第四話 世界征服
細かい話を少し詰めて、瑞希は寮の一部屋に住んでネクストドアネイバースに勤めることになった。
学校にはもう懲りていた。
「まあ、その他の細かい説明は追々……と言うことで、何かご質問は?」
叶芽に問われて瑞希は疑問が多すぎて逆に出てこなかった。少し考えて一番初めに思いついた質問をする。
「魔女ってなんですか?」
叶芽は頷くと口を開いた。
「異世界から来た金髪碧眼の魔法使いの一族です。世界各地に散らばって隣人を売り捌いています」
「どうしてそんなことを……」
「世界征服のためだ」
叶芽の説明に瑞希が呟くと雅が答えた。瑞希は耳を疑った。
なんて幼稚な……。
叶芽は今度はメガネに手をかけて雅を睨んだ。雅がビクッと身をすくめた。尻尾を巻いた犬のようだ。
「世界征服をして何をしようとしているんですか?」
叶芽は少し困った顔をした。
「今はまだ、お話できません。まあ、それについてはまた追々ということで……」
叶芽はそこでスラリとした長い脚を組んだ。
「では次の質問をどうぞ」
少し流された気もするが瑞希は次の質問を考えた。
「人魚って他にもいるんですか?ネクストドアネイバースにも……。そもそも人魚って何ですか?」
瑞希は少しドキドキしながら訊いた。
もしいるのなら会ってみたい。
「人魚の一族は数々あります。一族によって能力も様々です。
魚と話せる人魚、零した涙が真珠になる人魚、歌で人を操れる人魚、天候を操る人魚などなど……。
以前はここにも一人、人魚がいたことがありますが、配偶者を亡くした悲しみから今現在に至るまで姿を晦ましたままです。」
瑞希は目を瞬かせた。そして配偶者を亡くした人魚に想いを馳せた。
一体どれほど苦しかったことだろう。悲しかったことだろう。
「人魚の共通点は不死です。人魚の姿を取っている限り、死ぬことはありません。どんな怪我でも一瞬で治ります。
しかし完全ではない。人の姿をとっている時は普通に死にます。
人の姿の時に事故に遭って命を落とした人魚は数々います。
また、人魚として覚醒すると歳を取りません。成長はしますが、老いることはないのです。そうですね……おおよそ十八から二十くらいの姿で留まります。
まぁそれでもしばらく人魚の姿を取らなければ自然と老いがやってくるらしいですが」
叶芽が脚を組み替える。
「人魚の姿の時でも命を落とす場合が一つだけあります。人魚は心臓を取り出されると死にます」
叶芽の言葉に瑞希はごくりと唾を飲み込んだ。
「人魚の血肉が不老不死の薬になるって本当ですか?」
魔女の言っていたことを思い出して訊いてみる。
叶芽は頷いた。
「半分と言ったところでしょうか。
不老は完全なものでなく、摂取すると老いにくくなり、寿命が伸びるくらいです。
ただ、人魚の心臓を食した者は呪われると同時に若がえりさえも可能にし、強靭な肉体を手に入れます。一例を挙げれば首を切り離しても生きているとか。
そのため人魚は現在絶滅寸前にまで追いやられました」
そこで叶芽は瑞希に優しい視線を投げかけた。
「人魚の血肉は人の命を延ばします。たとえ死の淵にあろうとも引き戻す力のある霊薬の一種です。
悪しきことに用いるために手に入れようとする者は多い。
しかし、自分で選択すれば大切な人の命を繋ぐことができると言うことでもあります」
瑞希はハッとした。
「大切な人を亡くしたあなたにもこれからできるかもしれない。
そんな人を救う手立てがあなたにはあると言うことを頭の片隅にでも置いていてください」
叶芽は優しく微笑んだ。
「家に……ものを取りに戻ることはやはり難しいのでしょうか」
他にも幾つもの質問をした後、瑞希がぽつりと呟くように訊いた。
生前の祖母が大事に肌身離さず着けていた小さなペンダント。そのロケットだけでも持ち出したかった。
金目のものはほとんど取り上げられてしまったがこれだけは死守していた。部屋のチェストの引き出しの天板に貼り付けて隠してある。
「それは……」
叶芽が言葉に詰まった。
「いえ、いいんです。言ってみただけです。危険ですし、そんなに大したものはないですから」
瑞希は慌てて手と首を振って付け加えた。
「何か大切なものがあるんじゃないですか?」
叶芽が問う。瑞希は笑顔を取り繕った。
「本当に大丈夫です。ご心配かけちゃってすいません」
