第十四話 末路
夢の中、瑞希は暗闇でケースに繋がれていた。
必死に逃れようとしても動けない。「助けてくれ」と叫ぼうにも声も出ない。
そこへ仮面をつけた人々が現れ、手に手にナイフや斧を持つ。「お願い止めて」と言う言葉は声にならず無情にナイフが突き立てられた。
腹を割いて内臓を引き摺り出される。
腕の肉を徐々に、骨が見えるまで削がれる。
喉が切り裂かれて中を抉り取られる。
耳が削がれ、目を切り裂かれ、尻尾は魚の開きのように切り開かれた。
痛い。苦しい。怖い。助けは、来ない。
瑞希の視界が絶望に染まり、仮面の人達のケタケタという楽しそうな笑い声が響き渡った。
瑞希の自我が崩壊していった。
その時、黒い、巨大な狼が現れて仮面の人たちを蹂躙した。
狼は全ての仮面の人達が動かなくなると、溶けるように雅へと姿を変えて、瑞希に駆け寄った。
「瑞希!」
名を呼ばれ、抱きすくめられる。頬を両手で包まれる。
温かい。なんて安心するんだろう。
瑞希は我を取り戻した。目から一粒。涙が零れ落ちた。
箱庭、こちらの狼人間……。
瑞希の意識は漏れ聞いた言葉の欠片を思い出しながら浮上した。
寝汗をかいている。
気がつけば雅の手が頬に添えられていた。眉を下げ、心底心配そうに大きな金色の瞳で、ベッドの下から瑞希を見上げている。
温かい。
瑞希は雅の手の上から手を重ねると頬を擦り寄せた。
「また同じ、夢を見ていた。苦しんでいる」
雅が鋭い嗅覚で瑞希の心を言い当てる。
「はい……。でも、雅が来てくれました」
瑞希は力なく微笑んだ。
この一週間。雅は瑞希の部屋で過ごした。
何度勧めても、瑞希と一緒には寝ず、叶芽がくれたお下がりのソファで寝た。
瑞希は疲れ果て、眠りに落ちてはこの夢を見て何度も飛び起きた。最初の頃は雅が助けに来る前で夢が終わっていたから本当に辛かった。
雅が途中からこうして頬に手を当ててくれるようになってから随分違う。
「そうか」
短くそう言うと雅は瑞希を抱き締め、頭を撫でた。
「あまり休めてはいないでしょうし、辛いことを思い出させてしまう事になりますけど、どうしてもあなたの視点からの事情を聞かねばなりません」
叶芽が一階の相談室で瑞希と対面する。
「はい」
瑞希は力強く頷いた。
なるべく淡々と時系列に沿って話していく。
瑞希が雅に補足してもらいながら話し終えると、叶芽は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「もっと早く気づいていれば……あなたをこんな目には……、それを言うならあなたを一人で行かせなければ……。」
叶芽は親指の爪を噛んで、半ば独り言のようにそう言った。
「あの……箱庭ってなんですか?」
叶芽は吹き出した。さっきから正座させられていた雅に向かって。
「ど、どこでそれを……」
「箱庭の魔女の能力の一つだ。主に魔女の拠点、オークション会場として使われる。箱庭と呼ばれる異空間を、現実」
「雅!!!」
そこまで一息に言って、雅は叶芽にガッと顔を掴まれ、生身の石にされた。
瑞希は今の言葉を反芻した。
箱庭にはもっと特別な意味がありそうだ。
「箱庭の魔女ってなんですか?」
訊くと叶芽は瑞希をじっと見つめて、ため息を吐いた。
「雅があそこまで言ってしまったのでしょうがないですね。少しだけお話ししましょう」
そう言って叶芽は脚を組んだ。
「箱庭の魔女。箱庭と呼ばれる異空間を作り出す能力の魔女です。
そして魔女達の中心人物でもあります。
箱庭は閉鎖的な空間で、出入するには特殊な魔法か、隠された二本の魔女の楔を同時に破壊せねばなりません。
因みに後者を行うと箱庭は破壊されます。箱庭が破壊されると、それが箱庭の魔女には伝わります」
「じゃあ魔女達はネクストドアネイバースの存在に気が付いてるんじゃ……」
箱庭を破壊すると気づかれるならすでに知っていてもおかしくはない。
すると叶芽は首を振った。
「今までは我々は箱庭の魔女に気付かれないよう、魔法で侵入していました。箱庭を破壊したのは今回が初めてです」
叶芽は複雑そうな表情をした。
そこで瑞希は気付いた。
今回箱庭を破壊したのは雅だ。魔法を使う者の到着を待つ余裕が無かったのだ。
囚われたのが瑞希だったから。
「私の……せいですね」
瑞希は自分の弱さを恥じ、心から申し訳なく思った。
叶芽は再び首を振った。
「いずれそうなっていたでしょう。それがたまたま今回だった。それだけです。
あまり気に病まないようにしてください」
「はい」
瑞希は叶芽の言葉に少し救われた思いだった。
「そういえば……ネクストドアネイバースはどうしてそんなに魔女に詳しいんですか?異世界から来たのに……」
瑞希の問いに叶芽は困った顔になった。
「それは我が社の最高機密なのです。申し訳ありません。
決してあなたを疑っている訳ではないのですが、万が一にも情報が流れるのを防がなければならないのです。今は、まだ」
叶芽は物凄い音をさせて雅にデコピンした。
瑞希と叶芽はしばし黙って紅茶を飲んだ。叶芽が冷めたぬるい紅茶に目を落としながら口を開いた。
「その代わりと言ってはなんですが、魔女の楔について少しだけお話ししましょう」
瑞希は紅茶から顔を上げた。
「入社の儀式で隣の世界への扉が開かれる……。と、いう言い回しでエリカは説明しましたが、要はラジオの周波数を合わせるようなものです」
