9. フロリアの森で
ギルド長はビストート・ランバートと名乗り、ルルシアたちを呼び出したことと、時間に遅れたことを丁寧に詫びた。
彼はいかつい顔にがっしりした体つきで、そうそうドワーフってこういう感じだよね、という見た目の人物だった。
つまるところ、清々しいまでに息子と似ていなかった。
彼自身もそう思っているらしく、「息子は妻に似ているんです」とこちらが何も言わないというのに付け足した。よく言われるのだろう。
「先日の魔獣討伐でのお二人の活躍は聞き及んでいます。それに、うちの愚息がお世話になったそうですね」
お世話になったというなら、むしろルルシアの方だ。落下した時、ディレルが受け止めてくれなければそれなりに体を痛めていただろう。
ライノールもちらっとルルシアの方を見て、申し訳なさそうな顔をするギルド長に首を振った。
「いや、世話になったというならむしろこちらの方から礼を言わねばなりません。ご子息はずいぶん腕が立つようだ」
「腕が立つ……そうなのですか? これは私たちに何も言わず、勝手に自分で冒険者ギルドに入ってしまったもので……今回の魔獣討伐でも、魔石を取り出すところが見たいといって討伐に加わったんです。後で知って肝が冷えました」
ギルド長がため息をつきながら渋い顔でそう言い、横に座るディレルを脇目で睨みつける。
しかし、睨まれたディレルは涼しい顔で微笑んでいる。大人しそうな顔をしているのに、行動力は人一倍のようだ。
「話は聞いていると思うのですが、あの魔石はテインツの都市機能維持のためにどうしても必要なものなんです。そのくせ産出量は少ない。取りこぼしは許されないんです。グラッド……冒険者ギルドの支部長ですが、彼は毎回酷いプレッシャーを感じているようで、今回エルフが協力してくれたことをとても感謝していましたよ」
「ルルシアから冒険者ギルドの方へ伝えたようですが、エルフは要請があれば応じます。今までは要請がなかったので動かなかっただけで」
「そうですね……グラッドの前の支部長はドワーフだったんです。同族でありながら非常にお恥ずかしい話で、エルフに協力を頼むという行為は彼のプライドが許さなかったようです」
「……なるほど」
ライノールの声に微かな苦笑がにじむ。
そんな理由で効率を落として、住民や討伐に向かう冒険者の身を危険にさらすのは馬鹿げている……と思っているのだろう。ルルシアもそう思う。
だが、種族や民俗の問題は、そう簡単に割り切れるものではないというのも事実だ。
そのあと、しばらく形式的なお礼やクラフトギルドの紹介など、当たり障りのない会話が続く。
――正直なところ、ルルシアは早々に話を聞くのに飽きてしまっていた。
しかもお茶で体が温まって、いい具合に眠気が襲ってくるのだ。
くあぁ、と音を立てないようにあくびをすると、すぐさまライノールの拳が脇腹にめり込んできた。ギルド長からは見えない死角である。
「ケホッ……ケホ」
「おや、どうされましたか」
「いや、これは森からあまり出ないので、慣れない都市の様子で疲れが出たのでしょう。お気になさらず」
あくび中の打撃にむせるルルシアの肩に手を置き、ライノールはさらりといい加減なことを言う。
そして、都市に慣れていない相方を早く休ませてやりたいと言外ににじませながら本題を促した。
「ところで、ギルド長は人探しをしていると聞きました」
「……ディレルから聞いていましたか。完全に個人的な話ですので、ただ心当たりがあれば教えていただきたい程度なのですが……」
ギルド長はまだ少しむせているルルシアに目を向けつつ話を切り出した。
「七年前にフロリアの森で、魔獣がエルフの集落を襲った事件はご存じ……ですよね」
ギルド長の言葉に、なんとか目立たないようにライノールの足を踏もうと苦心していたルルシアは顔を上げた。
