鬼の怪 おにのけ
「樹君、ASDって分かる?」
「あ、えぇ、まぁ…。
…もしかして誠也がですか?」
「そうなの。
そんなに強くは出てないらしいんだけど、ね。」
ASD。
自閉症スペクトラム。
「誠也は賢いし、いい奴だと思いますよ。」
軽度だろうが、確かに小さな引っ掛かりを気にする性質を感じる時はある。
虫を虫では無く、秋茜やハラビロカマキリなんかとしてきちんと認識していたり、僕のオカルト話の違和感や疑問をそのまま素直にぶつけてきたりしているといった部分がそうなのだろう。
音大には幼稚園教諭になる学科もあるので、知識としてはあったが、それと誠也をつなげる事はなかった。
多少内向的であっても、そういう奴なのだと思っただけだ。
「うん、ありがと。
誠也から樹君の話を毎日の様に聞いているんだけど、樹君から優しくされて居ることしか話さないから…。
迷惑をかけてないかって、親としては心配なんだよね。」
近所を歩いて居る時に、見知らぬおばちゃんに声を掛けられて、それが誠也のお母さんだというのには、背筋が凍る思いがした。
そういえば口止めなんかはしていなかったと思い至ったが、お母さんからはどちらかというと感謝されているようだった。
学校ではその性質と美貌により、良くも悪くも浮いているらしい。
かつ、浮いている事を自覚もしているらしく、ここ最近は特に独りで居ることを好むようになってしまったのだとか。
「いえ、僕は、あの…大学生から言われたら変に思うかもしれませんが、誠也の事は友達だと思っているんですよ。
面倒を見ているって感覚じゃないです。
なんなら酒でも飲みに行こうか、なんて浮かぶくらいに。
気が合うんですかね。
まぁ、そういう訳で、そんなに心配する事はないと思いますよ。
ただ人より少しだけ細かい性格ってくらいにしか感じてませんし、僕はそれを…なんていうかな、面白がっているので。
アイツは…そう、ブルーなんです。
孤独じゃ無く、孤高なんですよ。」
◆
お母さんは一通り話すと、引き留めちゃってごめんなさいと家へと入って行った。
そのままデカい家を通り過ぎ、足だけが歩いて居る横断歩道を渡り、タコの遊具がある公園内にある小さな公園を少し過ぎた辺りにある、いつもの木の下に誠也がしゃがんでいた。
平らな石にどんぐりやとちの実を、8個ずつ4列に綺麗に並べている。
傍らには僕があげたヴァイオリンがケースの上に置いてあり、どうやら観客席を作っていた様だ。
僕は彼を孤高と評した。
ヴァイオリンにのめり込んでいる様で、指が切れて怪我をしていても気にならないらしい。
凄いことだ。
賢く、美しく、気高い。
そんな彼が雑音に押しつぶされることのない様にと願う。
「やぁ、今日は何をして居るのかな。」
「本に、観客の前で演奏をしないと、それだけでしか出来ない経験があるって言うから、お客さんを作ってた。」
「ふぅん。
右端はどんな人だい。」
「え?
木の実だよ。
どんぐり。
顔が長いから椎の実だと思う。」
「そうかい。
見立てるなら、人だと思った方がいいんじゃいかな。」
「でも木の実だから。」
「そっか。
そういえばさ、こんな話がある。」
あるところに鬼が住んでいた。
周りの村人はそれを知っていたが、どうしても怖かったので退治したりは出来なかった。
そんなある日、町へ出ていた村長の息子が帰って来た。
町で兵士として働く彼は、村の鬼の噂を聞きつけて我が退治してやろうと帰って来たのだ。
村人は心配していたが、鬼が居なくなるならと送り出した。
次の次の日の朝方、血塗れの息子が帰って来た。
話を聞くと、鬼を殺したと言う。
村は喜び宴を開いて、息子の快挙を祝った。
異変は宴の最中にはもう起こっていた。
息子は生沸の野菜や、生に近いウサギの肉を気にせず食べて、弱かった筈の酒を浴びる様に呑んでいた。
訝しむ村人もいたが、戦いの興奮だろうと深くは気にしなかった。
しかし、異変は少しずつ表に現れる。
村の端で打ち捨てられた血塗れの端切れが見つかったり、頭だけ食いちぎられた魚が落ちていたりした。
夜中に裸で彷徨いている息子を見たという村人もいた。
話していても、なんとなく変な感じもしたし、ぼーっと村人を見ていたりする姿もよく見られた。
そうなると、こんな噂が流れる。
鬼が息子に成り代わっている。
息子の皮を被った鬼が、村内に来たのかもしれない。
村人はそう思ったが、怖いので本人に指摘する事は出来ない。
息子の事は疑っていたが、本人はどこ吹く風で、いつも通り村人達へと話しかけたし、良く野良仕事も手伝った。
道に木が倒れた時など、ひょいと木を持ち上げていとも簡単に退けてしまった。
その怪力に恐れ慄き遠巻きにしているものは多かったが、
男の行動はどんどんと常識的になっていったし、話も上手くなっていった。
「おらぁよ、鬼を殺した時によ、神さんに強い力を貰ったんだ。」
そう言う男を信じるものも現れてきて、彼が結婚する頃には誰も気にしなくなっていた。
力が強い彼は村を盗賊が襲った時も活躍して、村長を継ぎ、息子達も彼の力を受け継いでいた。
戦が起こると担ぎ出されて、大活躍して村を豊かにしたとさ。
「本当に神様に力を貰ったのか、鬼が成り代わったのかはわからないけどね、彼は人に馴染む為に努力したんだ。
強い力も、異物も、怖い事には変わりないからね。
人の真似をしていれば異物ではなくなるのだね。
誠也、君は尊敬している人はいるかい?
憧れる人がさ。
もしいるなら、その人の真似をしていると、似ていって、憧れる姿になれるかもしれないよ。」
「うん。
俺は、先生の真似をしているよ。」
「あっ、そうかい…。
僕もあんまり出来た人間ではないけれど、嬉しいよ。」
「がんばる。」
◆
僕はそんなに出来た人間じゃない。
そんな僕の真似をしたって仕方ないだろう。
そう思っていた。
それから半年ほど後の2月のある日、誠也がパンパンの紙袋を持ってやって来た。
「これ、クラスの女子達から貰った。
沢山あって食べ切れないから、一緒に食べよう。」
紙袋を覗くと、綺麗に包装された箱から甘い匂いがする。
あぁ、今日は14日か…。
僕は生涯で4つしか貰ったことがないのに。
そう言えば最近良く笑う。
「先生の真似をしていたら、友達も出来た。」
そうか。
そうなんだね。
…出来れば僕にもその方法を教えてくれないかな。
僕はそんな方法を知らないよ。