叶芽はしばらく瑞希を見つめたが一息ついて立ち上がった。
「そうですか。ではここで働き始める前にあなたには休養期間が必要です。
そこで、その間の連絡手段としてはしばらく会社の携帯端末をお使いください。戸籍その他諸々の手続きが済みましたら個人の契約をしに行きましょう。
では端末を取ってきますので少々お待ちください。雅、あなたは着いてきなさい」
そう言って叶芽は雅を連れて出て行った。一人残された瑞希はすっかり冷めてしまった紅茶に手をつけることにした。高級そうなカップを割らないようにそっと手に取り、口をつける。
うん。紅茶の違いはよく分からないけど美味しい……と思う。
紅茶を飲みながら今聞いた話を思い返す。
日銭を稼ぐのに精一杯だったのになんだか壮大な世界に飛び込んじゃったな……。
そんなことをぼーっと考えていたら叶芽が雅を連れて帰ってきた。
「お待たせしました。携帯端末を操作したことは?」
叶芽の問いに瑞希は首を振った。
小一時間かけて使い方を習った後、ふと思い出した疑問を口にする。
「そう言えば雅さんはなんの犬の隣人なんですか?」
あんな犬は見たことない。そもそも隣人には犬種があるのだろうか。興味が尽きない。
瑞希の問いを聞いて叶芽が吹き出し、雅の眉がみるみる下がった。
「狼だ」
雅の悲しそうな顔を見て瑞希は自分が大変な失礼をしたことに気付いた。
寮に帰ると瑞希は着替えもせずにベッドで寝落ちてしまった。眩しい昼の光で目が覚める。
結局、叶芽は瑞希に一ヶ月の休養期間を与えたが、休養って言ったって寝るくらいしかすることがない。
叶芽はもっと長期間休むようにしようとしたが、いままで常に動き通しだった瑞希はすることがないと落ち着かなかないのでお願いし倒した。
とりあえずシャワーを浴びよう。
そう決めて昨日叶芽に渡された追加の着替えを持って脱衣所へ向かった。
浴室でシャワーを浴びて髪と体を丁寧に洗う。その過程で脚を見て、撫でた。
この脚が魔法のように尾鰭に変わったのはもう遠い出来事のように感じる。まだ一日しか経っていないことが信じ難い。
一通り流し終えると体を拭いて下着をつけてドライヤーで髪を乾かした。今まで使っていた中古のドライヤーとは大違いの風量にちょっと圧倒される。
着替えて部屋へ戻るとベッドサイドに置いていた携帯端末が光っていた。
そういえば起きてから一度も見ていなかった。
『着信あり』と出ている。どうやって見るのだったかあれこれ触っていると、ブーブーと携帯端末が振動しだして瑞希は飛び上がった。
「は、はい。もしもし」
わたわたしながら何とか出ることが出来た。
『起きたか』
雅の声が聞こえてきた。
『叶芽に黙って寮の外に出て来れるか』
「はい?」
瑞希は思わず聞き返してしまった。
『支度が出来たら出てきてくれ。外で待っている』
「あっ!ちょっと……」
雅は一方的にそう告げて切ってしまった。瑞希は少し考えた。
出てはいけないとは言われていない。だが叶芽に黙ってという所が引っかかる。
しかしこのまま雅をこの寒空の下で待たせる訳にもいかない。
瑞希は着替えてこれまた叶芽の用意したダッフルコートを羽織ると部屋を出た。
寮を出てすぐの所で雅が待っていた。コートも着てサングラスもして今日も真っ黒。
「どうしたんですか?」
瑞希がのたのたと駆け寄ると雅はひとつ頷いた。
「こっちだ」
雅はスタスタと歩いて行くと門の脇で足を止めて瑞希を待った。
どういうつもりなんだろう。
瑞希が追いつくと雅は門の脇にある扉に暗証番号らしきものを打ち込んで社員証を翳した。
ピーッと音が鳴って扉が開く。雅はそのまま扉を潜って行ってしまった。
どうしよう。どこかへ行くつもりなんだろうか。
扉は開いたまま瑞希を待っている。
本当に叶芽に言わなくて大丈夫なんだろうか。
そんなことを考えてぐずぐずしていると雅が戻ってきた。そしてヒョイと瑞希を抱え上げてしまった。お姫様抱っこで。
「ちょっ……ちょっと待ってください!何をするのかちゃんと説明を……」
じたばたする瑞希を他所に雅は扉を潜って足で蹴って閉めた。扉の先の光景に瑞希は呆気に取られた。どこかの地下の駐車場だ。広い。
「どこでも○ア〜」
瑞希の頭の中に幼い頃見ていたアニメの青い猫型ロボットの声が再生された。
