69. 魔族だから
アドニスの病室を訪ねた翌日、シャロのもとへ向かった。
昨日病室を出たその足で向かってもよかったのだが、冒険者ギルドでいくつか過去の話を聞いていたら遅くなってしまったので日を改めたのだ。
今回のシャロはきちんと椅子に座っており、ルルシアの顔を見るなり「アドは」と立ち上がった。一瞬護衛役の警備員が体を緊張させたが、彼女は立ち上がっただけで飛びかかったりはしてこなかった。やはりアドの安否が気になっていたのだろう。
「約束通り、アドニスさんに会ってきました。意識はなかったけど生きてましたよ。ちゃんと息してて体温があるのも確認しましたから」
シャロは泣き出す一歩手前のように顔を歪めたが、涙も嗚咽も漏らさなかった。
顔をうつむけてしばらくの間黙り込み、そしてか細い声で呟く。
「…シャロも生きてた」
先日の「お前がまたくるまではシャロも生きてる」という約束のことを言っているのだろう。ルルシアは頷いて、持って来たバスケットの中から包みを取り出した。
「はい。食事もきちんととってると聞いてます。これ食べますか」
包みの中身はメリッサに頼んで作ってもらったアップルパイだ。手のひらの半分くらいの大きさの四角いアップルパイはまだほんのりとぬくもりが残っており、リンゴの甘酸っぱい香りと、微かにバターの焦げた香ばしい香りを漂わせている。
メリッサの作るアップルパイは最高においしい。メリッサの思惑通り順調に胃袋をつかまれているルルシアとしては本当はシナモンをたっぷりきかせたほうが好きなのだが、相手がエルフなので今回は泣く泣くシナモンなしで作ってもらったのだ。
その甲斐あってか、シャロの視線もアップルパイに釘付けになっている。
「…毒がはいってる、かも…」
「あなたに毒を盛るなら普段の食事に入れますよ。食べないなら私が食べます」
「あっ」
にこっと微笑んでそのままアップルパイにかぶりついたルルシアを、シャロはものすごくショックを受けた顔で見つめた。それを認めてルルシアはにやりと笑う。
「ふふ、まだありますよ。食べますか?」
「…食べる」
シャロは悔しそうな表情を浮かべながら、それでも差し出された新しい包みを受け取った。シャロがそれをほおばるのを確認してから、ルルシアはもう一つ包みを取り出して部屋の入口に控える警備員にも差し出した。
「もしよければどうぞ。アップルパイ嫌いでなければですけど…」
「えっ、いいんすか!?」
「そのつもりで持ってきたので。」
「ありがとうございます!…さっきからすげえいい匂いしてたんで気になってたんですよね」
振り向くと既にシャロは食べ終わり、名残惜し気に指についたジャムを舐めていた。「ああ、これ使ってください」と言いながらルルシアが手をふくためのタオルを目の前に差し出すとシャロはビクッと体を緊張させた。
(飼い始めたばかりの小動物みたい…)
前世で小さい頃かっていたハムスターによく似ている。慣れてくれるまではこちらの少しの動きでもびくびくしていた姿がそっくりだ。
「…シャロは、ここにつかまってるのに、なんでおやつが食べれるの」
「あなたはもう罰を受けているので、今は今後あなたがどこでどうやって暮らすのかを考えているところだからです」
「罰を受けてる?だってシャロは瘴気で魔物を集めたし魔獣を作ったよ。捕まったら殺されるんでしょう」
「…あなたが犯した罪は、魔法を利用して人を傷つけたことです。それはもう魔力の封印という罰を受けているので、殺されることはありません」
「嘘」
「嘘ではないです。アドニスさんも同じです。彼も殺されたりしません」
実際のところ、アドニスとシャロにどういう命令が下され、何が行われたのかは既にオズテイルの工作員たちの証言がある。一応本人たちに確認を取ることになっているが、大筋の処罰は決定している。
アドニスとシャロの行動によって怪我人や家畜への被害は出ているが死者は出ていない。採石場にいた実行犯や工作員の中には死者がいるのだが、これに関しては魔獣作成過程の瘴気に寄ってきた魔物や拘束が解けた魔獣にやられている。
