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初めまして。不法投棄された石像です。

作者: 佐倉 百
掲載日:2026/02/01

 初めまして。不法投棄された石像です。正しくは石化させられた元人間ですけれど。


 水源の湖に物を捨てるのは昔から犯罪なのよ。まあ、私がどれだけ注意喚起したところで、誰も聞いていないけれどね。


 今、長い間埋まっていた湖底の泥から引き上げられている最中よ。いきなり体に積もった泥を払われて、縄をかけられたから驚いたわ。もう二度と太陽の光を浴びられないと思っていたから。


 せっかく面白い歌を思いついてご機嫌で歌っていたのに、全部忘れてしまったわ。代わりに架空の誰かと話してみたけれど、虚しいだけだったわ。


 少しずつ顔にかかっている泥が無くなって、外の様子が見えるようになったのはいいわね。水が濁っているせいでほとんど分からないけれど、それでも私にとっては久しぶりの光景よ。


 体が水面に近づくにつれて、周囲が明るくなっていく。私が湖に沈められた時とは逆。あの時は体が水底へ沈んでいくにつれ、世界から切り離されていく感じがしたわ。


 もし私が生身の人間だったら、水が体を包んでいる感触とか、水温を感じたでしょう。体が石になると感覚もなくなるのよ。泣きたくても、もう涙が出てこないわ。


 とうとう視界が水面から脱出した。私を引き上げたのは数人の男性みたいね。二人は黒い服装。残りの五、六人は違う服装。私が知っている国の人はいないわ。


 彼らは船に乗って湖の中心まで来ていた。縄を巻き上げるための道具を積んでいるわ。


「古代ブランモール王朝の彫刻にしては、頭部の彫りが細かいな。まるで生きている人間をそのまま石にしたような……」


 黒い服の男性が私を見上げて、何かを喋っている。私が使っている言葉とは違うけれど、なんとなく言っていることが伝わってきた。方言を聞いている気分だわ。もう少し慣れたら、聞き取れそうだと思えるところが。


「とにかく岸へ運ぼう」


 彼の合図で、私は水中に浸かったまま船で運ばれた。


 もしかして、船に乗せると重すぎて沈むと思われたのかしら。重さは人間だった頃と変わっていないと思いたいけれど、石ですもの。やはり重いのでしょうね。


「想像していたものとは違ったが、これはこれで素晴らしい……」


 黒い服の男性は、引きずられる私をじっくり観察している。うっとりしながら独り言を言っているのが怖いのだけど。石像になっている私は、見ないでなんて言えない。それに瞼を閉じることもできないから、男性と見つ合うことしかできなかった。



***



 どうしてこうなってしまったのかしら。


 私はどこかの町にある大きな屋敷に運びこまれた。黒い似たような格好をした人がたくさんいる。彼らは私を彫刻だと思っているから、誰も説明なんてしてくれない。


 ずっと観察を続けた結果、私を見つけて運んだ人は、私が生きていた時代のことを研究していると分かったわ。


 そう。私が湖に沈められてから、かなりの年月が経っていた。私が生まれた国はとっくに無くなっている。いくつもの国が現れては消えて、忘れられていったみたい。


 私を湖から引き上げた男性は、アルフレッドという名前らしい。ここでは一番偉い人みたいね。


 明るい栗色の髪は私たちの国ではありふれた色だったわ。緑色の瞳は珍しくて綺麗ね。同じ部屋で研究をしている女性の反応から、美形なのは間違いないわ。けれど本人は研究にしか興味がないみたい。服装なんて、どう言い繕ってもシワだらけですもの。


 アルフレッドはたまに殿下なんて呼ばれているけれど、王子というよりも学者と雰囲気が似ている。他にも王子がたくさんいて、彼は王位から遠い立場なのをいいことに、好きな研究をしているということかしら。


