第十九話 一緒に住みますか?
土曜日の午後。瑞希はタロの拾い主の男性に呼び出された。雅も非番の日でついて来てくれた。
「デコジロー!」
「キャンッ!」
瑞希が男性の家に入るとずいぶん大きくなったコジローが跳ね飛んできた。
瑞希を押し倒してベロベロと顔を舐め回す。
「大っきくなったねー!くすぐったいよ!」
瑞希はコジローを引き剥がすのに苦労した。
雅がコジローを拾い上げる。
コジローは今度は雅をベロベロに舐めた。
人懐っこい子だ。
「デコジロ!こら!
いやあすいません」
男性が謝りながら雅からコジローを受け取った。
「いい。気にしてない」
雅は袖で顔を拭いながらそう言った。瑞希もやっと体を起こした。
「お話って何ですか?」
瑞希が問うと、
「まあ、それはお茶でも飲みながら……」
そう言って男性は瑞希と雅をリビングに案内した。瑞希達は今回はきちんと並んでテーブルに着いた。
「こんなものしかなくてすいません」
男性がそう言いながら焼き菓子と、コーヒー、角砂糖、ミルクを持ってきた。
礼を言って瑞希はミルクと角砂糖二つ、雅はブラックを一口飲んで今回は二つ角砂糖を足した。前回甘過ぎたのかもしれない。
「いやー話と言うものもですな……。
デコジローを飼うつもりはありませんかな?」
男性の言葉に瑞希は目を見張った。
「それと言うのも、デコジローを残して、他の子犬達は皆んな里子に出したのですが、先日妻が病気で入院しましてな」
そう言えば他の子犬が居ない。居るのは黒と茶色の豆柴の夫婦が二匹。昼寝をしている。
「奥様のお体……ご心配ですね」
瑞希が言うと、男性は手を振った。
「いやはや、健康には気を付けているつもりでしたが、歳ですかね。
あんまり大した病気じゃないんで退院の目処も立っています」
そして男性は床から見上げるコジローを見つめると瑞希に向き直った。
「私たち夫婦は犬が大好きでして。
ずっと一緒に居たいとは思っておりましたが、今回の妻の病気で思ったんです。
このままデコジローを飼っていて、私たちが先に死んでしまったらどうしよう、と」
男性はテーブルに肘をつくと指を組んだ。
「それで、妻と話して、この子だけ遅れて里親を探すことになったんですが、ふとあなたのことを思い出しましてな」
コジローを見つめて男性は目を細めた。コジローは柴犬スマイルで三人を見回す。
「タロをあんなに可愛がっていたあなただ。デコジローも預かってもらって面識もありますし、懐いている。
あなたならデコジローも可愛がってくださるんじゃないかと思いましてな」
瑞希は雅と顔を見合わせた。雅が頷く。
「無理にとは言いません。ただ、あなたに一番にお声がけするのが良いかと思いましてな」
男性は目元を和らげたまま瑞希を見つめた。
「そのお話し、ぜひ受けさせてください」
瑞希は顔を綻ばせた。
瑞希と雅はそのままコジローをもらって帰るのではなく、先ずは叶芽に許可を取りに行くことにした。
「わんちゃんですか。いいですよ」
支部長室で叶芽は書類に目を通しながらあっさり許可をした。
「どちらが飼うんです?」
瑞希が手を挙げた。
「ふーん……あなた達もういっそのこと一緒に住めばいいのに」
叶芽は意味深に微笑んでそう言った。雅が吹き出した。
瑞希はパッと顔を明るくした。
「いいですね!一緒に住みますか?」
瑞希が見上げると雅はとんでもないとでも言うように手と首を振った。
「い、いや、それは」
雅の眉がみるみる下がる。サングラスをかけているが目が困っているのがありありと分かる。
「どうしてです?」
瑞希は首を傾げた。
雅の顔がみるみる赤くなる。叶芽が楽しそうにニヤリとした。
「家族寮に空きはありますよ」
「ほんとですか?ねっ雅!一緒に住みませんか?」
雅は叶芽を睨んだ。
「瑞希さえ良ければ良いんじゃないんですかねぇ」
叶芽はますます笑みを深くした。
「俺が、困る」
雅が叶芽に牙を剥いた。
「雅が?あっ一人の時間が大切とか……」
瑞希はその可能性に気付かなかった自分を恥じた。
雅はあんなに自分のことを考えてくれるのに。
「いや、それは断じて、ない。
お前といる時が一番好きで大切だ」
雅は即答した。今度は瑞希が赤くなった。
「そ、そうですか……。ありがとうございます。
でも、ならどうしてですか?」
瑞希は雅を見つめた。
「うぐっ。そ、それは……」
こんなタジタジな雅は珍しい。
叶芽はとうとう肩を震わせて笑い出した。
「オオカミになるんですよ」
「言うな!!!」
叶芽が楽しそうに言うと雅は叶芽に吠えた。
「狼に?雅はいつもなってるのに?」
雅はそこで瑞希に向き直ると、真っ赤になりながら両手を肩に置いた。耳を下げた犬のように視線が合わない。
「お前は、無防備、過ぎる」
「隙だらけですか?」
瑞希が問うと、雅は頷いた。
「そうだ」
「大丈夫ですよ!ドジばっかりすると思われがちですが、これでも家事はバッチリ出来ます!!」
瑞希は力瘤を作った。雅はなぜか天を仰いだ。
「いいんです、いいんです。
雅だって本心は瑞希と暮らしたいと思っていますから。
私が許可します」
叶芽はとうとう書類を置いて、二人に向き直り、プルプル肩を震わせた。
何がそんなに面白いのだろうか。
「ほんとですか?
