第二十三話 あなたは誰ですか?
蒸し暑い、七月に差し掛かろうかという頃のある朝。課長の横に叶芽が立った。
「緊急案件です。
夜番以外のサポート課全員に出てもらいます」
叶芽の目は厳しい。
その切迫した雰囲気に瑞希は緊張した。
「魔女がある地方で集中的に精霊を狩っています。
精霊の一人が助けを求めに来ました。このままではいずれ自然の均衡も崩れるでしょう」
叶芽は全員を見回した。
「至急、魔女の討伐に向かってください」
課長が班分けをしている間。叶芽は瑞希と雅を呼んだ。
「あなた達は前回の事件の事があります。
雅の変身はあくまで他にどうしようもなくなった時の最終手段にしてください。
瑞希も水に髪を濡らさないように」
「どうして雅は変身しちゃいけないんですか?」
瑞希が問うと叶芽は首を振った。
「魔女達の中にその場で起きたことをある程度再現できる能力の者がいます。
その能力であなた達がパートナーである事、こちらに狼人間がいるということはバレているでしょう」
叶芽は腕を組んだ。瑞希は愕然とした。
「そんな……それじゃあ叶芽さんの顔も、雅の顔も、私の顔も全部バレているんですか?」
すると叶芽は首を振った。
「その能力ではそこまでの詳細な再現はできません。せいぜい輪郭程度です。
しかし狼人間と人魚の組み合わせである事が判明している以上、魔女にこれ以上の情報を与えることを防がねばなりません。
特に狼人間の正体が雅であることは隠しておきたい。
今回の魔女の動きは何か引っかかります。
杞憂に終われば良いのですが……」
叶芽の言葉に瑞希の胸に不安が過った。
子会社から現場へ飛んで、課長の振り分けた班で各自散った。
瑞希の班は雅と明の三人だった。
「俺達超能力者とお前達のような伝承の隣人はルーツが違うって知ってるか?」
川の近くを捜索しながら明が突如瑞希に訊いた。瑞希は首を振った。
「お前らの方は古い一族が元の子孫だが、超能力者は人間の進化系だ」
「初耳です」
瑞希は目を丸くした。
「だろうな。超能力者は普通の人間より身体能力も高いし、頑丈で、歳もとりにくい。
だけど体の作りがお前らよりよっぽど人間に近い。
だから魔女の血には気を付けなきゃなんだよ」
「どうしてですか?」
瑞希が問うと明は流し目で瑞希を見た。
「魔女の血は毒になる」
瑞希は驚愕した。
「ただの人間にとっちゃ命を奪う猛毒だ。
人間に近い超能力者も体が一時的に動かせなくなったりすんだ」
明がそこまで言った時、雅が注意を促した。
「精霊と、楔の匂いがする」
瑞希達に緊張が走った。
雅が先導して森へ分け行って進むと小さな精霊が居た。木にくくりつけられた赤黒い檻に入れられている。
「来ちゃだめ!」
精霊がこちらに気づいて叫んだ。
その時、キーンと耳鳴りがして辺りの音が遠ざかった。魔女の結界が張られた証だ。
瑞希達は三人で背中合わせに円陣を組むと魔女の襲撃に備えた。
何もない空中から魔女が降ってきた。
「やっと来たわね」
背中の中程の真っ直ぐな金髪にバルーンドレスを身に纏った魔女が口を開いた。手に杖を持っている。
瑞希は銀色の液体をばら撒いて宙に浮かせた。魔女の弱点である妖精銀と毒を抜いた水銀の化合物。瑞希の武器だ。
そしてカバンからもう一つボトルを取り出す。一見何も入っていない。だが栓を開けると水がドッと溢れ出た。
水を扱う瑞希のために叶芽が考案した、自分の意図する量の水を出せる魔法の瓶だ。栓を閉めると水は消える。
瑞希は瓶から溢れた先から水を操って鋭い矢に変え、自身の手足にも纏った。
雅が両手に銃を構え、明が銃弾を宙に浮かせた。
「精霊の力を借りるくらいだもの。狩ってたら来ると思ってたわ。
あなた達。連れ帰らせてもらうわ」
魔女がそう言ったと同時に、瑞希達の周囲に無数の赤黒い杭がどこからともなく現れた。
魔女が杖を軽く振り、杭が弾丸のように発射された。
