第二話 ネクストドアネイバース
「無事か」
黒い人は瑞希を真っ直ぐ見つめながら訊いてきた。瑞希は慌ててこくこくと頷いた。黒い人はひとつ頷くと瑞希を抱え上げた。
今度はお姫様抱っこだが、未だ混乱するまま瑞希は暴れた。
またどこかへ連れて行かれるのはごめんだった。
枷の嵌ったままの両手で黒い人の顔をグイグイ押しのける。
「……このままでどうする」
黒い人は眉を下げて瑞希を見つめた。
目が見えるようになったことで、ますます子犬を思わせる顔でそう言われて瑞希はちょっと怯んだ。
黒い人は暴れる瑞希を開け放たれていた車の荷台に腰掛けさせた。
手が離されて瑞希はほっとすると同時にぼーっとした。
あまりに色々なことが起こりすぎて頭が処理できない。
黒い人は離れてテキパキと何やらしている。と、突然蝋燭が灯された。不思議なことに風が吹く中でも火が全く揺らいでいない。
その明かりに照らされて黒スーツ達の遺体が目に入り、瑞希は再び恐怖が込み上げてきた。
なぜあの人は平然としているのだろう。
黒い人は黒スーツの遺体を検分して回っていた。
瑞希は人が目の前で死ぬのを初めて見た。死の瞬間のその光景は恐ろしいものだった。
でもそれよりも怖いのは自分がその原因となった人物に恐怖心を抱いていないことだ。
瑞希は再び黒スーツ達に目を戻して飛び上がり、荷台から派手に落ちて転んだ。
声が出ていたら叫んでいたかもしれない。
黒い人がそれに気付いて駆け戻り、瑞希を抱き上げる。
瑞希は黒い人にしがみつき、震える手で黒スーツを指さした。
黒スーツ達はどろりと形を崩して溶けだしていた。
「あいつらは人ではない」
瑞希はバッと黒い人を仰ぎ見た。黒い人は黒スーツ達に視線を向け、憐れなものを見るような目をしていた。
「魔術で作られたモノ達。命令通りに動く人形。感情があるだけ、憐れだ」
そう説明しながら黒い人は再び瑞希を荷台に腰掛けさせた。黒スーツ達を振り返った顔は悲しそうだ。
黒い人は瑞希の前に跪くと枷に鍵を差し込んだ。カチリと音がして枷が外れる。
黒スーツ達を検分して回っていたのはこれのためのようだった。
黒い人は立ち上がって自分のコートを脱ぐと瑞希に差し出した。瑞希はおずおずと受け取った。
「人避けの結界が張ってある。要員が来る。ここの後始末をする。」
そうこうしている間に黒スーツ達は血のような染みを作って溶け切った。後に残ったのは血痕と服と銃だけ。瑞希はなんとも言えない気持ちになった。
「お前は保護する。心配するな。迎えが来る」
黒い人が瑞希を見つめて言った。
この人表情は豊かだが、口調が固い。箇条書きみたいな話し方だ。無口というかなんというか……。
「魔女に会ったな」
黒い人はすん、と鼻を鳴らすと唐突に訊いてきた。
魔女?
瑞希は首を傾げた。
「金髪碧眼の女だ。黒ドレスの」
瑞希は思い切り顔を顰めた。
確かに会った。会ったどころの話ではないが。
「そうか」
黒い人は瑞希の表情で見当がついたらしく短く返事した。
「ーー」
瑞希は次に湧いた疑問を口に出そうとしてパッと喉を押さえた。
そうだ。声は出ないんだった。
自分が人間でなかったこともショックだがこのまま戻れないのかと不安になる。
おばあちゃんの言いつけはこの事を秘密にする為だったのだろうか。
「まずは風呂だ」
は……?
「お前の体は戻る。塩を流せば」
声は出ずとも瑞希の心境は伝わったらしい。黒い人はそう捕捉した。
瑞希はほっとした。次に黒い人本人を指す。
いつまでも黒い人じゃ勝手が悪い。名前くらい教えて欲しい。
黒い人はきょとんと自分を指した。直ぐに眉毛が下がって悲しそうな顔になる。
「俺が怖いか」
声は平坦だが表情が全てを物語っている。瑞希はふるふると首を振った。黒い人はますます眉を下げた。
「こんなとこまで着いて来たのが気持ち悪いのか」
どうしてそんな顔するかな。そういえばどうやって着いて来たんだろう。
瑞希は再び首を振ると口の形で「な・ま・え」と伝えた。
「名前か」
黒い人の眉の位置が戻った。瑞希はこくこくと頷いた。
「大神雅」
黒い人改め雅は短く答えてちょっと不気味な笑みを浮かべた。
ひょっとしなくてもこの人、とんでもなく不器用なんじゃなかろうか。
と、瑞希はそう思った。
「あなたはいっつもいつも!突然!言葉足らず!お陰様でこちらは大変!もうちょっとなんとかならないのですか!!」
突如女性の声がして瑞希は再び飛び上がった。身を乗り出して見ると蝋燭を持った誰かがツカツカと近寄って来た。
雅の眉がちょっと下がる。
「できない。悪いとは、思っている」
雅は即答した。
「仕事を片付けたと連絡が来てからいつまで経っても帰ってこないと思ったら!
突然「掃除、人魚、保護、風呂、部屋、魔女」とだけ送ってきて!それだけで意味を汲み取った私の労力お分かりですかね!?
