第二十話 異動騒動
「おはようございます!」
「はよ」
瑞希はフライパンを返してパンケーキをひっくり返しながら挨拶した。寝癖を付けた雅が挨拶を返す。
雅は瑞希と暮らす前は朝食を抜いていたらしい。ギリギリまで寝たかったんだとか。
雅と暮らし始めて瑞希の毎日はとても楽しい。
雅は瑞希の後ろからもたれかかって肩に顔を乗せた。瑞希は前に回された雅の腕をトントンと軽く叩いてやった。何処ぞの動画で見た大型犬を思い出しながら。
雅も最近やっとクマを作らなくなって、なんだか開き直ったような顔になった。それからと言うものこうやってよく大きな犬みたいにくっ付きたがる。
可愛いなぁ。本人には言えないけど。
瑞希は鼻歌を歌ってパンケーキを皿に移した。
顔を洗ってきた雅と二人で食卓を囲んだ。コジローも二人が食べるのを待っている。
「上機嫌だ」
パンケーキにバターを乗せながら雅が言った。
「ん?いつもですよ。雅といると楽しいです」
パンケーキにちょっとだけシロップをかけながら瑞希は答えた。
六月始め。何と言っても今日は異動の日だ。
雅には皆んなで内緒にしている。驚かそうと思って。
検定も無事に終えた。手応えもバッチリだ。
雅は少し上目遣いで瑞希を見た。
「何を隠している」
うっ。
瑞希はぎくりとした。
「その内話します!コジロー、食べていいよ!
いただきます!」
コジローがごはんに飛びついた。
「……いただきます。いつもありがとう」
雅はまだ何か訊きたげだったが、食事を開始した。雅はいつもご飯の時にお礼を言ってくれる。
「どういたしまして」
瑞希はにっこりしてパンケーキを頬張った。
叶芽と一緒にサポート課の入り口を潜る。
サポート課の課長が立ち上がった。瑞希は課長の隣に並んだ。
「今日より異動になりました魚住瑞希です!
よろしくお願いします!」
と言って叶芽直伝の綺麗なお辞儀をした。
顔を上げる。
「「「サプラーイズ!!!」」」
課長と叶芽と声を合わせて雅に向かって両手を広げた。雅は硬直している。
「〜〜っ!!!何故っ……!!!」
雅の硬直が溶けた。ガバリと立ち上がってショックを受けた顔をしている。
……あれ?
ズンズンと前に歩いてきて瑞希の肩に手を置いた。その後の雅の表情はちょっと見ものだった。
瑞希に向かって眉を下げ、瑞希の両側に立つ課長と、叶芽に眉を吊り上げ、また瑞希を見てますます眉を下げ、課長と叶芽に牙を剥いて唸った。
そして瑞希をちょっと横に避けて叶芽に向き直った。
「何故ここに異動させた!!!」
雅が吠えた。声がビリビリ響き渡る。
「瑞希は戦力になる。細かな気遣いと根気、誠実さが向いている。そう判断したからです」
叶芽は腕を組んでしれっと答えた。
「危険だ!!!!」
雅は鬼の形相だ。
「瑞希の能力は充分戦えます。
それにもう決まったことですよ。
瑞希自身が望んだことでもあります」
オロオロする瑞希を他所に叶芽は涼しい顔で言い放った。
「〜〜っっ!!!!」
雅は何も言えなくなって拳を握りしめると、大きな音を立ててサポート部を飛び出して行った。
慌てて瑞希が追おうとすると叶芽に引き止められた。
「放って置きなさい。雅には頭を冷やす必要があります」
「でも、あんなに怒って……」
瑞希は狼狽えた。
「想定内です。こうなることは初めから分かっていましたから。
雅はあまりにもあなたしか目に入っていない。いい薬です」
「でも……」
自分が行かなければ誰が雅の気持ちを分かってあげられるのだろう。
「放っておきな。
雅は真っ直ぐすぎるんだ。そろそろ自分で曲がり方を覚えた方がいい」
そう言って全身茶色の優男が伸びをしながら立ち上がった。
茶髪に、薄茶色のシャツ。茶色のネクタイに、茶色のパンツ。革靴も茶色だ。
