第十一話 能力テスト
地獄の体力テストが始まった。
「瑞希……あなたって子は……」
シャトルランを九回で脱落した瑞希を、叶芽が憐れなものを見るようにして言った。
そんな目で見ないで欲しい。
瑞希だって一生懸命やってるのだ。
ソフトボール投げでは一度、足元にバウンドさせてしまい顔面にぶつけた。
五十メートル走ではのたのたと遅いなりに一生懸命走って小学生並み。
立ち幅跳びでは着地してから思い切り後ろに大の字で倒れた。
反復横跳びでも跳んでる途中でつんのめり、足を捻って転がって行った。
握力は渾身の力を込めてこれまた小学生並みだった。
分かってる。酷い点数だ。長座体前屈と上体起こし以外全てにおいて小学生並み。いや、小学生以下だ。目も当てられない。
長座体前屈では最高値を叩き出した。瑞希は体だけは柔らかかった。腹筋もそこそこある。泳ぐのに鍛えられたのだろう。
「人魚は陸では運動音痴。というのは聞いた事ありましたがまさかここまでとは……」
叶芽の憐れみの視線が突き刺さる。
「こ、これでも、全力なんで、す」
肩でゼイハア息をしながら瑞希は言った。
中学生以来の体力テストだが、ここまでとなると自分でも少し、落ち込む。
「まあ、そこまで気を落とさないでください。
お昼からは水に入れますから」
叶芽は慰めるようにそう言った。
お昼休憩ということで叶芽は瑞希を一階の社員食堂へ連れて行った。
「午後からは能力テストになります」
注文して番号札に引き換えてもらって呼ばれるまで待つ間に叶芽は説明した。
「人魚にもそれぞれの能力があるように、変身の条件にも様々あります。
水を被っただけで鱗の生える人魚、海水で無ければ変身できない人魚、塩水で変身できる人魚……。
全身浸からなきゃ変身できないのか、ちょっと頭から被るだけで変身できるのかも個人によって変わってくるそうです。
まずはそれを調べます」
叶芽は脚を組んだ。
「人魚の生態は謎めいています。そもそもの数が少ないので、これらの情報を集められたのも、以前ここにいた人魚が代々伝え聞いてきたからでした」
瑞希はふとおばあちゃんの言葉を思い出した。
『瑞希が十八になったら教えてあげるわね』
十八までおばあちゃんが生きていたら、瑞希も教えてもらえていたのだろうか。
「そうでしょうね。人魚には代々十八になったら秘密を教えるという掟があるようです。
ここにいた人魚もそうでした」
瑞希がそのことを口にすると叶芽は頷いた。
そこで二人の番号札が振動しだした。
二人で並んで取りに行く。
叶芽がご馳走してくれた肉うどんは美味しかった。
瑞希はプールの縁に幾つも置かれた巨大な水槽の前に立った。叶芽の用意してくれたビキニ型の水着姿で。
白い、フリルのついたビキニは可愛い。胸の中心でリボンが結ばれている。だが自分が着るとなると別だ。
叶芽には下着姿どころか裸まで見られている訳だが、水着はなんだか別だった。メリハリボディの叶芽と並ぶと特に。
叶芽はシンプルな黒いビキニを着ていた。
「可愛いですよ、瑞希」
「あ、ありがとうございあす」
叶芽の褒め言葉に瑞希は照れた。
「あなたが水では変身しないことはわかっているので、今回は濃度を変えた塩水を用意しました」
叶芽が水槽を横切った。
「薄めのから試しましょう。その後、一度塩を流して必要な量を調べます」
「はい」
瑞希は頷いた。
「ではまずはこれ、一番薄いものから入ってみてください」
瑞希は水槽の脇についた昇降台に登って綺麗なフォームで塩水に飛び込んだ。
コポコポと泡が体にまとわりつき水面へと上がっていく。
気持ちいい。やっぱり水の中は大好きだ。
ザバアッと音を立てて水面から顔を出して水槽の縁へ掴まった。
「この薄さではやはりなりませんか」
叶芽が何やらメモを取りながら言った。
「さあ、では次の水に行きましょう」
叶芽の声掛けに瑞希はスイスイ泳いで水槽から上がった。