私が今日当番にいてよかったですね!?」
暗がりから髪を後ろで一つにお団子にした女性が現れた。メガネをかけて厚着をしている、涼やかな目元の美人さんだ。
「それで?こちらが今回のクライアントさんですか?」
女性は瑞希の前まで来ると雅をキッと見て雅はコクリと頷いた。
どういう意味だろう?
女性はくるりとこちらに向き直ったため、瑞希はびくりと身を竦ませた。
「初めまして。私、ネクストドアネイバース日本支部、支部長、蛇元叶芽と申します。
大変でしたね。ご安心ください。我々はあなたの味方です」
ネクストドアネイバース。世情に疎い瑞希でも聞いたことのある名前だ。
世界各国に支店を持つ幅広い分野に進出している会社では無かっただろうか。
キャッチコピーは確か『あなたの隣人。困った時のネクストネイバース』。
大企業の割になんというか少し気の抜けるようなものだった。
叶芽は瑞希の異様な姿に動じる事なく跪いて目線を合わせた。
「ドラゴン、吸血鬼、妖精に妖怪。童話やおとぎ話、言い伝えや怪談などのファンタジーの登場生物をご存知ですか?」
叶芽は魔女が言っていたのと同じようなことを訊いてきた。
幼い頃に少し齧っただけだが少々なら分かるので瑞希は頷いた。
「空想上の世界に棲むと言われている彼らは、人間に紛れて、あるいは隠れてここ、現実世界に生きています」
俄には信じがたい話だが、自分という実例を目にしてしまっては信じる他ない。
「我々はあなた方の事を親しみを込めて『隣人』と呼んでいます。
現代に生きる隣人の抱える様々な悩み、トラブルを解決するべく結成されたのが我々ネクストドアネイバースなのです」
叶芽の話は瑞希をくらくらさせた。叶芽はそっと瑞希の手に手を重ねた。ひんやりしている。
「まずは姿を戻しましょう。そして聴かせてください。あなたの困りごとを」
今まで感じたことのない親身な物言いに零れそうになった涙を堪えて瑞希はコクリと頷いた。
叶芽は瑞希を連れて都心から少し離れた郊外の広い敷地に車を進ませた。大きなマンションのような建物が幾つも建っている。ちなみに雅は現場に置いて行かれた。
コートは返したが、一人であのままで大丈夫だろうか。
「ここは我が社の社員寮ですが、あなたのように危険な目に遭ったひとの避難所でもあります」
叶芽は助手席に回り込んで足先、いや尾鰭まですっぽりと毛布に包まれた瑞希を抱き上げた。
意外に力持ちだ。
「ネクストドアネイバースには隣人が多数勤めています。かく言う私も隣人なのですよ」
叶芽はマンションの一つに歩を進めながら悪戯っぽく瑞希を見下ろした。瑞希は驚いて叶芽を見つめた。
全然そんな風に見えない。
「私にはメデューサの血が流れています。遠い昔、日本に流れ着いたメデューサの一族が祖先です。
親兄弟はすっかり血も薄まっていて、直に目を見ても数秒人の動きを止めるのがせいぜいというところなのですがどうしたことか、私は先祖返りしてしまいまして……」
叶芽は自動ドアの横に着いている版に暗証番号らしきものを打ち込みながら言った。
「ある時、能力が発現して父を石に変えてしまいました。」
瑞希は痛ましそうに叶芽を見つめた。
「そんな時に母が頼ったのがネクストドアネイバースでした。
知っていますか?ネクストドアネイバースの広告には隣人にしか見えない仕組みがあるんですよ」
瑞希は驚いて首を振った。
パート先のテレビでチラッと見た広告にそんなに変わったところは無かったはずだ。
誰もいないエントランスを通ってエレベーターに乗り込む。
「『妖怪、幽霊、超能力から妖精まで。トラブル解決!なんでもご相談ください』とデカデカと映像化されてるんですよ。
音声も後ろで微かに表向きの広告内容を言ってますが、大きな声で社長が隣人向けに語りかけるようになっているんです。
ポスターや新聞の広告なども全てそうです。
今まであなたが見えなかったのはきっと能力が発現したことがなかったからでしょうね」
叶芽の見当に瑞希は少し納得した。
おばあちゃんもそうだったのかな。
叶芽はガラス張りの入り口の横の版にまた暗唱番号を打ち込んで鍵を差し込んだ。
部屋の一つの鍵を開けて入ると、叶芽は先ず瑞希を風呂場へ連れて行ってくれた。
服を脱ぐのを手伝ってくれ、下着姿になった瑞希を風呂場の椅子に座らせ、シャワーを握らせて叶芽は浴室から出て行き
「私は着替えを用意してきます。体を流して暖まってください。下着も外に置いてて下さい。後で洗いますんで」
そう言って立ち去った。
瑞希はシャワーを出すと尾鰭をなるべく見ないように頭から思い切り被った。
しばらく目を閉じたままシャワーを浴び続けてそっと目を開けると尾鰭は脚に戻っていた。
「戻った……」
と震える声で思わず呟いた。そっと喉を撫でる。声も戻ってきた。
瑞希は備え付けのシャンプーとボディソープで頭と体を丁寧に洗うと湯の張ってあった湯船に浸かった。
お湯に浸かるなんて何年ぶりだろう。
緊張の糸が切れてどっと眠気に襲われた。
「上ら……な……きゃ……」
そこで瑞希の意識は途絶えた。