第二十九話 雅の封印
※雅がネクストドアネイバースに所属していた年数を修正し忘れてました!
七月十三日修正済みです!
九月。夏の名残の暑い日の中にも秋の風を感じるようになってきた日のこと。
「雅!!!」
叶芽の声と共にバーーーーーンッとサポート課の入り口が開けられて、皆んなの注目が集まった。
「ふふふふふふふふふふふふふふふふ」
叶芽が不気味な笑い声を漏らした。皆んなのコーヒーを淹れていた瑞希も、何事かと給湯室から顔を覗かせた。
「ついに……ついに出来ましたよ」
そう言って叶芽は金色の透き通った液体の入ったアンプルを掲げてみせた。注射針がついている。
雅がガタリと立ち上がった。
「出来たのか……!!!」
サポート課が騒ついた。
何が出来たんだろう?
「ええ。まだ試作ですが。試してみますか?」
「行く」
雅は即答した。目が輝いている。
まるでボールを取り出した時のコジローだ。
「瑞希も行きますか?」
そこで叶芽は唐突に瑞希に話しかけた。瑞希はきょとんとして自分を指した。
結局、瑞希は又吉にコーヒーを任せて着いて行くことにした。
サポート課の皆んなからはブーイングが上がった。又吉のコーヒーは不味いので有名らしい。
「瑞希は雅の本来の能力を見たことがありません」
運動場へ向かうエレベーターの中で叶芽が言った。
「本来の能力?」
瑞希は繰り返した。エレベーターがゆっくり降りていく。
雅はウズウズして待ちきれない様子だった。
狼になる以外の能力でもあるのだろうか。
「ええ、そうです。雅が毎回魔女に対して遅れを取っていると思ったことはありませんか?」
瑞希は目を見開いた。
魔女とは強者。そういうものだと思っていたが……。
チーンと音がしてドアが開き、運動場に着いた。
雅が足早にエレベーターを出る。叶芽は瑞希と共にゆっくりと出た。
「最も古い一族。魔女の天敵。
その血を濃く引く雅が魔女に遅れを取るのが不思議ではありませんか?」
「そんなこと……思ったこともありませんでした」
瑞希は素直な感想を述べた。
すると叶芽はふふんと鼻を鳴らした。
「かつて雅は我が社の特級戦力、第一位でした。
魔女の箱庭すら嗅ぎ分ける鋭い嗅覚。
どんな傷でも瞬時に塞がる強靭な肉体。
その脚は音を置き去り、何者も追いつけない。
そんな存在でした」
叶芽がコツコツとヒールを響かせて雅へ近寄った。
雅は待ちきれないと言った様子でソワソワしている。
「まて」をされている犬のようだ。
「雅は以前、封印の魔女と呼ばれる魔女と戦いました。
彼女の能力はその場の結界において我々の能力を制限するもの。
それだけに留まらず我々に触れるだけでの肉体の封印、私の石化と似たような能力を持っていました。
果てには結界ごと我々を封印しようとする強敵でした」
叶芽は雅の前を横切った。
雅の目がずっとそれを追っている。
「雅がそれを防ぎました。
封印の魔女と差し違える形で」
「どういう意味ですか?」
瑞希は思わず訊いた。叶芽は頷くと説明を続けた。
「普通、魔女の能力による魔法はその死と同時に解けます。
しかし、封印の魔女だけは自分の死と引き換えに、殺した者にかかる呪いを自身の心臓に封印していたのです」
「呪い?」
瑞希の問いに叶芽はまた一つ頷いた。
「自身の心臓に特殊な封印を重ねて出来る、封印の魔女だけが成功した、死後も自身の能力が持続する魔法です」
叶芽はコツコツと雅の周りを歩き回った。
雅の首がそれにつられてぐるぐる回る。
「それじゃあ……雅は……」
「ええ。以来、著しく能力を制限されたままなのです」
そう言って叶芽は雅へアンプルを放った。
雅が空中でアンプルをキャッチして自身の腕に刺す。
「我々は封印の魔女の遺灰を用いて研究を重ねました。
雅の封印を解くために。
この魔法薬はそのプロトタイプです」
「プロトタイプって……使っても大丈夫なんですか?」
瑞希は心配になった。
「ええ。死にはしないでしょう」
薬液を注入し終えた雅が狼に変身した。
「死にはしないって……!」
瑞希は青くなった。
「ものの例えですよ」
叶芽がくすりと笑った。
雅の背中の毛がざわり、と逆立った。全身の毛が波打ち、体が二回り程大きくなる。
雅は長く尾を引く遠吠えをした。
次の瞬間、雅の体が掻き消えた。と思ったら運動場の端へ現れる。また掻き消えて目の前に現れた。
雅が瑞希の襟首を咥えて自分の背中へ乗せた。
「待って。何する気……」
瑞希が雅にしがみついたその瞬間僅かな風に吹かれて景色が変わった。
運動場の端から端へ。エレベーター前から天井まで。一瞬で切り替わる景色に目が追いつかない。
瑞希は必死になって雅にしがみついた。
信じられない。
宙を駆けてる……!!!
