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手を取れ、手を離せ。  作者: ホロウ・シカエルボク
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3

器に水を少しずつ足していくようなものだ、と、瞑想をしながらわたしは考えた。呼吸のリズムに合わせて、水滴が落ちるように気が移動していくイメージ。形が定まらなかったので、脳天に漏斗があるというものに決めた。三角の部分に幾ら気が満たされても、細い管を通って少しずつしか器には入って来ない。器が満たされたらどうする?放出すればいい。全身からくまなく気が行き来するイメージを持てばいい、循環。その状態を保ち続けること。幾ら気が満たされても、動かし方を知らなくては意味がない、そう思った。わたしは二時間ほど瞑想をして、それから寝支度をしてベッドに入った。夢の中でも瞑想のイメージが続いている気がした。


わたしという生きものはいったい何だろう?誰しもが抱える疑問に違いない。それは、おそらくだけど答えが用意されている問いではない。だってそうだろう、そんな問いに明確な答えがもしもあったとしたら、その回答を手にした時わたしは何をするべきなのか?そんな問いの先にはなにもない。それが人間が生きるすべてだからだ。のんべんだらりと、ただ周囲の雰囲気をコピーするだけのような人生でない限り、人は必ず自分がなんなのか知りたがる。知ろうとして、無数のプロセスを経て、ようやくそれは答えとして手にするものではないとわかるのだ。結局のところ、わたしたちはその中を生きるしかない。生に対する問を捨てないまま人生をうろつく人間はみんな、ジャングルに潜伏し続けている兵士のような印象を醸し出している。老若男女、どんな人間だってそうなのだ。わたしはそんな人たちを見ているのが好きだ。それはきっと、わたしが日頃からすでに死んでしまったものと接し続けているせいだ。死は生を見せる。生は死を見せる。そしてわたしたちの選択はいつだって、そのどちらかでしかない。生、というものが含む意味合いを大まかにとらえれば、だけど。


朝目を覚まし、今日は一日静かにしていようと決めた。瞑想も寝る前に少しだけにしておこう。思考の中だけでどんどん生きてしまうと、そのうち無人島で仙人暮らしをするくらいしかやることはなくなってしまう。お寺は来月まで訪ねないでおこう。その間に起きた変化を持って、住職さんに教えを乞う方が有意義な気がする。テレビをつけて、ワイドショーを見ながら朝食をとった。ワイドショーなんてものを見たのは久しぶりだった。登場する人たちのほとんどの顔も名前を知らなかった。でも、内容は以前に目にしたものとほとんど変わっていなかった。なぜそれを話題にする必要があるのかという議題について、たくさんの大人が思慮深そうな態度で語り合っていた。そしてそれはきっと、当人にとっても周辺の第三者にとっても、そしてこうして画面の向こうで眺めているわたしたちにとっても、なんの解決にもなりはしないのだ。結論も出ないままCMが挟まれ、車のワックスとか台所洗剤とかが大袈裟にアピールされる。終わりがない。中心のない渦に巻き込まれて、半径の変わらない円の中をぐるぐると回り続けているみたいに。わたしはテレビを消してFMをつけた。ラジオって平和だよな、と思う。ミュージシャンが新しいアルバムの宣伝にやって来て、自分の好きな音楽について話している。わたしは安心してコーヒーを飲み干した。

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