「第七王女のエルンドラに関する資料は、祖国のブランモールにはほとんど残っていない。だが嫁ぎ先の国では破滅の魔女と記録が残っていて――」


 アルフレッドが他の研究員と話している。


 ちょっと。それ、私のことよね? 私はエルンドラじゃなくてエ"リ"ンドラよ。エリンドラ・ウア・ニーヴィ・ブランモール。


 私のことがほとんど書き残されていないのは、仕方ないことなのよ。だってブランモール王国の第七王女という、急にいなくなっても誰も心配しない身分だったんだから。


 両親の国王夫妻は男の子が欲しかったのよ。でも私は二人の期待を裏切って生まれてきたの。乳母に預けて、それっきり。服は全て姉たちのお下がりで、二歳になるまで名前もなかったらしいわ。同情してくれた叔父夫婦が名付け親になってくれなかったら、名前すら与えてもらえなかったでしょうね。


 ところで破滅の魔女って何よ。


「ブリサリス国を滅ぼしたんでしたっけ? どんな魔法を使ったんでしょうね」


 女性の研究員は怖ぁいと言ってアルフレッドの反応を伺っているわ。


 彼女、本気で魔法のことを知りたいわけじゃないわよ。アルフレッドが興味を持っていることに自分も興味があるとほのめかして、関心を持ってもらいたいだけだから。


 まあ、私が忠告しても無駄ね。だって喋れないし。


 研究職の人ってね、自分が取り掛かっている研究対象に興味を持ってくれる人に弱いのよ。四番目の姉が似たような手管を使って優秀な魔法使いのところへ嫁いで行ったから、よく知っているわ。


「王女がブリサリスを滅ぼしたという、この記述は信用できないな」


 アルフレッドはテーブルに広げた本に視線を落としたまま言う。動けない私の目の前で、女性と色っぽい雰囲気にならなかったところは評価するわ。あとブリサリスの言うことを信じていないところも。


 私は隣国だったブリサリスを滅ぼしていない。完全な後付けね。


 両親から放置されていた私だったけれど、成人したその日にブリサリスの王子と結婚するよう言われた。両国が友好関係を結ぶための結婚ですって。親が子供の結婚を決めるのは当たり前。早かれ遅かれ、そんな日が来るんだろうなとは思っていたわ。


 結婚のためにブリサリスに到着した私は、結婚相手の王子に監禁されたのよ。


 どうか笑ってやって。到着早々に相手の王子から「お前と結婚するなんて死んでも嫌だ」なんて言われたんだから。そこで泣いたりすれば、まだ可愛げがあったかもしれないわね。


 私が王子に返した言葉は「そうですか。では死にますか?」だったわ。国同士で決めたことですもの。従えないなら死ぬしかないじゃない?


 怒った王子は結婚式の日まで監禁すると宣言したわ。国王にはどう説明したのか、本当に結婚式の日まで外へ出られなかったの。結婚は幸せなものばかりじゃないって、この時に知ったわ。


「信用できないって、どこがですか?」

「王女は結婚のために入国したが、式の当日に王子の愛人によって殺されている。死んだ人間が国を滅ぼした、なんて信じられない」


 私は殺されたことになっているのね。愛人のせいなのは合っているわ。


 結婚式の衣装に着替えて待っていたら、いきなり愛人がやってきて、私を魔法で石にしたのよ。それから湖まで運んで、船から蹴落として沈めたってわけ。石化を解く方法なんてないから、死んだも同然よね。


 だからね、私にブリサリスを呪う時間なんてなかったのよ。魔法の才能も無かったわ。城にいた魔法使いには「無駄に魔力を垂れ流している」なんて酷評されていたんだから。


「怨霊になったとか、悪魔と契約したんじゃないんですか?」

「王女の死をきっかけに戦争が始まったのは、自然な成り行きだと思うが」


 意外だわ。両親は私のことなんてどうでもいいと思っていた。それとも、戦争のきっかけを探していたのかしら。


「戦局の推移を見ても、何かしらの力が介入した痕跡はない。純粋に戦力の差で勝負がついている。よって悪魔と契約したという仮説は成り立たない」

「えー……じゃあ」


 女性研究員はその後も色々な仮説を披露してきたわ。どれもアルフレッドに否定されていたけれど。そんなに私を悪女にしたいのかしら。


 その日の夜、アルフレッドはブランモールに関する資料を広げて、遅くまで調べ物をしていた。


 残念なことに、ところどころ間違えている資料だったわ。私が喋れるなら、片っ端から指摘してあげたのに。



***



 私が湖の底から引き上げられて、一年経った。横から研究成果を眺めていただけの私だったけれど、まあまあ暇つぶしになったわ。喋れないままだけれど、現代の言葉を覚えられたしね。


 暇すぎて語学以外にやることがなかったとも言えるわ。


 研究一筋のアルフレッドはここで寝泊まりすることもある。毛布にくるまって硬い床で寝るのよ。信じられる?