茶色の男は瑞希の前に立つとにっこりした。
「おれは犬井健二。狼人間だ。」
雅の他に狼人間がネクストドアネイバースにいることを瑞希は初めて知った。
異動してからの瑞希の一番最初の仕事はお茶汲みと過去の案件に目を通すことだった。
お茶汲みは一番新人がやる決まりらしい。瑞希が来るまでは又吉だったとか。
水やお湯を操ってコーヒーを淹れ終えると雅が戻ってきていた。
皆んなに教えてもらったそれぞれのマグカップをデスクに配り、最後に雅の所へ向かった。
砂糖を二つ入れたコーヒーを雅のデスクに置く。
「雅……あの……」
「いい。分かってる。俺の問題だ」
雅が表情固く遮った。
「私……」
「いい。時間が必要だ。ほっといてくれ」
雅は真っ直ぐパソコンに向いたまま言った。
そう言われてしまえばそこまでだ。
瑞希はすごすごと新品の自分のデスクに戻って行った。
「いやー!瑞希さんの淹れたコーヒー美味いっすねー!
おいらが淹れたのは皆から激マズって言われてたっす!」
又吉が隣のデスクで声を上げた。
瑞希はその明るさに少し救われた。
「……いただきます。いつもありがとう」
雅が萎れて手を合わせる。
「どういたしまして……。いただきます。コジロー、食べていいよ」
コジローがごはんに飛びついた。
瑞希の異動から五日。家でも瑞希と雅の間に会話が無くなった。雅はまたクマを作るようになって、くっ付いてくることも無くなった。目が合う数もかなり減った。
会話は元よりそんなに多い方ではなかったが、今は挨拶ぐらいしかしない。
瑞希はしょんぼりしながら朝ごはんのピザトーストを齧った。
こんなことならもっと早く言っておけば良かったなぁ……。雅を傷つけてしまった。少し考えれば分かったことなのに……。
「お前のせいではない」
雅がボソリと言った。見ると眉を下げてチラチラと瑞希を見ている。
「分かっては、いる。サポート課にお前が必要なことも、お前が望んでいることも。
だが心配で仕方ない。
頭を過るんだ。お前が傷つく姿が」
大きな金色の瞳と目が合った。雅は慌ててピザトーストに目を落とした。
その日の夜。お風呂上がりに雅がぼーっとテレビを観ていたソファに瑞希は腰掛けた。ぴとりと雅にくっ付く。雅はビクッとした。コジローは一足先に寝てしまった。
雅が眉を下げてチラチラと瑞希を見る。瑞希は黙って雅の肩に頭を寄りかかからせた。
雅の不安を和らげるにはどうしたらいいんだろう。
そう思いながら雅に寄りかかったまんま一緒にぼーっとテレビを観た。
翌日。会社でコーヒーを淹れていると、課長に呼ばれた。
「討伐案件だ。
種族はブラックドラゴン。今時珍しい、獣と同じ、話せないタイプだ。
もう何人も人を食ってる」
課長みんなを見回した。
瑞希は息を飲んだ。
「中国支部で対応していたが、逃げられて、今、日本に上陸しようとしている。
これ以上被害が出ない内に片付けたい。
支部長からのご指名だ。瑞希。行けるな」
それまでぼーっとパソコンを眺めていた雅がガバリと立ち上がった。
「〜〜っ!!!」
課長に食ってかかろうとして口をパクパクさせた後、ドスンと椅子に落ちるように座って食い入るようにパソコンを見つめた。
怒ってる。
「はい。大丈夫です」
瑞希は雅の心境を思いながらも、力強く頷いた。
「それじゃ、誰か見守り兼、足を……」
部長が見回すと、健二が手を上げた。雅は頑なに何も映していないパソコンを見つめている。
「おれ行きますよ」
「じゃあ頼むな」
課長は頷いた。
「よろしくお願いします」
瑞希がペコリと頭を下げると、健二は朗らかに手を挙げた。
「頑張ってな」
そしてツカツカと雅のデスクに近寄ると、なんと、雅の椅子を蹴って転がした。
床にひっくり返った雅がきょとんと健二を見上げる。
「雅、お前も行くんだよ!
