第二十八話 座敷童子の魔の一ヶ月
お鍋で炊いたご飯でおにぎりを握っていると雅が起きてきた。いつもより早い。
「おはようございます!」
瑞希は元気に挨拶した。雅はいつも朝起きたら一番に台所に顔を覗かせる。
ここ三日程、雅の目の下にできていたクマは今日はもう消えていた。
瑞希がおにぎりを皿に置くと雅がいつものように後ろからもたれかかってきた。瑞希の心臓が跳ね上がる。
あれ?そういえばいつもの返しがない。
ところが今日はそれだけでは終わらなかった。
雅はぺろりと瑞希の頬を舐めた。
「ひゃ……!」
思わず声を上げると手で口を塞がれた。耳を軽く食まれる。
「んむ……!!みや……!!!」
思わず振り向くと今度は唇で塞がれた。
心臓がもたない!!!
瑞希が一旦離れようとするも、後ろ頭と腰を押さえ込まれて逃してもらえなかった。
何度か普通のキスを重ねて、次第に情熱的で濃厚なキスへと変わる。
瑞希はくすぐったさと、込み上げる何かでぞくぞくが止まらなかった。心臓はとうとう爆発した。瑞希の体から力が抜ける。
瑞希がすっかりくてんくてんになると、ようやく雅は顔を離した。
力が抜け切った瑞希の体を抱えてちょっと口角を上げる。
「み……やび、しんぞ……もたな……」
瑞希が息も絶え絶えにそう言うと
「おはよう。いい朝だな。
その内、慣れる」
と上機嫌に挨拶を返した。
瑞希の体に力が戻ってくるのを待って、雅は○戸黄門の主題歌を鼻歌で歌いながら台所を出て行った。
瑞希はヘナヘナと床に座り込んだ。
今日の雅はいつもの犬ではなく、まるで獲物を捕らえた狼のようだった。
そうか。これがオオカミになると言うことか。
瑞希は何時ぞやか叶芽が言っていた言葉をやっと理解した。
「依頼案件だ。瑞希、相談室へ向かってくれ。支部長と一緒にお客様が待っている。
サポートは……」
と課長が見回すとちょうどくじ引きが終わったのか、痩身中背のメガネの男が手を上げた。
赤羽目隆身体能力全般がずば抜けて上昇する超能力者の隣人だ。
聴力、嗅覚、視覚などの五感から瞬発力、耐久力、持久力などの運動神経に関わるものまで全てが著しく上昇する。
羨ましい限りである。
「よろしくお願いします」
瑞希がペコリと頭を下げると
「どんな案件でも気を引き締めていきましょう」
と隆は頷いた。
二人で一階の相談室へ降りると叶芽と親子と見られる、揃いの黒いボブカットヘアの女性と女の子が待っていた。
「初めまして。サポート課の魚住瑞希と申します」
と叶芽直伝の綺麗なお辞儀をして、名刺を差し出す。
「初めまして。同じくサポート課の赤羽目隆と申します」
隆も名刺を差し出すと、疲れ切った様子の女性はおずおずと受け取った。
「それではあなたのお悩みをお聴かせください」
叶芽は瑞希達が着席するのを待ってそう言った。
「初めまして……私は敷宮明子と申します。
この子は友子。私の子供で二歳になります。
私たちは座敷童子の隣人です」
友子は指をしゃぶって聞いていない。
隆の顔色がサッと悪くなった。
「この度お願いしたいのはこの子を一週間程預かって欲しいんです……。
私、もうノイローゼになりそうで……」
明子はため息を吐いてそう言った。
叶芽と明子が話を詰める間に隆は瑞希を連れてサポート課へ急いだ。
「大変なお客様だ」
隆が呟く。
「座敷童子の何がいけないんですか?」
座敷童子と聞いた瞬間の隆の様子を思い出して、隆の後をのたのたと一生懸命着いて行きながら瑞希は訊いた。
「座敷童子にはな、魔の一ヶ月と言うものがあるんです」
隆は厳しい顔でそう言った。
「魔の一ヶ月?」
瑞希が訊くと隆は頷いた。
「座敷童子の能力の暴走。不安定な時期です。
それが二歳くらいに訪れます。
瑞希さん、今回の案件は君一人では手に追えないものです。
サポート課全員でかからねば……」
「そ、そんなになんですか?」
隆はまた頷いた。
「普通の人間と同じく、二歳児に訪れるイヤイヤ期。それと重なるのがこの魔の一ヶ月なのです。
たった一日でもそこに居た建物から五分外に出ただけでもその家の運が傾き潰れます」
「た、大変!
