第四十二話 五百年前の人魚
瑞希の淹れた紅茶をおっかなびっくり飲むアリアに仁が英語で質問を重ね、事情聴取が始まった。
二人の英語が早口でアプリでも追いきれなくなった瑞希は、仁の隣に腰掛けてアリアの紅茶がなくなる度に淹れてあげた。
最初おっかなびっくり飲んでいたアリアは途中から目を輝かせてグビグビ飲み始めた。
お腹チャポチャポにならないかな。
瑞希は少し不安になった。
「瑞希ちゃん。この子とってもお腹すかせてるみたいだ。
何か食べられるものを買ってきてあげてくれないかな?」
と仁にお札を渡された。瑞希は急いでコンビニにのたのたと走った。
焼きそばパンとおにぎりを幾つかとサンドイッチ、デザートにプリンを買って戻ると仁とアリアはまだ話しをしていた。
瑞希はお皿を出して洗うと、パンや、おにぎりなどの封を切って並べてアリアに差し出した。
仁が一言アリアに何かを言う。アリアは嬉しそうに目を輝かせて胸の前で手を組むと、サンドイッチに手をのばして頬張り始めた。
「おいしい!」
アリアはサンドイッチなどにぱくついた。
仁が一言、言葉を投げかけるとサンドイッチから目を上げずにアリアは頷いた。
気もそぞろという感じだ。
「アリアが食べてる内に君に説明しとこうと思ってね」
仁が瑞希に向き直った。瑞希は居住まいを正した。
「アリアは生まれた時からずっと海に住んでた人魚らしい。
お母さんが人魚で、お父さんは人間。
お母さんは貴族のお父さんに召し上げられて、酷い扱いを受けていたそうだ。
それで人魚の掟を親から教えられて、アリアが生まれる前に海に逃げたらしい」
仁はチラリとアリアを見た。アリアは気づかずサンドイッチに夢中だ。
「アリアは十八歳。人間に憧れてよく陸に見に行ったり、海で船を見に行っていたりしてたそうだ。
それで、アリアと、アリアのお母さんの話を統合してざっと計算したところ、アリアが生きていたのはどうやら大航海時代。
今からおおよそ五百年前のイギリスだ」
「ご、五百!?」
瑞希は思わず声がひっくり返った。アリアがチラリと目を上げたが、直ぐにおにぎりにとりかかって視線を戻した。
仁は一つ頷くと説明を続けた。
「話を聴くとアリアはある日溺れた人間を助けて、陸まで連れていったらしい。
その人間は意識を取り戻すと、アリアにお礼をしたいからまた一週間後に来てくれと言った」
瑞希はふと、嫌な予感がした。
「一週間後、約束した日にアリアが行くと沢山の人間に囲まれたそうだ。
その後、突如首に何か当たったと思ったら意識が途切れたらしい」
そこで仁は声を落として瑞希にだけ聞こえるように
「おそらくそこでアリアは首を落とされたんだろう」
瑞希はパッとアリアを見た。瑞希の胸は痛ましさでいっぱいだった。
「その後、心臓だけ残しておそらく剥製にされた。君の話を合わせると何か特殊な薬液にでも浸けたのかもしれない。
アリアは意識を失っててもずっと苦しい、痛いという感覚があったらしい。
瑞希ちゃん。アリアはおそらくその人間達の非道な扱いに気付いてる。
それでも人間が好きらしい」
瑞希は焼きそばパンを大きく頬張るアリアを見つめた。ふと、目が上がる。深い緑色の瞳と視線がぶつかった。
アリアはにこっと瑞希に笑いかけた。英語で何かを話す。
「この美味しいものは君が作ったのかって訊いてる」
瑞希は首を振った。仁が英語で説明をする。
「フーン?…………」
アリアは興味深そうに頷くと英語で仁に訊いた。
アリアは目を見開いた。早口の英語で質問を重ねる。仁が答えた。
するとアリアは何事か叫んでガバリと立ち上がった。ふらついて、テーブル越しに仁に支えられる。
「どうしたんですか?」
瑞希が訊くと、仁はアリアを座らせてチラリと瑞希を見た。
