社長、あなたはクビです。
今日も、社長室は慌ただしかった。
「社長、あと2時間で野澤監査室長のパワハラ問題について会見が始まりますよ! 原稿は用意できているんですか!?」
「社長! 松木会長の脱税疑惑について新しい情報が入りました。ご確認をお願いします!」
「社長、株主総会まであと6時間ですが、AIによると優先順位は低いとのことです。代理AIに出席してもらいましょうか? もっとも、社長が出席しても代理AI以上の効果は見込めないとの予測が出ていますが」
先島コーポレーション社長室の椅子に座る白髪の男性にむかって、3人の中年女性がまるで取り調べをするかのように言葉を投げかけている。
「わ、わかっている。わかっているよ。まず、そうだな……」
「しっかりしてくださいよ! こうも不祥事が重なっている中、社長の対応も満足にできないと、秘書である私たちにも影響が出るんですからね!」
「わかっているって言ってるだろ! 何度も言わせるな!」
社長の怒声が響き、騒がしかった室内が静かになる。しかし、それも一時的なことだった。
「社長、先ほどの発言、AIによるとパワハラランク2に相当するようですよ。気を付けてください」
社長は何も言わなかった。
その直後、社長室のドアをノックする音が、社長と秘書たちの耳に入った。
「しゃちょおー、いますかぁ? 労働組合執行委員の山川ですけどぉー」
気の抜けた声とは逆に、社長室の空気は緊張で満たされた。
「……どうぞ、お入りなさい」
雑にドアを開け、ピアスをした女性が礼もせずに社長室へ入ってきた。たいして暑くもないのに、スーツは豪快に着崩している。
「うちのリーダーがぁ、社長に話があるってぇ、すぐに来てほしいって言ってますぅ」
飴玉を口に含んでいるような口調であるが、そんな彼女にむかって社長は頭を下げた。
「わかった。すぐに執行委員長室へむかうと伝えておいてくれ」
何も言わずに踵を返した彼女のあとを追うように、社長はそのまま社長室を出ていった。
残された秘書の3人は、不安そうな表情でお互いの顔を見合わせていた。
「また、変わるのかしらね」
「あれほど不祥事や疑惑が立て続けに出てくるんだもの、ツイてないわ、あの社長は」
「AIによると、奈良原社長が現職のままでいる確率は……約7%のようです」
社長が重厚な扉をノックすると、むこうから女性を真似た機械音声が聞こえてきた。
「どうぞ、お入りください。奈良原社長」
執行委員長室に入ると、黒革のソファーに腰かけた男性が、社長を待っていた。
「お忙しいところご苦労様です、奈良原社長。どうぞ、そちらに座ってください」
「お言葉に甘えて、失礼するよ秋山執行委員長」
社長は委員長とむかい合う形で、同じく黒革のソファーへと腰をおろす。
執行委員の女性とは違って、彼は新品のようなブランドもののスーツをきっちり着こなしていた。肩の部分にフケがついている社長のものとは、明らかに格が違う。そして何より、彼は若かった。まだ10代後半と見られてもおかしくない肌艶である。
「コーヒーをお持ちしました」
機械音声とともに、無機質な白い肌をしたロボットが、二人の間にある透明なガラステーブルへコーヒーを置いた。髪の毛や体つきなど、ほとんどが人間の形に近いロボットであったが、鼻と口はなく、代わりに大きな宝石のような目があった。
委員長が手で合図をすると、ロボットは礼をして部屋の奥へと移動していった。
「どうです、いい子でしょう。AIも最新式のものを使ってますからね。僕好みのコーヒーの淹れ方も、1日でマスターしてくれました」
「はあ。すまんね、私はそういうものには疎いんだ」
「おっと、すいません。一口飲んだら、さっそく本題に入りましょう」
コーヒーを一口すすった後、委員長はテーブルの脇に置いていたタブレットを、軽くタップした。
すると、安っぽい机の上で頭を下げている社長が画面に現れた。
『まことに、申し訳ございませんでした!』