 放置されていた私ですら、ベッドは用意されていたのに。ちょっと彼の立場が心配になるわ。

 虐待じゃないのよね?

 ベッドまで行くのが面倒だから、床で寝ているのよね?


 アルフレッドを狙っていた女性研究員は、あまりの手応えのなさに諦めていた。興味を持たれないって悲しいものね。自由に恋愛できるなら、他の人に心変わりするのもいいと思うわ。


 研究室には色々な人がいるけれど、私が特に注目しているのは新人の研究員よ。好きだからじゃないわ。とにかくそそっかしいの。


 掃除の最中に本棚へぶつかって本を散乱させること数回。

 飲み物が入ったカップを落として、濡れた床で滑ったのが二回。


 大切な研究資料にうっかり文鎮を落とす等々……思い出すだけで私の胃が痛くなりそうだわ。石化しているから痛む胃袋なんてないけれど。気分よ、気分。


 ある日の夕方。その新人研究員は部屋に入ってきたハチを追い出そうとホウキを振り回していたわ。ハチはお構いなしに飛び回って、私の顔にとまったの。


 もう分かるでしょ。その子、私へ向かってホウキを構えたわけ。やることは一つだわ。いくら石像になっているからって、ホウキで殴られるなんてあんまりよ。


「おい! 石像に触るな!」


 アルフレッドは彼を止めようとしたけれど遅かったわ。もうすでに振り下ろす軌道に入っているんですもの。

 だから私、思いっきり心の中で叫んだの。


 ――やめて!


 私、石化しているし魔法の才能はないけれど、魔力の放出はできたみたい。研究員を弾き飛ばしてしまったわ。かなり痛かったでしょうね。ごめんなさい。でも私の顔面でハチを殺してほしくないの。


「今のは……?」


 アルフレッドは私に近づいて、落ちているハチを拾った。興味深そうに動かないハチを観察して、ビンの中へ入れてしまった。まだ生きている、魔力の残滓がどうとか言っていたけれど、魔術理論は専門外だから分からないわ。


 あの新人研究員は、研究資料に損害を与えようとしたという理由で、アルフレッドの研究室から追い出されたそうよ。性格は悪い子じゃなかったし、先輩たちから可愛がられていたから、他の職場を紹介してもらったみたい。


 殴られそうになった私だけど、一つだけ彼に感謝していることがあるの。魔力を放出したことが原因で、少しだけ魔力で物を動かせるようになったわ。


 石化されてしばらくは、もし体が動くようになったらって、何度も想像していた。まず花嫁衣装を脱いで、結婚を待つエリンドラの姿を終わらせるの。だって王子はとっくに死んでいるから。生きていてもお断りだけど。


 それから思いきり走りたいわ。大きな声で叫んで、歌を歌って、思いつく限り体を動かすの。アルフレッドたちが食べている現代のお菓子も食べてみたい。とにかく私が石化させられて出来なくなったこと全てを体験するのよ。


 でもね、最初からそんなに上手くいかないわ。私にできるのは、せいぜい本のページをめくったり、窓の鍵を開け閉めすることぐらい。ずっと続けていたら、もう少し重いものも動かせるようになりそう。


 私が魔力をおもちゃにして遊んでいる間に、アルフレッドは研究成果をまとめてどこかへ行っていたらしい。戻ってくるなりワインのボトルを開けて愚痴を言い始めた。


「みんな金にならない研究は要らないっていうけどさぁ……歴史から見えてくるものもあるんだよ」


 お金になる研究って何かしら。食べ物を増幅させる魔法とか?


「ブランモールは都市の建設に魔術を使っていたんだぞ。現代にも活かせるかもしれないって、どうして分からないんだ」


 そうね。あれは宮廷魔術師が中心にやることだったわ。敵が攻めてきたとき、町を壊して敵を潰せるようにね。私が生きている間は一度も見たことがなかったけれど。


「あとさ、古代文明ってなんかカッコいいじゃないか」


 アルフレッド。あなたってそんなノリで私の時代を研究していたの?


