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その夜、わたしはいつもより少し気合を入れて瞑想に臨んだ。折角なので覚えたばかりの座禅のスタイルを使用した。あの時わたしの身体を包んだ奇妙な感覚が、あの場所によるものなのかわたし自身によるものなのか確かめたいというのもあった。座り、一番いいおさまりを探し、目を閉じる―感覚はすぐに戻ってきた。アップデートか。一度に大量のアップデートをすると、身体になにかしらの負荷がかかるだろうか?それを自分で確かめることは出来るのだろうか?自分の身体のことだ。しかし、これはまったくの未知の領域なのだ。不安はなくはなかった。でもわたしは、なぜか出来るだろうという気がしていた。あの時もそうだった。最初は狼狽えたけれど、次第にその先を見たいという好奇心のようなものに変わり、これが欲しい、という願望に変わった。身体がそれを求めるのなら、それは正解だということだ。これは身勝手な理屈ではない。経験によって得た感触だ。禅を教えてもらったからといって、すべてを禅に寄せる必要はない。我欲の為に禅を利用する―まあ、覚醒への欲求をそういう風に呼ぶのはどうなのか、という気もするけれど。
思うにわたしは、自分で考えているよりもずっと、あの墓地跡での経験がトラウマになっていたようだ。真っ先に、そして根強く居残ったのは無力感だった。救いを求める魂たちが自分の中でただ消え失せていくのを感じ続けた。そのことに対する無力感だ。裏を返せばそれは、自分が魂にたいして絶対的な力を持っているのだという思い込みが、驕りがあったということの証だ。住職さんは一切それを咎めることなく、静かにわたしに知らせてくれたのだ。わたしは楽になったけれど、忘れてはならない。忘れてしまえばまた同じことになる。人生とは経験だと言う。でもそれは違う。経験したことを次に生かせるかどうか、次に生かすための学びを得ることが出来るのかどうか、それが重要なことなのだ。
途端、わたしは自分の身体の体積を失くした。わたしと世界はわたしという存在の輪郭だけを残して一体化し、わたしは自分が生体なのかどうかもわからなくなった。そんな感覚は初めてのことだった。わたしにとって瞑想とは、あくまで精神集中の為のものであり、こんな超感覚を求めていたわけではなかったのだ。でもいまは、これが必要だと、これが欲しいと強く求めていた。わたしはよりその世界の中に深く潜ろうとした。その時―
今回はそのくらいにしときなさいな。
住職さんの声がどこかから聞こえた。わたしははっと目を閉じ、周囲の違和感に気付いた。なんだ?…カーテンの隙間から朝陽が入り込んでいる。嘘でしょう?わたしは窓に飛びついてカーテンを引き開けた。嘘ではなかった。どこからどう眺めても完全な朝だった。わたしは一晩中瞑想していたのだ。あのまま続けていたらいつまでやっていたことか。今日の仕事をすっぽかしてしまっていたかもしれない。茫然と窓の外を見ながら、怖いな、瞑想。とわたしは呟いた。なにが怖いって、わたしは言ってみれば完徹した状態なのだ。なのにその疲れは微塵もなかった。たっぷりと睡眠をとったみたいに、気力は漲り、頭は冴えていた。脚の痺れすらなかった。うーん、と色々考えこんでいるうちに数分が経過した。いかん、仕事の支度をしなくちゃ。