「他の人魚はいないのか、どうしているのか、ここはどこで、今は何年なのかを訊いてきた」
瑞希はアリアの心境を思って胸を痛めた。
いきなり五百年も経っていて、自分達以外の人魚がほとんど絶滅しているなんて信じ難くても仕方がない。
アリアは呆然としている。
瑞希はテーブルを回り込んでアリアの手に手を重ねた。アリアは瑞希を見上げた。
しばらく瑞希とアリアはそのまま見つめ合った。
仁が紅茶を飲み干して立ち上がった。
「さ、てと。アリアの処遇については支部長の指示待ちだね。
俺も流石にそろそろ現場を見に行かなきゃだし。
アリア、……」
仁がアリアに英語で話しかけた。アリアは首を傾げて瑞希を指した。何かを話す。ミズキと名前を呼ばれたことだけ分かった。
「アリアに今日の所はここに泊まるように言ったんだ。
そしたら瑞希ちゃんも一緒がいいってさ。
どうする?」
「はい。大丈夫です。泊まります」
瑞希は頷いた。
どうせ支部襲撃班のことが気になって帰るに帰れない所だったのだ。
仁がそれを伝えるとアリアはパッと顔を輝かせた。瑞希の手を取って上下に振る。
瑞希もアリアに微笑んだ。
当直室にて一緒にベッドに入ってアリアが瑞希の肩をちょんと突ついた。
「ねぇミズキ?わたしあなたとともだちになりたいわ」
瑞希が振り向くとぽちんとそう言った。瑞希はにっこり笑って頷いた。
「はい。よろしくおねがいします」
瑞希がたどたどしい英語で返事をすると、安心したかのようにアリアは眠りに落ちた。
瑞希はアリアの寝顔を見ながらその思いに心を馳せ、眠りに落ちた。
ふ、と誰かに頭を撫でられる感覚で目を覚ました。
「起こしたか」
雅がベッドの脇の椅子に座っていた。瑞希は急いで体を起こし、雅に抱きついた。
「無事に帰って来てくれてよかった……」
瑞希の声が掠れた。雅も瑞希を抱き返した。
「どうなりましたか?」
瑞希の目に心配の色が浮かぶ。雅は頷いた。
「襲撃は成功した。支部長も捕らえた。
だが……」
そこで雅は言い淀んだ。瑞希は続きを待った。
「結果として支部長は尋問の段階で死んだ」
瑞希は息を飲んだ。
「バックカーディナルは支部長クラスに小細工をしていた。
酷い最後だった。
詳しい話が後日あるはずだ」
雅からは血の匂いがした。
「雅……怪我を……?」
瑞希は雅の腕の中で顔を上げた。
「ほとんど返り血だ」
ほとんどという事は少しは怪我をしたと言うことだ。
「どこですか?」
瑞希は雅がどこを怪我したか探ろうとした。雅は瑞希を捕まえてそれを止めた。
「治った。かすり傷だ」
雅のかすり傷はかすり傷では済まないはずだ。
瑞希は頬を膨らませた。雅がちょっと怯む。
「人魚を見つけたと聞いた」
雅は話を逸らした。瑞希はそこでアリアのことを思い出した。アリアは二人のやり取りにも気付かずすやすやと寝息を立てている。
「五百年前の時代を生きてた人魚さんです。
アリアって名前でとっても明るくて……」
そこまで言って瑞希は口籠もった。
「悲しみの匂いがする」
雅が瑞希の心境を言い当てた。瑞希は頷いた。
人間が好きで、陸と人間に憧れて、人間の欲望のために五百年もの間、剥製にされていたアリアの事を思うと堪らなく悲しかった。
アリアは心に傷を負っているのではないか。それでも明るく振る舞っているのではないか。
瑞希はそれが心配だった。
その時、アリアがパチリと目を開けた。目を擦りながら体を起こし、瑞希達を見上げる。
「ミズキ、そのひとはだぁれ?」
「このひとはおおがみみやび。わたしのこいびとです」
瑞希はたどたどしく、ちょっと照れながら説明した。
「ワオ!……!!」
アリアは英語で何事か声を上げて、両手を胸の前で組んで目を輝かせた。「素敵!」みたいなニュアンスだった。
