第二十一話 シルキーの家
会社にて瑞希がコーヒーを配って歩いていると、課長に内線がかかってきた。
「はい、はい。ええ、そうですか。はい……」
瑞希は順にそれぞれの好みに合わせたコーヒーを配って歩いた。
「いやー!瑞希さんありがとうっす!」
又吉がにこにこと細い目を更に細めて礼を言う。
「どういたしまして」
デスクを回り込んで次へ向かう。瑞希が手をかける前にマグカップがふわりと浮いた。
「おう、サンキュ」
明がキーボードを打ちながら自分のデスクにマグカップを置いた。
器用なものだ。
「いえいえ……あっ!」
明に顔を向けていると蹴躓いた。マグカップが宙を飛ぶ。お盆も手から飛んでいった。
瑞希は咄嗟に能力を発動させて中身のコーヒーを浮かせた。
でもマグカップが間に合わない!
すると転ぶ瑞希を誰かが支えた。お盆をキャッチし、マグカップを全て綺麗にお盆の上に受け止めた。
「あ、ありがとうございます。雅」
雅は黙って頷くと瑞希を起こした。瑞希はマグカップの乗ったお盆を受け取ると、混ざらないように宙に浮かせていたコーヒーをそれぞれのカップに戻した。
「お前にもうちょっとだけでも運動神経があればなあ」
明が憐れなものを見るような目でそう言った。
そんな目で見ないで欲しい。
「でも頑張ってるじゃないか」
お盆から自分のマグカップをひょいと取り上げて健二がそう言った。
「そうだ。こいつは頑張っている」
雅が賛同した。
「へいへい」
明はおざなりに返事するとパソコン作業に戻った。
「又吉、瑞希」
瑞希が無事にコーヒーを配り終えて、デスクに戻った所で電話を終えた課長に呼ばれた。
「はい」
瑞希はのたのたと課長のデスクに駆け寄ろうとして、ズベリと転けた。
「依頼案件だ。
依頼人は絹野流衣様。隣人のお客様だ。
電話でのご相談で、詳しい話は家に来てから聴いて欲しいとのことだ。
又吉、向かってくれ。瑞希は着いて行って勉強してこい」
「「はい!」」
瑞希と又吉は返事した。
サポート課が案件に関わる際は基本一人、多くても三人くらいだ。だが、新人である瑞希はどんな案件にも着いて行って、とにかく経験を積むことが今の仕事だ。
「場所はどこっすか?」
又吉が課長に尋ねる。
サポート課が引き受ける案件と言ってもドラゴン退治のような大仕事から物の修理など細々した仕事まで。様々だ。
「それじゃー瑞希さん行くっすよー!」
そう言って車のキーを指で振り回す又吉を見て、瑞希は顔を青くした。
ギャギャギャギャッッ!!!っと激しいいブレーキ音を響かせて、郊外にぽつりと建つ一軒家の横に車が横付けされた。
瑞希はよろよろと車から降りた。
「あれー?瑞希さん車酔いっすか?瑞希さんよく酔うっすね!」
そんなことはない。こんなにヨレヨレになるのは又吉の運転の時だけだ。
「いやー!車って爽快でいいっすよね!」
相変わらず素晴らしい運転なことで。
右折左折は全て車体が浮く程の横滑り、並み居る車をごぼう抜きし、猛スピードで道路を突っ切って赤信号すれすれ。
いつか間違いなく絶っっっ対捕まる。
「さあ、行くっすよ!」
そう言って又吉は一軒家の門の脇にあるチャイムを押した。
『はい』
女性の声がした。
「お電話いただきましたネクストドアネイバースです!」
又吉が元気よく返事した。
『どうぞ』
ガチャリと門のかんぬきの開く音がした。
瑞希と又吉はそっと中へと進んだ。
花々の咲き乱れる美しい、丁寧に手入れされた庭。南フランス風の大きな家が建っていた。
玄関の前で、再度チャイムを鳴らす。
『開いてます』
女性の声が答えた。二人は恐る恐るドアを開けた。
敷居の上に白いひとが立っていた。
色素の薄い絹糸のような金髪を後ろでリボンで纏め、うっすらグレーがかった白いロングドレスに白いエプロンを身に付けた女性だ。
「ようこそいらっしゃいました。
こちらへどうぞ」
女性はそう言って廊下の奥へ進んだ。
瑞希達は靴箱を背に靴を脱いで上がった。
女性は二人を大きな暖炉のあるリビングに通した。
「どうぞ」
と言ってアイスティーと、ミルク、シロップとスコーンを瑞希達の前に静々と置いた。
「初めまして。ネクストドアネイバース、サポート課の猫間又吉と申します!」
又吉がお辞儀をして名刺を差し出す。
「初めまして。同じくサポート課の魚住瑞希と申します」