ご存じも何も、それはルルシアの両親が命を落とした事件だった。
「――あの件は、エルフの中でも悔恨とともに語られていますからね」
ライノールが静かな声で頷く。
フロリアの森のエルフ集落は、薬草栽培に特化した場所だった。
もちろん警備のために魔法戦闘に長けた者たちも常駐していたが、集落の構成員の大部分は戦いに向いていない者たちだったのだ。
特に不運だったのが薬草畑で火の手が上がったことだった。風向きも悪く、燻された薬草から上がった毒を含む煙が警備の宿舎を襲い、毒の煙と魔獣の瘴気でほとんどの者は戦いを始める前に倒れてしまった。
巡回で宿舎を離れていた警備の者たちが、あわてて魔獣に応戦したが、結局付近を巡回中だった冒険者ギルドが駆けつけた時に残っていたのは、片手で足りる人数だけだったという。
この出来事の後、エルフの世界では各集落の警備体制の見直し、瘴気への防衛魔法の教育強化、薬草畑の区画見直し……など、諸々の改革が行われたのだった。
***
「あの日、私は素材採取のために冒険者ギルドの巡回に同行していました。フロリアの森での採取中、魔獣がエルフの集落を襲っているという情報が飛び込んできて、冒険者たちは急行したんです。我々、私と数人の職人たちは足手まといにしかならないので、護衛のための冒険者2名と森から出ることになりました」
一行は最短ルートを抜けようとしたが、火の回りが早くて通れない場所が多く、更に魔獣の瘴気につられて普段大人しい魔物まで興奮状態で襲い掛かってくるため、何度もルート変更を余儀なくされたそうだ。
彼らは森の中を逃げ回るうちに次第に方向を見失い、冒険者の一人も負傷し、……それでもなんとか進める道を進んでいるうちに――気が付けば、離れようとしていたエルフの集落のほど近くまでたどり着いていた。
なぜ集落の近くだとわかったかといえば、多くのエルフが倒れていたから。
そして、魔獣がそこにいたからだ。
巨大なクマの目は闇色で、毛並みは燃え上がる炎の色を映しているのか、それとも血濡れたせいなのか、錆びた鉄色でぬめるように輝いていた。そして、立ち上がったその巨体は軽く三メートルを超えていた。
冒険者ギルドが応戦していると思われる戦闘の喧騒は少し離れた場所から聞こえていた。
魔獣がひきつれてきた魔物の数が多すぎて、彼らはまだ魔獣までたどり着けていなかったのだ。
魔獣の目が一行をとらえ、目の前まで迫って来た時全員が死を覚悟した。
――だが。
「諦めるな! 立ちなさい! あんたらまだ生きてんでしょう!?」
怒鳴りながら一行と魔獣の間に飛び込んできたのは、一人のエルフの女だった。
咆哮とともに振り降ろされた魔獣の爪は、彼女の魔法で作られたと思しき光の壁に阻まれた。
「こっち側は魔物の数を減らしたから、そのまま走って。冒険者たちもこっちへ向かってるから」
続けて後ろから現れたエルフの男は、こんな状況だというのに穏やかな声でそう言うと、恐怖でへたり込んでいた者の手をとって立ち上がらせた。
「早く行って。さすがに庇いながらじゃ戦えないから」
「あなたたちは……」
「早く!!」
攻撃を防いでいる女から悲鳴のような声で怒鳴られ、一行はがむしゃらに駆けだした。
エルフの男が言った通り、その小道に魔物の姿はほとんどなかった。
彼らは無事冒険者ギルドと合流し、改めて保護されたのだった。
***
「冒険者ギルドが魔獣のもとに着いた時、すでに魔獣は大きなダメージを負っていたものの、生き残っていたエルフはいなかったと聞きました。……ですが、我々を助けてくれた二人の特徴と合致する遺体はその中になかったらしいんです。もしかしたらあの場を離れたのだろうかと……」
「その二人を探していると」
「ええ。お礼を言うこともできませんでしたから」
