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プロローグ「狐」


 心を燃やすような紅が、今の時間は闇夜の黒に覆い隠される。ひやりと足元を走る風に、微かな冬の気配を孕みながら。

 打ち捨てられた神社の境内で、少女が一人佇んでいる。彼女の足元には灯りのためか、おぼろげな光を放つ懐中電灯が転がっている。

 毎年の恒例行事となった絵馬を両手で大事そうに抱きながら、これまた毎年恒例となっている愛の言葉を小さく囁く。

「……大好きやで。今年も、来てくれへんかったな……」

 少女は泣いていた。手入れのされていない境内に、その悲しみの声は小さく小さく響き渡る。聞く人のいない、愛の言葉。

 しかし、毎年この光景を見守っているモノ達がいた。

 決して人間には気付かれないように、そのモノ達は境内の隅――木々の隙間に隠れている。

 ピンと立った耳が隠れきれていないことには、彼等は気付いていないようだった。











 彼女は、いつも絵馬を持っていた。人間の世界でそれは、願い事を記すものなのだと知ったのはごく最近だ。絵馬を大事に抱いて飾って、それからしばらく境内の中心で立ち竦むのだ。その口はいつも小さく同じことを呟く。

「また、来てくれへんかったな……」

 その声は闇に溶け込むようだった。彼女の短い黒髪に枝から落ちた紅葉がかかる。

『もう、いつになったら想い人は来るんよ?』

 茂みの中から耳だけをぴょこんと出しながら、メス狐である『茶々(ちゃちゃ)』は小声で文句を言った。今年で三歳になったにしては小柄な身体を、そわそわと茂みの中で揺らしている。カサカサと枝葉の鳴る音は、境内を吹き抜ける風に掻き消されていく。

『茶々、毎年それ言ってるんやから、そろそろ飽きひん?』

 茂みに隠れきれていない尻尾に向かって、後ろからオスの狐が問い掛けた。彼もまた今年三歳になった若い狐のあやかしだ。二匹の瞳は獣の目らしく、この暗闇の中でも周囲の景色は鮮明である。

 小さいながらも二匹は妖狐であった。長い年月を生きるあやかしにとって、三年なんてまだまだ駆け出し。ようやく人の言語を覚え、変化の術が形になってくる頃だ。

『うるさいわ。飽きるもなにもメスにとって恋愛は最大の関心事やって、なんでオスにはわからんのやろ。そんなんやとモテへんで? きいはん?』

 大きな目を細めながら、茶々が黄に振り返った。しなやかな動きで茂みから出てきて、そのきめ細やかな茶色の毛をぺろりと舐めて整える。

『じゃじゃ馬な茶々には言われたないわ』

 その動きの色っぽさに、思わず黄は目を逸らしながらそう言った。去年まではまだまだ子供のように丸々としていた幼馴染は、この一年でグンと大人びたように感じる。

 二匹は人間でいうところの幼馴染というやつだった。京の都の山奥にあるこの“元”神社は、主の死去によりその役目を終えてしまって久しい。管理をする人間がいなくなったことにより目に見えて自然に還ろうとしてしまっている境内は、今や野生動物の揺り籠となってしまっているのだ。

 その揺り籠で二匹は育った。両親から受け継いだ毛色の狐。いつからか『彼女』にその毛色で呼ばれるようになり、最初こそ人語の意味が分からずとも、二匹はその音の響きを心地良く思っていた。

 そして死は、二匹を分かつことはなかった。














 どういうわけか、二匹はあやかしとしての生を得ていた。冬の訪れに死期を悟った二匹の両親は、連れ立って境内の中心に座り込んだ。今から思えば、それは神への祈りの姿だった。

『愛しい愛しいこの子達をどうか、どうかお救い下さい。私達はどうなっても構いません。その御力でどうか……』

 自分の母が確かにこう願ったのを、黄は今でもはっきりと覚えている。その当時の自分は、冬の寒さに震えたまま、訳も分からず母の決意の表情を見上げるだけだった。その願いの意味することもわからずに、母の腹の下で丸まっていたのだ。

 隣で同じように父と、茶々の両親も願っていた。自分達の命を捧げて、子供達だけでも助けるために。

 この地は“元”神の居住だった。その残り香とも言うべきか、神秘的なる微々たる力は、両親達の命を奪い、自分達だけをあやかしへと転じた。それはつまり残り香で、微々たる力だった。『生』という輪廻から除外された、『罪』にも等しい力だった。

 命を“奪う”その力は、激しい銀色の光だった。激しい光に黄が目を閉じている間に、その力は全てを終えていた。

 瞼を開けた黄が目にしたのは、力なく倒れる両親達とその傍で目を見開いたまま固まっている茶々の姿だった。いきなり訪れた哀しみに、その心が追い付いていないようだった。

 空からまるで気持ちを代弁するかのように、白き結晶が降り始める。視界がゆっくりと白に包まれていく。頭に積もり始めた雪に、ぶるりと黄はその首を振った。


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