どういう原理か知らないが、雅は何もない空中を駆けて移動していた。タッタタタンッと時々音がする。
少しして、スピードを落としたのか景色が流れるように変わる様子が分かった。またがった雅の背中から筋肉の収縮が伝わってくる。
初め、恐怖でしがみついていた瑞希も、慣れてくると歓声を上げた。
ものすごいスピードなのに微風に吹かれているみたいで爽快だ。
雅はまたトップスピードを上げると次々と現れる位置を変えた。
早く走れることに喜びを感じているような走り方だった。
十分程走ると雅は最初の地点に戻って瑞希を降ろした。瑞希はふらふらになりながら地に足をつけた。雅の鼻面に支えられる。
また毛が逆立って雅の姿が元の大きさに縮んだ。雅は溶けるように人へと姿を変えた。
「ダメだ。十分だ」
叶芽は唸った。
「体の方はどうですか?」
「だるい」
雅は瑞希の側でしゃがみ込んだ。
走っただけでこんなになった雅を見るのは初めてだ。
「うーん。この路線で改良の余地あり、という所ですかね」
叶芽はいつの間に持ってきたのかクリップボードに何やら書き込んだ。
「やはりいきなり解呪という訳にはいかないようですね」
瑞希は雅を見た。かなりしんどそうだ。
「副作用……ですか?」
瑞希の言葉に叶芽は頷いた。
「とりあえずの所はこんなもんですかね。いざという時の最終手段として。という使い方が妥当でしょう。
いずれ連続使用の方もテストしましょうか。
体の方で何か他に不調が出てきたら直ぐに言うように。
今日は上がりますか?」
叶芽が尋ねると雅は首を振ってスックと立ち上がった。
「やる」
「分かりました。でも念のため、出動はしないように。課長にもそう言っておきますから」
そう言って三人はエレベーターに乗り込んだ。
「そういえば、雅って何年生きてるんですか?」
瑞希は今まであまり気にしていなかったことを尋ねた。
「……六十年」
雅はちょっと間を置いて答えた。瑞希は目を見張った。
「そんなに……。ずっと日本にいたんですか?」
「海外に出てた時もある」
瑞希は意外に思った。
なんとなくもう今の雅のイメージで固定観念ができてしまっているからだろうか。
「英語も話せるんですか?」
「少しな」
雅はなんでもないように答えた。
「いいなぁ。私は簡単な読み書きくらいしか出来ません」
中学の頃はいじめで教科書がよく無くなったり、教室を閉め出されたりして碌に授業が受けられなかった。
「あなたの研修内容には英会話も含まれていますよ。
異動やなんやらで慣れるまでは、と思っていましたが、そろそろ始めてみますか?」
叶芽が進言してくれた。
「ほんとですか?お願いします!」
瑞希は手を合わせて喜んだ。
「ネクストドアネイバースにはいつから入ったんですか?」
瑞希は質問を重ねた。
「三十五年前」
「そうなんですか!」
瑞希は雅の事が知れて嬉しかった。
「恋人もいたんですか?」
続けてなんとなく出た瑞希の問いに雅と叶芽が吹き出した。
「い、いや、その……」
雅がタジタジになった。
「こんな見た目です。何人もの女性をいてこましたりして……」
「言うな!!!」
一早く立ち直った叶芽がなんとも嬉しそうに暴露すると雅が吠えた。
本当になんとなく訊いたことだったのだが、瑞希はカアっと赤くなった。
「そ、そうですよね。変なこと訊いちゃってすいません」
六十年も生きているのだ。恋人の一人や二人、いない方がおかしい。
瑞希はそう考えて更に顔を赤くした。
「い、いや、その、あの、な」
そうこうしている内にとっくに着いていたエレベーターのドアが開いた。
細い目を見開いて又吉が立っていた。
「いやー、エレベーターがここに止まったまんまだから、何事かと思ったんすけど何やってるんっすか?」
瑞希はそれには答えず急いで又吉の隣をすり抜けた。顔を赤くしたままサポート課へ入って行った瑞希を見送った後、又吉が口を開いた。
「何かあったんっすか?」
雅は又吉の頭を思い切り叩いた。
「瑞希さん……こ、コーヒーのおかわりを淹れてくれませんかね」
サポート課へ戻ると隆がげっそりした顔で瑞希に頼んできた。
同じくげっそりした顔であちこちからおかわりの声が上がる。
又吉のコーヒーはそんなに不味いのだろうか。
瑞希はお盆を持って来ると皆んなのマグカップを順に回収して回った。
その内、雅と叶芽が又吉を連れて戻って来た。又吉は雅に引きずられている。
「なんっすか?なんっすか?
