願い事
俺はもう虫を分解するのにも飽きていたので別のことをしていた。
先生から教わりヴァイオリンを始めたので、その練習をしている事が多くなっていたのだ。
神社の公園の端から堤防を上がると、そこには大きな川が流れていて、そこの河川敷で音を出していても周りに迷惑はかからない。
たまに通りがかる犬の散歩をしているおばあちゃんやおじいちゃんに飲み物をもらったり、少し離れた所でスケボーをしているにいちゃん達におやつを貰ったりしていたので、楽しくやっていた。
◆
「猿の手という話がある。
アラジンの魔法のランプの様に願いを3つ叶えるというよくある話だね。
アラジンの方は子供向けだからか、願いを叶える事に代償はないけれど、猿の手は重い代償が設定されている。
金を要求したら、自身の保険金で支払うハメになったり、恋人を生き返して欲しいと願ったら、ゾンビとして生き返ってしまったために元の死体に戻すために3つ目の願いが必要になってしまったりとね。
君は何か欲しいものがあるかい?
3つ選べるとしたらさ。」
俺は当時毎日の様に公園にいるので分かる通り、あまり友達がいなかったが、一人でいるのを苦と思わないタイプだったので、友人が欲しいということもなかった。
両親は共働きで家にあまり居ないのも慣れていたのでそれを寂しいということもなかったし、仲も良いのでそれも問題がない。
お金の価値は、小学生当時には必要のないものだったので興味がない。
「なんにもないかも。」
「…そうか。
君は無欲だね。
今まで欲しいなって物は無かったのかい?」
「犬を飼いたかったんだけど、ウチでは飼えないんだって。」
「そうか、それは自分ではどうしようもないし仕方がないね。
大きくなって一人でなんでも出来る様になってからでも遅くはないからね。」
「うん。
…あ。」
「うん?」
「お兄ちゃんが欲しかったんだった。」
両親の不在に慣れるまではやはり寂しくて、何となくそう思っていたのを思い出した。
兄弟でキャッチボールをしている近所の人達を羨ましく思っていたのだ。
もう忘れていた気持ちだが、欲しいものと言われて考えた時に記憶の沈澱から掘り起こされたのだった。
「そうかぁ、それはなかなか難しいねぇ。
後に生まれて兄にはなれないからさ。」
「うん。
…でも今はいいんだ。
先生が構ってくれるから。」
「うっ、そ、そうかい?
うん、そうか。
うん、そうだね。」
その日はその後ずっとフワフワとしていた先生は、そのままフワフワとしたまま、僕が帰らなくてはいけない時間になったので別れてしまった。
何かの用があったのかは、今思い返すと分かる。
◆
「ちょっと樹くん!
今日こそ聞き出すって自信満々だったのは何だったのよ。」
「いやぁ、ついね。
…心が弱っていたら泣いていた所だったよ。
欲しい物はないんだってさ、今は。
でも一緒にやれるものが良いと思うから…そうだな、僕のお古だけれど、ヴァイオリンをあげようかな。
それなら僕が教えてあげられるしね。」
「あら、決めたのならいいけど。
でも何でヴァイオリンなの?
貴方はピアノ専攻でしょう?」
「そうだけれど、それは母親がピアノ講師だからそうして来ただけさ。
本当はヴァイオリンで行けば良かったと思っているよ。」
「ん?なんで?
ヴァイオリンが好きなの?」
「いいや?
音大に行って分かったけれど、周りが金持ちばかりだろう?
クラシック音楽なんてやっているんだから、それはそうなのかもしれないけれど。
ほら、ハープなんて3000万円くらいするしね。
それでさ、女の子はピアノ専攻が多いだろう?」
「うん、だから何?」
「ヴァイオリンってのはね、ピアノとのデュオが多いんだよ。」
「だから何よ、さっきから。
話が見えないんだけど。」
「だからさ、誠也が将来ヴァイオリンで音大に行けば、金持ちのピアノ専攻の女の子とデュオが出来る可能性が高い訳だ。
つまり、僕は兄の代わりとして一緒に学ぶことも出来る。
兄が欲しかったのだから、嫌な事ではないと思うんだよ。
そして、未来に女の子を捕まえられる道筋が生まれ、富を手にする可能性も高くなるって訳さ。
誠也の努力も必要だけれどね。
ふふ、ランプの魔人は3つ願いを叶える。
僕は将来的に彼が困るかもしれないものまでカバーをするって事で、魔人をも超えていくのさ。」
「えぇ…。
兄代わりは良いけど…残りの理由が最低ね…。
誕生日プレゼントって、そんな俗にまみれたものだったっけ。」
「ふふふ。
誕生日なんて、元は悪霊がやってくるから蝋燭を付けていたものなのさ。
僕が世の中の汚い欲望を湛えて横にいれば、悪霊も逃げ出すだろうね。」