ねっ!雅!一緒に住みましょう!コジローと一緒に三人で!!お願いします!!!」
瑞希のお願いに雅は何故かとうとうサングラスを外して目を覆った。
「コジロー、新しいお家だよー。
うふふ。よろしくね」
家族寮の新居で瑞希はコジローをお出かけケージから出した。コジローは辺りをフンフンと嗅ぎ回る。
叶芽は瑞希達の引っ越しを全面的に協力してくれて、総務課の皆んなで荷運び、荷解きしたのであっという間だった。
雅は始終、叶芽を睨んだり、瑞希を見て眉を下げたりしていた。
「キャンッ!」
コジローは柴犬スマイルで瑞希達を見つめて千切れんばかりに尻尾を振った。
「お腹空いたでしょう?ごはんにしよっか」
瑞希はコジローの元飼い主改め木下さんからもらってきたドッグフードを器に出した。
コジローは尻尾を更に振った。くるりと巻いた尻尾はもう霞まんばかりだ。
「おすわり」
瑞希が言うとコジローはシュバッと横っちょにずれたちょっと変なお座りをした。
「おて」
コジローが左前足を瑞希の差し出した手に乗せた。
「おかわり」
今度は右前足を乗せる。
「ふせ!」
コジローは素早く足を正して伏せた。
「まて」
瑞希はコジローを見つめた。コジローはウズウズして大変そうだ。
「よし!」
瑞希の声と同時にコジローはごはんに飛びついた。
「コジローは賢いなぁ。ねえ、雅!」
瑞希が振り向くと雅は「果たしてこれでよかったのか」と、言うような顔を慌てて取り繕って頷いた。
「皆んながあんなに協力してくれるなんて……ネクストドアネイバースはいい会社ですね!
知ってましたけど、改めて実感しました」
瑞希が上機嫌にそう言うと雅は渋い顔になった。
「どうしました?」
瑞希が首を傾げると
「いや、何でもない」
と普通の顔に戻った。
昨日から雅は何だかいつもより、より表情豊かに百面相している気がする。
「コジローが食べ終わったらお風呂にしましょうか。
どっちが先に入ります?」
瑞希が訊くと雅は眉を下げて少々悩んだ後、
「お前が先で、いい」
と答えた。
お風呂上がりコジローと瑞希が遊んでいると雅が上がってきた。
「お上がりなさい!あっ!」
よそ見した拍子にボールが壁からバウンドして瑞希の顔に直撃した。
瑞希が床に倒れる前に雅がすかさず支えた。
「いたた……」
「大丈夫か」
雅は瑞希を起こしながら訊いてきた。
「はい。ありがとうございます」
瑞希が振り向くと至近距離で雅と目が合った。大きな金色の瞳でじっと瑞希を見つめる。雅は瑞希の肩に手を置いて体を傾けた。
「キャンッ!」
待ちきれなくなったコジローがボールを置いて二人を見上げて鳴いた。雅が固まる。
「ごめんね、コジロー。心配した?大丈夫だよ」
瑞希は笑顔になった。
ボールを取り上げて投げる。コジローは飛んで行ってボールにむしゃぶりついた。
「コジロー!今日はもうお終い。寝るよー」
コジローはハフハフとボールを咥えて持ってきて瑞希に渡した。瑞希はボールを玩具箱に直してケージを開けた。
「ここがベッドだよ」
コジローのベッドは木下さんの所で使っていた物をそのままもらって来た。
コジローは少し名残惜しそうにボールを見ていたが、瑞希を見て素直にベッドに入った。
「おりこうさんだね。お休み」
コジローの頭を撫でてケージを閉めた。
「明日からまたお仕事ですし、私たちも寝ましょうか」
「……ああ」
瑞希が言うと雅は複雑そうな表情で頷いた。