明子さんが一週間後に迎えに来ちゃったらネクストドアネイバースも潰れちゃうんじゃないですか?」
瑞希は自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。
「そこは大丈夫でしょう。
明子さんも三週間程耐えてこられて、とうとう限界を迎えた。
それで友子ちゃんを預けようとされているのでしょう」
瑞希はごくりと唾を飲んだ。
「実は座敷童子のこういった依頼は多いのです。
皆さん魔の一ヶ月に耐えられなくなって預けに来られる」
隆の顔は険しいままだ。
「普通の人間でも魔の二歳と言われる時期。
これが重なるということはどういう事か、もう、お分かりですね?」
瑞希の顔が真っ青になった。
サポート課の保育室へ友子がやって来た。
「こんにちは友子ちゃん。私は瑞希。
よろしくね」
と友子の小さな手を握る。
「う……?」
友子は言葉の発達がまだ未熟なのだそうだ。しかし、話しかけられる言葉は分かるらしい。
「友子ちゃんかあ……僕は海。
よろしくね」
今回の案件は瑞希を主体に気持ちをある程度コントロールできる海のサポートで進める方針だ。
「友子ちゃん、お腹ぺこぺこだね。
ご飯にしよっか」
瑞希が食事を持ってこようと、部屋を出ようとしたら友子は着いてきた。
「あっ。そっち言っちゃダメだよ」
海が友子の手を引くと友子に火がついた。
「あんぁあ!!!んもう!!!
あんもぅーーーーー!!!!」
それまで大人しかったのが嘘のように顔を真っ赤にしてカーペットの上にひっくり返り、手足をジタバタさせてギャン泣きする。
部屋の灯りが付いたり消えたり、激しく明滅した。
おもちゃ箱がガタガタと揺れる。
「んぅん!!ああああん!!!もううううぅぅ!!!
ぎゃああああああんん!!!」
海は歌詞のない歌を歌った。友子の気持ちを落ち着けようとしたのだろう。
しかし、友子の耳に歌は届いておらず効果は薄かった。
玩具箱からおもちゃが飛び出し、宙を飛び交って海や、瑞希にぶつかった。
海は早くも途方に暮れて友子の手を離した。
すると友子は唐突に泣き止み、瑞希に寄ってスカートをつまんで指をしゃぶりだした。
「な、何だったんだろう?」
「さあ……しょうがないのでこのままちょっと行ってきます」
瑞希は友子をスカートにくっ付けたまま、保育室を出てサポート課を通った。瑞希の遅い歩みは友子にはちょうど良いようだった。
コピー機の前を通りかかった時、友子が立ち止まった。
「きゃーぅ」
コピー機に駆け寄りコピー用紙の入った引き出しを開けた。
「あ、友子ちゃ……」
瑞希は出入口付近でようやく気付いた。のたのた駆け寄る間に友子はコピー用紙をわっさわっさと取り出してグチャグチャにしだした。
「あーー!!コピー用紙が!
こんなことしちゃダメだって!!」
明がいち早く気づいて友子からコピー用紙を取り上げた。
「あんあ!!!」
すると友子は不機嫌になった。
「んだよ。ダメだって!これは大事なものなの!」
「んぁんああ!!んもっぅ!!!」
明の言葉に友子が地団駄を踏む。
「こんなしちゃダメだって!!」
明が叱ると友子は叫びだした。友子の目に涙が滲む。
「あああぁあぁぁあああんんもおおおおぉお!!!!」
「いや、だってどうすればいいんだよ」
明は狼狽えた。
「あんもおおおおおおおお!!!!びええええええええ!!!!」
友子はとうとうひっくり返り、泣いて暴れだした。
床の上を手足をばったばったと動かす様子はまるで水揚げされた魚のようだ。
部屋中の電気が激しく明滅し、コピー機から紙が次々と吐き出されて舞い上がる。
「な、泣くな泣くな!
ほら、怒って悪かった!
ほーら高いたかいだぞー!」
明が慌てふためきながら、能力で友子を浮かせた。
「ぎゃああああああああああんん!!!」
しかし友子は泣き止まない。空中を上下しながら涙とよだれを撒き散らす。
パソコンが幾つかダウンして、電灯が音を立てて割れた。
「明さん!用紙を!」
瑞希は明からコピー用紙を一枚受け取ると宙に浮く友子の前に差し出した。
「友子ちゃん!これが欲しかったの?」
すると友子はピタリと泣きやんだ。ヒクヒクなりながらコクリと頷く。
「紙は大事だから、これ一枚で我慢してね」
と言って渡すと友子は完全に泣きやんだ。
紙をくしゃくしゃにして手に握ると、また瑞希のスカートを摘んで指をしゃぶり始めた。
「何だったんだ……」
明は大きくため息を吐いた。
食事は明子に聞いた家での食事に近いものを出すことにした。ローテーブルとマメ椅子を出して友子を座らせる。
「友子ちゃん、「いただきます」しよっか」
「あんあ!!」
瑞希が声をかけると友子は首を振った。
「あれ?お腹すいてない?」
「あんもっ!」
海が訊くと友子は顰めっ面で両手に持ったスプーンとフォークで食器をカンッと叩いた。
「好きなものがないのかな?
