第二十五話 最悪の再会
「おはようございます!」
「……はよ」
郊外の南フランス風の一軒家で瑞希と雅が挨拶を交わす。
瑞希は卵焼きをくるくると巻きながら雅の顔を覗き込んだ。
「雅……眠れないです?」
雅は最近またクマを作るようになった。
この家に引っ越してきた時も全然クマを作らなかったのに……。
この家に来て瑞希と流衣は家事を分担した。朝ごはんは瑞希、昼、夕は一緒に。マットを干したり、掃除、洗濯は流衣、洗い物は一緒に、お風呂は雅が沸かすことになっている。
雅は黙ったまま瑞希の後ろからもたれて肩に顔を埋めた。ふわふわの髪が頬に当たる。
瑞希は前に回された腕を大型犬にするように、トントンと叩いてやりながら雅の様子を不審に思った。
「雅……何か隠してないですか?」
食卓に着くと瑞希は雅の顔をじっと見つめた。雅の目が右に左に上に下に泳いだ。
「何も」
雅はボソリと答えた。それでも瑞希が見続けると雅は目を逸らした。足元の天辺ハゲみたいな模様の黒まめ柴を一生懸命見つめて目が合わない。
やっぱり……。
「何か、隠してますよね」
瑞希は確信した。雅の目がまた泳いだ。
「雅」
瑞希はテーブルを回り込むと雅の頬を両手で挟んでこちらを向かせた。雅の目が激しく泳ぐ。
「何を隠してるんですか」
雅の目が逸れた。
「教えてください」
瑞希が無理矢理目を合わせると雅の眉がみるみる下がった。
「言いたく、ない」
ここまで頑なな雅も珍しい。
「雅……そんなにクマを作るほど何に悩んでいるんですか?
教えてください。一緒に考えましょう?」
雅はそれでも首を振ろうとする。そこで瑞希は雅が折れる魔法の言葉を言うことにした。
「雅、教えてください。お願いします」
雅の眉が下がり切った。
結局、雅は会社に着いたら言うと約束した。
「内緒のお仕事内容でしたか?」
満員電車の中もしそうだったら悪いことをした、と思いながら瑞希は訊いた。
「ん。秘密では、ない」
そう言いつつもサングラス越しに瑞希を見る目が心配そうだ。
「じゃあどうして……」
その時ガタンと電車が揺れた。バランスを崩した瑞希をすかさず雅が支える。
そのまま抱きかかえるように密着した。
「着いたら、言う」
そう言って雅は物思いに耽るように黙り込んでしまった。
会社に着いた。サポート課でコーヒーを配り終えて瑞希は雅の横に立った。
「お前の伯父が、見つからない」
雅は観念したように、目を伏せて言った。
「伯父さん……」
正直伯父には苦い思い出しかない。伯父があの後どうなったかなど、気にすることさえ無かった。
「そうだ。
お前の伯父は立派な罪を背負ったバイヤーだ。
罪を償わせる。それで追っている」
「雅……」
雅の目が強い光を宿した。
それで雅は自分が気にするといけないと思って隠していたのか。
瑞希はやっと悟った。
「無理矢理言わせてしまってすいませんでした」
瑞希がしょんぼりして言うと雅は首を振った。
「ここの方針でもある。
いずれはお前にも伝わることだった」
雅はクマのできた目元をゴシゴシ擦った。
瑞希は雅の頭を抱き込んだ。そのまま撫でる。
雅は一瞬硬直したがなすがままになっていた。
「でも、何故今になって?」
瑞希が問うと
「明日までに見つからなければ、サポート課全員に伝達すると言った。叶芽が」
雅がくぐもった声で答えた。
「それで根を詰めて……。それまではどうしていたんですか?」
「俺と、健二で追っていた。
河原で魔女と戦った直後からお前の伯父を追い始めた。が、匂いは唐突に消えていた。
そこからは映像で追っていこうとしていた」
「映像?」
瑞希が訊くと雅は頷いた。
「全国の監視カメラから映像を抜き取れる。そういう奴がネクストドアネイバースには居る」
「それって膨大な量になるんじゃ……」
というかパソコンに入らないだろう。
「そんな中から気になる映像をピックアップできる奴だ。でも忙しい。
それでも急かしたら自分でやれと送ってこられた」
雅はそう言うとパソコンを指した。見ると目が痛くなりそうな程、びっしりと監視カメラの映像がファイルの中で動いていた。
「これでも絞ってある方だ」
雅は肩を落とした。