寝室を開けると、ベッドが二つ並んで置いてあった。
雅は「寝室は分けよう」と言っていたが、これは瑞希たってのお願いだった。
瑞希は今でもあの夢で飛び起きることがある。その時に側に雅が居てくれたら安心すると思ったのだ。
瑞希がベッドに入ると雅が電気を消した。雅も寝転がる音がした。
「お休みなさい」
「お休み」
挨拶し合ってしばらくしてうとうとしだした頃。瑞希が口を開いた。
「雅……起きてますか?」
「ん」
「ふふ。「お上がりなさい」、「お休みなさい」。
挨拶できる人がいるって良いですね」
瑞希はそう言ってうとうととそのまま眠りに落ちていった。
雅は仰向けになって両手で顔を覆っていた。
「おはようございます!」
雅が起きた時には瑞希はもう起きて台所に立っていた。長い髪をポニーテールに纏めている。
「はよ」
一方雅は目の下にクマを作ってボサボサだった。
「眠れませんでした?」
オムレツをフライパンでひっくり返しながら、瑞希は雅の顔を覗き込んだ。
「だいじょうぶだ、だいじょうぶ……おれはしっかりしている」
雅は片手で顔を覆いながら自分に言い聞かせるように言った。
低血圧だろうか。
瑞希は雅の以外な一面を見た。
「かおあらってくる」
雅はそう言ってよろよろとキッチンを出た。
「はーい」
瑞希は上機嫌に返事してオムレツを皿に移した。鼻歌を歌う。
雅は廊下に出るとドアを背に両手で顔を覆って天を仰いだ。
「おはようございます!」
「「おはようございます」」
雅と一緒に会社に出て受付で挨拶すると、リコ、ルコは整った顔に笑みを広げながら挨拶を返した。
「「眠れましたか」」
リコ、ルコがニヤニヤしながら訊いてくる。
「はい!雅が居てくれたからぐっすり寝れました!」
「……」
瑞希がにこにこと答える横で、雅はサングラスの上から二人をじとりと睨んだ。
「おはようございます!昨日、一昨日はありがとうございました!
このお礼は必ず!」
総務課に着くと瑞希はペコリと頭を下げた。突然だったのでお礼が今日は用意できなかった。
総務部のみんなはにこにこと挨拶を返して口々に「お礼はいいよ」と言った。
優しい。
瑞希は上機嫌で皆にコーヒーを淹れた。
一人一人の好みに合わせたコーヒーを配って歩いていると雅が入り口に現れた。
叶芽にコーヒーを置いて支部長室を出ると、ちょうど目の前に立っていた。
「ちょっとはなれてろ」
雅は瑞希の背中を押してそう言った。瑞希は素直にお盆を持って給湯室へ向かった。
支部長室のドアが閉まる。
瞬間、雅の唸り声と叶芽の高笑いが響き渡ってきた。
瑞希は飛び上がった。
「な、何事ですか?」
支部長室へ向かおうとする瑞希を皆んなが「まあまあ」と、宥めた。
大きな音を立てて、支部長室から怒り狂った雅が飛び出していった。
「な……何があったんですか?」
瑞希がそっと支部長室を覗くと、叶芽は涼しい顔でコーヒーを冷ましていた。
「心配ありません。仕事のことですよ」
「そうですか……」
瑞希がそう言って引っ込むと皆んなが「そうそう」と頷いた。
「ストレス溜まってんだろ」
獣人男性が言う。
「間違いないにゃー」
猫又女性が相槌を打った。
「瑞希ちゃんは昨日よく寝れたかにゃ?」
「はい!雅が側に居てくれたおかげで夢も見ないでぐっすりでした!」
猫又女性の質問にそう答えた瑞希を皆んなは微笑ましそうに見ていた。