ほ〜らこれなんか美味しいよ〜?」
「んぁん!!!あんもぉお!!!」
と一口大に切った鶏肉の照り焼きを海が口元へ持っていくと、友子は激しく首を振って足をバタバタさせた。
「どうしたらいいんでしょう……」
瑞希は困った。
「うーん。お腹の空く歌でも歌ってみる?」
と海はケースからアコースティックギターを取り出した。じゃららんと鳴らす。
友子は少し興味をそそられたようだ。
「どうしておなかがすくのかな……」
海は綺麗な声で陽気な童謡を歌った。
友子は聴き入っていた。瑞希も音楽に合わせて体を揺らす。
海が歌い終えると瑞希は拍手した。友子もスプーンとフォークを置いて、小さな手で拍手する。
「友子ちゃんのお腹はすいたかな?」
海がギターで音楽を爪弾きながら訊くと友子は頷いた。
「それじゃあ……いただきま〜す」
と瑞希がにこにこして手を合わせると
「あんあっ!!」
と、友子は不機嫌になった。びしりと瑞希を右手に持ったフォークで指す。
瑞希は自分を指してきょとんと首を傾げた。
「あ、もしかして……」
瑞希はやっと理由に思い当たって手を打った。
「海さん!もう少しお歌を歌って一緒に待っててあげてください!」
「え?」
きょとんとする海を他所に、瑞希はのたのたと一階の食堂へ走った。
間も無くして海が歌う保育室へ瑞希が戻って来た。両手に友子と同じメニューのトレーを二つ持って。
「友子ちゃんお待たせ」
瑞希はいそいそと海と自分の前にトレーを置くと手を合わせた。
「一緒にいただきますしようね。「いただきます」」
「あう!」
瑞希が食事を開始すると友子もやっと食べ始めた。
「ああ、そう言うこと……「いただきます」!」
海も納得言ったようで一緒に食事を開始した。
友子は満足そうに鶏肉の照り焼きを頬張った。
友子の癇癪に付き合うのは大変だった。何が理由で泣いているのか分からない時は特に。
瑞希は水で幻想的な光景を作り出したり友子自身に水を纏わせて、飛ばせた。海は歌い、明は念力で友子を運動場まで連れて行ってジェットコースターごっこをした。隆は友子を肩車して走り回り、健二は踊った。雅は近づいただけでギャン泣きされた。
皆んなで友子のご機嫌を取り、何日かもするとヘトヘトになった。
だが、瑞希は段々と友子のことが分かってきた。
友子は自分の言いたいことが伝わらない時、自分の欲求を跳ね除けられた時に癇癪を起こし、泣き叫ぶ。
「ぎゃあああああああああああんんん!!!」
保育室を出た拍子に又吉のパソコンのキーボードをバンバン叩いて、訳の分からない文字だらけにしてしまった所を叱られて、友子が床にひっくり返って泣き叫ぶ。
瑞希は友子の側へしゃがみ込んだ。
「友子ちゃんこれで遊びたかったの?」
すると友子はピタリと泣きやんだ。体を起こして床に座り、コクリと頷いた。
「そっかあ、これが楽しかったんだね。もっと遊びたかったんだね。
でも、これはお兄さんの大事大事だから別のことをして遊ぼっか」
「うん」
友子は素直に目を擦りながら立ち上がり、瑞希と手を繋いだ。
友子は自分の欲求を言葉に上手く出せない。だから癇癪を起こす。その代わり、瑞希が気持ちを代弁してやれば機嫌を直すのだ。
「いやー、おいらも妹のイヤイヤ期を乗り越えたはずなんすけど、ついつい叱っちゃうんっすよねー!
瑞希さんは子供の扱いが上手いっすねー!」
「ありがとうございます」
瑞希は褒められて頬を軽く染めた。
そして瑞希は友子に向き直ると、背後に忍ばせていたくまのぬいぐるみをにょこっと出した。
「友子ちゃん、友子ちゃん!ぼくと一緒にあそぼうよ!