後日。叶芽から瑞希の伯父についての伝達があった後、情報課が絞った映像を追う作業が全員続いた。
「くっそー見つかんねえー」
明がぼやいた。
「どうやったんだか魔女と繋がったんだ。何処かしらに飛んだ可能性もある」
健二もコーヒーを飲みながら目を擦る。
「本当に……何処に行ったんでしょう」
瑞希も目をシパシパさせながら言った。
「日本にいることは確かだ。そこまでは確認できている」
雅が食い入るようにパソコンを見ながらボソリと告げる。
他のサポート課の社員もパソコンと睨めっこだ。
「遠くのネットカフェっすよね?だいぶ北の。
なんでそこまで行ってんだかも分かんないっすけど、そっから出てからがさっぱりじゃないっすか」
又吉が目薬を指しながら言った。
「又吉、その目薬寄越せ」
明が又吉から念力で目薬を奪った。目に注ぎ込む。
「ぐあっ!これめっちゃ滲みる……!!」
「あーあー言う前に取るっすからよ」
又吉がふよふよと宙を漂って返ってきた目薬をキャッチしながら言った。
そんな皆んなを見て瑞希は他人事ではないので申し訳なく思った。
「気にするな。これも大事な仕事だ。お前のせいでは、断じてない」
雅が瑞希の気持ちを嗅ぎ取って、パソコンを見つめたまま言った。
「やばい闇金にでも手を出して監視カメラを避けて、どっかの廃工場に潜んでるとかだと見つからないかもね……」
それまで必死にパソコンを見ていた海がそう言ったその時。課長の電話が鳴った。
「はい、はい。そうですか分かりました」
課長は電話を終えると瑞希を呼んだ。
「討伐案件だ。地面を潜る人食い魚だ。何人か人間が食われてる。
至急向かってくれ」
「はい」
瑞希が返事すると明が叫んだ。
「あー!今回は雅かよ!羨ましいぜ!」
最近は瑞希も案件を任されるようになった。見守りも一人になった。因みに見守りは全員が毎回くじ引きで決める。
雅は目をきらきらさせて嬉しそうだ。
瑞希はボールを手に持った時のコジローを思い出した。
瑞希と雅は東北の子会社から人食い魚の出ると言われた工場地帯に向かった。
「案件にもだいぶ慣れたな」
雅が運転しながらボソリと言った。
「はい。皆さんのおかげです」
瑞希は心からそう思っていた。
「そうか」
雅は短く頷くとすん、と匂いを嗅いだ。
「着いた」
二人は車を降りた。灯り一つない寂れた工場が建ち並んでいる。
「悪い気が溜まっている」
「悪い気……」
瑞希は雅の言葉を繰り返した。
「人間の負の感情が、溜まっている。
負の感情の多く溜まる所は精霊が近寄らない。
近寄らなければ浄化されず溜まり続ける。
そこはやがて瘴気の地となる」
「瘴気の地になったら……どうなるんですか?」
瑞希は唾を飲んで訊いた。
「悪いモノが寄ってくる。
人間だったり、隣人だったり、様々だ。
今回の人食い魚もそうだろう」
「瘴気の地はもう……元に戻らないんですか?」
瑞希は目の前に広がる工場地帯を見つめた。
「その為に浄化師がいる」
雅はぽんと瑞希の頭に手を置いた。
「浄化師?」
瑞希は訊き返した。
「そうだ。
悪い気を払える。そんな者が俺達の会社には居る。
今回の人食い魚も浄化師を派遣する前段階の調査で発覚したんだろ」
雅は瑞希の頭を撫でると歩き出した。
「人間が多数居る。そう言う場合はどうするか」
瑞希はぴしりと手を挙げた。
「人避けの霊水を浮かせて飛びます。
被害者が居たら一旦結界内に入れて処置した後、エリカさんに記憶を塗り替えてもらいます!」
「正解だ。頑張れ」
そう言って雅は瑞希の頭をもう一度撫でた。
一見人気のない工場地帯を結界の霊水を周囲に舞わせながら瑞希と雅が進む。
瑞希は手足に水を纏って宙を飛んだ。雅も飛ばせようとしたが、断られた。
雅は器用にパイプや資材の上を跳び歩き、地面に足を着けないように気を付けているようだ。
雅がすん、と匂いを嗅いだ。
「知っている匂いが、する」
と牙を剥き出した。
その時。
「ぎゃああああああああああああああああああ!!!!!」
誰かの叫び声が辺り一帯に響き渡った。
瑞希は声のする方へ高速で飛んだ。雅も駆ける。
声の主は工場の中、地面の上を転がり回っていた。
「ああああああああああ!!!!俺の腕があああああああ!!!!」
