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翌日はジムの予約を取って、インストラクターをしている友達にミットを持ってもらい、15ラウンド分みっちり打ち込んだ。汗だくになって座り込むと、憂鬱な気分も多少晴れた。
「衰えないねえ、あんまり来ないのに。」作ってくれたジムオリジナルの新作プロテインドリンクをわたしにサービスしてくれながら、友達が言う。
「まあ、集中力さえ保てればね。」
息も絶え絶えに答える。もうちょっと若いうちからやっとけばあんたチャンピオンになれたわよ、と、毎度の台詞。
「人を殴るのなんて、やだね。」
わたしもいつものように返す。
仕事においてわたしがやることは、いつも同じである。霊を見つけて、吸い込む。それだけ。でもその段階に行くまでにはいろいろな人に会って、いろいろな話をする。その印象がいいものもあるし、悪いものもある。人間とはなんだろう?仕事の合間に、わたしはいつもそんな問いを繰り返す。そんな問いに例え答えを見いだせたところで、それはわたしの見解であって、多種多様な人間すべての答えでは在り得ない。にもかかわらず、わたしには数多くの人間が、外から鍵の掛かる檻の中に自ら潜り込んで、鍵をかけてもらって安堵しているように見える。だから、自分や、それに近しい人に関わる様々な判断を誤る。わたしは出会ったほとんどの人をすぐに忘れる。昔からの友達を除いてはただひととき関わるだけの人がほとんどだからだ。彼らがどんな対応をしようが関係ない。わたしの仕事は、いつも同じだから。
いつだったか、ある高名な霊能者が除霊に失敗した物件を引き継いだことがある。さっくり終わらせて物件から出てくると、その霊能者がわたしを待ち伏せていた。
「あなたみたいな人、ロクな死に方しないわよ。」
わたしはにっこり笑って、こう返した。
「嫉妬は目を曇らせますよ、センセイ。」そして一礼してその場を後にした。ただでさえ霊能者連中には好かれていなかったけれど、この一件でその溝はいっそう深くなったのだ。
久しぶりに思い出したな。ジムのシャワーでサッパリした身体がまた少しべとついた気がした。サンドバッグ買おうかな。いつでも殴れるし。別料金で友達に自宅までコーチしてもらいに来てもらうのもいいな。
時々わたしが殴りたくなるのはきっと自分自身なのだ。
ある交差点で、前に居るスーツの女性のことが妙に気になった。あの、すみません、とわたしは声をかけた。
「一番近い地下鉄の駅ってどのへんですか?」
それなら、と、彼女はいまわたしが降りてきた地下鉄の駅をかなり丁寧に教えてくれた。その説明は信号が変わっても終わらなかった。途端に暴走バイクが突っ込んできて信号機の柱に激突した。え、え、と、スーツの女性は狼狽えた。わたしも一応驚いた感じでしばらく目の前の光景を見ていた。バイクを運転していた大柄な男はピクリとも動かなかったけれど、死んではいなかった。派手なだけの事故だった。あ、じゃあ、ありがとうございました、と礼を言って、わたしはそこを去った。
我ながらいろいろなことに首を突っ込み過ぎるなと思う。でも、たいした労力ではないのだ。目の前で起こり得ることを回避出来ると思えば、わたしはいつだって首を突っ込むだろう。その時用の適当なセリフも何種類か揃えていて、時々練習だってする。