おいら、何も悪いことしてないっすよね!?」
「ええ。又吉、あなたは何も悪いことはしていません。
悪いのは全て雅。あなたにあります。過去の行いを恥じなさい」
叶芽がなんとも楽しそうに雅を責めた。雅は歯を剥き出して唸った。
瑞希は先程のやりとりを思い出してまた赤くなった。慌てて給湯室へ引っ込む。
なんとなく訊いたことだったのに、その答えに何でこんなに恥ずかしいような、寂しいような気持ちになるんだろう。
瑞希は悶々と考えながら水を操り、ケトルに入れると火にかけた。
この複雑な気持ちは何なんだろう。なんだか苦しい。
マグカップを洗って水気を飛ばして、それぞれの好みに合った濃さになるようにインスタントコーヒーを入れる。
どうして雅に恋人がいたかなんて訊いたんだろう。
充分にカルキが抜けたお湯を操ってマグカップに注ぎ、冷蔵庫から砂糖とミルクを取り出した。砂糖入りのひとに砂糖を溶かしてミルク入りのひとにはミルクを操って注いだ。
「訊かなかったらよかったな」
瑞希は給湯室で一人ポツリと呟いた。
皆んなにコーヒーを配って回った後、デスクに戻ると課長に呼ばれた。
「討伐案件だ。サラマンダーが大量発生した。火事が多発している。
瑞希行ってこい。お前向きだ。見守りは……」
課長が見回すと、雅が手を挙げてガタリと立ち上がった。
「雅、お前は今日は出さん。それにくじ引きだ」
課長がすげなく言った。その間に見守りは健二に決まった。
子会社を通って社用車で現場に向かう途中、健二が口を開いた。
「雅となんかあったのか?」
瑞希は赤くなった。
「な、何にもありません」
「嘘だろ。顔見れば分かるって。
話してみたら楽になることもある。言ってみな」
健二の声は優しい。
「……今日、雅が何年生きてるのか訊いたんです」
瑞希はポツリと話し始めた。
「その後、恋人がいた事があるのかって訊いちゃったんです。
それからずっと恥ずかしいような、寂しいような、苦しいような、変な気持ちがずっと続いているんです。
こんな気持ちに今までなったことが無くて分からないんです」
「あー……」
健二は頭を掻いた。
「そっかそっか。
長く生きた狼人間にはそんなこともあるもんな」
瑞希は健二を見つめた。
「ちょっと言い訳させてもらうと、狼人間はちょっと孤独に弱いんだ。
両親が早死にするパターンが多いから」
「えっ?」
瑞希は驚いた。
「狼人間のパートナーは隣人だったり、人間だったりするって前に話したよな。
あれな、実はほとんどが人間がパートナーな事が多いんだ」
健二は前を見つめたまま訥々と語った。
「狼人間の子を産んだ後、普通の人間のパートナーは弱るんだ。簡単な風邪でも死ぬくらいに。
それだけ体の負担が大きい。でも子供を望まずにはいられないんだ両親共々。
子供を産んだパートナーが死んだら……後は何となく分かるだろ?ほとんどがそのパターンだ」
瑞希は雅が以前、「お前を失う事が俺を殺す」と言っていたことを思い出した。
「こっちの世界の狼人間はどこか普通の人間と違って浮いてる存在なんだ。それだけじゃなくて疎まれて酷い扱いをされることもある。
両親をほとんど知らず、周りからは遠巻きにされ、疎まれる狼人間は孤独だ。何とか人と繋がろうとする。
運命の相手を見つけるまでそれが癒される事がないんだ」
雅は両親のことを一度も話したことが無かった。
雅にもそんな過去があったのだろうか。
瑞希は雅の心境を想って黙り込んだ。
「と、言うのがいい訳だ。
ここからが本題な。どんな過去があったって自分が一番だって常に言ってる相手が、過去に何人もとやることやってたりしたらそりゃ嫌だよな」
「やること?」
瑞希が訊くと健二は一瞬あちゃーという顔をして
「キスしたり色々だよ」
と答えた。
「過去にやったことは取り消せない。だけどこれからはいくらでも出来るんだ。
瑞希はその気持ちを雅にぶつけていいんだよ」
「ぶつけるなんて我儘、許されるんでしょうか?」
瑞希が問うと健二は笑った。
