94. 勝者の余裕
歌が本当に合っていたのか、という問いに対して返ってきたのは「多分合ってる」という回答だった。曖昧なのは、サイカでは歌ではなく楽器演奏のみだったからだ。
現在サイカを統治している組織の中で演奏をしていた人物がその曲を『どこかで聞いて覚えた』のでなければ確かにルルシアと同時期の日本で生きた前世を持っていると考えられる。
「でも、実際問題サイカでその曲を聴いた旅人が鼻歌で歌ってエフェドラの神の子に伝わってるわけだし、その人物も『どこかで聞いて』って可能性は十分考えられるんじゃないの?」
神の子たちが執務のために引き上げ、ラウンジスペースにルルシアたちテインツから来た四人だけになったところでディレルが口を開いた。歌についてはルチアが関わる話だが、サイカ内部に関する話は教会の面々とは関わりのない話なので黙っていたらしい。
「うん。それは確かにそうなんだけどね。その人物、計算とか論理的な思考力とかが物心ついた頃から突出してて、神童って呼ばれたりしてたらしいんだ。今は言動がちょっとおかしいって変わり者扱いされてるらしいけど」
「ああ……それなら前世持ちの可能性は高いかもね……」
アドニスも含む三人の視線がちらりとルルシアの方を向いた。
三人が囲んでいるテーブルに手を伸ばし、彼らのお茶請けに用意されていた菓子を今まさに掠め取ろうとしていたルルシアは一旦手を引いて睨み返す。
「三人共、言動がおかしいってところで一斉にわたしを見るのひどくない?」
「そういえばルルその服似合うよね」
「話そらした」
「はいお菓子どうぞ」
「ありがとう!」
ディレルがお菓子の乗った皿ごとルルシアの前に移動させてくれるのを笑顔で受け取る。早速口に運ぶルルシアにアドニスが呆れた目を向けた。
「それでいいのか、あんたは」
「あんたじゃなくてルルです」
「……ルルシア」
「美味しいものは人を幸せにするんです。ほら、アドニスさんも食べるといいですよ。はい、あーん」
「やめろ! やるなら自分の男にやれよ」
「だってアドニスさんは明らかに栄養不足ですよ。ご飯だってあんまり食べないし。アドニスさんが自分でちゃんと食べるならやりません」
「……わかった。自分で食べるからやめてくれ。それとやたら俺を構うな。そこの男が怒るだろうが」
そこの男、とアドニスはディレルの方を視線で示す。ディレルは「別に怒らないよ」と肩をすくめつつ、ルルシアの手から菓子を取って自分の口に入れた。
「シャロが心配してたからつい……アドはお金ないし不器用だし料理下手だって」
「……余計なお世話だ」
「あ、あと、アドニスさんは働いて罰金を返すことになりますって言ったら『アドが妓楼に売られちゃう』って心配してました」
ルルシアが付け足した言葉にディレルが咳き込み、セネシオがふるふると肩を震わせて机に突っ伏した。当のアドニスは一瞬何を言われたのかわからないという顔をして、次の瞬間ギッと眉を吊り上げる。彼の表情がここまで変わるのは初めてだ。
「あっの馬鹿……!!」
「彼女、働くイコール体を売るみたいな発想なんですけど、アドニスさんはシャロにそういう教育方針で?」
「んなわけあるか!!」
「でも、なんの下敷きもなく突然そんな考えにはならないと思うんですけど」
「……割のいい仕事だとか適当なこと言ってシャロを娼館に連れてこうとしたやつがいるんだよ。その時に『でかい金稼ぐなら体売るしかない』みたいなこと言われたんだろ」
その時のことを思い出したのか、アドニスは不愉快そうに顔を歪め、舌打ちとともに吐き捨てるように言った。
「シャロちゃん美少女だもんねぇ。しかもエルフだし。娼館にいたら間違いなく目玉になるだろうし狙う女衒は多そうだよね」
「……ああ。あんた――ルルシアも気をつけろよ。サイカなんか無法地帯だから集団で攫って行こうとする奴らがゴロゴロいるぞ」
「……重々気をつけます」
***
翌日、神の子としての業務は午後からに詰め込み、午前中に治療実験を行うということでアドニスは教会の人々に連れ去られていった。
医師による現状確認後、癒やしを行い、再度癒やしの効果を確認――という流れだ。
「というわけで私は午前中非番なんですよー」
というカリンによってルルシアも連れ去られた。
アドニスとルルシアが不在のため、宿泊棟のラウンジではディレルとセネシオの二人だけでサイカ周辺の地図を挟んで話をしていた。