雅は瑞希を下ろすと駐車場の車用出入口に向かって歩いて行った。瑞希はのたのたと追いかけた。
「ここはどこですか?」
出入口から明るい日の光の下へ出て、やっと雅に追いついた。雅は無言のままスッと上を指した。瑞希は唖然とした。ネクストドアネイバースだった。
「行くぞ」
雅は短く声をかけるとスタスタと歩き始めた。瑞希は少し迷って追いかけた。瑞希が着いて来ると分かると、雅は少し歩調を緩めて瑞希に合わせてくれた。
「どこに行くんですか?」
雅は答えない。瑞希は困った。
しばらく、かなりの距離を歩いて高層ビル街を抜けて繁華街まで来た頃、雅はやっと足を止めた。瑞希の目の前ににゅっと何かを突き出してベンチを指した。
「まだ何も食べていないはずだ」
見ると雅が持っていたのはコンビニパンだった。瑞希のお腹がクゥと鳴った。瑞希は礼を言ってパンを受け取ると、ベンチに腰掛け、封を開けて齧り始めた。
美味しい。
「大切なものがあるんだろ。取りに行く」
雅が瑞希の隣に腰掛けてボソリと言った。
どうして……
瑞希はパンを取り落とした。雅が空中でキャッチして再び持たせる。
雅は前に向き直るとボソボソと話し始めた。
「俺は鼻がいい。ひとの感情、簡単な考えがわかるくらいに。嘘くらい見抜ける」
気がつけばこの辺りの道に瑞希は見覚えがあった。雅とぶつかった道、バイト先の居酒屋から家への帰り道だった。
「大切なもの……あります」
瑞希は白状した。
「でも!そんな危険を冒してまで」
「隠すな。本当はそうしてまで取りに行きたいと思っている」
雅は瑞希の言葉を遮ると言い切った。瑞希をじっと見つめる。
「俺はお前の味方だ。お前の大切なものは俺の大切なものでもある。俺がお前を守る。いざという時の手も、打ってある」
どうしてこの人はここまでしてくれるのだろう。
瑞希は潤んだ目で雅を見つめ返した。
「こっちです」
雅はベンチから先は瑞希に案内をさせた。
「港で着いて来た言ってましたよね?」
雅はフイっと顔を逸らした。
「家まで知ってるんじゃないんですか?」
目が合わない。こういう所がやっぱり犬っぽい。
「覚えてますよ」
「少しだけだ」
瑞希が追い討ちを掛けると雅はそっぽを向いたままボソリと白状した。
「流石に家までつけるのは気が引けて引き返した。
引き返してしばらくしてお前の匂いが強くなった。姿は見えないのに。恐怖の匂いを纏っていた。だから追いかけた」
雅はチラリと瑞希を見た。眉毛が下がり切っている。
目が合うと慌てて逸らした。
「気持ち悪いだろ」
またチラリと見る。
「雅さんはどうしてそこまでしてくれるんですか?」
瑞希はそんな雅が可笑しくて内心笑いそうになるのを堪えながら訊いた。
「雅でいい」
雅はそう言ったっきり答えなかった。
「ここか」
アパートの前まで来ると瑞希が言うより先に雅が気付いた。
今度は先に立って部屋まで迷いなく進んでいく。
本当に鼻がいいんだなぁ……。
都会のこの地では苦労が多いのではないだろうかと瑞希は思った。
部屋の前まで来ると雅はサングラスを外して仕舞い、細い棒を取り出した。一本は真っ直ぐでもう一本は鍵状に折れている。
雅はドアの前で屈み込むと棒を鍵穴に差し込んだ。
「それは何ですか?」
「ピッキングツール」
これが噂の……。
「こうゆうことよくするんですか?」
「必要とあらば」
カチリと音がして鍵が開いた。
そう言えば伯父はいないのだろうか。
「お前の伯父の匂いはどこかへ出かけている」
土を落として土足のまま上がり、自室を開けて瑞希は愕然とした。
「……!無い……!!」
ロケットを貼り付けていたチェストが、ベッドが無くなっていた。元からそんなに多くはないが部屋全体に物が無くなっていた。
「捨てに行ったな」
雅が歯を剥き出した。
どうしよう。
「どんな物を探している」
「ふ、服とか入ったチェストにおばあちゃんのロケットが……」
瑞希の声に動揺が現れていた。
雅は瑞希の手を引いて部屋を出るとすん、と匂いを嗅いだ。
「こっちだ」
そう言って瑞希を抱き上げる。
「だいぶ薄くなっている。急ぐぞ」
と言って長い脚でヒョイヒョイと桟や雨樋に足をかけて屋根に上がると助走をつけて走り出した。
「ちょっと待ってどこから行くつも……!!」
瑞希は声にならない悲鳴を上げた。