85. 閑話:準備期間
これから数日の準備期間を置いて、その後ルルシアたちはアドニスを連れエフェドラのアルセア教会の総本山へ行く。そしてその後は隣国、オズテイルのサイカへと乗り込むのだ。
サイカは亜人に対して非友好的であるため、ルルシアもエルフであることを隠して行くことになる。不本意ながらぱっと見でエルフには見えないと評判の地味系美少女のルルシアは見た目にはそこまで気を使わなくても問題ないのだが、人間よりも明らかにとがった耳だけはどうあっても隠さねばならない。
いつもマントのフードをかぶって隠しているが、旅装として愛用しているマントはエルフが好んで使う素材と形のものなので見る者が見れば分かってしまう。そのため人間の冒険者が好んで使っているタイプのデザインで、軽い認識阻害魔法を織り込んだものを仕立ててもらっている。それにプラスして髪型も耳を隠すような結び方に変える予定だ。音の聞こえが多少悪くなるのは不便だが仕方がない。
「靴は受け取り完了。あとは魔術具……」
靴は以前から仕立てようと思いつつずるずる先延ばしになっていたものだ。霊脈の調査の時にさすがにそろそろ……と思って注文していたものが折よく出来てきたらしいので受け取ってきた。出来れば出発までに足になじませておきたいので店で履き替えたが、さすがに職人の町テインツで、クラフトギルド長ご推薦の店だけあってなかなかに快適な履き心地である。
そして、本日最後の買い物は魔術具だ。
明かりをともしたり着火したりなど、普段簡単なことは魔法で済ませてしまうルルシアはそういう日用品の魔術具を持っていない。だが、今回人前で魔法を使うわけにはいかないため一般的な冒険者が持ち歩いている魔術具を用意する事にしたのだ。
魔術具屋の入り口をくぐり、ちらりと店を切り盛りするジャスミンの姿を探す。だが、見つけた金色の髪の後ろ姿はちょうど接客中だったので声をかけるのはやめておく。
この店には何回か訪れているが、購入目的でやってきたのは実は初めてだ。普段使用しないものなのでどういう基準で選んでいいのかがわからない。ルルシアは商品棚を眺めてこてりと首を傾げた。
エルフは筋力が弱いのであまり重い荷物を持ち歩けない。今回のサイカ行きは基本的に集団行動なので、あえてルルシアが魔術具を使うのははぐれたときなどの非常時が想定される。(――ってことは持ち歩きやすくて壊れにくいもの、かな)とアタリをつけて、とにかく小さくて頑丈そうなものを探すことにした。
しばらく商品棚とにらめっこをして、ランプの候補を二つに絞る。
濃い緑色の物とこげ茶色の物だ。どちらも同じくらいの大きさなのだが、造りはこげ茶の方よりも緑色の方が若干しっかりしている。それなのに緑色の方が値段は安いのだ。作った人物が違うのかと思って刻まれた銘を見てみるが、全く同じだった。
(制作者は一緒……なのに頑丈な方が安い……なぜ……)
両手にランプを持って悩んでいると、「あの」と横から声をかけられた。
「え、わたしですか?」
「はい。もしかしてその二つで迷ってますか?」
「ええと、はい。何でこっちのほうが安いのかなと思って……」
話しかけてきたのは、赤毛の青年だった。年のころはルルシアと同じくらいだろうか。まだ少年と言っても通じそうなので年下なのかもしれない。その青年が人懐っこそうな微笑みを浮かべて、ルルシアの持ったランプを指さした。
「こっちの緑の方が衝撃に強い作りなんですけど、茶色の方は耐衝撃性に劣る代わりに、魔力を貯めておける鉱石を採用してるので少ない魔力でも運用できるんです」
「あ、なるほど……」
鉱石の中には魔力を内部に蓄積できるものがある。それを魔術具に組み込むことで、要は充電池のように魔術具にエネルギー供給できるのだ。通常魔術具は使用時に使い手の魔力を消費するのだが。魔力充填済みの鉱石が組み込まれていれば使い手の魔力消費ゼロで使用することができる。鉱石の魔力が切れたら再充填も可能だ。
だが、ルルシアは一応エルフなので人間と比べれば桁違いに魔力が多い。ランプをつける程度ならば消費などないも同然なのだ。頑丈で安い方を選ぶことにする。
「ありがとうございます。参考になりました」
的確な説明をしてもらえたおかげで安くていいものを選べたので、ルルシアはご機嫌で青年ににこりと微笑み、お礼を言った。青年は少し頬を染める。
「ご迷惑じゃなければよかったです。……実はそれ、僕が作ったものなんです。手に取ってる人がいて嬉しくて声かけちゃいました」
「え、そうだったんですか。作った人に教えてもらえるなんて運がよかったです」
「さっきから魔術具色々見てたみたいですけど、よければ選ぶの手伝いましょうか? 職人なんで知識はありますし」
ありがたい申し出だが、大体めぼしいものは選び終わっている。そう伝えようと口を開くと、青年が一瞬気まずそうな顔をした。断る雰囲気が伝わったのだろうか、と思ったのだが、彼の視線はルルシアを通り越してその後ろへ向かっていた。
「はいはい、店内でナンパはご遠慮くださーい」
「違いますよ……困ってたから声かけただけですって」
ルルシアが振り返ると、そこには腰に手を当てたジャスミンが仁王立ちしていた。顔には凄みのきいた笑顔が浮かんでいる。波打った豊かな金色の髪が顔のまわりを彩り、迫力を増している。
青年がしどろもどろといった様子で否定する。が、それに対してジャスミンは笑顔を深めた。
「ナンパしてる暇があったら納期を守る!」
「う……」
