泥棒はもういないよ
「彼女ができたんだ」
はにかんで笑う先輩に、私は間の抜けた声で「はあ、そうですか」と返すことしかできなかった。
頬を赤らめて愛おしそうに、"カノジョ"とやらがどこのどいつでどんな人間でどこが好きなのかを事細かに説明してくれる先輩。
慈愛で満ちた先輩の瞳に、私は胃の奥から泥のような憎悪がせり上がってくるのを感じていた。
その目を向けられていいのは、私だけなのに。
そいつはどうやって先輩をたぶらかしたんだろう。
先輩はとっても純真で、無垢で、他人の悪意を知らないような人だから、だから簡単に騙されてしまう。
そうならないように私がすぐそばで先輩のことを見張っていたのに……。とんだ泥棒ネコがいたものだ。……いや、ネコなんてかわいいものじゃないな。
「あ、俺これから彼女と遊びに行くから……。話の途中なのにごめんな」
「大丈夫ですよ。楽しんできてくださいね」
申し訳なさそうに表情を崩す先輩に、私は精一杯の笑顔を向けた。
先輩は繊細で、ちょっとしたことを気にしてしまうから、もしここで私が嫌な顔をしたら、そのことをずっと悩んでしまう。
……ほら、私はこんなにも先輩のことを理解してる。
どこぞのぽっと出よりも、ずっとずっと先輩のことを知っている。
だから先輩のそばにいていいのは、私だけなのに。
「……先輩、私はずっと先輩の味方ですからね。例えば……その人とケンカしちゃったときとか」
「ケンカなんかしねえから心配すんなって。でもありがとな」
先輩は歯を見せて笑うと、私に手を振って踵を返した。
先輩の後ろ姿が見えなくなるまで手を振り続ける。
頭の中では、先輩をたぶらかした女をどうやって懲らしめてやろうかと、ずっと考えていた。
──────────────────
ザクッ、ザクッ、ザクッ……
一定のリズムで地面にシャベルを入れ、冷たく硬い土を掘り起こす。
掘る前は簡単だと思っていたけど、実際にやってみるととんでもない重労働だ。工事現場で働いている人は、いつもこんなことをしてるのかな。それとも狭い場所でも簡単に掘れるような機械を使ってたりするのかな。
そんな風に意味の無いことを考えていないと、あまりの重労働に心が折れてしまいそうになる。
明日は筋肉痛になるだろうな。私が筋肉ムキムキの女の子になったら、先輩はどう思うかな。気味悪がられるかな。……いや、先輩のことだから「筋トレがんばったんだな」なんて褒めてくれるかもしれない。
ふふ、と笑いが漏れる。
優しくて素敵な、私の先輩。私だけの先輩。
先輩に害なす存在は、すべて私が消してあげないと。
掘り起こされた土が、私の膝上くらいの高さになった。
もう疲れたし、これくらいでいいだろう……という気持ちが胸に浮かんで、慌ててそれを振り払う。
ここは私有地だから掘り起こされる心配は無いとはいえ、なにが起きるかわからないのが人生というものだ。事実は小説より奇なり。
首筋を汗の粒が滑り落ちる。
ほんの少しだけ休憩しようと思い、シャベルを地面に突き立てた。
ざあ……と通り抜ける夜風が、汗だくになった身体を冷やしていく。気持ちいい。
ふと背後を見れば、先輩のカノジョとやらを名乗っていたモノが目に入った。思わず口角が上がる。
「あなたが悪いのよ」
私の先輩をたぶらかしたりなんかするから。
……よし、休憩は終わりだ。
もう少しがんばって、アレをブルーシートに包んでさっさと埋めてしまおう。
ああ、その前に……。
ふと思い出した私は、それのポケットを探ってスマートフォンを取り出した。メッセージアプリを開いて先輩の名前を探す。
途中、メッセージ一覧の中に先輩以外の男の名前を見つけて、やっぱり私のしたことは間違いじゃなかったと改めて思う。他の男と関わるような女は先輩に相応しくない。
「えーっと……、『好きな人ができました。探さないでください。』これでいいか。送信、っと」
────────────────────────
「ほら、先輩! 早く早く!」
小高い丘の上から先輩に向かって手を伸ばすと、先輩は少しぎこちない笑みを浮かべながら私の手を取ってくれた。
先輩の手が少し骨ばっている。やつれた顔を見るに、あの女はよほど上手く先輩を騙したんだろう。
「ここ、祖父の遺した山なので、今日は私たちの貸し切りですよ。プライベートビーチならぬ、プライベートマウンテンです!」
高らかに宣言すると、先輩は「なんだよそれ」と言って笑ってくれた。
それが嬉しくて、くすぐったくて、居ても立っても居られなくなった私は「早く座りましょう」と先輩を促した。
持ってきたバッグの中から大きめのビニールシートを出し、それを広げる。塩化ビニールの臭いが鼻を刺した。蘇るあの日の記憶。アレを埋めたのも、ちょうどこの場所だった。
「はい先輩! どれがいいですか? おにぎりもサンドイッチもありますよ!」
保冷バッグの中には、コンビニで買ったいろんな種類の軽食たち。手作りにしようか迷ったけど、先輩が気を遣ってしまうことを考慮してコンビニを選択した。
しばらくバッグの中をぼんやり眺めていた先輩は、やがてその中からハムのサンドイッチを選んで手に取った。
「……ありがとな」
「お礼なんていりませんよ」
先輩とお揃いになるように、私もサンドイッチをバッグから出す。おにぎりたちは、申し訳ないけど私の夕ご飯まで待っていてもらおう。
「言ったでしょ? 私はずっと先輩の味方ですからねって」
そう言って笑いかければ、先輩も微笑んでくれる。
その視線が私へ向けられていることに、私はこの上ない幸福を感じていた。