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人間が帰ってきた日 ―ニューロ・コネクト―

作者: 江藤ぴりか
掲載日:2026/01/07

 ――どこだ、ここは。

 天井が白くて、眩しい。

 ……ああ、車に。

 真紀まき、なんで泣いているんだ? おれはここにいるじゃないか。

「ああ! 恒一こういちさんっ。やっとなのね」

 やっと? そうか、心配させてしまったんだな、おれは。

「ほら、起きれる? ゆっくりでいいから、お水飲んで」

 ……ありがとう。なんだか、声が出にくかったんだ。


「相原さんは交通事故のあと、三年間眠っていました」

 それは知っている。妻はおれの手を握り、医者の説明を聞き入っている。

「そのあいだに、社会の仕組みが少し変わっています」

 その説明はいるのか? おれは首の傷を掻き、疑問を口にした。

「はぁ……。三年も眠っていれば政治も変わっているでしょうが……」

 医者は一拍置く。

「いえ、多くの方が『ニューロ・コネクト』を利用しています」

 安いSF小説の世界観だった。

「にゅ、ニューロ……?」

「世間では『コネクト』とも言われていますね。医学用語では『頸部けいぶニューロインターフェース』といいます。これは半径三キロの他人の思考を共有し、各都市に設置している信号と同期する――」