「出土した土器とか武器を眺めてるときが一番落ち着くんだよ……文字の解読とか……他にも……」


 指を折って数えるアルフレッドの顔は輝く笑顔になっていた。

 本当に好きなのね。悪い気はしないけれど。


「絶対に、いつか認めさせてやる」


 最後にそうこぼしたアルフレッドは、ワインのボトルを抱えてその場に丸くなった。


 待ってちょうだい。そこで寝るつもりじゃないでしょうね。風邪を引いたら研究を中断しないといけなくなるわよ。


 私は部屋の隅に置いてあったブランケットに魔力を送った。カメの歩みぐらいの速度でブランケットがアルフレッドへ向けて動く。途中で集中が切れてしまったけれど、なんとかブランケットを体の上にかけてあげることに成功したわ。


 私だって頑張れば、これぐらいできるようになるのよ。アルフレッドは私以上に頑張っているんだから、出来ないことなんてないわ。


 大仕事をやり遂げて気分が良くなった私は、収穫祭の歌を歌った。声なんて出せないから、歌う感覚を思い出しただけだったけれど。



***



 翌朝、目が覚めたアルフレッドは抱えていたワインボトルを不思議そうに見た。あなたが自分で酔い潰れたのよ。あなたに覚えがなくても、私が覚えているわ。


「……いつの間に寝たんだ?」


 正確な時間は知らないけれど、真夜中だったのは間違いないわ。


「まあいいか」


 良くないわよ。次はベッドで眠りなさい。体を壊すわよ。

 私の忠告はアルフレッドに届かない。彼はブランケットを雑に畳むと、顔を洗いに部屋を出ていった。


 ブランケットという大物を運んだ経験は、私にとって自信に繋がったわ。だって私は今、訓練したい気持ちでいっぱいなんですもの。石化させられて挑戦することを諦めていた私がね。


 私の訓練方法はこうよ。まず準備運動として窓の鍵を開ける。それから少しだけ窓を開けて、アルフレッドの代わりに換気してあげるの。研究資料に被害が出たらいけないから、風が強い日とか雨が降っている時はお休みするわ。


 あと机から落ちそうになっている本を、安全な位置まで動かしておいたわよ。きっとアルフレッドは気が付いていないでしょうけど。


 だいぶ慣れてきたころ、私はペンを持ち上げた時に閃いた。ペンが持てるってことは、アルフレッドと会話ができるということよ。会話に成功したら、私がブランモールのことを教えてあげられるわ。


 さっそく床に散らばるメモに目をつけ、空白部分にあいさつを書いてみた。ペンが動かしにくかったけれど、久しぶりに人間と会話ができるのよ。それぐらいは苦労のうちに入らない。


 ――こんにちは。ご機嫌いかが?


 書き終わった私は、メモをアルフレッドの目の前に落とした。予算の請求書を書いていたアルフレッドは、降ってきたメモを見るなり机の引き出しから紙の束を取り出す。


 なるほど。あれは古代語の辞書みたいなものね。解読して判明している言葉をまとめているようだわ。


 私が書いた文字と自分の辞書を比較していたアルフレッドは、真剣な顔でつぶやいた。


「お前を食いたい……? どういうことだ」


 その辞書、今すぐ破り捨てなさい。今すぐにね。


 よく見たらその手作り辞書は間違いが多いわ。文字の区切りを間違えているせいよ。こうなったら私が修正するしかないわね。ずっと研究室を観察していたから、現代の文章も分かるようになったのよ。


 研究室を眺めるだけだった私に、新しい目標ができた。



***



 どうしましょう。


 私が筆談でアルフレッドと交流しようとしたせいで、研究室に悪霊が出るという話になってしまったわ。アルフレッドを心配する研究員によって、除霊してくれる神官が派遣されることが決定した。


 もしかして、私、除霊されるの?


