くねくね
「これを見てみたい。」
少年が差し出して来た紙には何からコピーして来たのか、懐かしのくねくねの特集記事だった。
いや、そんな雑誌一つしか知らないけどね。
しかしまたなんで…。
くねくね。
見ると気が狂うと言われている、山の怪異だ。
山に近い田んぼや山林、川などで目撃され、山に住む祟り神や山神の一種なのではないかと言われている。
「まぁ、いいんだけどさ、ここから山の方に行くのは時間が掛かるから、君のお母さんとお父さんに言ってからね。
土曜日か日曜日の朝に迎えに行くから。」
◆
いつの間に母と打ち解けていたのか、先生は親からの信頼を得ていて、何の問題も起きずに出発できた。
親から見れば、小さい頃から見て来ている近所の男の子が、なんかよく分からないけれどウチの子の面倒を見てくれているってだけなのだろう。
俺が女の子ならまた別なのだろうが、俺が普段何をしているかとかの心配はあまりしていないらしい。
それよりも気になる事を父は言っていた。
「いやぁ、昔はあんなにヤンチャだったのに、随分落ち着いたね。」
あんなにヤンチャ?
先生が?
好きな食べ物がおぼろ豆腐の先生が?
いつもの公園から繁華街を抜けて1時間ほど山の方へと車を走らせると、周りは田んぼだらけになる。
ロケーション的には絶好の環境なのだが、シチュエーション的には、くねくねを見る事ができないだろう確信がある。
田んぼの近くの広めの駐車場の一角に、オートキャンプ場があり、先生はそこに車を停めると、トランクから車につける屋根だけのテントを取り出して設置した。
折りたたみの椅子と焚き火台も設置され、今俺の目の前には、アニメでしか見た事がない鉄の重いフライパンに乗った目玉焼きとベーコンが差し出されている。
「コーヒーは飲める?
牛乳入れたら飲める?」
想像と違うくねくね観察に圧倒されている間に、簡易テーブルは男のロマンで埋め尽くされて、身の回りはどんどんと快適になっていく。
「おいしい。」
「ね。
雪国の春先だから寒すぎないか心配だったけど、逆に快適に涼しいくらいで良かったよ。」
カリカリのベーコンと、端が茶色くなった目玉焼きは絶品だった。
なにかが違うと思う。
こういう怪異は日常の中に突然非日常が現れるから怖いのに、こんなに非日常を楽しむ気満々でいたら出るものも出ない気がする。
持って来た双眼鏡で、早めの季節にやって来た青鷺を見ながら、追加されたウインナーを食べて、ミルクが多めに入った甘めのコーヒーを飲むと、なんか、全部どうでも良くなった。
双眼鏡から目を切ると、先生はいつの間にか設置されたハンモックに腰掛けながら、ヴァイオリンを弾いていた。
ゆっくりと静かに流れるヴィヴァルディの春は、怪異とはこの世で一番遠い音だろう。
音楽室の幽霊がピアノを弾くと言う有名な怪談も、こんな曲じゃないはずだ。
怖くないもの。
その後、先生が持って来たボールを使って球の投げ方を教えてもらってから、キャッチボールをしていると、少し離れた所でキャンプをしているおばちゃんからおにぎりを貰った。
「焼くと、格別よ。」
その言葉通り、網に油を塗ってじっくり焼いたおにぎりは、焦げた醤油の香りがして美味しかった。
おばちゃんの旦那さんには、キャンプ場の用水路で釣れる魚を見せてもらった。
川と繋がっているらしく、ヤマメなんかが釣れるのだ。
「もう少し上にいくとマスなんかもいるぞ。
塩焼きにするとうめぇんだ。」
そう教えてもらった。
ハンモックに寝転びながら、ボールの投げ方を反芻していると、いつの間にか眠ってしまった様で、気がつくと車は家の近くの道を走っていた。
「楽しかったね。」
「さいこーだった。」
「そういえば、なんでくねくねを見たかったんだい?」
完全に目的を忘れていて、その時になってやっと思い出した。
そう、くねくねを見に来たのだ。
親に何して来たのと聞かれたら、キャンプとバードウォッチングと嘘なく答えられただろう。
「発狂させてくれるって書いてあったから。」
「えぇ…?あぁ!
誠也は発狂させてくるイコール抱腹絶倒ギャグを見せてくれるだと思ってたんだったね。
…なら、見れなくて残念だったね。」
「ううん。
さいこーだったから。」
「そっか、うん。
最高だったね。」
「また行こうね。」
「今度はおっちゃんの言ってた川へ行って釣りでもしようか。」
「うん。」
目に焼き付ける怪異は見られなかった。
先生と居る時には、見られることはないだろう。
それでも帰り道に見た、真っ赤な空はきちんと俺の目に焼き付いている。