枯れ枝のように細い腕の上腕部が食いちぎられて血がぼたぼたと地面に落ちる。地面を巨大な赤い背鰭が潜っていった。
瑞希はその男に水を纏わせ宙に浮かせた。霊水の中に引き入れる。
「大丈夫ですか!?直ぐ手当します!」
瑞希が手当しようとしても男は暴れ回り叫び続け。
「ああああああああ!!!腕が!!腕がああああ!!!」
このままでは碌に手当もできない。
瑞希はそう判断して、男を資材の上に下ろした。
カバンから鎮痛作用のある魔法薬を取り出して男の腕に振りかけた。
「痛ええええ!!痛ええ、ぇぇ……あ?」
男は痛みが無くなったことに気がついたようだ。瑞希は今度は血止め薬と包帯を取り出した。
「直ぐ手当しますから。ご安心ください」
瑞希が手早く血止め薬を塗り、包帯を巻く様子を男はじっと眺めていた。
「傷が開きますからしばらくはじっとしていて下さい」
瑞希がそう言うと男が口を開いた。
「瑞希か?」
瑞希は目を見開いた。
どうして初対面のこの男が自分の名前を知っているのか。
雅から唸り声がした。
「俺は、コイツが、誰だか、分かる!!」
「雅、落ち着いてください!どうしたんですか?」
瑞希が問うと雅は牙を剥き出した。
「コイツは、お前の、伯父だ!!!」
雅の握り拳が震える。瑞希はパッと男を振り向いた。
薄暗がりの中、霊水の仄かな光に照らされて見える、目が落ち窪み、痩せさばらえた、汚い髭の男は確かに瑞希の伯父だった。
「伯父さん……どうして……こんな所に……」
瑞希は言葉を失った。
体格が良く、いつだって暴力を振るって、瑞希に抵抗すらさせなかった伯父は、まるで老人のように痩せ細り弱っていた。
「瑞希か?瑞希だよな?やっぱりか!!!」
別人のようになった伯父が目を爛々と光らせた。
「何があったんですか」
言いながら瑞希は売られたあの日に同じ言葉を口にした事を思い出した。
「俺、俺、俺、俺は!!あのあとあの女と取引して東北に飛んだんだ!!魔法のように!!!
あの女は俺に金を増やす手段を教えた!!最初に連絡を取っていた秘密の会社に連絡を取ったんだ!!!あの女にお前を売った事を言えば!!そこに行けば無利子で金を借りて倍に増やせると!!!
だが全部嘘だった!!!最初は上手く行った!!その次も上手く行った!!!俺はあいつらに返しても有り余る金を手に入れた!!!そしたら!!!
いつの間にか俺はヤクザの金に手を出したことになっていて追われたんだ!!!あの女の仕業だ!!!畜生!!畜生が!!!」
伯父は支離滅裂になりながら怒鳴り散らした。
そして突如、瑞希の腕をその細腕からは考えられない力で掴んだ。
「だが俺にも運が向いてきた!!お前さえいれ」
「触るな!!!!」
雅がすかさず伯父の手を弾き飛ばした。
伯父はそれでも気にせずにじり寄ってきた。
「お前さえ居ればやり直せる!!!お前の秘密をネットで見つけた!!お前は人魚だ!!!
髪の色が濡れれば明るくなる!!そう書いて
あった!!!
人魚を欲しがる奴はごまんといる!!!俺はやり直せる!!やり直せるんだ!!!
黒いスーツを着たヤツら以外にもコレクターは沢山いる!!!
最初からあの女を介さずすればよかったんだ!!!
秘密の会社も人魚を欲しがっている!!ひみ、秘密の会社は隠されている!!だが何処かにはあるんだ!!
お前さえいれば!!!お前さえいればいいんだ!!!!!」
瑞希の顔から表情が消えた。雅の唸り声が一際大きくなった。次の瞬間、瑞希は伯父の前に飛び出した。
「雅!!!」
「ぎゃあ!!!」
瑞希の脇に抱えられて、伯父の目の前で狼の大きな顎が噛み合わされ、伯父は叫んで転がり落ちた。
「お前さえ居れば!!!いや、お前さえいなければこんなことにはならなかった!!!
お前さえ……お前さえ居れば……居なければ……!!!」
伯父は地面に手をついて呪詛のように唾を撒き散らせながら、滅茶苦茶な言葉を並べた。腕の傷が開いたのか、血が辺りに滲み出る。
雅の唸り声が大きくなった。
瑞希は必死で雅を抑えた。
「雅!!いいんです!!!伯父はもう正気ではありません!!!」
雅は人へと姿を変えると瑞希の肩を掴んだ。
「何故止める!!