「その場から離れることがないとは言わないが……おそらく喰われたのでしょう。エルフは……特に魔力の強い者は魔物にとってみれば栄養豊富な餌ですから」
淡々とライノールが言った言葉に、ギルド長は目を丸くした。
魔物は魔力の多い生き物を好んで食べる。
魔獣の攻撃を防ぐ壁を作れるレベルの魔力を持っていたのであれば、それはメインディッシュといったところか。
冒険者ギルドが着いた時に魔獣が生きていて、彼らがいなかったというなら、十中八九殺されて喰われたのだろう。
「ルル」
「?」
ライノールが指でちょいちょいとこちらを向けと合図するので、顔を向ける。――と、彼はルルシアの頭上に手を伸ばす。
ルルシアが、なんかつい最近こんなことがあったな……と思っていると、バサッとフードを脱がされ、ルルシアのぽかんとした顔が外気にさらされる。
「!? なにす……」
「つまるところ、ギルド長の探しているその相手の髪色が、これと同じ色だったのですね?」
慌ててフードをかぶりなおそうとする手を、ライノールにつかまれ、邪魔される。
「ええ……そうです、同じ黒髪でした」
「なら、探し人はこれの両親で間違いないでしょう。この髪色のエルフは、このあたりではこれとこれの母親だけでしたから。彼らが何かの理由で魔獣のもとから離れたとしても、娘のもとに戻ってこない理由はない。つまり、もう死んでいるということです」
「……ディレルからそちらのお嬢さんの髪の色を聞いて、もしや縁があるかもしれないとは思ったんですが、ご息女でしたか……」
ルルシアの髪の色は青みがかった黒髪だ。エルフは明るい髪色が多いので黒髪はかなり珍しい。他の地域にはちらほらいると聞いたことがあるが、この周辺では、今はルルシアだけなのだ。
「他人事みたいな顔をしてるが、お前の話をしてるんだぞ」
「わかってる。そうだろうと思って聞いてた」
ライノールの手を叩き落とし、ルルシアはバサッとフードをかぶりなおす。やはり顔が出ていると落ち着かない。
「やはり、そうでしたか……あれから何度も考えるんです。あの時我々がいなければ彼らは魔獣の前に飛び出すことはなかったのかもしれない、と。……私はあなたからご両親を奪ってしまった。お詫びのしようもない」
ギルド長はそういって頭を下げた。
ルルシアは心の中でうなる。すでに七年前の話で、もちろん今でも悲しむ気持ちはあるが、それはもうずいぶんと遠くにある。
――それに、ルルシアは先程の話を聞いて、むしろ喜んでいた。
森のエルフたちは瘴気にやられて、ほとんど抵抗できなかったのだと聞いていた。
でも、ルルシアは自分の両親がそんなふうに無抵抗に殺されたなどとは信じたくなかった。
ルルシアにとって両親は強く、目指すべき道だったから。
やっぱりルルシアの信じた通りだった。
戦って、人を守りきったのだ。
それがとても嬉しかった。
「――両親は自分たちの意志で動いたのですから、その生死は彼ら自身の責任です。選んだのは私の両親で……その結果が死だったとしても、わたしはその選択を誇りに思います。あなたがたを責めるつもりは一切ありません」
それに――。
死ぬことなど、後悔だらけだ。
水森あかりとしての記憶を思い出したとき、一番に考えたのは、自分の死が周りに与えた影響についてだった。
「それにもし、命を落としたのが自分だったとして……その死のせいで誰かが苦しんだり悲しんだりする事の方が、わたしは耐え難いです」
前世の、あかりの家族は。友人は。
もう顔もはっきりと思い出せないけれど、彼らのことを考えると胸が痛む。あかりのことなど早く忘れて、幸せになっていてくれればそれでいい。
「なので……ええと……助けた相手が元気で暮らしてくれていればそれで、いいんだと思います……」
何とか言葉を絞り出したというのにライノールが「最後が締まらないな」と笑うので、ルルシアは今度こそその足を踏みつけてやった。