「瑞希のな、気持ちに名前をつけたらそれはヤキモチって言うんだよ。
行き過ぎなきゃ恋人にヤキモチ妬かれて嬉しくない奴はいない」
「どうしてですか?」
瑞希はきょとんとしてしまった。
「それはな、相手が自分のことを好きだからこそ出てくる気持ちだからだよ。
ヤキモチ妬くって事は要するに相手に好きだって伝えるのと一緒なんだ」
健二は車を停めて瑞希に笑いかけた。
「ほら、着いたよ。行っておいで。
それと、本気でダブルデートしようぜ。瑞希はもうちょっと同年代の子と話した方がいい」
瑞希は頷くと外に出て、調子良く約二百匹のサラマンダーを退治した。
その日の夜、家に帰っても雅はオロオロしていた。
「あ、あのな、昼に叶芽が言ってた事だけど、な……」
お風呂の後、雅の方から話を切り出した。
「雅に過去に恋人がいたって事が、正直ちょっぴりショックでした」
瑞希はソファーに腰掛けた雅の横で膝を抱えながら言った。雅の眉が下がり切って瞳が潤む。
「その人達が雅とキスしたこととか、私の知らない雅を知ってるんだって思うと、寂しかったり、恥ずかしかったり、苦しかったり……とっても羨ましい気持ちになったんです」
瑞希は自分の膝を見つめて言いながら自分の気持ちを整理して口に出した。
ちょっと唇を尖らせる。
「要するに生まれて初めてヤキモチを妬いたんだって知りました」
次の瞬間、雅は瑞希を引き寄せてキスをした。瑞希の心臓が一拍すっ飛んだ。
「み、みや……」
口が離れた拍子に名前を呼んで止めようとすると雅は唇で瑞希の口を塞いだ。
もたないもたない!心臓が止まる!!!
瑞希の鼓動はどんどん早くなって、このままでは爆発して止まりそうだった。
雅の胸に手を当て押すも頭を抱き込まれてびくともしない。
雅は何度か激しくキスをすると瑞希の唇を舌でなぞって入れてきた。舌を触れ合わせて絡める。唇を甘噛みされた。
瑞希はまたゾクゾクと妙な感覚に襲われた。心臓の音が最高潮に高まり、体から力が抜ける。
雅は最後に優しくキスをするとくてんくてんの瑞希の体を支えた。
「俺は確かに過去に色々なことをした。
だが特定の誰かに恋をしたことも、恋人になったことも、ない。
こんな気持ちを抱えたことも、ない。
ヤキモチを妬かせてしまって悪いとは思う。だがそれ以上に嬉しい。
過去には戻れない。だが、これからお前に俺のことをもっと知って欲しい。
俺はお前と進みたい。それで許してくれないか」
と言って大きな金色の瞳で瑞希をじっと見つめた。
瑞希はなんとか頷いた。そもそも怒ってはいない。
雅は瑞希の体をそっとソファーに横たえると、肩の横に手をついた。いつかのように頬を撫でる。
瑞希は顔にどっと血流が上がるのを感じた。雅は瑞希の顎を持ち上げるとキスをした。
体から力の抜け切った瑞希はなすがままだ。
瑞希の心臓がドキドキとまたうるさく音を立て始めた。体が密着してどちらがどちらの心音か分からない。
雅は絡めた舌を離すとそのまま唇から顎へ、顎から首へと這わせた。瑞希はとんでもなくゾクゾクした。
「あっあの、み、みやびっ!」
このままでは本当に心臓がもたない。
瑞希は思わず声を上げた。雅はチラリと視線を上げて熱の篭った視線で瑞希の顔を見たが、そのまま首筋を軽く噛んだ。
「ひゃ……!!」
悲鳴を上げかけたが手で口を覆われた。雅は瑞希の鎖骨の辺りにキスをした。
「お二方、私はもう寝ますがどう……」
流衣がリビングに入ってきて時が止まった。流衣はそのままパタリとドアを閉めた。
雅はハッと我に返ったような表情で瑞希から離れた。瑞希を起こしてきちんとソファーに座らせる。
「もう遅い。寝よう!」
雅は顔を真っ赤にしながらそう言った。瑞希もコクコク頷いた。
顔から火が出そうだ。
ギクシャクしながら二階に上がってそれぞれのベッドに入って「おやすみ」を言うと瑞希はすぐに眠りに落ちた。
雅がベッドから体を起こす。瑞希の寝顔を見つめて雅は頭を抱えた。
それからまた三日程、雅は目の下にクマを作った。