「はいはいルルシアちゃん、他に必要なものがあるならわたしが見立てるわ。――あんたは遅れてるランプ作りに帰りなさい。せっかく人気出始めてるんだから今頑張んなきゃダメよ!」
「あ――はい。 ……じゃあお姉さん、縁があればまた今度」
「はい」
青年はジャスミンの言葉に少しうれしそうな顔をして頷いた後、ルルシアにニコリと微笑みながら手を振って出て行った。その背を見送り、ジャスミンはため息をついた。
「全く油断も隙もない……で、ルルシアちゃん久しぶりね。魔術具買いに来たの?」
「お久しぶりですジャスミンさん。ちょっと魔法が使えない場所へ行くので魔術具が必要で……。……あとちょっと、ジャスミンさんにお聞きしたいことが」
「うん? とりあえず詳しい使用目的教えてもらえればどういう道具がいいか提案するわ。――で、その顔だと、聞きたいことは魔術具とは違うことなのね?」
「はい……」
「オッケー。ちょっと待ってね……セダム! わたしちょっと裏入るから」
ジャスミンが呼びかけると夫のセダムが会計のカウンターから顔をのぞかせ、「わかった。お、ルルシアちゃんじゃん。やっほー」と明るく笑って手を振った。
「じゃあ行きましょ」
言うが早いか、ジャスミンはスカートを翻してすたすたと奥に行ってしまう。慌ててルルシアも追いかけた。
ジャスミンが言った『裏』とは打ち合わせ用のスペースのことだった。おそらく商談もここでするのだろう。見事な織りの絨毯が敷かれ、その上に柔らかなソファと滑らかに磨かれたテーブルが置かれている。横の壁に据えられた棚には魔術具に関する本が並び、その上に置かれたディスプレイボックスには見本品と思われる装飾品が並んでいる。そのうちのひときわ目を引く美しい透かし彫りのブローチはディレルの手によるものだろう。
「どうぞ座って。お茶淹れるわね」
「すみません、忙しいところに」
「いいのいいの。どうせそろそろ休憩するつもりだったし」
ひらひら手を振りながらジャスミンはティーポットにバサバサと茶葉を入れていく。ルルシアがさすがに入れすぎでは……と不安になったあたりで茶葉を淹れる手を止め、ジャバっとお湯を注いだ。そのティーポットを手元でぐるぐるとまわして揺らし、すぐにカップに注いでしまう。
「えーと、まずご相談を聞きましょうか?」
「あっ……はい……」
緊張して乾いた喉にお茶がおいしい。――というか、
(……あの淹れ方なのにおいしい……)
一体どういう魔法をつかったのか、およそ丁寧とは言えない淹れ方をされたお茶は、神の子のお付きのカリンが丁寧に淹れてくれるお茶に匹敵するくらいに薫り高く飲みやすかった。これから聞こうと思っていることで緊張してのどがカラカラになっていたのでありがたいが、不思議である。
「えっと……ジャスミンさんはどうしてセダムさんと結婚しようと思ったんですか?」
「え、それはあんなおちゃらけた奴と結婚したなんて気がしれないわってこと?」
「え!? 違います……ええと……」
ルルシアは慌てて言葉を探す。確かにこの聞き方では唐突すぎる。
「冗談冗談。ごめんね? 何が聞きたいかは分かるわ。『結婚って何だろう』ってことよね?」
「そうです……よくわかりましたね」
「そりゃあ私も悩んだもん。――うーん、そうね。うちの場合、このお店は私が親から継ぐことになってたんだけど、その共同経営者になってもらったのよ。別に一人でもよかったし、他の人でも良かったけど、セダムとなら楽しくやってけるかなぁって思ったのよね」
「共同経営者」
想定外の言葉に、ルルシアはぱちんとまばたきした。
そのルルシアの戸惑った様子にジャスミンは笑いだす。
「うふふ、参考にならないでしょ。――で、ルルシアちゃんはディルに結婚しようって言われたのね?」
「っ……そうです」
にこりと笑ったジャスミンにずばりと聞かれ、ルルシアは一瞬固まり、真っ赤になった顔を両手で覆って答えた。顔を覆っているものの、覆った手も真っ赤になっているのであまり意味はないかもしれない。
「いやんルルシアちゃん可愛い……うふふふふふ……いやー、あの魔術具馬鹿がねぇ……感慨深いわぁ。――まあでもディルの気持ちわかるわ。自分の嫁ーって主張しておかないと、ルルシアちゃんってふと気づいたら他の男に持ってかれそうなんだもん」
つい最近よく似た言葉を聞いた気がする。
なんとなく釈然としない気持ちでルルシアは口を尖らせた。
「……なんかディルにも『気付かないうちに言い寄られて気付いた時には絡め捕られてそう』って言われたんですけど、わたしってそんな感じに見えるんですか」
「見える見える。ほらぁ、ついさっきだってナンパされてたでしょ」
「ナンパじゃなくて、魔術具どっちにしようか迷ってたら声かけてくれたんです」
「そうそれ。あいつ迷ってる客が男だったら声かけなかったわよ。可愛い女の子が困ってるから助けたらあわよくば――って感じ。世間はそれをナンパというの」
「……なにそれこわい」
「そうよ。男は怖いのよ。って、何の話だっけ……ああそう、ディルね。ディル。あいつの場合結婚しても家庭に入る必要ないし、本人がギルド長就任辞退してるから妻としての社交行事だってないし……単純にルルシアちゃんが一緒にいたいかどうかで決めていいと思うけど。――あくまでも私はそう思う、って話だけどね」
(一緒にいたいかどうか……なら、答えは決まってるけど)
「参考にならなくてごめんね?」
「いえ、聞いてよかったです」
ありがとうございますと頭を下げたルルシアに、ならよかったわとジャスミンは微笑んだ。
「じゃあ、魔術具選びを始めましょうか!」