『奈良原社長、権田専務の社内飲酒および暴行について、数年前から続いていたという情報漏洩がありましたが、そのような事実はあったのでしょうか』
『えっ、えーと、そのような……。権田専務については、私は何も存じませんで……』
『専務の動向を、いっさい把握していなかったんですか!?』
『あー……』
渋い顔で動画を見つめる社長を遮るように、委員長はタブレットを中指で軽くたたく。画面上の社長は、泣きそうな顔で固まっている。
「権田専務の飲酒暴行事件についての謝罪会見、まずかったですね」
社長はしばらく黙っていたが、やがて絞り出すように言葉を発した。
「準備の時間が十分にとれなかった。専務の暴行は刑事事件に発展したため、緊急の会見をせざるを得なかったのだ」
「その言い訳も、なんていうか、ありきたりじゃないですか」
一瞬だけ、社長は下唇を噛んだ。しかしそのすぐ後、社長の頭はテーブルに触れそうなぐらい低くなって、弱弱しい声がガラスに吹きかけられた。
「この次は、野澤監査室長についての会見は問題なくやる! あのような失言は二度と――」
「もういいですよ」
委員長の言葉に、社長は目を見開きながら、顔を上げた。
「もうあなたの社長業務は十分です。我々組合に寄せられる評判もよくないし、AIに何度かシミュレーションさせてみても、会社に不利益であるという結果ばかりなんですよ。会社の業績を守るためにも、社長には速やかに退職してもらわねばなりません」
「そ、それは、つまり」
「社長、あなたはクビです」
社長はソファーから身を乗り出して、委員長のネクタイを強引に掴んだ。額には汗が浮き出ている。それに対して、委員長は涼しい顔をしていた。
「これで今年、5度目だぞ……! このわずかな期間で、5人も社長が入れ替わることになるなんて前代未聞だ! 創設者の先島社長がこの場にいたら、なんと仰せられるか――」
「何の問題もありませんよ。ここ最近の事件や疑惑は、みんな上層部の人たちがやったことですからね。そいつらの首さえ挿げ替えれば、客やスポンサーの信用も戻ってくるはず。あんたもよく知ってるでしょ?」
「き、貴様っ、なんだその口の利き方はっ! 私をなんだと思って――」
「いい加減にしろよ、社長」
委員長に睨まれ、社長はネクタイを握っていた手を少し緩めた。
「いま西暦何年だと思っているんですか? もう21世紀後半ですよ。あんたらみたいな、社長や重役といった上層部が社内で価値を持っていた時代は、とっくに終わってんだよ」
立ち上がった委員長に圧されるようにして、社長はソファーへもたれかかる。
「現代社会でもっとも価値があるのは、末端で働く、俺たち若者なんですよ。社長は、たしか独身でしたよね? 少子化が危惧されて、出生率の低下が叫ばれていた時代に、あんたたちは個人を尊重するだの、好きなことをして生きていくだの、自分の幸せばかりを追及してきた。それが今、深刻な労働不足となって現れているんです。わかりますか?」
社長は何も言い返せず、ただ委員長を見つめている。
「あんたら年寄りが無能なせいで、貴重な人材である俺たちが割りを食うのは、会社のためだけじゃなく、日本のためにもならねーんだよ。ですからおとなしく、身を引いてくれませんか? 社長さん」
「……まるで自分たちは問題を起こさない、クビになるわけがないと、そう言いたげな口ぶりじゃないか。そもそも会社の人事権は、人事部にあって貴様たちには無いんだぞ! クビになるのは私じゃない。貴様らのほうだ!」
ようやく、力強い声を委員長に浴びせた社長であったが、当の委員長は、余裕に満ちた表情を崩さなかった。
「我々をクビに? どうぞどうぞ、お好きになさってください。この会社を潰したければ、どうとでも」
「な、なんだと」
「もう少し冷静になってみてはどうですか? 先ほど申し上げましたように、今の世の中は労働力不足なのです。我々のような若い社員を解雇したら、あたらしい人材を確保するのに何年かかるかわかりませんよ。一方こちらは引く手数多ですからね、再就職先に困るということは、まずありえません。そうだ、なんなら労働組合の社員全員に呼びかけて、一斉に退職してあげましょうか。きっと、社内は大混乱になるでしょうね」