瑞希は咄嗟に水流の壁を張った。杭が勢いを殺され、あるいは逸らされて水に飲まれる。しかしその背後に次々と杭は現れ、絶え間なく程瑞希達に迫った。
明が弾丸を発射しながら杭を念力で食い止め弾く。雅は俊敏な動きで杭を躱して魔女に肉薄した。瑞希は杭を水流で防ぎ、宙を舞って躱しながら魔女を水銀で絡め取ろうとした。
魔女は三人の攻撃が迫った瞬間に前へ、横へ、後ろへ、まるで一コマ抜いたかのように移動して逃れた。
雅が距離を取った拍子に瑞希が水銀を細い細い矢へ変えて音速を超える速度で放った。魔女はまた一コマ飛ばしで移動すると、大きく杖を振った。
次の瞬間、今まで防いできた杭が消えて最初の位置へ戻った。
三人は呆気に取られた。四方八方から杭が殺到する。瑞希と明が必死に防いだ。雅が魔女へ銃を構えて、撃った。
魔女はコマ飛ばしで移動を繰り返しながら複雑な動きで杖を振った。
『我、時の魔女の名において命ずる』
瑞希の水銀が魔女の脚を撃ち抜いた。血飛沫が散る。魔女が杖を振り、血が刃となり襲いかかってきた。
『彼者の時を我が手に収めよ。収めし時を思うがままに操らん』
魔女が再び大きく杖を振り、杭の位置が戻った。三度三人へ襲いかかる。
明の弾丸が風を切って魔女の肩を掠めた。魔女が軽く杖を振り、散った血が明へ襲いかかった。明は飛んで躱したが血は明を追跡して爆散した。
「くっ!」
明が僅かに血を浴びた。瑞希が即座に洗い流す。雅が銃を撃った。魔女は跳んで躱すと、一拍おいて一コマ大きく進んで、雅の目の前に現れた。
靴を踏まれて雅がバランスを崩す。瑞希にはそれがコマ送りのようにゆっくりとした時間に感じられた。
「先ずは一人ね。『時巻かれて汝の時を巻き戻さん』」
雅の胸に手が当てられようとしたその時、瑞希が雅を突き飛ばした。瑞希の肩に一瞬魔女の手が触れた。
途端、辺りを取り巻いていた激しい流水や水銀の矢が音を立てて崩れた。崩れ落ちた瑞希を雅が支える。
「狙いが狂ったわね。まあいいわ一人連れて帰ればいいもの。『我が時の」
次の瞬間、狼へと姿を変えた雅が魔女の腕を食いちぎった。
「狼人間!!!」
魔女が一コマ送りで雅の顎を躱した。杖を拾おうとする。その前に明の銃弾が魔女の杖を砕いた。
「杖が!くっ!!」
魔女は腕を拾うとバク転を繰り返して明の次々と放たれた銃弾と雅の牙を逃れた。
魔女は両手を自身に当てると掻き消えた。
「クッソ逃すか!雅!!追う」
「瑞希!!!」
雅は明の言葉を聞いていなかった。
意識を失って倒れている瑞希を必死の形相で抱く。
「瑞希!瑞希!!」
何度も呼んで肩を揺すった。
「雅!しっかりしろ!!
瑞希は死んじゃいない!なんの魔法をかけられたにせよ魔女を倒しゃ元に戻る!!追うぞ!!!」
「置いていけない!!!」
雅は叫んだ。
その時パキンッと音がして叶芽が現れた。人型の狼の姿になった健二を連れている。
「こっちに現れましたか。何がありました?」
早足に一行へ近づく。
「雅を庇って瑞希が魔女の魔法に……」
明が説明すると、叶芽は雅の様子を見てため息を吐いた。その間に健二が檻を壊して精霊を逃した。
「魔女はどうしましたか」
「杖の破壊はなんとかしたから箱庭にゃ入れないはずですが、逃しちまった」
叶芽は一つ頷くと健二に向き直った。
「健二、追えますね」
「んー微かに。でもおれは雅ほど血が濃くないからなぁ」
健二は頭を掻いた。
「なんとかして下さい。ひとを集めます。
明はことの詳細と魔女の情報を共有して下さい。
雅!行きますよ!!」
雅が顔を上げた。眉が下がり切って目が潤んでいる。
「このままここにいる訳にもいかないでしょう!瑞希を本部へ連れて帰りますよ!」
雅はゆっくり頷いた。
「私も一旦本部へ戻ります。雅に詳細を聞いてすぐ後を追いますから」
雅は瑞希を抱いて立ち上がった。
瑞希は本部の当直室のベッドに寝かされた。
「おれのせいだ……。もっとはやくへんしんしてかたをつけてれば……」
すっかり意気を挫かれた雅が顔を覆う。
「くよくよするのはおよしなさい!