瑞希は中々変身しなかった。
「次で最後です。塩分濃度が海と殆ど同じに調整された水です」
瑞希は最後の水に飛び込んだ。
瞬間、ぞわり、とした感覚が足先から腰まで走った。
髪の毛が烏の濡羽色から水色へと変わる。足が長くてひらりとした尾鰭へと変化した。
水の中でも呼吸ができる。
予想はしていたがその事実を目の当たりにして瑞希は驚きを隠せなかった。
水の中の音が鮮明に聞こえる。声を出すと水の中で不思議な音を纏って聞こえた。
「瑞希、聞こえますか?上がってこれますか?」
叶芽が昇降台から瑞希へ呼びかけた。
瑞希は頷いて、尾鰭を動かそうと頑張ってみた。神経を集中させ、脚だった部分を触る。
感覚は、ある。
腰を使って両足をいっぺんに動かす感覚で動かしてみた。尾鰭が動いた。
瑞希はそのまま尾鰭を動かして、水面へと向かった。泳ぎ方は水泳のバタフライにちょっと似ている。
あれだってドルフィンキックというのだもの。似たようなものなのかもしれない。
水面から顔を出すと叶芽と目が合った。瑞希はにっこりと微笑んだ。
「人魚の時の自分の姿が姿がどれほど美しいかご存知ですか?」
叶芽が瑞希を自ら引き上げながら言った。瑞希はきょとんとしてしまった。
「人間の姿の時のあなたもいい加減美しいですが、人魚の時の姿はなんというか……神秘です」
叶芽にシャワー場へと運ばれながら瑞希は片眉を上げた。
そこまでだろうか。
「信じられないみたいですね。なら一度ご覧なさい」
そう言って叶芽は瑞希をシャワー場を通り越して更衣室へと向かった。大きな姿見の前で瑞希を下ろす。
これが私……?
瑞希は目の前に映る人魚が自分だと信じ難かった。
透き通るような水色の髪に、角度によって僅かに色を変える不思議な青い瞳。
腰から足先まで覆われた薄い青緑色の鱗はつやつやと光っており、鱗の色を淡くしたひらりと長い半透明な尾鰭が美しい。
体を捻ると腰からお尻にかけても背鰭のような尾鰭と揃いのひらひらがついていた。
尾鰭をパタパタ動かしてみる。
どこかで見たコスプレイヤーにでもなった気分だ。
「どうです?美しいでしょう?水の中のあなたは更に美しかったですよ」
叶芽が勝ち誇ったような顔で言った。
「そう言えば、変身する時、身につけてる物ってどうなってるんですか?」
シャワーを浴びて人間の姿に戻ると、瑞希は質問した。
変身した時、パンツや水着が消えるのが不思議でならなかった。
「謎です。人魚や狼人間などの隣人たちの変身は一種の魔法的要素を含みますからね。服には左右されないんですよ」
叶芽の答えに瑞希は雅が変身する時を思い浮かべた。
確かに左右されていない。
「それではそこにお座りなさい。次は水の量をテストします」
そう言って叶芽は水の入った瓶を置いていった。
小さな小さな星の砂等を入れておくような瓶から、おばあちゃんが漬けてた梅酒の入った瓶のような大きさまで。まだまだ大きいのもある。
一番大きいのなんかは瑞希が持ったらぺちゃんこに潰れそうだ。
「この中には先程と同じ塩分濃度の塩水が入っています。小さな物から被っていきましょう。
まあ、もっともあなたのようなタイプの人魚には使う機会のないものかもしれませんが」
叶芽は小さな瓶を瑞希に渡しながらそう言った。瑞希は瓶を受け取ると、頭から被った。
変化なし。
「では次はこちらを」
叶芽は小指程の瓶を渡してきた。被る。
これも変化なし。
「次です」
次は醤油さしくらいの瓶だった。瑞希は勢いよく被った。
あの感覚が走り、髪の毛が水色に染まる。瑞希は人魚に変化した。
「意外と早かったですね」
叶芽の言葉に瑞希は頷いた。
大きな瓶まで行かなくてよかった。あれだと持ち運べもしない。
「お次はいよいよあなたの水を操る能力のテストです。まずは発動させるところから始めます」
瑞希を再びシャワー場へ連れていきながら叶芽が言った。
プールを後ろに瑞希が立つ。