 頭になにも入ってこない。

 ただ、真紀の手の温もりだけが、生きているという実感を与えたのだった。


「そ、そのニューロ・コネクトというのはわたしの身体にも?」

 視線をバインダーに移し、医者は答えた。

「今は、使えていません」

 そして、おれと目を合わせる。

「ですから、周囲と感覚がずれることはあります」

 ここは本当に日本なのだろうか。

「無理に合わせようとせず、説明は言葉で求めてください」

 想像もつかなかった。



 リハビリも終え、退院直前の夜。

 職員さんも患者も必要以上の会話もしない空間が、おれは異常に思えた。

 聞くと、雑談はニューロ・コネクトが正式導入された二年前から徐々になくなったのだとか。

 おれには他人の思考なんて読めない。社会人として空気を読むことはできるが、それは完全に他人の思考を読むなんて芸当ではない。


 妻を見ると首の後ろにボタンのような装置がついていた。

 あれがコネクトというやつか。

「……みんな、当たり前みたいにコネクトを使ってるんだな」

「そうね、会話で相手の気持ちを考えなくていいから、便利な世の中になったわよね」

 にこりと笑う真紀は四十手前だというのに、変わらないまま、そばにいてくれた。

 妻は後ろを向いたままだ。

「おれは、眠っていたから、受けられなかったんだろ」

 ふと、真紀の手が止まる。

「……今は、そう思っていて」

 退院セットを手際よく準備してくれている。さすがは、医療事務だ。

「あとから手術って、できるのかな」

 おれも明日の退院着をベッドの近くに置かないとな。

「焦らなくていいの」

 真紀がスーツをベッド脇に置いてくれる。

「今は、無理しないで。ほら、明日は退院なんだから早く寝ちゃって」

「わかったよ。あ、真紀、愛している。三年間も待たせてごめんな」

 真紀の照れた表情に、キスをした。


「ではこの書類に記入を」

 退院当日。事務員に渡された書類は十五枚あった。

 各同意書に、入院費についての確認書類……。バインダーのバネが可哀想に思えてくる。

「ここに住所と名前。チェックボックスにレ点……」

 一枚一枚、目を通していく。

 書類を渡すと、事務員からの指摘が。

「こちらの書類、裏の記入漏れがあります。申し訳ございませんが、確認ください」

 どっと疲れてしまった。


 それにしても。

 病院だというのに、イライラしている人がいない。前は、受付に詰め寄る高齢者も見られたが、みな表情が薄い。

 裏面の書類に記入し終わると、もう一度受付に行く。今度は大丈夫だったようだ。



 区役所復帰初日。

「今日から復帰する相原恒一です。三年もの長い間、皆様にご迷惑かけて申し訳ありませんでした。今後の働きで――」

「相原くん、挨拶はそのへんにして。それでは朝礼を終わりたいと思います」

 静まり返ったオフィスは、人々の足音で沈黙が埋まった。

 沈黙に耐えきれず、おれは見知った顔を見て、駆け寄った。

「おう、横井。久しぶりだな」

 同期で仲のいい横井に声をかける。

「ああ……事故にあったんだってな。これから大変だと思うが、がんばれよ」

 久しぶりの言葉はない。


 そうだ、おれの席は……そのままだったのか。埃も被らず、綺麗なままだ。

「掃除、してくれてたんだな」

 誰が気にかけてくれたんだろう。見渡しても誰にも目が合わない。

 やっぱり、変だ。


「相原くん、前にやっていた案件を見てくれ」

 上司の鈴村さんは昨日のことのように話しかけるが、PCの操作にまごついてしまう。

「ええっと、このフォルダでしたっけ? すみません」

 鈴村さんの眉間にシワが一瞬だけ寄った。

「いや、この都市計画フォルダの中にある――」

 マウスを操作し、該当のフォルダをクリックしていく。

「それから昨年の制度変更箇所の当該項目の変更がこのタブに」

 制度変更? なんで説明しないのだろうか。

 そうか、みんな分かっている前提なのか。


 仕事には慣れてきたが、人との距離感がどんどん分からなくなっていく。

 昼休みも横井との会話が噛み合わず、食事も喉が通らなかった。

 おれも手術すれば、ついていけるのに。

 横井の寂しそうな顔が頭から離れられない。

「これは……早めに手術を受けるかぁ」

 昼過ぎに面談の予定が入っている。顧客に迷惑をかけないようにせねば。


「大木建設の城崎です。よろしくお願いします」

 渡された名刺を机の端に置き、マンション建設の相談を受ける。

 だが、景観条例のグレーゾーンだ。高さ制限もギリギリだし。どう説明したらいいものか。

 同席している鈴村さんはなにも言わない。

 これは試されているな。

「なんとかそちらで通せませんかね?」

 おれはまだなにも説明していないが、鈴村さんの思考をコネクトしたのだろう。やはり慣れないものだ。


 もう堪えられない。なんだこの無言の応酬。

「城崎さん、役所としてはこの建設許可を却下せざるを得ません。景観条例も高さもギリギリで、なぜこの計画を持ってきたのですか?」

 せきを切ったかのようにおれはまくし立てた。

 城崎さんも上司もこちらを見て驚いている。

 そんなもの知るか。

「どの条文の、どの運用で御社で通ったのですか?」

 キンッと冷えた空気。

 鈴村さんは言葉を詰まらせ、城崎さんの顔からは動揺が見える。

「えーっと、ははは……。ではもう一度、検討いたしますので、本日はこのへんで」

 大木建設は足早に立ち去ってしまった。

「……相原くん。今日は少し様子を見ようか。無理はするな」

 鈴村さんの声色は平坦で読めない。

 ――真紀とおれのニューロ・コネクトの手術について話し合わないといけないな。


 夜の電車は好きだ。

