2.お姉さま、私急に昔を思い出してしまいました。
バナー侯爵家に激震が走った、齢3歳だったあの日。
「これって異世界転生ってやつだよね!ねえ、ねえ!私は何て名前なの?ここは何処!?」
数日間、高熱で死の淵を彷徨い、家族の祈りが届いたのか目を冷ました姉の言葉に、集まっていた家族は固まり、そして絶叫した。
自分と同じ栗色の髪を振り回しながら、自分と同じ紫色の瞳を忙しなく部屋中に動かす2歳上の姉の奇行に、3歳に成り立てほやほやのフィオナは8歳の兄に抱きつきながら雷に打たれたかのような衝撃を受けていた。
おねえしゃまが、おかしくなった!!
周りが「記憶を失くしているのか!?」と騒ぐなか、フィオナは高熱で倒れる以前の姉の姿を思い出していた。
5歳の姉は、バナー家の長女として相応しくなるために、兄のアイゼンと共に日夜勉学に励んでいた。
淑女たるマナーから、侯爵家に相応しい教養。
アゼリア王国にある10のうちの1つである侯爵家に相応しい教養を身につけるためには、5歳には受けるに難しいものであったが、姉と兄は泣き言1つ言わず学んでおり、そんな姉兄はフィオナにとって憧れであり自慢であった。
「ねぇ!そこのあなた!こっち、こっち来て!」
「ふぇ!?」
以前の姉を思い浮かべていたフィオナは、急にかけられた声にビクッと身体を浮かせる。
声がした方に顔を向けると、忙しなく動いているメイドたちや家令の間から、姉が手招きをしていた。
倒れた母親を寝室に運ぶため父親は共に退室しており、その父親の代わりに家令に指示を出している兄は気づいていない。
早く早く、と言いながら笑顔で自分を呼ぶ姉のもとにフィオナはゆっくり近づいた。
「ねぇ、あなた名前は?いくつ?」
「ふ、フィオナ・バナーでしゅ。さんさい。」
「フィオナね。あなたは私の妹なのかな?同じ髪色だし、何処となく私に似てる!私の名前は言える?」
「ロジーナおねえしゃまは、わたしのおねえしゃまでしゅ。」
「ロジーナ、ロジーナ・・・んー、読んだ本の中にはそんな名前の登場人物いなかった時思うんだけどなー・・・。あ、ねぇ、ここは何処?」
「こ、ここは、おうちでしゅ。アゼリア王国にあゆ、バナー侯爵領のおうち。」
「アゼリア王国!?それって『花乙女』の国じゃん!!レオバルト様とかローゼ様とかミリアリアが出てくるやつ!!」
「お、おねえしゃま。殿下の名前を呼んではダメって先生が言っておりまちた。」
「なんだー!!私脇役かー!!いや、脇役という安全地帯で物語を観れるわけじゃんね!!これこそ、オタク冥利につきる!!」
お抱えの医者である、チェルシー先生(54歳のおじいちゃんである)が来るまで、私はこの日ロジーナお姉さまのよく分からない話を聞かされたのであった。
***
てんやわんやの結果、姉であるロジーナ・バナーは高熱による後遺症で記憶喪失になったということで落ち着いた。
今までの記憶をまるっと全て失ってしまった姉は、もちろん淑女マナーや勉強した教養も全て忘れてしまっていた。
本人は以外にケロッとしており、「覚えてないもん、仕方ないよねー」と笑いながら言っていたが、両親の顔色は悪いままであった。
フィオナとしては、大好きな姉が生きてくれているだけでも嬉しい思いでいっぱいだったが、両親の顔色が悪いことだけが気掛かりであった。
そして、その懸念はあたっていたのだ。
姉が記憶喪失となって数日後の夜
本来ならば3歳のフィオナは、ぐっすり夢の中であったが、その日は何故か夜中に目が覚めてしまい胸騒ぎがして両親の部屋へと向かっていた。
今思えば、野生の感が冴え渡ったのであろう。
ほのかな灯りをたよりに着いた両親の部屋は、少し扉が開いており中から明かりが漏れている。
おとうしゃまとおかあしゃま、起きていたののね。よかった。いっしょに寝てもらおう。
扉に手を当てて声を出そうとしたのと同時に、母親の泣き声が鮮明に聞こえた。
「あなた、本当にそれしかないの?ロジーナはまだ5歳よ。それなのに、、、親元から、私たちの元から離そうだなんて、、、」
「残酷な選択だとは分かっている。だが、明らかにロジーナはおかしい。高熱の後遺症で脳に異常をきたすケースがあるとチェルシー先生が言っていた。その場合、専門の医療機関へ任せた方が良い場合もあると・・・」
「そんな!専門機関といえば聞こえはいいけど、実情は何も治療が出来ず、外に出さないようにしているだけだと言うじゃない!!そんな場所にロジーナを連れていくなんて出来ないわ!!」
「ロジーナおねえしゃま、つれていかれゆの・・・?」
「「フィオナ!?」」
両親が驚いて立ち上がるのが視界の端に映ったが、こちらに手を伸ばすよりも早くフィオナは身を翻し走った。
このままでは大好きな姉が連れて行かれると思ったからだ。
短い手足で必死に走り、両親に捕まるよりも前に姉の部屋に着いた私は、扉を遠慮なくぶち開けて眠る姉に向かって見事なダイブをお見舞いした。
「ぐふぅ!?え、何、なに!?え、フィオナ?」
「うっ・・・うぁーーん!!ロジーナおねえしゃまを連れていかないれぇー!!」
「フィオナ、落ち着きなさい!大丈夫だから、とりあえずロジーナから離れて!」
「いやーー!!おねえしゃまといゆー!!おねえしゃまは、フィオナのおねえしゃまだもーー!!」
「え、待って。何これ何これ?」
今振り返っても、あの時以上に声を張り上げたことはなかっただろう。
何せ屋敷中に響き渡るのではないかと思うほどの大音量で大泣きしながら姉にしがみついて兄や家令やメイドたちを起こしたのだから。
ちなみにその後、私が大泣きしている理由を聞いた兄も大声で両親に抗議し、姉も「わ、私記憶なくしちゃったけど、今から頑張ります!!だからここに居させてください!!」と私を抱きしめながら両親へと訴えたことにより、兄妹の絆に涙した両親が事態を受け入れ、姉が医療機関へ移る話は流れたのだった。
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