞いて、天ちゃんの胸の奥で何かが静かに解けた。


 今までBarでグラス越しに見ていた美和さんの横顔が、こんなに近くにあり、こんなに柔らかく、こんなに温かい。


 今日一日で積み重なった小さな瞬間——風に揺れる菜の花、コーヒーの苦味、クリームソーダの甘さ、桜の花びらが舞う神社——すべてが、この一瞬に繋がっていた。


 天ちゃんが美和さんの手を強く握り返し、彼女の髪にそっと唇を寄せる。


 額に軽くキスを落とすと、美和さんの体がわずかに震えた。


 その震えが、天ちゃんの心にまで伝わってくる。


 「俺の方こそ……美和さん。美和さんの笑顔が、菜の花の黄色より明るくて、夕陽より温かくて……俺の全部を、優しく包んでくれるみたいだよ。

 今日のこの瞬間、ずっと覚えていたい……いや、忘れたくない」


 美和さんが目を閉じて、天ちゃんの胸に顔を埋める。


 二人の呼吸がゆっくり重なり、夕陽の光が頰を優しく撫でる。


 菜の花の甘い香りが二人の間を満たし、筑後川の流れが静かに祝福するようにさざめく。


 美和さんが小さな声で、でもはっきりと、胸の奥から絞り出すように呟く。


 「……天ちゃん。好きよ。今日のこの気持ち……ずっと、ずっと好きだったの」


 その言葉が、天ちゃんの心に深く刺さる。


 今までBarで交わした何気ない会話、グラス越しに見つめ合った視線、軽く触れた指先——すべてが、この一言に集約されていた。


 天ちゃんが美和さんの顔をそっと持ち上げ、瞳を覗き込む。


 夕陽が二人の瞳に映り、黄金色に輝く。


 その瞳の中には、互いの姿と、今日の景色と、これからの時間が、すべて映っていた。


 「……俺も、美和さん。すごく好き。Barで初めて会った時から、ずっと……でも今日、ようやく言葉にできた」


 二人は自然に顔を近づけ、唇が触れ合う。


 柔らかく、甘く、ほんの少し震えるキス。


 それは、菜の花の香りと夕陽の温もりに包まれながら、長い間抑えていた想いが、静かに溢れ出す瞬間だった。


 美和さんの唇は、ブールヴァルディエのようにほろ苦く、でも甘く、天ちゃんの心を溶かしていく。


 天ちゃんの手が美和さんの背中に回り、彼女を抱き寄せる。


 二人の体温が混ざり合い、夕陽の光がその輪郭を優しく縁取る。


 離れると、二人は額を寄せ合い、静かに微笑む。


 美和さんの目尻に、夕陽の光を反射した小さな涙が光る。

天ちゃんが親指でそれを優しく拭う。


 「……泣かないで」


 美和さんが小さく首を振る。


 「……嬉しくて。こんな気持ち、初めてだから」


 天ちゃんがもう一度、軽く唇を重ねる。


 今度はもっと優しく、もっと深く。


 言葉はいらない。


 ただ、互いの温もりと、この景色がすべてを語っていた。


 やがて美和さんが小さく息を吐き、微笑む。


 「……そろそろ戻りましょうか。でも、この景色と、この瞬間は……ずっと忘れないわ」


 天ちゃんが頷き、立ち上がりながら美和さんの手を離さない。


 「うん。また来よう。次はもっとゆっくり、この夕陽を見に……二人で」


 百年公園に戻った頃には、夕陽が筑後川を優しくオレンジに染め始めていた。



 汗を拭きながら、美和さんが静かに言う。


 「今日のお礼に、今度Barで特別カクテルを作るね。今日の景色みたいな、甘くて温かくて、少しドキドキする味のものを……天ちゃんのためだけに」


 天ちゃんが目を細めて、幸せそうに微笑む。


 「楽しみにしてる。今日みたいな一日、これからもずっと一緒に……ね?」


 美和さんがこくりと頷き、二人は自転車を並べて駐車場に立てかけ、夕陽に背を向けてゆっくり歩き出した。


 ほろ苦く甘い、静かで温かな余韻が、心いっぱいに広がっていた。

お読みいただき、ありがとうございました。


このお話は、春の筑後川河川敷を走るロードバイクと、Barのカウンターで交わすささやかな会話が、いつしか二人だけの特別な時間に変わっていく過程を、丁寧に描きたくて書きました。


美和さんの落ち着いた優しさと、天ちゃんの素直で少し照れ屋なところ。


二人が少しずつ近づいていく様子を想像しながら書いていると、私自身もなんだか心が温かくなりました。


特に夕陽のシーンは、実際に菜の花畑を見に行った時の記憶を思い出しながら、「こんな瞬間が、誰かにとっての宝物になるかもしれない」と思いながら書きました。


短いお話ですが、もし読み終わったあと、少しでも「春っていいな」「大切な人と一緒にいたいな」と思っていただけたら、作者としてこれ以上嬉しいことはありません。


ご感想や「こんなシーンが見たい」「続きが読みたい」などのお声が届いたら、とても励みになります。


またどこかで、美和さんと天ちゃんの日常をお届けできる日を楽しみにしています。ありがとうございました。


天照

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