今回のことはあなたに縛りを課した私にも責があります」
叶芽が雅の頭を叩いた。
「ここは……?」
瑞希の声がした。
「瑞……!!!」
顔を上げた二人は硬直した。
ベッドの上にはあぶあぶの服を着た、幼い、瑞希の面影を残した少女が体を起こしていた。
少女はキョロキョロと辺りを見回した。
「ここはどこ?」
「瑞希……?」
雅は恐る恐る少女に近づいて声をかけた。
「私の名前を知ってるの?」
少女は目を見張った。
「あなたは誰ですか?」
幼い瑞希は雅を見つめて首を傾げた。
「ええ、ええ。はい。
おそらく時の魔女で間違い無いでしょう。
ええ。状況が落ち着いたら私もそちらへ向かいます。では」
そう言って叶芽は電話を終えた。くるりと振り返る。
「……大丈夫ですか?」
瑞希がおずおずと声をかけた。
「あ、ああ」
瑞希の前でしばらく固まっていた雅がやっと動いた。
瑞希はベッドに腰掛け足をぶらぶらさせた。
「ここはどこですか?おばあちゃんは?おじいちゃんも……」
瑞希は再び尋ねた。
叶芽は雅を押しのけると瑞希の前に膝ま跪いた。
「ここはネクストドアネイバースという会社の当直室です。あなたは倒れてここに運ばれました。
あなたのお名前は魚住瑞希さんで間違いありませんか?」
「そうなんですか?助けてもらってありがとうございます。
はい!魚住瑞希です」
瑞希は素直に答えた。
「お歳がいくつかお訊いてもいいですか?」
「七歳。小学二年生になります」
小学二年生の瑞希はしっかりと答えた。
「そうですか。きちんと言えて偉いですね」
叶芽は瑞希の頭を撫でた。
「えへへ」
瑞希は嬉しそうに目を細めた。
叶芽は少し考えて再び口を開いた。
「あなたをお家へ送ろうと思うのですが、準備に少し時間がかかりそうです。
それまでここでお待ちいただけますか?」
「ほんとですか?ありがとうございます!
はい!待ちます!」
瑞希は顔を明るくした。
「人を寄越します。少々お待ちください」
叶芽はそう言って内線でどこかに連絡を取った。
まもなく完全に人に変化した総務の猫又女性が現れた。
「にゃ、にゃ!にゃんて可愛い瑞希ちゃんにゃ!」
猫又女性が思わず声を上げた。瑞希がきょとんと見上げる。
「ジュース持ってきたにゃ。オレンジは好きかにゃ?」
と瑞希にガラスのコップに入ったオレンジジュースを差し出した。
「わぁ!いいの?」
思わず敬語が外れて小さな手でジュースを受け取る瑞希を、微笑ましく思いながら叶芽は雅の脇に肘鉄を食らわせた。
「いつまで惚けているつもりですか。
行きますよ」
雅は脇を抑えながら眉を下げた。
「でも……」
「でもじゃありません!
あなたが行かなくて誰が瑞希を元に戻すんですか!」
叶芽の言葉に雅がハッとした。
「魔女が箱庭に戻れない今しかチャンスはありません!
