第十六話 水龍の村(上)
水道の蛇口を捻って水を出す。水を撫でるように操ってケトルに移すと火にかけてお湯を沸かす。
その間に全員のマグカップを洗って、操った水で綺麗に流して最後の一滴まで浮かせて水気を飛ばす。
その後カップにインスタントコーヒーを入れていく。
ケトルのお湯を十分に沸騰させてカルキが完全に抜けたら、お湯を指先で操ってそれぞれのカップに注いでいった。
「お待たせしました」
マグカップをお盆に乗せて、ミルク入りや、砂糖入りなど、それぞれの好みに合わせたコーヒーを配って歩く。重たいので少しずつ。
こうして瑞希の仕事は始まるのだ。
「にゃー瑞希ちゃんはよく全員の好みを覚えられるにゃー」
猫又女性がカップを受け取りながらそう言った。
「はい。長年喫茶店でバイトしてたのでこういうのは得意なんです」
瑞希のバイト先の喫茶店にはよく常連客が増えていた。一度来たら店長の淹れたコーヒーの虜になるらしい。
だから新たな常連客の好みを素早く覚えてお出しすると、喜んでもらえていたのだ。
あの店長は元気だろうか。
「瑞希ちゃんの淹れてくれたコーヒーはうめえよな」
顔が獣人の社員が言う。
「カルキをしっかり飛ばすのがコツです」
瑞希は微笑んだ。
「今度やってみるにゃ」
猫又女性はカップをふーふーと吹いて冷ますと口を付けた。
最後に隣接するの叶芽の部屋へコーヒーを持っていく。
叶芽は瑞希が贈ったマグカップを大層気に入ったらしく使ってくれている。ノックをすると「どうぞ」と返事があった。
支部長室に入ると叶芽は電話対応中だった。
返事をしたと言うことは内線だろうか。
「はい、はい。分かりました。ではそれで」
瑞希がマグカップを机の上に置くと叶芽は丁度電話を終えた。ちなみに叶芽のコーヒーの好みはブラック派だ。
退がろうとすると叶芽は瑞希を引き止めた。
「瑞希、ちょっと相談室まで着いてきて下さい」
瑞希は首を傾げた。
叶芽は瑞希を連れて一階の相談室へ向かった。
「今案件はあなたの能力が必要となるでしょう。一緒に話を聴いて差し上げてください」
廊下を歩きながら叶芽が説明した。
「今回のクライアントさんは普通の人間です」
瑞希は驚いた。
広告は隣人か能力者にしか見えなかったのではないか。
「村人の一人が隣人を見る人だったようです。その人の忠告を受けて村長が来た。と言うことです」
瑞希はなるほどと思った。
「我が社は隣人の保護活動の他にも、こういった依頼案件もお受けします。
その場合は人間、隣人に関わらずお金をいただきますがね」
叶芽はそう言ってウインクした。
相談室に着くと、おでこの禿げ上がった、恰幅のいい中年男性がソファに腰掛けていた。
「お待たせしました。ネクストドアネイバースの日本支部長蛇元叶芽と申します」
と言って叶芽は綺麗なお辞儀をして、名刺を差し出した。
「総務課の魚住瑞希です。名刺はありませんので申し訳ございません」
瑞希もなるべく綺麗な姿勢でお辞儀した。
すると間も無くドアがノックされて、叶芽の「どうぞ」の声で男性が一人入ってきた。確かサポート課の人だ。
「遅くなりまして申し訳ございません。サポート課の動力明と申します」
そう言って男性……明は名刺を差し出した。
「こ、こちらなら我が村の不可解な事象を収めていただけると言うのは本当ですか?」
オデコ禿げの村長はまだ四月だと言うのに吹き出す汗を拭き拭き話を切り出した。
「先ずは詳しいお話を伺ってから……という事になります」
「助けて下さい!」
叶芽は食ってかかる男性をソファに座らせると瑞希にも着席するよう促した。
瑞希は緊張しながら椅子に腰掛けた。明は壁際に控える。
「それではお聴かせ下さい。あなたのお悩みを……」
叶芽がそう言って向き直ると男性は堰を切ったように話し出した。
「きょ、去年の十一月頃からです……。
川の水が雨も降っていないのに溢れ出て洪水になったり、逆に雨が降ってるのに川が干上がったり、どこも堰き止められていないのにいきなり鉄砲水が……。