 魂は現存している体に入っているのよ。石化しているけれど。それとも石化した体に魂が取り憑いている状態なのかしら。じゃあ除霊されたら、私はこの世から消えるじゃないの。


 私は他の人よりも長生きしたけれど、大半は湖の泥の中だったのよ。人生を謳歌したわけじゃないわ。


 悪いことは重なるもの。不安で魔力を撒き散らしてしまったせいで、研究室では紙やペンが浮かぶ事件が多発した。それが悪霊の噂を補強したみたい。研究室のあらゆる場所に悪霊を鎮める札が貼られたわ。


 除霊当日。やってきた神官は研究室に入るなり、魔除けの香を焚いて言った。


「悪しきものが棲みついているようですね。時間がありません。さっそく取り掛かりましょう」


 やる気に満ちた神官は、鎖がついた香炉を振りながら室内を一周して、煙を充満させる。そして私の前を通り過ぎ、本棚に向かって聖水を振りかけた。


「そこにいるのは分かっている。出てきなさい」


 ねえ。あの神官、偽物なんじゃないの?

 私のことなんて見向きもしなかったわよ。


「隠れても無駄だ」


 神官が悪霊に効果があるという聖句を述べると、本棚が大きく揺れた。落ちてくる本をかわし、神官が見えないものを手刀で斬る動作をすると、黒い塊が現れる。塊は神官へ向かって威嚇をしたが、簡単に捕まえられて銀色の袋に入れられた。


 ごめんなさい。あの人、本物だったわ。というか、いつからアレが部屋にいたの?

 袋からはおぞましい叫び声が聞こえてくる。背筋が凍りつくような声だわ。


「殿下。終わりました」

「ああ。ご苦労。何が部屋にいたんだ?」

「低級の悪魔ですよ。ちょっとしたイタズラや、悪夢を見せる程度の力しかありません。神殿で浄化しておきましょう」


 神官はそう言って、うるさい袋を壁に叩きつけた。袋の中身は叫ばなくなった代わりに、啜り泣く声に変わる。


 そんな荒技でいいのかしら。悪魔を大人しくさせる方法って、魔法陣とか部屋中に札を貼って、時間をかけて対話するのだと思っていたわ。


 室内に充満していた魔除けの香が消えるまで、アルフレッドはどこかへ出掛けていった。


 残された私は、今のうちにアルフレッド宛ての手紙を書いておきましょう。今度はこの時代の言葉で。


 まず研究室内で物を動かして怖がらせたことは謝ったほうがいいわね。それから古代語の辞書が間違っていること。正しく翻訳した文章を書いておけば、あとはアルフレッドが情報を整理するわ。たぶん。


 研究室に戻ってきたアルフレッドは私の手紙に気がつくと、まず嫌な顔をした。悪霊が戻ってきたと思ったのかしら。手紙を読むうちに悪霊の疑いは晴れたようだけど、翻訳の正しさについては疑ったままだった。


 私が一日の間にできることは、魔力量で変わる。回復も人間だった頃よりも遅くなっているみたい。だからアルフレッドと頻繁な情報交換はできなかった。


 彼はもどかしかったでしょうけど、仕方ないわ。彼自身、考える時間も必要なのよ。


 しばらく手紙のやり取りを続けるうちに、アルフレッドは私のことを古代文明に詳しい不審者に認識を改めた。私は自分の正体を名前以外は明かさなかったわ。だって、あなたの部屋にいる石像です、なんて言って信じてくれるわけないもの。


 奇妙な交流が続いて、ついにアルフレッドは古代文明研究で論文を発表したらしい。私は会場へ行けないから、誰かが話しているのを聞いただけよ。


 アルフレッドの論文は好評だったんですって。彼は直接会って話がしたいって手紙に書いてきたわ。


 ええ、無理ね。だって喋れないし。

 だから、こう返事したのよ。運が良ければ、いずれお会いできるでしょうって。

 無理なのよ。私は石ですから。



***



 久しぶりの地上。久しぶりの交流。久しぶりに心が動いている感じがするわ。


 泥の中で埋まっていた間の私は、ずっと時間が止まっていたのね。自分ではまだ生きているつもりだったけれど、変わらない環境は少しずつ私の心を凍らせていたみたい。


 何度も手紙をやりとりして、私はアルフレッドの共同研究者になったわ。私はただ自分の知識や経験を伝えているだけだから、共同研究者なんて立場はいらないって言ったのに。


 よく考えてみてよ。研究に着手して、資料と予算を集めて、論文の形にしているのは全てアルフレッドだわ。私がやっていることは彼の一割にも満たないのよ。それで手柄だけもらおうなんて図々しいもの。