新人の見守りは二人だ」
「行かない」
雅は牙を剥いた。
すると健二は雅の首根っこを引っ張って廊下に引き摺り出した。
「どうせ何にも手についてないんだから着いて来い!仕事しろ仕事!」
とすごい速さでズンズン引っ張っていく。雅に立ち上がる隙を与えない。
瑞希はのたのた後を一生懸命追いかけててズベリと転んだ。
子会社を経由して瑞希達一行は車で浜辺に乗り付けた。遠くに黒い点が見える。ドラゴンだ。
瑞希はカバンの魔法陣から瓶を一つ取り出すと、辺りに結界の霊水を撒いて広範囲に浮遊させた。
黒点はみるみる大きくなり、近づいてくる。瑞希は軽く腕を振ると海から水を掬い上げて纏った。
ドラゴンが三人を獲物と見たのか、急降下して迫ってきた。
瑞希は空へと飛んだと同時に、大量の海水を掬い上げて無数の矢に変化させ、ドラゴンへ放った。
ドラゴンは炎を吹き出した。ドラゴンを隙間なく囲んでいた水の矢は悉く炎に当たって蒸発した。
と、その時。ドラゴンの首が勢いよく伸びた。まだ距離がかなりあるのに一瞬で瑞希に迫る。
地上で雅が思わず狼に変身した。海辺へと駆け寄ろうとしたところを健二に止められた。
健二は巨大な体躯の人型の茶色い狼に変身していた。伝承の狼人間そのものだ。
「大人しく見てろ!」
雅の首を抱え込んで健二は叫んだ。雅が吠えた。
瑞希はひらりと宙を旋回して首を躱すと同時に海が立ち上げて、ドラゴンを巻き込んだ。
激しく回る巨大な水球の中心にぽっかりと穴を空ける。
瑞希はドラゴンと目を合わせた。
「ごめんね」
言葉と同時にドラゴンの心臓を巨大な水の矢が貫いた。ドラゴンは水中でごぼりと泡を吐いて息絶えた。
あっという間の出来事に雅は口をあんぐり開けて硬直していた。
瑞希はドラゴンをそっと地上に下ろして水球を解除した。液体に戻った海水が日を受けてきらきらと光る。
霊水をドラゴンの周辺に広く散らして地面に染み込ませると瑞希は地上に降り立った。
健二は人の姿に戻り、雅は狼の姿でまだ口を開けている。
瑞希は纏っていた海水も全て海に戻すと、二人に駆け寄った。
「よっ!お見事!」
健二の褒め言葉に微笑みながら雅に歩み寄る。
「雅……。私は雅に出会ってからずっと守られる存在でした。
でも、水を操る能力を得た今、私は戦えるようになりました。身を守る力を手に入れました。
まだ未熟でヒヤヒヤさせてしまうかもしれませんが、一緒に戦わせて下さい」
瑞希は雅の大きな顔を抱き締めた。鼻面に小さくキスをする。
「私も雅が傷つくのは怖い。
でも、並んで二人で助け合いながら戦ったら傷付く可能性が減るかもしれない。
その怖さが少しは安心に変わるんじゃないでしょうか」
雅は溶けるように人の姿へ戻った。
顔の下半分を片手で覆って赤くなっている。
「お前が……あんな力を手に入れてるとは思わなかった……」
そう言えば雅には見せたことがなかったかもしれない。
「お前は……戦いたいのか」
雅が大きな金色の瞳で瑞希をじっと見つめた。
「はい。
自分の力を最大限に活かせる。私の力で色んなひとを助けたい。
私も雅を守りたい。そんな思いでサポート課に来たんです」
瑞希は雅の視線を真っ直ぐ受け止めて頷いた。
「……そうか」
そう言って雅は口角をちょっと上げた。
「おはようございます!」
「はよ」
瑞希は鼻歌を歌いながらレタスをちぎった。
雅はクマを作らなくなった。
雅が瑞希の肩にもたれて頭を乗せる。