このままじゃあうちの村は全滅です!!なんとかしてください!!!」
村長は半泣きになって訴えた。
「先ずは現地調査から入らせていただきます。それから村人への聴取も。
こちらの動力と魚住をこれから現地へ派遣しますのでご協力下さい」
急な話の展開に瑞希は叶芽と明を何度も交互に見た。
村長を外で待たせて瑞希と明は地下の駐車場へ向かった。明は早足でスタスタと行ってしまう。瑞希はのたのたと一生懸命着いて行った。
「チッどんくせえな」
明は先程の礼儀正しい態度を一変させて、車に乗り込み、イライラした様子で瑞希を待った。
「す、すいません」
謝りながら瑞希も車に乗り込んだ。
村長を外で拾って一行は問題の村へと向かった。
車で途中休憩を挟みながら何時間もかけて進むと木々に囲まれた美しい川が見えてきた。瑞希は車の窓に取り付いた。
「わぁ……綺麗な川……。あの川がそうなんですか?」
瑞希が問うと村長は頷いた。
「ええ。我が村の観光名所です。
綺麗な橋がかかっていたんですがね。流れてしまいました。この間の鉄砲水で」
「そうなんですか……」
瑞希は顔を曇らせた。
今回の事案は隣人と関係があるのだろうか。
もしそうだとしたら、隣人は何のためにこんなことをしているのだろうか。
と思いを馳せて今は静かな美しい川を見つめた。
村は田園風景が美しい農村だった。
村に着くと公民館へ案内されて、村長の手配で集まった人々の前で円座に座らされた。目の前に熱いお茶とお煎餅が出される。
「そもそも農村というのですはな、洪水を防ぐ働きがあるものなんです」
村長が村人達の前一番前に座って汗を拭き拭き説明する。
「畑の土は小さな隙間を作ります。
その隙間に雨を蓄えてくれるので例え大雨でも一気に水が川に流れ込むことを減らしてくれるのです」
村長はお茶を啜った。瑞希もお茶をいただく事にした。香ばしい香りの熱いお茶は美味しい。
「傾斜地に作られた田畑は、日々の手入れによって、土砂崩れが起きるのを未然に防いでくれます。
水田では、水がゆっくりとしみ込むから、雨水による急激な地下水位の上昇を抑える働きによって、地すべりを防ぐ役割もあります」
そこで村長は渋い顔をした。
「だからこそおかしい。
一昨年のこんな雨じゃ一切びくともしなかった堤防が決壊するほどの洪水。
激しい雨が降っているのにもかかわらず突如減る水。
後は天気もこの季節に土砂降ばかりで不安定で……。
極め付けは土砂崩れも無くてどこも堰き止められていないのに何度も起きる鉄砲水です」
「被害者は?」
明が訊いた。
「奇跡的にゼロですな。何軒も水浸しになって危うかったですが」
瑞希は洪水の被害で家が浸ってしまった村人を思って胸を痛めた。
「去年の十一月、何か変わったことをしましたか?」
明が質問を重ねると村人はざわめいた。
「十一月?」
「特に何もしてないよな?」
「いつも通り祭りもやったあな」
「今年はそろそろ神楽をする時期ではあるなあ」
「お祭りってどんなお祭りなんですか?」
瑞希は興味本位で訊いてみた。お祭りといえば幼い頃、おばあちゃんに連れて行ってもらった、屋台が沢山出ている物が思い浮かんだのだ。
「ええ、毎年十一月頃にその年に収穫した米で作ったお酒を、神様に捧げるってやつですよ。
古い神社があるんです。そこで小さな屋台などが出る縁日をします」
村長が答えてくれた。
やっぱり屋台があるのか。
この美しい景色の中のお祭りにいつか行ってみたいものだと瑞希は思った。
「水神様の祟りじゃぁよぉ」
突然老婆の声が割り込んできた。見ると公民館の入り口にかなりの歳に見える老婆が立っていた。
老婆は杖を着いてよろよろと靴を脱ごうとする。瑞希は慌てて駆け寄って支えた。
「ありがとぅさん」
「祟りってどういうことですか?」
瑞希が問うと
「水神様がお怒りじゃぁ……。
わしにはそれがよぉく見える。天まで昇っては雨をお降らしになって勢いよく地へ落ちていきなさる。
何度も何度も。何度もじゃぁ」
「おおばば!
