公衆電話
「あそこの影になっているところにある、公衆電話ボックス。
あそこは夜中になると中に女の人が居るらしい。
なんでも、ひどい男に捨てられたとかで自殺したんだとか。
女性は話しかけても応答はしないが、ぶつぶつと何かを呟いている。
怪しくはあるけれど、ぱっと見は綺麗な人だから声をかける者がたまにいるんだってさ。
声を掛けても反応がない事を不気味がって普通はそこで話しかけるのを辞めてしまうらしいのだけれど、肝が据わっているのか、酔っ払っているのか、なんと喋っているのかを聞き取ろうとする奴がいてさ。
これがその録音なんだけど、キミにはなんて言っている様に聞こえる?」
俺はケータイを受け取り耳に当てると、ザザザザというチューニングのあっていないラジオの様な音が聞こえる。
よく耳をすませば、雑音の中に少し高い人の声の様な音も聞こえるのだが、ノイズに明瞭という言葉が正しいかは分からないが、とにかく何と言っているか分からなかった。
「わかんない。」
「そうか。
良かったね。
これを聞き取れた人は発狂して死んでしまうのだそうな。」
「発狂ってなに。」
「えーとね、頭がおかしくなってしまう事だよ。」
「何でそれで死ぬの。」
「確かに。
考えた事もなかったな。
…発狂死ってなんだ?
ね、血がいっぱい出たり、怪我したり病気になったり、毒だったりは分かるけど、発狂ってなんなんだ。
しかもソレが原因って分かるくらい即効性があるって事だよな…。
えぇ…?」
「頭がおかしくなりそうになったことはあるよ。」
「へぇ…聞かせてくれないかい?」
◆
あれはこの公園のある神社のお祭りで友人と出店を回った際の話だ。
あまり変わり映えしない出店も年々変化をしていく物で、昔は無かったが今は定番になっているものや、昔はあったが今は無くなっているものなんかもあるだろう。
例えば今は存在しないものでいうと、見世物小屋という奇形を持った人をそれこそ見世物にして見物料を取ったりするものがあった。
小人症や、生まれつき鼻がない人が居たらしいが、話で聞いた印象通り、人道的にどうなのかという事で無くなったのだろう。
当人たちには貴重な稼ぎだったらしいが。
他にもカラーひよこという、オスの卵の産めないひよこを塗装して、色取り取りに染め上げ売っていたらしい。
それも人道的にどうなのって話だろう。
実はオスのひよこはごく少数を残して、ミキサーにかけられた後肥料や餌にされるそうな。
偶然うまく育てられた場合、庭に雄鶏がいる事になるが、鶏にとってどちらが幸せなのか。
さて、こういった人道的とは別に法律が変わって無くなったものもある。
今回購入したものは後に禁止されるがのだが、当時まだ規制されていなかったのだった。
まるで綿飴の様な袋に入れられていたソレは、ストローを刺して吸うと、声がヘンテコになる、所謂ヘリウムガスである。
その時出店では初めての発見で、大はしゃぎで買って行ったのを覚えている。
祭会場から自転車で行きつけの公園へと移動した俺たちは、早速それで遊ぶ事にした。
肺の空気を吐き出して、一気に吸い込むと高温の鼻声というか、普段と全然違う声になるのだ。
一回の効果は30秒くらいですぐ元に戻るのだが、流石は小学生。
沢山吸えばもっとすごい事になるんじゃないかって、そう考えた。
お調子者が全員の余りヘリウムと、自分のヘリウムを合体させて、スーパーヘリウムボイスを出そうと考えた訳だ。
思いっきり息を吐き、袋のヘリウムを吸い尽くすと、次のヘリウム、軽く吐き出して、次のヘリウムへと取り掛かった時、彼に異変が起きた。
いきなり崩れ落ちたのだ。
今となれば当然の話だ。
酸欠である。
ヘリウムガスは酸素ではないので、肺をヘリウムガスでパンパンにしてしまうと、ヘモグロビンが酸素を運ぶ事が出来なくなり、貧血や眩暈を起こす。
しかし小学生達は馬鹿だったので、急にしゃがみ込んだ彼を見て、スーパーヘリウムボイスを出す為の「タメ」だと思った。
皆、その時点で笑い始めていて、彼から出るであろうスーパーケロケロボイスを待ちわびていた。
「タスケテ。」
酸欠で身体を起こすことの出来ない彼から出た一言はそれだった。
それはそうだろう。
何故そうなっているか分からないのに、起き上がれないのだから、助けてと言うのは当然だ。
「タスケテ。」
もう一度友人達へと助けを求めるが、帰ってきたのは爆笑だった。
ヘリウムは残酷なもので、必死のヘルプも面白ボイスに変身させてしまっていたのだ。
「タスケテ。」
彼が必死な顔で助けを求めれば求める程、息ができないほど笑ってしまう。
どうにかなりそうだった。
ようやくヘリウムと酸素の交換が終わって、意識がはっきりしてきた彼が見たものは、笑いすぎて酸欠になって立ち上がるのもままならない俺たちの姿だったらしい。
「人間の恐ろしさを見た。」
彼は20歳の同窓会でそう言っていた。
◆
「頭がおかしくなりそうなほど笑った。
息が出来なくて死ぬかと思った。
発狂だと思う。」
「…うん。
まぁ、自分の意思で止められないし、死の恐怖があったなら…そうかもね。」
「じゃあ、このケータイの音声を聞き取れたら…。」
もう一度ケータイを受け取り、一生懸命聞き取ろうとしている俺を見て、先生は苦笑いをしながらため息を吐いた。
「もしかして君、報復絶倒ギャグを聞けるんじゃないかと思ってない?」
「うん。」
「あぁ、そう。」
しかし、いつになってもそのノイズは文章として聞こえる事は無かったのだった。