瑞希は首に回された腕を優しくトントンと叩いた。
「いただきます!」
「いただきます。いつもありがとう」
二人で手を合わせて食卓を囲む。今日はトマトチーズリゾットにサラダだ。
「コジロー食べていいよ!」
瑞稀の声掛けでコジローがごはんに飛びつく。
「雅と食べるごはんって美味しいです」
「そうか」
瑞希がにこにこしながら言うと、雅は優しい目になった。
「俺も、お前と食べる食事が一番美味い」
「ふふ。ありがとうございます」
瑞希はにっこり微笑んだ。
会社でコーヒーを淹れる。表面張力で物を動かせるようになってからは手を使うことが更に減った。
「おー幻想的だな」
通りかかった健二が給湯室を覗いて言った。
「ありがとうございます」
瑞希はインスタントコーヒーを各々のマグカップに入れながら礼を言った。
そう言えば……。
「健二さんこの間の事も、ありがとうございました」
「ん?なんのことだ?」
健二が眉を上げる。
「ドラゴン討伐の時……雅に見に行くように言ってくれて」
あれのおかげで雅の心の不安が少し和らいだのではないかと思う。
瑞希はマグカップにお湯を注いだ。それぞれの好みに合わせた砂糖とミルクを入れていく。
「ああ、あれな。瑞希が戦えるって事を直に見ないと、いつまでも張り付いて守ろうとするからな。
気持ちは分からんでもないけど」
「健二さんも経験があるんですか?」
瑞希が訊くと健二は頷いた。
「ある。おれの時はもっと過保護だったな。
なんせ十二歳の女子中学生だったから」
瑞希は目を見張った。
「狼人間のパートナーは普通の人間の事もある。おれの場合はそうだった。
そういう時には大抵相手がまだ幼い段階で見つかるらしい。
でも相手がまだ子供の時に感じるのは恋愛感情じゃなくて可愛くてしょうがない自分の子供とか、妹みたいな感じだ。
事故に遭わないか。友達にいじめられないか。勉強で苦しんでいないか。
それはもう何もかもが心配でひっついて離れなかったよ」
瑞希が運ぼうとするお盆を取り上げて健二が説明した。
「健二さんはどうやってその時期を乗り越えられたんですか?」
健二の持つお盆からコーヒーを配りながら瑞希は訊いた。
「本人にいい加減にしろって怒られた」
健二が笑いながらそう言った。
「出会ってから二年くらいで反抗期が来て、「何でもかんでも出来ないと思うな!」、「過保護過ぎる!」、「自分に出来ることは自分でするんだからほっといて!気持ち悪い!!」って怒鳴られた」
健二は思い出したのかクックと肩を揺らした。
「目が覚めたよ。
このままじゃ自分はあの子をカゴに閉じ込めとかなきゃ安心できなくなるって気付いた。
でもそんなじゃダメだ。あの子の自由を奪うなんてとんでもない。
あの子が自分で乗り越えなきゃいけない事もある。それを全て取り除くのは間違いなんだって気が付いたんだ」
健二はカップが二つだけ乗ったお盆を瑞希に返した。
「雅もこのままじゃいずれそうなる。そう思った。聞いた限りの話じゃ瑞希がそんなこと言う感じでもないし、今の内に気づかせた方がいいんじゃないかってな」
健二がお盆から自分のカップを取り上げて瑞希の背中を押した。
「あの子も今や華の女子高生。今度ダブルデートしようぜ」
「はい」
瑞希は微笑んで最後の真っ黒なタンブラーを雅の元へ運んだ。
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