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この場所では唯一といっていい知った顔に裕が思わずふっと緊張を和らげれば、有人もまたにこりと柔らかな笑みを返し、近寄ってくる。
「ごめんね、長いこと待たせちゃって」
だなんて言いつつ隣に腰を降ろし、それじゃあ軽くだけど色々説明させてもらうね。と有人は話し出した。
「まず裕君にやってもらいたい事は、お客様のお出迎えとお見送りです。これは他のホストと一緒に出入り口に並んでお客様を迎えたりお見送りしたりするだけだから、周りに合わせてやってみてね」
「……はい」
「それから、裕君は今日一日第二ヘルプとしてお店に入ってもらいます。ヘルプっていうのは、女の子が来店したら大体は指名って言って、このホストって決めてるんだけど、初めてのお客さんだったり担当ホストが別の女の子を接客してる時には他のホストがそのテーブルについて接客する事だよ。でも勿論お客様の隣じゃなくて、ヘルプ椅子って呼ばれる丸椅子があって、そこで接客するから安心してね。お酒を作ったり、灰皿を取り替えたり、まぁ基本はサポート役みたいなもので、担当ホストが席を離れた時に話し相手になったり場を繋ぐ意味もあるんだけど、それは第一ヘルプの子がやるから、裕君はその場の雰囲気に慣れてもらうだけでいいよ。まぁ最後くらいに灰皿を取り替えるくらい出来てくれれば助かるかな。あっ、それからこれは必須なんだけど、笑顔は絶対に忘れないでね。ホストは笑顔が肝心だから。それさえ出来てれば今日は満点です。どう? 難しそう、かな?」
早口だったが分かりやすく噛み砕いて説明してくれる有人に、この人多分凄く頭良いんだろうな。なんて場違いな事を考えながら、裕は普段友人からポンコツだポンコツだと言われる自分でもそれくらいなら出来そうだ。と小さく頷く。
けれどもまたしても心拍数が上がる気配がし、裕がぎゅっと掌を強く握っていれば、「大丈夫だよ。何かあったら俺に聞いてね」と有人が笑ってくれ、その穏やかな笑みに裕も気が抜けたのか、ここに来て初めて緊張していない笑みを浮かべた。
「じゃあ今日一日、宜しくお願いします」
「こ、こちらこそ、宜しくお願いします」
「あっ、ホストにはね、源氏名っていうのがあって本名とは違う名前を名乗るんだけど、裕君、何がいいかな?」
「げ、げんじな……」
「あはは。困っちゃうよね。……うーん、何がいいかな」
「それって、絶対付けないと駄目なんですか?」
「いや、別に絶対ってわけじゃないよ。現に本名のままって人も居るしね」
「あっ、そ、そうですか。良かった……。じゃあそのままでいいです」
「うん。じゃあそのままで」
「あ、あの、」
「うん?」
「有さん、は、源氏名が有、なんですか?」
少しだけ打ち解けた雰囲気に先程から若干気になっていた事を問いかければ、ははっと吹き出しつつ、いや違うよ。と有人が笑う。
「俺はホストじゃなくてマネージャーだから基本はお客様に名前を呼ばれたりしないので源氏名はないよ。ただ皆が勝手に名前の最初の方を取って有さん有さんって呼んでるだけ。アダ名みたいなものだよ」
なんて心底面白そうに笑う有人に、羞恥で裕が顔を赤く染め、はは、そうっすよね、すいません。なんて笑っていれば、
「違うよ。アリさんはアリみたいに小さいからアリさんなんだよ」
と突然知らない声がした。
その声のした方をばっと見やれば、扉にもたれながら笑みを浮かべてこちらを見ている長身の男がおり、人見知りの裕は思わずピシッと身を固くしてしまった。
のそり。と長い体を少し曲げ、扉をくぐる男。
ゆうに百八十を越えているだろうその背の高さに驚きつつ、言い放った辛辣な言葉とは裏腹に爽やかな笑みを浮かべている男に、裕がひっそりと眉を寄せる。
「新人さん?」
そんな裕の態度も気にせず、今日から入った子? と有人に尋ねている男の、優しい笑顔。
至近距離で見るその男の顔に、ホストってチャラチャラして態度悪くて頭悪そうな奴ばっかってイメージだったのに、こんな爽やかな男前も居るんだな。なんて内心で場違いな事を思った裕は、その顔を思わずじっと見た。
すっと通った鼻筋に、細いながらもキリッとした瞳。
短髪をワックスで軽く立ち上げ、白い歯を見せて笑う姿は同じ男としても、惚れ惚れするほどの格好良さがあって。
そんな男の美貌に堪らず裕が羨ましさに目を細めていれば、
「いやそれ百パー悪口じゃん」
なんて立ち上がり、有人がその男の肩をばしっと叩く。
それから、アリみたいに小さいってなんだよ。とぼやいたあと、有人が裕を見た。
「新人じゃなくて、体入の裕君だよ。裕君、こっちの失礼な男は、蓮。これでもうちのナンバー5なんだ。まぁあんまり出勤してこないし、今見てもらった通り性格悪いんだけど、この蓮も本名が源氏名の一人だよ」
有人がお互いの紹介をし、ナンバー5という事はきっと人気って事なんだろうな。と思いつつ、裕は小さく会釈をした。
「えー、俺性格悪くないよ。小さいアリさんがふざけすぎてるだけじゃん」
なんてまたしても爽やかな笑顔で毒を吐きつつ、
「蓮です。今日一日宜しくね」
と裕に向かって優しく微笑んでくる、蓮。
「裕です。宜しくお願いします」
それに裕も挨拶を仕返しきちんともう一度頭を下げたあと、仲良いなぁ。と二人のやり取りに小さく笑みを見せた。
その裕の笑顔に、先程までは借りてきた猫のように大人しく、そしてどこか威嚇するように見つめてきていたつり上がった美しい瞳が柔く揺らいだのをばっちり見た蓮は、へぇ。と内心呟き、男前な美人さんだなぁ。まぁ男に美人ってのはなんだけど。なんて思いつつも、にっこりと微笑み返した。