叶芽は紅茶を一口飲んだ。
「チャンネルが合ったことによって見えるようになるものの一つ。魔女の楔。
これは魔女の血液から作られた魔術具です」
叶芽がカップを弄ぶ。
「血液を結晶化させて、彼女達の世界の魔法をかけた物です。
彼女達の高い魔力を包容する楔は、彼女達が用いる様々な術の媒体となります。
結界術もそうですね。
魔女の杖もあちらの木に血液を染み込ませた楔の一種です」
瑞希はあの細い棒の正体を知った。
「我々は魔女の楔を妖精銀で破壊して結界などを破ります。雅なんかは楔を素手で引き抜く事ができますがね。狼人間だから。
他にも妖精銀は魔女の体に打ち込めばその能力を激減させることもできます」
叶芽が雅にチラリと目を走らせた。
「狼人間はなんで魔女の天敵なんですか?」
瑞希も雅に視線をやった。
「狼人間はもっとも古い一族の一つだからです。
その牙は何者をも噛み砕き、滅ぼす。
狼人間にかかればどんな種族もただごとでは済みません。
雅は特にその血が濃い。ほとんど祖先のままなのです」
叶芽はそう言って脚を組みかえた。
「こちらの狼人間というのはどういう意味ですか?まるで魔女の世界にも狼人間が居るみたいに……」
「ええ、そうです。あちらの世界にも狼人間は、居ます」
「どうして……」
と、そこで瑞希の目の前に叶芽の指が立てられた。
「それについては、今はまだ。です」
「なら、完全な生きている人魚が魔女にとっても莫大な価値がつくというのはなぜですか?」
と瑞希が問うと、
「それについても。です。答えられる事が少なくて申し訳ありません」
叶芽はそう言って少し困ったような笑顔を浮かべた。
瑞希の質問が終わると叶芽は脚を正して向き直った。
「さて、今回の事件の結末をお話ししましょう」
瑞希は紅茶の無くなったカップの底を見つめた。
正直言って聞きたくない。
人とは思えぬ所業の数々を意思を持って行った。という事実に吐き気をもよおした。そんな人達がどうなったかなど聞きたくなかった。
「結末を知らねばあなたは前に進めない」
叶芽が瑞希の顔を見つめた。
「雅は「まだ早い。」と、言うでしょう。
しかし私は例えどんな結果であれ、結末を知らなければ、あなたが永遠に悪夢を見ると思うのです」
叶芽の言葉に瑞希は顔を上げて頷いた。叶芽はその様子を見て微笑んだ。
「隣人を裏で売買する組織は魔女達が来る以前から数々ありました。
魔女が来てからはあっという間に彼女達の独壇場となりましたが。
オークション等で隣人や隣人の世界の物でありながら普通の人にも見えるもの……鉱物や霊薬、魔導書などを買い求めるものを我々はコレクターと呼びます」
「コレクター……」
瑞希は呟いた。
「彼らの石化を一人ずつ解いて魔法薬を用いて尋問しましたが、今回の事件に関わったのはコレクターの中でも特に悪質なものでした」
叶芽は目を薄めた。
「コレクターの中にはコツコツと隣人界の宝石などを、それを扱うショップなどで集めて楽しむ善良な者もいますが、今回は違う。
今回のコレクター達は意思ある隣人を己の欲望の為に集め、虐げ、殺戮する最低最悪のケースでした」
自分の他にもあんな苦しみを味わうひとがいたのかと思うと瑞希は胸が悪くなった。
「彼らを捕らえられたのは今回の大きな収穫でした。彼らが集めていた隣人の救出……遺体や遺物の押収ができました。
そちらは然るべき所へお返しする予定です」
叶芽は目を伏せた。
「そして一番気になるでしょうコレクター達の処遇です。
彼らには表の顔があり、表の世界で生きています。表の法に則って生きているのです
対して隣人界には法がありません。例え悪魔の所業をした者がいても、それを取り締まる者がいません。罰する者も。
表の顔がある以上、ただ処刑すればいいというものでもありません」
叶芽は目を上げた。
「我々ネクストドアネイバースは私刑をします」
瑞希はごくりと唾を飲んだ。
「こちらの魔法使いの編み出した魔法の一つに、「他人の記憶から消える」というものがあります。
記憶……引いてはその人が現実世界に居た証拠を全て消すものです」
「居た証拠……」
瑞希が呟くと叶芽は頷いた。
「その魔法を使われた者は我々ネクストドアネイバースの儀式を受けた者以外には認知されなくなります。
戸籍も、名前も、写真さえも残りません。世界から消えたも同然です。
元々は人間界で生きる魔法使いを罰するための魔法だったそうです」
恐ろしい魔法だ。
瑞希はゾクリとした。
「私達は世界に幾つか監獄を用意しています。
隣人の中にはひとの魂を取る者もいます。精神を侵す者も。
そういった、普通なら人と共生できないため退治されるような者達と、我々は契約してその監獄で看守を務めてもらっています」
瑞希はコレクター達の末路が見えた。
「魔法で忘れられた彼らが少しずつ命を吸い取られ、衰弱するのが先か、発狂するのが先かは分かりませんが、その監獄で過ごしてもらいます。
罪を償い終えるまで」
そこで叶芽は表情を変えた。
「まあ悪行の重さにもピンキリあります。
そこまで罪の重くない者には、二、三ヶ月そこで過ごしてもらった後、お家に返しする場合もあります」
「と、解けるんですかその魔法」
瑞希は一気に緊張感が緩んだことに拍子抜けしながら訊いた。
「ええ。神隠しに遭って帰って来たという人がいるのはご存知ですか?