間も無くドアがノックされて海が入ってきた。
「やぁ、おはよう……って言うにはちょっと遅い時間だけどね。
二人とも起きたんだ。叶芽さんから聞いたよ」
瑞希はそう言われて時計を見た。
午後の十二時近い。そんなに深く寝ていたのかと驚いた。
海は英語で自己紹介してアリアの前に屈み込んで目を合わせた。アリアは不思議そうな表情で海を見つめた。
幾つか質問を互いに交わしてしばし二人が見つめ合う。
アリアはコクリと頷いた。海は優しい表情でアリアに話しかけた後、立ち上がった。
「叶芽さんからの提案だったんだけど、この子の面倒はしばらく僕が見るよ。
異性ではあるけど、僕が心のケアに適任なんじゃないかって」
「そうですか……」
海は瑞希に向き直ると説明した。瑞希は少し心内で安堵した。
会話に不自由しないで、声で心の調子が分かる、同じ人魚である海なら少し、安心できる。
「でもこの子、アリアは君の事を友達だって言ってる。
だから時々会いに来て、話し相手になってあげてくれるとありがたいな」
そう言って海はにっこりと微笑んだ。
瑞希も微笑んで頷いた。
三日後、瑞希は叶芽に呼び出された。
「あなた方は大きな収穫を得ましたね……。生きている人魚とは……」
叶芽は手に持つ書類から目を上げて瑞希を見つめた。
「あなたのことです。彼女に感情移入しているのでしょう?」
瑞希は少し俯いて頷いた。ここ三日瑞希も仕事で忙しくしていて会いに行けていない。
アリアは大丈夫だろうか。
「そこがあなたのいい所でもありますが少々感情移入し過ぎてしまいがちです。お気を付けなさい。
海は以前、サポート課にいた頃から心のケアをしてきました。彼女のケアには最適です。だから安心してお任せなさい」
叶芽は少し目元を和らげてそう言った。
「コレクターの方も、今回は記憶を塗り替えて、邸宅の秘密部屋を潰しただけでお返ししました。
……さて、本題はここからです」
瑞希は居住まいをただした。叶芽は別の書類を取り上げると説明を始めた。
「雅が話してしまったでしょうけど、襲撃は成功。こちらの被害も殆どなく済みました。対して収穫の方は大失敗に終わりました」
叶芽はスラリと長い脚を組んだ。
「報告書にも上げますが支部長を尋問して本部の場所を聞き出そうとすると、彼は内部から体を木に食い破られました」
瑞希は息を呑んだ。
「キーワードとなる言葉を発するか、情報を得るための働きかけに作用するのかは分かりませんでしたが、それを仕掛けられた者の記憶消去、あるいは記憶を吸い上げて発動する能力か何かのようでした。
先に他人から消す魔法をかけていたため事なきを得ましたが、危なかった。
木には他にも生えた場所を発信する仕掛けがありましたから」
叶芽は書類に目を落としながら説明を続ける。
「これはまぁ、我々のサイコメトリーの能力者から得た情報ですがね。
こちらにも居場所をごまかし、悪意あるものを近づけない仕掛けはありますがどう作用するか分からない。
生えた木は一部を残して処分し、魔法研究課へ回しました。
結果バックカーディナルの全貌は闇に包まれたまま」
叶芽は持っていた書類を放り出した。
「……と、言うのが今回の事の経緯です。
以上、サポート課で唯一知らなかったあなたへの報告でした。
偉そうな事を言っておいて大した収穫が上げられず申し訳ありません」
瑞希は首を振った。皆んなが無事に帰ってきた。それだけで充分だった。
「引き続きバックカーディナルへの警戒と情報の収集を続けていく予定です。
またいずれサポート課には動いてもらうでしょう。
それまでにあなたにも色々と経験を積んでいただきます」
叶芽の言葉に瑞希はしっかりと頷いた。