 そう伝えたのに、アルフレッドは聞かなかったわ。私の翻訳で研究が進んだからって。見かけによらず頑固なのね。


 あと、彼って本当にしつこいのよ。何度も私に会おうとするの。とうとう根負けして、部屋に置いている石像ですって白状したわ。


「……え? 本当にこの石像がエリンドラ?」


 手紙を持ったまま、アルフレッドは私を見上げた。


 信じられないもの無理ないわ。彼への手紙を書くところは、誰にも見られない夜中にしているから。この日、初めて物を動かすところを見せたわ。そうしたら、アルフレッドは研究室から出て行って、しばらく戻ってこなかった。


 悪いことをしたかもしれない。彼が私を信頼し始めていたのは分かっていた。だからこそ、ずっと近くにいたなんて気持ち悪いわよね。


 私、これからどうなるのかしら。

 また湖に沈められる?

 倉庫行き?


 粉砕はされないと思うけれど。どこかの博物館ならまだしも、野晒しにされるなんてこともあるわ。


 ああ、除霊される可能性も捨てきれない。あの銀色の袋に入れられたら、叫んじゃいけないわね。壁に叩きつけられるわ。


 私ね、アルフレッドのことを友人だと思っていたのよ。でも、仕方ないわね。最後に湖から出られて良かったわ。短い間だったけれど、他人と会話ができた。悪くない人生だったって考えるようにしましょう。


 ところでアルフレッドはどこへ行ったのかしら。人間らしい生活をしているといいけれど。私が生きていた年代のことで一喜一憂して、寝食を忘れるぐらい研究に熱中するから心配だわ。手紙でそのことを指摘したら、少しだけ改善してくれるようになったけれど、また元に戻るんじゃないかしら。


 三日ほど不在にしたあと、アルフレッドは戻ってきた。ボサボサにしていた髪が整えられているわ。シワだらけだった服も小綺麗になっているじゃないの。良かった。身だしなみに気が回るようになったのね。


 もしかして、ここへ来なかったのは休暇をとっていたのかしら。ずっと働き詰めだったもの。きっとそうよ。私を退治するためじゃなかったのね。神官は来ないし、私を運び出す人たちもいないから。


 元通りだと思っていたけれど、久しぶりに会うアルフレッドはよそよそしかった。あまり私の方を見ない。意識して避けている気がするわ。


 こういう時って、どうすればいいのよ。

 避けられている理由を尋ねる?

 それとも気がついていないふりをして、今まで通りに会話する?


 解決できないまま、時間だけが過ぎていったわ。アルフレッドとの会話は、必要最小限だけになってしまったの。


 何かできることはないかと考えていた私は、研究室を片付けることにしたわ。メモの置き方には彼なりの法則があるみたいだから、机の上には触れていない。せいぜい、開けっぱなしになっているインク瓶の蓋を閉めるとか、雪崩が起きそうな本の山を積み直すぐらいね。


 そんなある日、アルフレッドは日頃の疲れが溜まっていたのか、イスに座ったまま眠りに落ちていた。


 仕方ない人ね。見た目を変えても、こういうところは変わらないんだから。


 私はブランケットを彼の上にかけた。前もこんなことがあったわ、と思い返していると、アルフレッドが目を覚ましてしまった。


 起き上がったアルフレッドは、自分の上にかかっているブランケットを見つめたまま動かない。


 どうしたのよ。握りしめたかと思ったら、ブランケットに顔を埋めて。耳が赤いのは怒りのせいだなんて言わないでね。私、やってはいけないことをしたの?


 この日を境に、アルフレッドは研究室で眠らなくなった。規則正しい生活を心がけるようになって、夜は研究室にしっかりと鍵をかけて出ていく。家に帰っているのでしょうね。彼はこの時代に生きている人ですもの。私と違って帰る家があるのよ。


 アルフレッドが人間らしい生活をするようになって安心したわ。私の暇つぶしに付き合ってくれる人が減りそうで寂しいけれど。


 ずっと泥の中にいたのよ。一人で過ごすことは慣れているの。



***



 私が生きていた頃は学会なんてなかったし、昔のこと調べようとする人もいなかった。学者といえば占星術や魔術を研究している人のことだったのよ。算術を研究している人もいたわね。