そして、更に言えば魔獣の作成が危険であるとアドニスは反対していたらしい。しかし工作員によってアドニスが押さえつけられ、シャロはアドニスを無事解放してほしければ従えと強要され魔獣作成を始めたのだ。
もう一つ、直接シャロが攻撃を加えた神の子のハオルに関しては、その事件自体が教会の内部のもめごととして処理されており、簡単に言うと『なかったこと』にされている。
これらを総合して、アドニスに下される刑は怪我人の治療や家畜被害の補償のための罰金刑もしくは罰金に応じた労役だそうだ。
そしてシャロに関してはエルフの規則に則って処罰が決まる。
エルフが魔法を悪用して人を害した場合は魔力封印のうえ所属集落からの追放、または死罪。――ルルシアはつい最近まで知らなかったのだが、エルフの世界には『相手の魔力を封じる魔法』というものが存在している。だが、その魔法は封じる者の魔力が、封じられる者の魔力を大きく上回っていないといけないらしい。
例えばライノールのような魔力の強い者の場合、それを上回るエルフなどまずいないので封じることができない。そういう場合は『死罪』となる。
といっても、魔法が使えなくなったエルフが共同体である集落から追い出されてしまえば生きるすべなどほとんどない。実質こちらも死罪のようなものだ。
そこでシャロの場合なのだが、すでに彼女はセネシオにより魔力を封じられている。更にもともと集落に所属していないので追放のしようがない。本来ならばそのままこの国からの放逐となるのだろうが、彼女の場合、本来生まれた集落で受けられるはずだった教育を受けていない可能性がある。いわば虐待被害者である可能性の高い彼女に対してその処罰が正しいのか、というところで今回の件に関係しているテインツとエフェドラのエルフ事務局が頭を悩ませている最中なのだ。
そういう内容を簡単にシャロに説明する。だが、それでもシャロはそんなはずないと首を振った。
「嘘。シャロは瘴気を作る魔族だから、生きてることが罪なんだっていわれた。だから死なないといけないんだって――」
「それを言ったのは、誰?アドニスじゃないでしょう?」
自分で思っていたよりも低い声が出た。シャロは突然雰囲気の変わったルルシアの様子に怯えたように言葉を詰まらせ、少し迷った後に口を開いた。
「アドじゃない…」
「エルフ?それともそれ以外?」
「…エルフ」
「小さいころ、あなたはもしかしてフロリアの森にいた?」
「フロリア?…アドはフロリアの森の近くでシャロを拾ったって言ってた。でも、あの森のことは忘れろって言ってた」
その言葉で心臓をぎゅっとつかまれたように一瞬息が詰まる。フロリアの森の近くで拾われ、忘れろと言われたということはその時そこで何かが起こっていたのだ。
「――なるほど、覚えてることだけでいいので聞かせてもらえますか」
「……お前、すごく怖い顔してる。怒ってる」
シャロの指摘に、ルルシアははっとする。気が急いているせいで怯えさせている。ここで口を閉ざされてしまいたくない。一度大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとする。
「怒っては…いないと思う。少なくともあなたには。……わたしはあの森で何があったのかがどうしても知りたいんです」
「なんで?」
「昔フロリアの森で瘴気が大量に発生したことがあって、わたしの両親がその原因を調べていました。でも結局原因はわからないまま、両親は命を落としたんです。…だからわたしは両親が知ることのできなかった原因を知りたい」
「シャロもよくわからない…でも多分、その原因はシャロが魔族だからだと思う」
「あなたが瘴気を作り出したということ?」
一生懸命思い出そうとしているらしく、シャロは宙を睨みつけて眉根を寄せている。森で起きたことの詳細については彼女の記憶はあまりあてにならないかもしれない。ただでさえ当時八歳程度で、更にまともに言葉を知っていたかどうかも怪しい。できればアドニスにも聞きたいところだが――そう考えているところに、シャロが口を開き、語り始めた。
「…多分。でもよくわからない。シャロは遊んでただけだったから」