周辺地図とはいうもののその作成時期はだいぶ古く、現在は道が崩れているところや橋の落ちているところなどがあるらしい。また魔物の巣ができていたり盗賊が出没するなどのアクシデントも考えられるため、最近セネシオの使用したルートとアドニスの記憶を加味して事前に複数のルートを考えておくのだ。
「アドニスくんがどの程度回復するかっていうのは博打みたいなもんだけどね。スムーズに歩けて武器握れる程度だとありがたいけど」
「ライは、足の方はだいたい治るだろうけど手は無理じゃないかって言ってたな」
「そうだねぇ……手はだいぶ瘴気にやられたから……」
「足がだめならもうあれだけど、武器を握れないレベルの時は連れてくの?」
「うーん。ルルシアちゃんの安全を考えるとああいう、見た目でナメられにくいタイプが一人いたほうがいいんだよね」
「まあね……って、ルル?」
宿泊棟の階段をしょぼしょぼと下りて来たルルシアは、ディレルの姿を認めるとパタパタと駆け寄り、椅子に座ったままのディレルに後ろからガバっと抱きついた。
「え、どうしたのルル」
ディレルは戸惑った声を上げるがルルシアは何も答えない。普段の彼女は人前での接触を嫌うのだが、今はセネシオが目に入っていないかのようにぎゅうぎゅうとしがみついてくる。
そこに、階段の方から遅れてやってきたカリンが顔を出してえへへ……と笑った。
「ちょっと構い過ぎちゃいました。ルルシアさんってば反応がかわいいんだもの」
ルルシアはカリンによって部屋に閉じ込められ、昨日の予告通り根掘り葉掘り話を聞かれた挙げ句にミニスカート――とまでは言わないものの丈の短いふわふわしたスカートの服に着替えさせられたのだ。
根掘り葉掘り聞いた話をうっかり他の人にバラしちゃうかもー、と脅されながら。
「えー、反応がかわいいってなんかいかがわしい響きだね」
「いかがわしいのはセネシオさんの頭でしょ」
「あ、ルルシアちゃん普通に言い返しては来るんだ」
ルルシアはむくれてディレルにしがみついたままテーブルの上に広げられた少し日に焼けた古い地図に目を落とした。崩落や魔物の出没を確認した日付などが随所に書き込まれている。
「サイカのルート見てたの?」
「ああうん。最短のルートは随分前に橋が落とされてそのままになってるみたいだから回り道することになるんだけど、道が崩れてるところ避けると結構限られてくるんだよね」
「それでそういうところは盗賊がいる、と」
「大体そうだろうね。まあ現状だと行き来する人も少ないし盗賊稼業は儲からなさそうだからいないかもだけど……そうすると魔物がいるってことになる」
盗賊がいると襲われる可能性が高いが、逆に言うと盗賊の行動範囲には魔物が少ないということでもある。彼らもさすがに魔物とは共生できないため、縄張り内は細かく見回ってそこに入り込んだ魔物は退治するものなのだ。
「……わたしは人よりは魔物のほうがいい」
「まあその方が気楽だけどね。ルルがいれば空飛ぶタイプのやつも楽だし」
「弓も魔法もない場合ってああいうのどうするの?」
「魔術具で攻撃して落とす、囮とかでおびき寄せる、諦める……ってとこだね」
「へえ」
自分が弓を使うので空を飛んでいようが関係がない。一緒に動くことの多いライノールも魔法で攻撃できるので苦労したことがなく、敵が飛ぶか飛ばないかなど気にしたこともなかった。
「っていうか、二人共ひっついたまま普通に話してるけどそろそろ神の子ちゃんたち戻ってくるかもよ」
「あ、なんかハオル様が可哀想なんで勘弁してあげて」
「……はーい」
ニヤニヤしつつ言ったセネシオの言葉に、カリンが大げさに驚いたように声を上げた。どうやらハオルがルルシアに懸想していることをカリンも知っているらしい。キンシェは人をよく見ているので彼も気付いているだろう。
(本当に気づいてなかったの私だけなのかぁ……)
ディレルに言われていなければおそらく今でも気付いていなかった。こういった色恋沙汰に慣れていないので、一度気付いてしまうと非常に気まずい。とりあえずのろのろとディレルから離れた。
「俺は別にそのままで構わなかったんだけど」
「うわ勝者の余裕。子供相手に大人気ない」
さらっと言ったディレルに、カリンは両手で口を押さえて「怖い怖い」と言っているが、その目は完全に面白がっているので本当にハオルが可哀想だと思ってるかどうかは怪しい。
「ま、どうせいずれわかることだしね。二人が高速で別れない限りは」
「……別れません」
む、とむくれたルルシアに、カリンは「ルルシアさんってそういうとこが可愛いからからかいたくなるのよ」と笑った。