 時代が変われば学者の種類も増えるというのは、アルフレッドが教えてくれたこと。その本人は今、大勢に祝福されている最中だった。


 アルフレッドはブランモール語だけでなく、他の未解読言語の解読にも成功したんですって。ブランモールにいた魔術師は翻訳作業が趣味だったから、彼が書き残した本を手がかりに読み解いていったの。その功績が認められたのよ。ブランモール語の先生として誇らしいわ。


 彼はね、ずっと頑張ってきたのよ。いつか世間が彼の素晴らしさに気がつくと思っていたわ。むしろ遅い方じゃないかしら。


 もし私が喋れるなら、きっと他の研究者にこう言っていたわ。あなたたち、ちょっと遅いんじゃないの、って。


「おめでとう殿下。君の夢が叶ったようだね」

「先生。ありがとうございます。ですが、まだ全て叶えたわけではありませんよ」


 私の目の前で、アルフレッドはお世話になった教師と話していた。この高齢男性がアルフレッドに知識欲を与えたのね。


「ほう。夢があるのはいいことだ。君は昔から学問には貪欲だったからね」


 ところで、と教師は声をひそめた。これは秘密の話をする前兆ね。私が聞いてもいいのかしら。動けないから盗み聞きすることになるけれど。


「君に秘密の恋人ができたという話は本当かね?」


 なぜかしら。動いていないはずの心臓が大きく鼓動した気がするわ。


「恋人?」

「研究一筋だった第三王子が急に人前に出るようになったそうじゃないか。今までは代理人に任せて、研究室にこもっていたのに。どんな心境の変化があったのかね?」

「その……」


 アルフレッドは教授を連れて私の前から離れた。あなたは知らないでしょうけど、この室内なら全て聞こえているのよ。


「ずっと俺を支えてくれている、大切な人に情けない姿を見せたくないんです。研究ばかりで身だしなみを気にしない自分が恥ずかしくなって」


 いつの間にそんな人が現れたの?


「なるほど。その様子だと、縁談を紹介しても断られそうだな。今まで君に見向きもしなかった奴らが群がってくる前にと思っていたのだが」

「すいません。誰を紹介されても、俺はあの人以外の女性は考えられないと思います。近いうちに自分の気持ちを伝えるつもりです」

「謝ることはないよ。君は素敵な人を見つけたのだね」


 もし私が石像じゃなかったら、外に出て風に当たっていたわ。


 どうして私はショックを受けているのかしら。アルフレッドは自由に動ける人なのよ。この研究室が世界の全てじゃないわ。私が知らないところで、誰と出会うかは彼の自由。


 アルフレッドに恋人ができたなら、素直に応援しなさいな。石像の私が人間の彼に「恋人を作るな」なんて言うのは滑稽よ。


 私は一人で過ごすのは慣れているの。でも、できることなら今後は誰も来ない場所に置いてほしいわ。周りに人がいると、動けない自分の体に嫌気がさすのよ。


 泥の中から出てこなければ、この感情は知らないままでいられた。アルフレッドはどうして私を見つけてしまったのよ。


 翌日から、私はアルフレッドとの会話をやめたわ。一人に戻る練習よ。


「エリンドラ。君は今もそこにいるのか?」


 言葉を書き残さなくなった私に、アルフレッドが話しかけてくる。そんな日々が何日も続いたわ。彼って諦めが悪いのね。


「君と話したいことが沢山あるんだ」


 もう私が教えられることは無いと思うわ。辞書ができるほど言葉を教えたし、当時の生活について細かいところまで話したからね。政治はちょっと疎いけれど、覚えている限りのことは言ったわよ。


「俺の研究が認められたのは君のおかげだ。湖で魔力反応を見つけたときは、こんなことになるなんて考えもしなかった。毎日のように新鮮な驚きがあって、他人と交流する楽しさを思い出した。だから君にお礼がしたい」