あっちにたくさんお友達がいるよ!」
とアテレコしてにょこにょこ動かすと友子は嬉しそうに瑞希を先導して保育室へ戻った。
友子のイヤイヤは様々だが皆んなと情報を共有すると難易度がぐんっと下がった。
因みに雅がギャン泣きされたのは、雅の真っ黒な服装が嫌だったようで、雅は白いエプロンをつけさせられたりもした。
そうこうして友子を預かる最終日になった。
今日の深夜零時に魔の一ヶ月が終わるらしい。
瑞希は友子をお昼寝させようと、寝かしつける間にうっかり自分も寝てしまった。
「友子ちゃん?」
瑞希は保育室を見回した。友子が見当たらない。
「友子ちゃん!」
瑞希は保育室を飛び出した。
「大変!誰か!友子ちゃんを見ませんでしたか!?」
瑞希が問うとサポート課全員の顔が青くなった。
「探すぞ!」
課長の掛け声で一斉にサポート課内を皆んなが探し始める。
瑞希は一つ、恐ろしい考えに思い至ってカバンを引っ掴んで階段へ向かった。
カバンから瓶を取り出し栓を開ける。溢れ出した水を手足に纏って、一階目掛けて階段を飛び降りた。
受付横の出入り口まで飛ぶとどうやって通ったのか友子がよちよちと外へつながる自動ドアへ向かって歩いていた。
リコ、ルコはお互い電話対応で気づいていない。瑞希は入り口に暗唱番号を素早く打ち込んだ。
友子が内側の自動ドアを潜った。そこで瑞希はやっと友子に追いついた。
「友子ちゃん!!!」
名を呼んで友子を掬うように抱えて会社内へ飛んで戻った。
「あんもっ!!!ああああんもぉおおおおお!!!!」
友子は激しく泣き叫び、手足をバタバタさせて暴れ回った。そこでようやく、リコ、ルコが気づき、慌てて受付から出てくる。
瑞希は能力を解除して友子を床に下ろした。
「友子ちゃん!お外に出たかったの?」
「あんもおおおおおおおお!!!!ぎゃあああああああああああんんん!!!!」
瑞希が問うも友子の癇癪はますますひどくなり入り口のランプが明滅し、自動ドアは激しく開け閉めされ、ビル中の灯りが明滅した。ピシリと音がしてガラスにヒビが入る。
「友子ちゃん!
お外に出たかったのに無理矢理引き戻してごめんね。
お散歩したかったの?」
瑞希が暴れる友子を抱きしめるも友子は泣き止まず、ますます叫び泣く始末。
そこで瑞希ははたと理由に思い当たった。
「友子ちゃん!もしかしてお母さんに会いたかったの?」
すると、友子はピタリと泣き止んだ。
「ごめんね。お母さんに会いたかったんだよね。お迎えに出ようとしたの?」
友子は小さく頷いた。
それはそうだ。まだ二歳の子供だ。母親と一週間も離れていたら会いたくなって当たり前だ。
「ごめんね。
お母さんは夜になって友子ちゃんがねんねしたら来るからね。
もう少し待ってね。ごめんね」
瑞希は何度も友子に謝ると、友子はコクリと頷いた。
「と、言うことがあってですね。
初めて課長に怒られてしまいました。
入り口の警報が鳴らなかったのは座敷童子の持つ特性である幸運のせいかもしれないと言うことでした」
当番明けで会社にいなかった雅に瑞希は今日あった騒動を聞かせた。
「友子ちゃんは無事にお母さんに迎えに来てもらって帰って行ったみたいです。
能力とイヤイヤ期の安定した座敷童子は近い内に気にいる家を探しに出されるそうです。
何だか流衣にちょっと似てますね」
瑞希はソファの上で膝を抱えた。
「気にいる家が見つかったらそこへ移り住んで、子供に混じって遊んだり、たわいのないいたずらをしながらゆっくりと成長していくんだとか。
座敷童子は十八になったら自由に姿を変えられるそうですね」
「ああ。
座敷童子は基本子供に混じって遊ぶのが好きだ。大人の姿を取ることは少ない。
だから増えにくい」
隣に座る雅が捕捉した。
「そうだったんですね!
座敷童子が家に居付いて大事にされるとその家は繁栄して、蔑ろにされて去ると傾いて潰れる。
家が繁栄して幸福をもたらすなんて福の神みたいですね」
瑞希がそう言うと雅は頷いた。
「成人した座敷童子は福の神の一種となる」
「初耳です!」
瑞希は驚いて雅を見上げた。大きな金色の瞳と視線がぶつかる。
瑞希の心臓がどきりと跳ねた。雅の手が瑞希の後ろ頭に回された。
来る……!!!
瑞希は身構えた。が、雅はそっと額にキスしただけで瑞希を解放した。
「一週間、お疲れ。
明日から休みだ。だが疲れが溜まっている。
もう寝ろ」
と言って優しく頬を撫でた。
瑞希は雅の触れたところから火が出そうなくらいドキドキした。




