感情の評価軸が繁殖なのだとしたら。
前回、感情は、繁殖を評価しているものである。という話をした。
今まで、感情をそのように考えた人はあまりいないと思う。
人間だけが持っている何か特別な能力のように考えていた人も多いのではないか。
感情が、繁殖を評価する。
このように考えたときに、自分はこんなことを言えるのではないかという仮説を立てた。
感情という機構は、高度な生物であれば、共通の評価軸なのではないか。
である。
感情が繁殖できているかを評価するのであれば、それはすべての生物が持ちうる評価軸であり、一番合理的である。
そして、同じ評価軸を持っていると何が嬉しいか。
感情をベースにしてコミュニケーションができるということである。
犬、猫、その他動物。
今まで、なぜコミュニケーションが取れるのかよくわからなかったが、同じ評価軸を持っていたからなんだと、腑に落ちた。
この世の中には、なくなるもの、変わらないもの、増えるものの三種類しかない。
なくなるものは、今この世にないはずで、変わらないものはほとんどない。しいて言えば、世界のルール、数式とかがそれにあたるのかもしれない。
ほとんどのものは、どんなに頑丈であっても、長い時間のスケールの中で必ず壊れ、なくなる。
この世に残っているのは、増えているものだけである。
生物は、増えているから残っている。逆に言えば、増えない生命体のようなものも、過去にいたのかもしれない。しかし、そういった生命体は、どんなに丈夫であっても、いずれいなくなる。過去にはいろんなものがあったと思う。
増えた生物だけが残った。
このインパクトを感じてほしい。
増えないと壊れるのみだ。
何が言いたいかというと、増えるために必要な行動に対して、評価をするという機構(感情)は、生存競争においてものすごい有利に働く。
感情がない生物は、やった行動に対して、いいか悪いのかが一切わからないのである。例えると、テストをやったのにその結果が返ってこないようなものだ。最悪である。
評価軸のない生物は、ただ、生存に有利な個体のみが残って、その個体が増えることで、ある種の修正を行う。この修正行為は、一個体単位でしかできず、遺伝子に乗った情報以上のないものでもない。
調べたところによると細菌は、20分で二倍になるみたいなので、意外と修正能力は一個体だとしても早いのかもしれない。
単細胞な生物は、それでもいいかもしれないが、多細胞生物にとって、生きている間ずっと修正がきかないのは繁殖のコストを考えるとリスクでしかない。
そのため、感情という繁殖できているかの評価軸というのはとても大切で、生物共通の評価軸としても十分な説得力があると自分は考えます。
これによって、生物の垣根を越えてコミュニケーションができているのではないかという仮説を立てたという話でした。
以上