第八話 タロ
ぼくはタロ。
気がついた時にはおばあちゃんとおじいちゃん、そして可愛いみずきちゃんと暮らすことになっていた。
おばあちゃんは優しくて、おじいちゃんも優しくて、みずきちゃんも優しくて、ぼくはしあわせだった。
そんな時、おじいちゃんが死んじゃった。おばあちゃんも、瑞希ちゃんも、泣いていた。
ぼくは二人のそばに行って「だいじょうぶ。ぼくがついてるよ」って言った。
悲しいけどぼくがちゃんとしないとね。
しばらくおばあちゃんと、みずきちゃんと、暮らした。
三人で散歩をした。ピクニックに行った。ねこを追いかけた。みずきちゃんをいじめる男の子をやっつけた。みずきちゃんのお弁当のおかずをつまみ食いした時はおばあちゃんが死ぬほど怖かったけど、ぼくは楽しかった。
そうしてしばらくして、今度はおばあちゃんが死んじゃった。みずきちゃんは泣いていた。
ぼくはみずきちゃんのひざにあごを乗せてはなを鳴らして「だいじょうぶ。ぼくがついてるよ」って言った。みずきちゃんはぼくを抱きしめて泣いた。
悲しいことはいっしょに乗りこえられるよ。
しばらくして男の人がみずきちゃんの腕をグイグイ引っ張って連れて行った。
どこに行くの?ぼくも行かなきゃ!みずきちゃんのいる所にぼくあり。だからね。
みずきちゃんは鉄の乗り物の中から泣きながらぼくを見ていた。
お腹すいたな。もう三日もみずきちゃんに会えてないよ。どこに行ったんだろう。
そう思っていたら、この間みずきちゃんを連れて行った男の人が来た。
「来い。瑞希がいるぞ」
行く!ぼくは鉄の乗り物に飛び乗った。
しばらく走って、木が沢山生えてる所に鉄の乗り物は止まった。
ぼくは鉄の乗り物のひどいガタガタで吐きそうだったけどずっとがまんした。
男の人は鉄の乗り物のドアを開けると、ぼくの首輪をつかんでひっぱり出した。
そんなことしなくったって降りるって。みずきちゃんのいる所にぼくあり。だからね。
男の人は僕を鉄の乗り物からはなれた所に連れてくと首輪を外してヒモで木につないだ。
男の人はだまってどこかに行っちゃった。
あれ?みずきちゃんは?
鉄の乗り物の匂いが遠くに行っちゃった。
ぼくはあちこち匂いをかいで回った。
おかしいな。みずきちゃんの匂いがちっともしない。行かなきゃ。みずきちゃんが待ってる。
ぼくは走り出そうとしてビヨンと引き戻された。
ヒモがじゃまだな。苦しいし。
ぼくはヒモをガブガブ噛んでちぎれるまで噛んだ。
晴れて自由の身になったぼくはあちこち匂いをかいで、乗ってきた鉄の乗り物の匂いを探した。
うん。こっちかな。
ぼくは勢いよく駆け出した。
木の多い所を抜けると、広い田んぼに出て、高い建物のならんだ所に出た。
そこでぼくはもう一度匂いをかいで回った。
おかしいな鉄の乗り物のにおいがあちこちに行ってる。どこに行ったんだろう。
ぼくは匂いをたどるのを止めて、家のある方向目指して走った。
おばあちゃんと、みずきちゃんと、よく日向ぼっこした、えんがわのある家へ。
お腹がすいたけどがまんした。早くみずきちゃんの所に行きたいからね。
しばらく走ると人がいっぱいいる所に出た。
どこを見ても人、人、人。色んな匂いにクラクラする。
走るぼくを沢山の人がびっくりした顔で見てる。
人の足の間をいっしょうけんめい走った。
おなか空いたな。つかれたな。
ぼくはとぼとぼ、下を向いて歩いた。
その時、犬の匂いがした。
顔を上げると大きな大きな犬がぼくを見てうなっていた。
負けてられるか。ぼくは家に帰るんだ。
よだれを垂らした大きな犬とケンカした。
はげしく噛み合って、けって、突撃した。
結果、ぼくは勝った。
大きな犬はキャンキャン吠えながら走っていった。
ぼくは噛まれた後ろ足を引きずりながら、また走り出した。