 建物や車のライトが光の筋となって、窓に流れていく。あのマンションの晩ご飯や、団らんを想像すると心が温まる。

 そういえば真紀ともよく夜景を見に行っていたっけ。

 信号塔らしきタワーが、点滅した。

 車内がざわざわとなるが、それも一瞬のことだった。



「ただいまー」

 帰宅すると、真紀が食事を机に運んでいるとこだった。

「おれも手伝うよ」

 キッチンにある料理を運ぼうとしたが、制止されてしまう。

「え、前はこうしてたじゃないか」

 真紀は無言のままだ。

「……疲れてるでしょ? 今日は無理しちゃダメよ」

 おれは真紀と話がしたいだけなのに。

「いや、早く慣れたいからさ。それに真紀にも負担をかけちゃったし……」

「いいの。ゆっくりでいいんだってば」

 それ以上、雑談は続かなかった。


「……あのさ、おれもニューロ・コネクトの手術を受けようと思うんだ」

 食事中の無言に堪えきれず、口を開ける。

「…………」

 妻は無言のままだ。

 というか、テレビも見なくなったんだな。どうりで部屋が静かなはずだ。

「なぁ、聞いているのか?」

 真紀の箸がやっと止まる。

「えっ。……ああ、手術。手術ね。今はやめたほうがいいんじゃない? その、危ないから」

 おれは少しイラついている。この、会話ができない感じ。

「職場でも不便だったんだよ。真紀なら医療事務だし、制度や金銭面についても詳しいんじゃないか?」

「…………」

 ダメだ、やはり無言なのか。


 おれは役所の外出許可を得て、入院していた病院にやってきた。

「ここなら相談もたやすいだろう」

 受付でニューロ・コネクトの手術についての相談とだけ伝える。

「え? 相原さんはすでに……。いえ、わかりました。医療相談の手続きをするので少々お待ち下さい」

 退院したばかりなので驚いたのだろう。

 看護師に、相談室に通され、面談に臨んだ。

「相原恒一さんですね。ニューロ・コネクトは首の後ろにチップを埋め込み、信号塔と同期します。そうすると半径三キロの人と思考共有できるシステムです。ええっと、現在のデータは……ん?」

「どうかしましたか?」

 前のめりになり、ノートPCとにらめっこをする看護師。何度もクリック音が響き、「おかしい、あれ?」とひとりごとを言っている。

「いやね、相原さんのコネクトは接続済みになっているんですよ。もしかしたらヒューマンエラーなのかもしれません。後日、また来院してもらえますか?」

 そう言われれば、下がるしかない。

 おれは病院をあとにした。



 首の傷は、傷ではなかったんだ。

 そっと首の後ろの傷だったものをなぞる。丸く、ボタンのようなものを。

 みんな、知っていたんだ。

 おれは手術済みの人間だったんだ。


 医者も真紀も、なぜ説明してくれなかったんだ。

 どうしたらいい? この考えも半径三キロの人間にだだ漏れなのか?

 どうすれば、止められる? オンオフの切り替えなんてパンフレットには書いてなかった。

 仕事どころじゃない。でも、電話で連絡だけはしなくては。


「はい。自由区役所、都市計画課です」

「相原です。ああ、林藤さん? すまないが鈴村さんに体調不良のため、直帰すると伝えてくれないか?」

「わかりました」

 こんな時なのに、会話は淡々としていた。



 家に帰ると、西日が部屋を照らしている。

 影と光のコントラストがやけに眩しかった。

「……ただいま」

 そう呟いても返事は返ってこない。

 きっと、真紀がいても返って来なかっただろう。

 だんだんと暗くなる空と、遠くに見える信号塔。電気もつけず、おれは真紀の帰りを待っていた。


 ガチャリ、バタン。

 妻が帰ってきた。しかし、挨拶などない。

「あら、今日は……」

 言いかけてやめた真紀の顔の表情は能面のようだった。

 おれは大きく息を吸い、言葉を紡いだ。

「〝話〟があるんだ。もう、分かっているだろう?」

 唾を飲み込み、手に力を入れる。

「……ええ。うまく説明できるかしらね」


 一年前、とある事件があり、隠蔽された。

 今は都市伝説化し、与太話のひとつになっている。

「『コネクト停止事故』っていうのが、あってね。ええっと、掲示板のスレッドまとめが分かりやすかったかも」

 妻がスマホで検索すると、オカルト掲示板まとめブログ記事がヒットしていた。

 家の近くの信号塔での停止事故により、集団ヒステリーが起こったことや、一時的に思考同期の暴走事故が起こったこと。

「ここには、書かれてないけど……。んと、あなたの病院がパニック状態でウチの病院にも患者が緊急搬送されてね……」

 現場はパニックになった搬送患者で、阿鼻叫喚だったのだ。


 それは報道規制により、ニュースにならなかったことの説明をたどたどしく話してくれた。

「つまり、ええっと……このまとめは真実で、その、本当のことなの」

 真紀は大丈夫だったのだろうか。

「私は病院にいたから、大丈夫だったわ。でも恒一さんは……事故の後遺症で受信不可で……」

 おれの考えは周囲に漏れていることを、今実感している。

「恒一さんが目覚めた時、やっと人間が帰ってきたって思ったの。私も、もう他人と、言葉で考えることが……」

 真紀を抱き寄せ、頭を撫でる。おれにはこうしてやることしかできないから。

「わかった。本当に心配をかけてしまって、すまなかった」

 腕の中でわんわん泣く妻に、胸を貸すことしかできない。


 今、もう一度。ここからはじめないか。

「真紀、おかえり」

「……ただ、いま。恒一さん」

 沈黙が多数派でも、ここからやり直そう。

 信号塔の光を見ながら、おれたちは〝会話〟を交わした。

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