古いメモ 裏
「見つかった?」
夜はそれだけを聞いて来た。
追い出す形で他所で待っていて貰ったのに、それを不満に思う様な素振りもなかった。
夜は凄いね。
「いや、何もなかったよ。
壁ね、おかえりってさ、それだけ。」
「ふぅん、良かったね。
家族にしか言わないよね、おかえりってさ。」
「うん。」
◆
誠也くんは気がついていないみたい。
壁に書かれた優しい言葉に動揺していたし、当然かもしれないけど。
そもそも誠也くんは機械に疎い。
二人でいる時に携帯を出したりしないし、調べ物も本屋を使うし。
人とのコミュニケーションが苦手と言っていたから、もしかしたらかなり集中して接する必要があるのかもしれないけれど、目を見て丁寧に話してくれる。
世界が小さくなる気がして、私は彼のそういうところも好きだ。
可愛らしいと思うし、そんな彼が傷ついたりはして欲しくない。
だからどうしようか迷っている。
壁に書かれていたメモの中には誠也くんにしてはただの記号だろう言葉も紛れていた。
動画投稿サイトのURL。
今時の人間としてどうなのって気持ちもあるけどね。
多分書いた人も気にしてくれるだろうと壁にメモって行ったんだと思う。
全くもって誠也くんに対しての解像度が低い。
誠也くんの中にある、誠也くんそのものの内、結構な割合が先生という人の影響を感じる。
そんな人が誠也くんに何かを伝えるのにURLを使うなんて思えない。
何だったらもっと丁寧に書いていけばいいものをガサツさを感じる。
私は先生という人がどういう風に誠也くんに接していたかは話でしか知らないけど彼が誠也くんを傷つけたりするとは思えないから信用してる。
だけど別の人が書いて行ったのなら話は違うよ。
壁を見つめる誠也くんの後ろで、そっと音の出ないカメラで写真を撮っておいたので、待っている間に中を確認しようと入力してみた。
すると少し粗い画質の中で人が動いているのが分かる。
お店だったので音は出していないので何をしているかは分からないけど、確かに人が動いている。
黒髪の、少し目つきの悪い男の人。
身振り手振りが大きく、やもすればミュージカルの様にさえ見える。
この人がそうか。
この人が先生だ。
…なんか何の根拠もなく勝手に美化していたけど、意外と普通の人ね。
痩せていて顔色も良くないけれど、病人だと知っているし、元を知らないからか死ぬ直前とは思えない。
けれども服がブカブカで、最近急に痩せたのだろう事は見て取れる。
正直言って痛々しい。
これを誠也くんに見せるかどうかはやはり迷ってしまうが、遺書のようなものだし、誠也くんも探しているものなのだから見せるべきだろう。
…それでも迷う。
これを見て誠也くんがショックを受けてしまうようならば、初めから見つからなかった事にした方がいいし、伝えるべき事があるならば文章にして渡した方が良いのではないかとも思う。
聞いてみよう。
これを上げた人は誠也くんも先生のことも知っている可能性が高い。
この動画はURLの入力でしか飛べない設定になっていた。
誠也くんが見るのを待っている。
あの蔵の壁に書いてあったのだからそう受け取るのが自然だ。
私は動画にいいねをつけて、空白をコメントして待つ事にした。
あちらがコンタクトを取りたいと思えば、空のコメントに返信がくる事だろう。
彼か彼女か知らないけれど、この人なら知っているかもしれない。
この先生の姿を、誠也くんに見せるべきかどうかを。
私のエゴだとは分かっている。
当然見せるべきなのは、分かっている。
あの日、先生の死を知ったあとから、誠也くんは傷ついていた。
原因は私が無遠慮に告げたに近い形だった。
普段感情を表に出す事のない誠也くんが、はっきり分かるくらい明確に落ち込んでいた。
私に怒るでもなく、ただ静かに。
あの姿を見るのは辛い。
だから私は慎重にしたい。
例え誠也くんも、先生も見せない事を望まないとしても、生きている誠也くんが平和に過ごす事を優先したい。
◆
「結構待ったよね、ごめん。
あそこでやり残したさ、壁に残っていた授業の曲を最後に弾いて行きたくて。」
「ううん。
ちょうど座りたかったし、お腹も少し空いてたから。
しっかりしたご飯は誠也くんと相談してからにしようと思って、おすすめされたカプレーゼは頼んでないけど。」
「前菜だからそれだけではあんまり食べないしね。
パスタとかと食べようか。
あ、カルツォーネもよく食べてたよ。
包み焼きのピザ。
それとカプレーゼのセットが好きだったんだ。」
「美味しそ。
ここはトマトとかが名産なの?」
「…いや…ごめん、観光にはならないか。」
「ううん。
私は誠也くんの子供時代の観光に来たから全然構わないのだけれど。
頼みましょ。」
「うん。
じゃあ俺に付き合ってよ。」
「え、うん。嬉しい。
お願いします。」
中学時代の同級生と会う事は稀にあっても、先生の話なんてした事なかったから、そんな相手と地元を歩くのは初めてかもしれない。
夜は嬉しいって言ってくれたけど、俺もなんか嬉しい。