「い、いや、それだけは! どうかやめてくれ!」
悲鳴に似た叫びとともに、社長は項垂れて、言葉を失ってしまった。それを見た委員長は、口角を上げつつ、ゆっくりと社長に近づき囁いた。
「奈良原社長、我々は何も、あなたをお払い箱のように退職させるつもりはありませんよ。短い期間ではありましたが、社長としてそれなりの職務は果たしてくれましたからね。まず、これを見てください」
ふたたび社長が顔を上げると、目の前には先ほどのタブレットがあった。しかし、今度はゼロがずらりとならんだ数字が表示されている。
「執行委員長、これは?」
「あなたの退職金ですよ」
「えっ、こ……こんなにたくさん!?」
社長の目から、一気に輝きが戻ってきた。
「それに、リタイア後も充実した生活が送れるよう、こちらも手配しておきました」
委員長がタブレットを操作すると、今度は可愛らしい少女がアイコンを飾るアプリが、数件表示された。
「これはソーシャルゲーム開発部で開発中の、新作アプリゲームです。どちらも年内にはリリースする予定ですが、すでに社長のアカウントは作成済みです」
「ほほう……なかなか良さそうなソシャゲじゃないか」
社長は食いついた魚のように、タブレットを手にもってアプリの詳細を閲覧している。
「さらに、社長のアカウントには特別に、ガチャを回すためのポイントが毎日一万、届くようになっています。このポイントを使えば、目当てのキャラが出るまでガチャを回し放題ですよ」
「毎日一万も!?」
「ええ、百ポイントで一回ですから、毎日確実に100連が回せます。しかもここにあるアプリ全部ですよ! どうです、素敵な余生が送れると思いませんか?」
このとき、すでに社長の頭には、会社に対する未練が消えていた。
「どうだい、あれから、奈良原元社長のアカウントの様子は」
「はい、今日付けで、すべてのアプリで200日連続ログインを達成しています」
「もうそんなになるのか、早いなあ」
執行委員長室では、委員長とロボットがソファーに座って談笑していた。
「それで、毎日無償で得られるポイントも全部使ってんの?」
「はい。それどころか、一部のアプリでは課金もしてらっしゃるようですね。それも、少なくない額を」
「ぷっ、さすがソシャゲ全盛時代の人だ。ガチャへの欲望が半端じゃねーや! あれだ、あれ。ずっと昔に流行っていたっていう、パチンコと同じようなもんだよな。リタイヤしたらもう、それしかやることがない、みたいな、あははっ!」
笑い転げる委員長を、ロボットは輝く目で、じっと見つめている。
「このペースで行くと、10年後には退職金を回収できる計算になります。11年後には年金も底をつくでしょう」
「まあ、退職金だけ回収できればいいさ。今の時代、年金なんて雀の涙だしな。しかし、奈良原元社長のような世代の人たちは哀れだねえ」
ロボットはわずかに駆動音を出しつつ、ゆっくり首を傾けた。
「哀れ、と言いますと?」
「俺たちの会社を例にするとな、あの人らは、先島社長が生前にやってたっていう売春の斡旋行為をもみ消すために、いろいろやってたって話だ。その他にもいろいろな疑惑が、つつけばつつくほど出てきて、一時期倒産の危機にまでなったそうだ。つまり、前の世代の尻ぬぐいをさせられていたんだよ。で、やっと自分たちがお偉いさんになったと思ったら、今度は俺たちの世代のほうが大事にされて、立派な役職もお飾り同然、俺らにいいように使われちまってるってわけだ。まったく、ひでえもんだよなぁ!」
嘲るような表情を見せながら、委員長はゆっくりとコーヒーをすする。ロボットは新しいコーヒーを淹れるための準備をしながら、静かに呟いた。
「奴隷になるために産まれてきたみたいですね、その世代の人たちは」
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。