瑞希も綺麗なお辞儀をして、出来立ての名刺を差し出した。
女性は名刺を受け取ると、テーブルに並べて置いた。
「お越しくださりありがとうございます。
絹野流衣と申します。
どうぞ、おかけください」
女性、流衣は名乗ると二人にソファを勧めた。
瑞希はソファに腰掛けて部屋を見回した。
ほこりひとつない綺麗な部屋だ。でも、どこか寂しい。
「お庭、とても綺麗でした」
思わず瑞希が声を掛けると流衣は微笑んだ。
「ありがとうございます。丹精を込めて手入れしていますので」
瑞希もにっこりした。
「さて、ではお話をお聴かせ下さい」
又吉が姿勢を正して流衣に向き直った。
流衣は美しい所作でコップを取り上げると、一口紅茶を飲んで口を開いた。
「シルキーをご存知ですか?」
「シルキー……」
瑞希が呟くと流衣は頷いた。
「イングランド地方出身の隣人です。
家に憑き、家を守り、家人の世話をする。そんな妖精です。
それが私の種族です」
流衣は静かな声で語り出した。
「この家を見て、どう思われますか?」
流衣が突然訊いてきた。
又吉がキョロキョロする。
「とても綺麗なお家だと……」
「他には?」
又吉が答えると流衣は質問を重ねた。
「少し……寂しい気がします」
瑞希がおずおずと答えた。
すると流衣は悲しげに微笑んだ。
「その通りです。この家にはもう何十年も人が住んでいないのです」
「何十年も……」
瑞希は呟いた。
でも、そんなに古い家には見えない。
「この家の歴史は古い。もう百数十年は経ちます」
「えっ?」
瑞希の心の問いの答えに思わず素っ頓狂な声を上げた。
「明治時代、気にいる家を探して旅をしていた私はこの家を見つけました。
家人は温かく私を迎え入れ、歳を取らない私を不思議に思いながらも置いてくれました。昔は今より不思議な出来事にも寛容でしたから……」
流衣は瑞希に微笑んだ。
「家人が亡くなって、住む人が変わりました。
その人達も私を受け入れてくれた……。
家の外装、内装はシルキーの特性でいくらでも変えられます。
住む人の好みに変えながら何代かそうやって過ごしました」
そこで流衣は手に持つコップに目を落とした。
「ですが代替わりするごとに次第に気味悪く思う人が多くなり、この家には人が住まなくなりました」
流衣は再び瑞希達に目を戻すと
「この度の依頼はこの家に住んでくれる。
そんな人を探して欲しいのです。
それも、二週間以内に」
と強い眼差しで二人を見つめた。
細かい話を詰めて会社に話を持ち帰る前に、瑞希はご馳走になった紅茶のカップなどを片付けを手伝うことにした。
流衣が洗剤で洗って流したコップと皿を受け取って、水を操って最後の一滴まで水切りして重ねていく。
「あなたには水を操る能力があるのですね」
瑞希が掬い取った水を宙に舞わせる様子を見ながら流衣が言った。
「はい。液体ならなんでも操れます」
瑞希は流衣に微笑んだ。
「ひとと会話するのは久しぶりです」
流衣は丁寧にコップを洗いながら呟くように言った。
「昔はよく、こうして家人と一緒に洗い物をしたり、掃除をしたりしていました……」
瑞希はコップを受け取って水を浮かせながら流衣を見つめた。
「私は……ひとが好きです。この家も……」
流衣がぽつりと言った。
「ひとが居ないこの家はあまりにも寂しい。
私はひとと暮らしたい。もっと一緒にいたいのです。
私はもう、ひとりに耐えられそうにありません」
蛇口を捻って水を止めた流衣の目から一粒雫が零れ落ちた。
会社に戻って二人で報告しにいくと課長は唸った。
「最近は家事代行業が流行ってるからな。
得体の知れない隣人をを住まわせるよりそっちを取る人が多い」
課長はデスクの上でまるまるとした指を組んだ。
「隣人向けに入居者募集を出すっすか?」
又吉が手を挙げた。
「そうだな。そうする他ないだろう。
それでも他人がプライベート空間にいるってことが、受け入れ難いってひとが多いからなあ。
最近は特に」
課長は頭を抱えた。
「シルキーに守られる家。
郊外だが時間をかければ住みたいってひとも出てくるだろうが、二週間以内って所がネックだよなあ……」
ため息を吐く。
「お皿を一緒に洗ってる時少しお話ししたのですが、絹野さん……きっと思い詰めて、最後の希望を託してここに連絡して来たんだと思います。