早くみずきちゃんの所に行かなくちゃ。みずきちゃんのいる所にぼくあり。だからね。
雨がふった。
ぼくはびしょ濡れになりながらとぼとぼ歩いた。
寒い、いたい、おなか空いた。
とちゅうでゴミがいっぱい捨ててある箱を見つけて、ねこを追い払ってつまみ食いしたけど、あんまりおいしくなかった。
鉄の乗り物が走ってきてぼくにいっぱい水をかけて行った。
ぼくはみずきちゃんの言う通りちゃんと白い線の内側を歩いてるのになんてやつだ。
もうみずきちゃんと何日会えていないんだろ。
みずきちゃんきっと一人で泣いてるよ。
だってあんなにおばあちゃんが大好きだったもん。
えんがわでよく、三人でならんで歌を歌った。
おばあちゃんは優しい声で、みずきちゃんはとってもきれいな声で、ぼくはとってもかっこいい声で歌って楽しかったな。
みずきちゃんはよく、ぼくをブラシでこすってくれて、気持ちよかったな。
そこそこ。もっとやって。ってぼくはよく床をズリズリした。
おばあちゃんとみずきちゃんはよく抱っこし合っていたな。
動く箱の中にいたみずきちゃんがおしえてくれた「こあら」って生き物みたいに。
ぼくが側に行くといっしょにはさんでくれて三人で「さんどいっち」みたいになっていたな。
「さんどいっち」のハムをつまみ食いしておばあちゃんに怒られたな。怖かった。
ハム……食べたいな。
ピクニックの時みずきちゃんがよくちょこっと分けてくれてたな。
おいしかったな。
ぼくはとぼとぼ歩き続けた。
何日歩いただろう。みずきちゃん、会いたいよ。
ぼくはフラフラしながら歩き続けていた。
おなかはもう鳴りもしない。足はズキズキ痛かった。
ああ、みずきちゃんはどうしてるんだろう。
泣いてないかな。さびしくないかな。おなか空かせていないかな……。
眠いけどがまんした。
だって、みずきちゃんが待っているのだもの。みずきちゃんのいる所にぼくあり。だからね。
みずきちゃんの顔を思い出す。
大きなおめめに、長いまつ毛。不思議な色の目はきれいでよくのぞきこんでいた。
きれいな黒いかみの毛は毛先がふんわりしてて、サラサラで、いつもいい匂いがしてた。ぼくが頭に顔を突っ込んで匂いをかいでると、「くすぐったいよ」っていいながら笑ってたな。
みずきちゃんは優しいきれいな声で、いつもぼくの頭を撫でながら、色んなことをお話ししてくれてたな。
道端のお花がきれいだったこと、「がっこう」のともだちのこと、「てすと」が満点だったこと……。
みずきちゃんの笑顔はいつも満点だったな。
そんなことを考えていて、気がついたらぼくは地面に横たわっていた。
人が住んでる家がいっぱいある所で、ぼくは横たわっていた。
ああ、みずきちゃん、みずきちゃん、みずきちゃん。会いたいよ。動けないよ。
ごめんね。ちょっと休んだらすぐ行くからね。だってみずきちゃんのいる所にぼくあり。だからね。
そう思ってぼくはちょっと寝ることにした。
ーー
「タロおじいちゃん!みずきちゃんはその後どうなったの?」
このまごはみずきちゃんの話をよく聞きたがった。
「わからないよ」
ぼくは思い出して少し悲しくなった。
ぼくを助けてくれた人はいい人だけど、ぼくをなかなか自由の身にさせてくれなかった。
ぼくはもう動けない。もうすぐ命が終わるのが分かる。
みずきちゃんのことだけが心のこりだった。
その時、懐かしい匂いがした。ぼくは頭を持ち上げた。
門の前を真っ黒なかっこうの人が通り過ぎて行った。
「あの人からみずきちゃんの匂いがする!」
ぼくは思わずつぶやいた。
「じゃあぼくがみずきちゃんのこと聞いてきてあげる!」
まごはそういうとまどをカリカリ引っかいて、少し間を開けると、もみくちゃになりながら外に出た。
ぼくには通れない門のすきまをくぐり抜けて走って行く。
「たのんだよ」
ぼくはそっとつぶやいた。