他の魔女が気が付いて迎えにでも来たら瑞希は永遠にあのままになりかねません。
それがお嫌ならさっさとしなさい!」
雅は頷くとストローでジュースをチューチュー吸う瑞希の前に跪いた。
「俺は大神雅。
お前の事を何より大切に思っている。俺はお前の味方だ」
瑞希は不思議そうな顔をして雅の大きな金色の瞳を見つめた。
「綺麗な目……お兄さんすごく傷ついた顔してる。
大丈夫?」
とコップを脇に置いて雅の頭を撫でた。
「わぁ……ふわふわ」
雅は俯いてしばし瑞希に撫でられるままにしていた。やがて顔を上げて瑞希の手を取った。
「お前を家へ帰す。必ずだ。約束する」
「ほんと?ありがとう!」
そう言って瑞稀の小さな手と指切りした。
森の中、叶芽を背に乗せた漆黒の狼の姿の雅が猛スピードで駆け抜ける。
「時の魔女は恐らくこの近辺の森に潜んで、異変に気付いた仲間が迎えに来るのを待つつもりでしょう。
その前に片をつけますよ!」
雅は短く吠えて返事をした。
しばらくして雅が唸った。
「そう、近いですか。
健二達は?」
叶芽が訊くと雅は唸った。
「そうですか……上手いこと撒かれているのでしょうね。
では私とあなたの二人で頑張る他無さそうですね」
と雅の肩を叩いた。雅は吠えた。
雅が三度唸る。叶芽はメガネを外して仕舞った。カバンからナイフと銃を取り出す。
雅のスピードがグンと上がった。叶芽は雅の背から前方へ向けて銃を構えて、撃った。
幾つもの弾丸が木々の隙間を通り抜け、楔を撃ち砕き、森に潜んでいた魔女を捉えた。
「くっ!」
魔女が肩を抑えながら腕を振って血の刃で辺り一帯を薙ぎ払った。
雅が跳躍する。叶芽は雅から飛び降り、魔女と視線を合わせた。魔女の体が硬直する。身体が足先から灰色へ変わり始めた途端、魔女の姿が一瞬前までいた位置に戻った。
硬直も解けている。叶芽は魔女を見つめながら肉薄した。
叶芽が蹴りを放つ。魔女はそれを腕でガードした。魔女の動きが止まった瞬間を狙って叶芽は銃を撃った。続いてナイフが魔女を襲う。銃弾は魔女の肩を掠め、雅が魔女の背後から襲いかかった。
魔女が腕を振り、血の刃が二人に襲いかかる。叶芽が血の刃を右に体を振って魔女と目を合わせた。魔女の体が硬直する。
魔女はまた一コマ抜いたように一瞬前にいた位置へ戻った。再び撃った叶芽の銃弾が魔女に迫る。魔女は仰け反って弾をやり過ごし、地に手をついて跳んで再び襲い来る雅の攻撃から体を逃がした。
それを読んだかのように叶芽の弾が魔女の肩を捉えた。魔女の動きが落ちる。すかさず雅が魔女に食らいついた。
「くっ!」
魔女は胸に手刀を突き立て心臓を逃した。すかさず叶芽の弾丸が迫る。
魔女は体の再生が終わらぬ内に一コマ飛ばして弾を躱した。
「三秒」
叶芽が魔女の脇に蹴りを食い込ませながら言った。魔女は腕でガードしながら雅の追撃をバク転して躱した。
「あなたの能力は時。自分の体の時を操って攻撃から逃れる」
叶芽は魔女に弾丸を放ちながら解析した。雅が魔女の肩から胸の上部にかけて大きく食いちぎった。魔女の目を叶芽が捉える。
魔女は硬直した。また一コマ抜いて元の位置に戻る。魔女の位置を読んでいた叶芽の銃弾が魔女の胸に撃ち込まれた。ダメ押しで雅の牙が魔女の心臓を噛み砕いた。
「あなたの能力の発動には三秒のインターバルがある。それさえ分かればなんということはありません」
「ぎゃあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ……」
魔女の声が辺り一帯に響き渡り、途絶えた。音を立てて結界が割れる。
叶芽はカバンから蝋燭を取り出すと灯した。
「さあ撤収しますよ。健二達に連絡を取らねば」
叶芽は雅の肩を叩いて背に乗った。雅は駆けて行った。
それを遥か上空から金色の箒に乗った、腰まである長い巻毛の足跡の魔女がじっと見ていた。
足跡の魔女は宙に杖を取り出し、光文字で
円を描いてその中へ姿を消した。