あれのほとんどが我々の仕業です。
隣人の記憶も、監獄での記憶も全て綺麗さっぱり忘れてもらってお返しします」
そう言って叶芽は自分と瑞希のカップに紅茶を注いだ。
ーー瑞希の事情聴取の少し前のこと。
黒い、球体の浮かぶ間に一人の仲間が入ってきた。
「とれた?」
「見れた?」
「追えたのかしら?」
目の前にいる他の仲間達が口々に訊く。腰まである緩い巻き毛の足跡の魔女は頷いた。
「それじゃあ……見せて」
円形に浮かぶ球体の中央に座った一人が言った。
足跡の魔女は杖を取り出すと、反対の手と共に自身の前で翳した。
すると金色の粉がどこからともなく現れて舞い上がり、形を作り始めた。
粉は風の魔女の箱庭を縮小して影で輪郭を象った。
オークション会場には人だかりと風の魔女、そしてケースの中には人魚の輪郭があった。
箱庭が崩れ始める。垂れ幕から巨大な狼の輪郭が現れた。狼は風の魔女に噛み付いた。
風の魔女は心臓を取り出し投げて、狼は客席の中に突っ込んだ。
風の刃が薄い輪郭象り狼へ向かう。狼は刃を避けると背の高い男の姿を象った。見えない何かを構えて風の魔女へ向ける。
途端、風の魔女が地に落ちた。狼に肩ごと腕を食いちぎられる。
箱庭が崩れ切った。人形が銃を乱射する。狼がまた姿を変え、見えない何かを構える。
風の魔女は心臓を投げた。男が何かを構えるが魔女は再生も途中なのに風を操って急降下した。
しばし風の魔女と男が向き合う。風の魔女が刃を放った。しばし二人の攻防が続く。途中で小さな小さな輪郭が男から離れていった。
風の魔女が手を翳して竜巻を放った。その時、狼が一瞬消えた。そう思ったら風の魔女の後ろに回り込んでいた。小さな輪郭から薄い霞が広がり竜巻の間に壁らしきものを幾つも作る。
風の魔女の後ろの狼が左右に飛びながら迫っていく。
風の魔女が大きな刃を放った。刃が壁を切り裂いたその時、狼が風の魔女に食らいついた。風の魔女が灰になり、箱庭が消え去る。
劇場の形をとった影に一人の女の輪郭が現れた。
女の前に殺到していた人だかりが突如動きを止めて、動かなくなった。男がケースの人魚に駆け寄り抱きしめた。何度も何度も。
その間に女が人を引き連れて入ってきて人形の服を見聞し始めた。
女が連れてきた人々は固まった人々を抱えて運び出す。
粉が崩れて場面が変わった。劇場の廊下を人を抱えた人々と女、人魚を抱えた男が歩いていく。外に出た。そこで人々は消えた。
粉が崩れて消え去る。
「ここまで。この後は探し回ったけど追えなかったわ」
「狼人間」
「完全な人魚」
「見えない何かは何かしら?」
足跡の魔女の言葉に仲間達が口々に呟き、中央の一人が眉を顰めた。
「どうやら……血の濃い狼人間がいるみたいね。能力者の組織も……。それも精霊を味方に付けた」
そこで中央の一人が薄い微笑みを浮かべた。
「楔の位置すら嗅ぎ分ける狼人間。でも……パートナーがいる。それも生きた完全な人魚の」
仲間達が頷いた。
「探しましょう、人魚を」
「見つけましょう、狼人間を」
「私達に楯突く者は……許さない」
前の一人は微笑みを深くした。
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