 魅力的な言葉だけれど、私は施しが欲しくてやったわけではないわ。自分が生きていた時代が勘違いされていることに我慢できなかったのよ。


「でも、何をすれば君が喜んでくれるのか分からない。君は……その、普通の女性とは違うから」


 ええ。貴金属を贈られても嬉しくないわ。自分で選んで身につけることができないもの。


「そもそも、俺は女性が好きなことを知らない。知ろうとしなかった。皆が皆、地位を目当てに寄ってくると思い込んでいて」


 あなたの周囲にいる女性ってろくでもない……と言いたいけれど、権力者に近寄ってくる人なんて、いつの時代も似たり寄ったりなのね。従兄弟の一人はそんな人たちに破滅させられていたっけ。


 アルフレッドは私の左手を握った。もう温度なんて感じないはずなのに、彼の体温が伝わってくる気がするわ。


 私ね、婚約者の愛人に何かされそうだと感じて、逃げようとした瞬間に石化させられたの。


 左手が少し前に出ているから、訪問者の口付けを受ける像だなんて推察されたこともあったわ。真相なんてそんなものよ。


「これからも一緒にいたいと願うのは贅沢だろうか」


 でもあなたには恋人がいるんじゃないの?


「俺は君に嫌われるようなことをしたのか? もし沈黙の理由が嫌悪なら、そう言ってくれ」


 嫌いになったわけじゃないのよ。そうね、いきなり沈黙するのは卑怯だったわ。私の気持ちの問題なのにね。不安にさせたことは謝るわ。


 私は久しぶりに羽ペンを動かした。アルフレッドに非はない、沈黙していたのは彼に恋人が現れたと聞いたから。もし石像と会話をしているなんて知られたら、変人扱いは避けられないと。


「恋人? 誰がそんなことを言っていたんだ」


 考えこんだアルフレッドは私を見て、まさかとつぶやく。


「……あの時の会話を聞いていたのか?」


 そうだと答えると、目に見えてアルフレッドがうろたえだした。そんなつもりじゃなかった、違う、と弁解のようなものを言っていたけれど、やがて決意したのか真っ直ぐに私を見る。


 アルフレッドの顔をしっかり見たのは、これが初めてかもしれない。初対面の時は髪が邪魔で、身だしなみを整えるようになってからは、あまり顔を見せてくれなかったから。


「あれはエリンドラのことだったんだ」


 アルフレッドが喋るたびに、心に響くものがある。先を知りたいのか、言ってほしくないのか、自分でも分からなかった。


「君がいない生活は、もうありえない。自分でも不思議なんだ。石像にこんな気持ちになるなんて」


 私も同じだわ。心が死んで消えてしまうまで、泥の中に閉じ込められたままだと思っていたのに。アルフレッドが私を地上へ引き上げてしまったから、人間らしい感情が戻ってきた。


 石化が解けたら。自分の意思で動けたなら。数百年前に諦めたことなのにね。思い出してしまったわ。


「石像に興味がある変人と思われてもいい。君以外の女性には興味がない。この先もずっと、俺が好きなのは君だけだ」


 アルフレッドは握っている私の手に口付けた。


 同じことを返してあげられないのが残念ね。いくら相思相愛でも生身の人間と石像では、見つめ合って会話をするぐらいしかできないのよ。


 本当に残念。触れている手から体温が伝わる幻覚までするわ。意外とごつごつしたアルフレッドの手の感触とか、指先が冷えているところとか、まるで本物みたいな。


 私は自分の体を支えきれなくなって、その場に座りこんだ。


「エ、エリ……」


 体に感じる重力が違う。待って。私、石化が解けてない?


 慌てて見下ろした体は、焦茶一色ではなく血が通った色をしている。花嫁衣装が白いわ。装飾品も金の輝きを取り戻している。


 どうして?

 私、呼吸しているわよ。自分の意思で見たい方向が見える。


 アルフレッドが信じられない顔で私を見ている。言いたいこと、伝えたいことがたくさんあるのに。どれから言えばいいの。さっきまで話していたこととか、なんでもいいのよ。紛らわしい言い方で誤解させるんじゃないわよ、とかね。アルフレッドの告白に対する返事でもいいわ。


 ほら私、ちゃんと答えなさいよ。


「は、初めまして。不法投棄された石像です」


 私って肝心な時に駄目なのね。挨拶してどうするのよ。アルフレッドも呆れて……いなかったわ。私の手を握ったまま、アルフレッドの頬がゆっくり赤くなった。


 彼のことを情けないなんて思わない。だって私の顔も同じぐらい赤くなっているのが、自分でも分かったから。

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