あいつは、生かしておく、価値が、無い!!!」
瑞希は首を振った。
「雅が殺す価値もありません!!!
魔法薬で尋問されて!監獄に入れられるのがお似合いです!!!」
瑞希は伯父の前に立ちはだかった。
「こんな人の為に雅の手を汚さないでください!!!」
と、その時伯父の手が瑞希の足首を掴んだ。
「お前さえ…!!お前さえいれ」
瞬間、伯父が言い切らない内に人食い魚が地面から跳び出し、巨大な顎で伯父の上半身を食いちぎった。
あっという間の出来事だった。瑞希は水の矢を即座に幾つも放って人食い魚を撃ち抜いた。
人食い魚はびくりと体を痙攣させて、地上に落ちて息たえた。口からは伯父だったぐちゃぐちゃの肉塊と妙に生々しい腕が覗いていた。
伯父の下半身はまだビクビクと痙攣していた。
瑞希はカバンから塩水を取り出した。雅がその手を掴む。
「止めろ!無駄だ!もう死んでいる!!」
「やってみなくちゃ分かんない!」
瑞希は塩水を頭から被ると細いナイフをカバンから取り出した。手首を切りつけ、伯父の胴の傷口に血を垂らす。
伯父の下半身は肉が盛り上がり傷は塞がったがそれだけだった。
「ーーー」
瑞希は出ない声で「そんな」と呟いた。
黙ったまま伯父の遺体を見つめる瑞希に、雅がそっと寄り添ってきた。
「声を荒げて悪かった。
激昂していて人食い魚にも気付くのが、遅れた。伯父が転げ落ちたのも俺が原因だ。
俺が殺した。お前は罪を償わせようとしたのに。情報も引き出せなかった。すまない」
雅の声は落ち込んでいるようだった。
瑞希は首を振ると、水を操って自身の塩を洗い流した。黒に戻った髪から雫が落ちた。
「伯父はもう本当に、どうしようもありませんでした。
生きて監獄に入れられたとしても、永遠に反省はしなかったと思います」
瑞希はびしょ濡れの服から水を飛ばしながら続ける。
「決して、雅のせいではないことだけは確かです。
伯父の自業自得です」
瑞希は雅に抱きついた。
「雅、私のために怒ってくれてありがとう」
雅はおずおずと瑞希を抱き返した。
人食い魚と伯父の件を報告書に上げるのは大変だった。
二つの案件が一辺に片が付いた、とは言うものの、伯父の支離滅裂な言葉思い出すのが手間がかかった。
雅が一言一句聞き逃していなかったので助かったが、それを改めて書いていると、なんと言うか、神経が削られた。
雅が何度も「報告書は俺が上げるので充分だ」と言ったが、瑞希は自分で片付けたかった。
そうでなければ永遠に伯父の呪詛に囚われるような気がして。
報告書を上げた数日後、二人は叶芽に呼ばれた。
「今回の件、一先ずはお疲れ様でした。
特に瑞希には辛いものだったでしょう」
叶芽は慰りの目で瑞希を見つめた。
「あなたの伯父から直に聞き出せなかったのは残念でしたが、この支離滅裂な言葉の中にもきちんと収穫はありました」
瑞希は驚いて叶芽を見た。
「瑞希、あなたの伯父はネットに詳しく、女性に嫌悪感を抱いていたという事でしたね」
瑞希は頷いた。伯父はネットと酒と賭けに溺れたが、女については嫌悪感に塗れた暴言を撒き散らすだけだった。外では微塵もその様子を見せなかったが。
「全てを魔女の所為のように言ったのはそのためでしょう。
秘密の会社は魔女と繋がりがありつつも、彼女達に存在を許されている別勢力である可能性が高いです」
叶芽は報告書を見ながら指で机をトントンと叩いた。
「この秘密の会社と言うのは、何処ぞの裏コードで繋がる秘密のサイトを介して、人魚や隣人を売って金を稼ぐバイヤーか、はたまた別の目的を持つ組織……かも知れません。
いずれにしろ魔法使いか超能力者の隣人を囲っているでしょう」
叶芽が報告書を置いて目を上げる。
「あなたの伯父が東北のこの場所に居た。ということも大きな収穫です。
本社に問い合わせて情報部にてここから調査を進めまましょう」
叶芽はデスクに肘をつくと、顎の前で手を組んだ。
「新たな敵の出現かも知れません。いざという時にはサポート課にも動いてもらいます。
気を引き締めていきましょう」
叶芽の言葉に瑞希と雅は頷いた。




