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──どうしてこんなことに。
煤けた深紅のソファの上に座り、そう心のなかで呟き頭を抱えていたのは、今年大学四年生になったばかりの橋本裕、二十二歳。
猫目の美しい瞳を曇らせ、眉をこれでもかと下げながら大きな溜め息を吐き、普段着たことのないような目に優しくない柄柄しい色のスーツを着けながら徐に辺りをキョロキョロと見回す、裕。
ここで待ってて。と言われた通りに通された部屋は様々な香水の匂いで溢れ、部屋の半分を囲むよう簡素なロッカーが立ち並び、その中には雑然と荷物が所狭しと置かれている。
部屋の中央に置かれた机の上も同様で、部屋のもう半分は化粧台のようなスペースになっており、そこの上にもおびただしいほどのヘアスプレー缶やワックス、それから美容液やらなにやらのスキンケア商品が置かれ、自分とは縁遠いその世界の裏側を垣間見てしまった裕はまたしても深い息を吐いた。
クラブ『ROSE』
そう書かれたギラギラチカチカ輝くネオンの下を潜ったのは、約三十分前。
大学の友人に、いいバイトがある。と誘われるがまま着いてきてしまったそこは、もうお分かりだろうがなんとホストクラブで。
それにぎょっと目を見開き、いやいやいや、さすがにホストは無理。と帰ろうとした裕の腕を強引に掴んでは裏口から入って中へと連れていった友人はなにやら誰かと話をしては、裕を置き去りにし颯爽と店へ出ていってしまっていて。
そして友人と話をしていた男も奥へ引っ込み、見知らぬ場所に一人放置され薄暗い廊下に棒立ちしたままだった裕は、ショルダーバッグの紐をギュッと握り、帰ろう。と踵を返そうとした。
だがその瞬間、
「裕君、でいいのかな? バイト希望だって聞いたんだけど」
なんて奥の部屋からガチャリと出てきては歩いてきた人に声を掛けられ、は、はひっ? と裕は裏返った声を出してしまった。
裕よりだいぶ背の低い、眼鏡を掛けた優しそうな雰囲気のその男は、緊張している裕を見るなりふっと表情を和らげ、それから手を出してきた。
「俺はこのお店のマネージャーとして働いている、金井有人といいます。皆からは有さんなんて呼ばれてるんだけど。宜しくね」
そう柔らかく笑う男性に、ありさん……と裕は心のなかで呟きつつ、はぁ、なんて気の抜けた返事をしてはその手を取った。
「じゃあさっそくなんだけど、履歴書、見せてもらえる?」
「あっ、いや俺、あっ、僕、友人に連れてこられただけでこういうお店って聞いてなくて、ていうか履歴書とかも何も持ってなくて、」
「あーそうなんだ。じゃあいきなりこんな所に連れてこられてびっくりしちゃったよね」
「……っす」
「そっかぁ。じゃあどうする? うちとしては出来れば今日だけでも体験入店って形で入ってくれると助かるんだけど」
「た、体験?」
「そう。もちろん給料も出るしスーツとかは貸し出しで、一日だけでも働いてみませんか。っていう制度。それでうちを気に入ってくれれば、履歴書持ってきてもらえれば即採用するよ」
今月一気に三人辞めちゃってさ、急募してるんだよね。
そう頭をボリボリと掻いては困ったように笑う有人に、いやでもなぁ、と思いつつ、今月の財布事情を鑑みれば藁にもすがる想いで是が非でも働かせてもらいたいという気持ちもあり。けれどもお酒だってそんなに強い方でもないしまずまず見ず知らずの女性と会話をするというハードルの高さに裕が口ごもっていれば、
「とりあえず、今日だけでも良かったら出てみない?」
なんて押され、裕はまたしても気の抜けた声で、は、はぁ。なんて了承してしまったのだ。
──そうして、あれよあれよという間に差し出されたスーツを言われるがままに着て、ちょっとここで待っててね。なんて言われたスタッフルームらしい所に、裕は今一人でポツンと座らされているのである。
そんな状況に、早まったかもしれない。と裕がまたしても深く溜め息を吐いては足元を見たが、時既に遅しで。
カチカチ、と壁に掛けられた時計の秒針だけがやけに現実味を帯びていて、いやでも俺にホストとかやっぱり無理だろ。と腰を上げようとした、その瞬間。
ガチャリと扉が開かれ、有人が顔を出した。