「あなたの能力の切っ掛けは「怒り」です。
ここはあの時の河原。目の前には憎い魔女がいる。
あなたの気持ちを思い出してください」
瑞希は目を閉じてあの時のことを思い出した。
目の前の倒れた雅。薄笑いを浮かべる魔女。動けない自分。魔女は雅の傷を踏み躙った。
ざわり。と瑞希は髪の毛の後ろが逆立つような怒りを覚えて目を開けた。
すると大きな水音を立てて背後の水が立ち上がった。ザザザと瑞希の周りを漂う。
出来た。
瑞希は自身の周りに漂う水を撫でた。水は瑞希の意思通りに形を変えた。
四角柱、三角錐、球体に、あの時の矢。まるで手足を動かすように、瑞希の本能が水を操る手段を知っていた。
「なんだか不思議です。こんなにあっさり出来るなんて……」
「才能でしょうね。素晴らしいです。
瑞希は運動の分までこの能力に吸い取られたんじゃないですか?」
叶芽が何か酷いことを言った。
「切っ掛けは怒りですが、慣れればそれもいらなくなるでしょう。
毎日ちょっとした事でも使う事です。
それでは次のテストに行きましょう」
叶芽は瑞希を手招きした。瑞希は水をプールに戻すと、のたのたと駆け寄って滑って転んだ。
叶芽は瑞希を更衣室に連れて行って扉を閉めた。
「さて、次のテストはあなたがどこまで水を操れるのかです」
「先程とどこが違うんですか?」
タオルに包まった瑞希は首を傾げた。
「あなたは先程も、あの時も、水辺で、そこから汲み上げるようにして操っていました。
今度は無から有を生み出すように、空中の水分を操って水を生み出し操れるのか、です」
叶芽はそういうと瑞希の前に紙コップを一つ置いた。
「先ずはこのコップを満たして下さい」
今度は難易度が桁違いに上がった。
瑞希はあの時のことを思い出し、うんうん唸って集中したが目に見えない物を操るのは難しい。
結果として瑞希はコップを満たすことも、一滴でも水を生み出すことも出来なかった。
「まあ、そうなりますよね。
大丈夫ですよ。今日が初めてです。これも慣れで出来るようになるかもしれません。
毎日コツコツ練習してみましょう」
落ち込む瑞希を叶芽が慰めた。
「さあ、次に行きますよ。
こちらをご覧なさい」
そう言って叶芽はロッカーから紙コップを幾つも取り出して、瑞希の目の前に並べていった。
そしてまた別のロッカーから瓶を次々と取り出してカップの前に並べた。
瑞希はそれを繁々と見つめた。
栓のしてある瓶の中にはそれぞれ、茶色、白、黒、赤、透き通った黄色、銀色の液体が入っていた。
「それぞれ、ブランデー、牛乳、コーヒー、血液、油、そして水銀が入っています」
水銀と聞いて瑞希は焦った。
毒があるんじゃなかったっけ?
「ご安心なさい。正確には水銀を魔法で毒性を抜いて、妖精銀と化合させた特殊な金属です。気化もしません」
「そんなことが……」
できるのか。今更だが本当になんでもありだな。
瑞希は驚愕した。
「次はこれらの液体……あなたが操れるのが純粋に水だけなのか、それとも混合物、化合物、液体ならなんでもいいのかを試します」
叶芽は紙コップに液体をそれぞれ注いでいきながら説明した。
「さあ、それではお好きな物からどうぞ」
叶芽に言われて瑞希は水銀に先ず手を伸ばした。
これが扱えれば魔女と戦える。
と、思ったらコップに手が当たった。
「あっ!」
コップが画面をコマ送りにするみたいに倒れていく。中の水銀がコップから飛び出した。
お・ち・る・!
瑞希は水銀に思わず手を伸ばした。
ーー落ちたコップは叶芽がキャッチし、水銀は宙にふよふよと浮いた。
「……操れるみたいですね」
叶芽がコップを戻しながら息を吐いた。
「はい……お騒がせしました」
瑞希は水銀を矢に変化させながら謝った。
「結果オーライというやつです。それが操れるなら他の液体も問題ないでしょうが、一応確認しておきましょう」
叶芽の言葉に瑞希は頷いた。