いやはやすいません。
おおばばはもうだいぶ歳でして……。時々変なことを言い出すんですよ。
あなた方の会社へ相談するといい、と助言してくれたのもこの人でして……。こないだしゃんとしてる時にですがね」
瑞希はこの老婆こそが隣人の世界が見える人であることを知った。
「お怒りじゃぁお怒りじゃぁ……工事なんぞするから……」
そこで明がピクリと反応した。
「工事って何ですか?」
明の言葉に村人達が顔を見合わせた。
「去年の十月前に上流の河川工事を終えまして……どうしてです?」
「その場所を教えて下さい」
明は村長の質問には答えずそう言った。
大きな苔だらけの岩の間を縫うように明がズンズン進んでいく。一方瑞希はそれに遅れを取り、だいぶ後ろをのたのたと駆けて着いて行っていた。
「〜〜っ!遅え!!!」
明がとうとう振り向いて怒鳴った。
「すいません!」
瑞希は一生懸命走った。
二人は河川工事のあった場所からかなり上流へ車を走らせ、そこから歩きで更に上流へと向かって歩いていた。
「どこに行くんですか?」
「水源だ」
瑞希が問うと明は再び前を向いて進み始めた。
「やっぱり何か……あっ!」
瑞希は苔に滑って盛大に転けた。
「……お前ほんとにどんくせえのな」
明はどこか諦め半分、呆れ半分の顔で戻ってくると、瑞希を助け起こしてくれた。
「あ、ありがとうございます」
瑞希は打った膝を押さえながら礼を言った。
「水源に本当に神様がいるんですか?」
「いる。水神って祀られた隣人がな。そいつに話を聴く」
明は少し歩調を緩めて瑞希に合わせてくれた。
「明さ……動力さんは何の隣人なんですか?」
「明でいい」
明はチラリと瑞希を見た。
「超能力者だ」
超能力!!!
瑞希は目を見張った。
あれだろうか……宙を飛んだり、物の記憶を読み取ったり、瞬間で移動したり、物を飛ばしたり、未来を予知したり……。夢が膨らむ。
「何の能力なんですか?」
瑞希は目を輝かせた。
「そんな大したもんじゃねえよ。サイコキネシス。念動力だ」
「すごい!」
「そ、そうか」
瑞希の食いつきに明はちょっと圧倒されたようだ。
「物なら何でも動かせるんですか?」
「大体な。人や自分の体持ち上げて飛ぶこともできる」
瑞希は更に顔を輝かせた。
「でも液体は別だ」
明の言葉に瑞希は首を傾げた。
「液体は形が無い。捉え所が無いんだ。だから動かせなくはねえけどちょっとな……自由自在って訳には行かねえよ。
それでお前を寄越したんだろ。支部長は」
「なるほど……」
瑞希は納得した。
そこで目の前の景色が開けた。
「わぁ……!」
緑に囲まれた美しい湖だった。水面に青空が映っている。
ここからどうやって隣人を見つけるのか。
瑞希がそう思っていたらポツ。と雫が鼻に当たった。みるみる空が暗くなり、土砂降りの雨が降り始めた。
瑞希は湖から水を掬い上げて即席の傘を二人の上に作った。
すると突如目の前の水面が盛り上がった。
「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!」
大きな水音と咆哮を響かせて現れたのは……
「白蛇?」
瑞希が思わず呟いた。
「龍だ!!!!!」
立髪の生えた巨大な白い龍が瑞希に吠えた。
確かに鉤爪の生えた脚がある。
「ご、ごめんなさい!」
瑞希は大変な失礼をしてしまったことを詫びた。
「白蛇はねえだろ」
明が呆れ果てた声で呟いた。




