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会話という名の繁殖行為

会話。


これは、何だろうか。


私は、これにとても違和感を覚えていた。


あまりにもコストが高すぎないかと。


言語を覚え、それを使いこなすのにものすごい時間と労力が必要である。


しかし、次のように考えたとき、それが間違いであることに気づいた。


「会話は繁殖行為である。」


会話によって、人は情報を伝達する。


しかし、これを繁殖行為だと認識している人は少ないのではないか。


会話の本質は、自分の脳の情報を他者の脳にコピーする行為なのではないかと考えた。これは、音に乗って伝わるため、秒速300Mの超高速であり、遠くの人にも情報を伝達できる。


それに比べて、従来の繁殖行為というのは、ものすごい時間がかかる。そして大きなリスクを伴う。


言語という解釈機構を全員で共有し、その上で情報をやり取りすることで強固な情報のコピーネットワークが構築され、有益な情報が常に残り続ける。


しかし、この情報の繁殖過程は、人間がいないと成立しないのでは。と考える人がいるかもしれない。しかし、人もまた、地球という媒体の下でのみ存在できる。地球という媒体の上で人間が存在し、人間という媒体の上で言葉が存在する。ただそれだけなのだ。


言語という情報は、2000年くらいは最低でも形を変えながら存在し続けた。

増える速度よりも減る速度が小さいのであれば、どんな媒体であってもそれは関係ない。



繁殖行為という意味でいえば、「 死 」は、人に忘れられることなのかもしれない。肉体がなくなったとしても、他の人の中で生き続ける何かがあるのだとしたら、忘れられないかけがえのない人なのだとしたら、それは死んでいるわけではないのかもしれない。


また、会話による繁殖行為は、低リスクで情報を複製できるため、理性がないと他者に対して、束縛性を持つ可能性がある。無垢な赤ちゃんに対して人は、自身の情報をコピーし、ある種、完全に自身と同一化する。遺伝子によってコピーできる情報は、肉体的なものに限定される。これは、ある種この人間社会においてほとんど意味をなさない。そのため、人は会話という複製手段を用いて、他者のハードウェアに対して、自身のソフトウェアを複製する。この複製手段によって人というものは維持されているが、この複製された情報が良いものなのかを判定できるだけの基準が存在しないと、大変なことになってしまう。そのため、複数人の話を聞いたり、本やYouTubeなど、複数媒体の情報を取り入れることがとても大切だと感じる。


今回はこの辺にする。次回は、感情というものについて考える。


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