ひとと一緒に暮らしたい。ひとりがもう耐えられないっておっしゃってました……」
瑞希は視線を落とした。
その日の夜。瑞希は雅とテレビを観ながら考えた。
コジローは一足先に寝てしまった。夢を見ているのか、時々鼻を鳴らす。
「ねぇ、雅……家にもう一人増えるってどう思いますか?」
瑞希は雅と至近距離で視線を合わせながら訊いた。
「えっ?」
瑞希に向き直った雅はかなり狼狽えた顔をした。
大きな金色の瞳があちこち彷徨う。
寝てた時に驚かされた犬のようだ。
どうしたんだろう。
「えっそれ、どどどどういう……お、お前がいいなら」
いつも口数が少なくて箇条書きみたいな喋り方をする雅がこんなになるなんて初めて見た。
「それがですね。
今日のお仕事でシルキーさんとお話ししたのですが、一人きりで何十年も過ごしてきて、ひとりが寂しいと……誰かと暮らしたいと言ってらしたんです」
瑞希は膝を抱えた。
「きっと思い詰めてネクストドアネイバースに電話してきたんじゃないかと思うんです。
二週間以内って切羽詰まった依頼をされましたから……。
ひとりがもう耐えられないって……」
「ああ、そういうこと……」
雅の顔がみるみる赤くなり、眉が下がりきって横を向いた。
瑞希はなんだか耳を寝かして失敗を恥じている犬を思い出した。
「シルキーっていうのは家事妖精だったな」
雅は表情と視線を戻すと訊いてきた。瑞希は頷いた。
雅は百面相した。
顎に手を当てて何やら難しい顔で考えているかと思えば、顔を横に向けて真っ赤になったり、眉を下げて瑞希を見つめたかと思えば、目をぎゅっと閉じて悩んだり……。
「雅……私は雅の正直な気持ちが知りたいです。
私のことを考えて気持ちを隠さないでください。お願いします」
瑞希は真摯な眼差しで雅を見つめた。
雅はまた表情を戻すと、
「他人が家にいることに、それほど抵抗は、ない。
ただ……」
と口ごもった。
「ただ?」
瑞希が先を促すと、雅はまた顔を赤くして横を向いた。
「……お前と触れ合う時間が、減る。
俺が……それを他人に見られると、恥ずかしいと思うから。
でも正直言うとそれも慣れだ、と思う。
お前の客に寄り添う気持ちを大切にしたい」
瑞希は頬を染めて顔を綻ばせた。
五日後。
「よい……しょっと!
これで最後っすかねー!」
Tシャツにジーパン姿の又吉が瑞希のチェストを部屋に置いた。チェストの引き出しが開かないように縛っていた紐を解く。
「ありがとうございます!
皆さんも、ありがとうございました!」
瑞希達は流衣の家に住むことになった。
シルキーに守られる家は人間の理と隔絶されながらも、人の世界に自然と馴染むらしい。
郊外の割に都心に近いこの地は電車で充分に通える。瑞希は駅に着くまでの時間短縮に自転車を買った。
超特急で荷造りした後は、サポート課のみんなが手伝ってくれた。
「なんのなんの!
これも今回のお仕事の内っす!
いやー、梅雨なのに晴れてよかったっす!」
又吉が額の汗を拭いながら言った。
「お疲れ様です」
流衣が人数分のアイスティーを持って来た。
皆んなが半袖の中、一人だけ袖の長いエプロンドレス。
シルキーというものは現世にありながら影響を受けないんだとか。
「この度のこと……本当になんとお礼を申し上げたら……」
綺麗な所作でお辞儀をする。
「瑞希が課長に進言した時にゃびっくりはしたけどな。
まあ、解決してよかったよ」
明がアイスティーを受け取りながら言った。
「ほら、コジロー。新しいおうちだよ。
短い間に何回もお引っ越しさせちゃってごめんね。
お庭のお花は踏んじゃだめだよ」
瑞希がコジローをお出かけケージから出すと、コジローはあちこちの匂いを嗅ぎ回り始めた。
「それじゃあ、おれ達は一旦会社に帰るかな」
玄関から外に出て、健二がバンのドアを開けて言う。明がレンタルトラックの運転席に着いた。
瑞希は流衣の手を握った。
「流衣さん。今日からよろしくお願いします。私たちが帰って来たら、「お帰り」って言ってください」
瑞希の言葉に流衣は頷いた。その微笑みにもう悲しそうな影はない。
「じゃあ、行ってきます!」
瑞希は皆んなと一緒にバンに乗り込んで流衣に手を振った。
「行ってらっしゃいませ」
流衣も微笑みながら手を振った。




