67. 約束
ライノールの言ったとおり、シャロとの面会は翌日すぐ行われることになった。
約一週間ぶりにエルフ事務局に顔を出したルルシアは先輩から熱烈な歓迎を受けた。具体的に言うと、ベロニカがルルシアにベッタリとくっついて何かと世話を焼こうとするのだ。
「なんでそんなべったりくっついてるんだよ」
呆れ果てた顔のライノールをキッと睨みつけたベロニカは、彼からルルシアを守るようにその肩を抱いた。
「だって!私の初めての後輩が死ぬかもしれなかったんだよ!?」
「そんなオーバーな…」
「そうだよベロニカ。わたし魔力使いすぎで倒れることよくあるから心配しなくて大丈夫だよ?」
「いや、ルルは学習しろよ」
実際によく倒れているルルシアは本気でそう言ったのだが、普通はそんな魔力の使い方はしないのだ。ライノールは持っていたファイルでルルシアの頭をべしんと叩いた。
ルルシアが「…はい」と不承不承な雰囲気を醸しながら頷いていると、面会のための手続きに行っていたユーフォルビアが戻ってきた。会話が聞こえていたらしく、ルルシアのそばに来るなり軽くため息をついた。
「ライノールの言うとおりだよルルシア。今回は魔力使いすぎに加えて瘴気吸いすぎもあったから結構深刻な状態だったよね?ランバート夫人が張り切って引き受けてくれたから自宅療養みたいな感じになったけど、本来なら入院介護レベルだからね?自分の限界の見極めは大事だよ」
ユーフォルビアはいつもどおり笑っているものの、いつもよりも少し強い口調だった。
「はい。今後気をつけます」
「前もそう言ってた」
「ライは黙ってて」
「君たちは相変わらず仲がいいなぁ…さて、じゃあシャロとの面会だよ」
**********
シャロがいるのは城の拘留施設だと聞いていたので、ルルシアは何となくゲームなどによく出てくる鉄格子の牢屋を思い描いていたのだが、実際はホテルの一室のような普通の部屋だった。ただし、部屋の外から厳重に鍵がかけられ、内側からは開けられないようになっているらしい。
現在のシャロは魔力が封じられているため魔法が使えない。特に体を鍛えたりもしていないらしく、戦闘力は皆無。
魔法が使えない非戦闘エルフというのは純粋にひ弱な生き物である。特に警戒する必要はないのだが、念の為の護衛兼立会人として城の警備員が部屋の中に一緒についてきた。ただし、シャロを警戒させないために扉の前からなるべく動かないらしい。
ルルシアが部屋に入った時、シャロは椅子にぐったりともたれかかってぼんやりと窓の外を眺めていた。窓からの逃走を防ぐため塔の高い場所に部屋があるので、遮蔽物がなく遠くまでよく見える。ただし窓があるのは街側ではなく山側なのでひたすらに山の風景だ。
差し込んだ光がシャロの白い髪に反射してキラキラ光っている。儚い雰囲気と整った顔立ちも相まって、まるで物語に出てくる精霊や天使が顕現したかのような姿だ。
「…こんにちは」
とりあえず挨拶してみたものの、見事に無視される。返事が来ると思っていたわけではないのだが、微動だにされないのは若干へこむ。
「ちゃんと水分を摂らずにずっと座ってるとエコノミー症候群になりますよ」
聞いた話によればシャロは殆ど動かずに椅子に座っているらしい。この世界でエコノミー症候群という病名を知っている者はいないだろう。もしかしたら別の名前がついているかもしれないがルルシアは当然知らない。なのでほとんど単なる独り言だった。が、
「…なにそれ」
反応があった。
かすれた声はか細く、視線が一応ルルシアの方を向いているのだが、その黒曜石のような黒い瞳に光はなかった。
「ずっと座ってると体の中の血液の流れが悪くなって血管が詰まっちゃうっていう病気」
「じっとしてるのに病気になるの?」
「全然運動しないのは体に悪いんです」
「…まえに、アドがおなじこと言ってた」
シャロの目が、改めてルルシアを捉えた。そしてしばらくじっと見つめる。
「…お前見たことある。シャロの中に入ってきて、無理矢理ぐちゃぐちゃにした」
ルルシアが魔力に干渉したことを言っているのだろうが、言い方にだいぶ語弊がある気がする。扉の前の警備員がちょっと「えっ」という顔をしたのが視界の端に見えた。ルルシアがゴホンと咳払いをすると警備員は慌てて視線をそらす。
「…魔力への干渉のことですね。勝手に魔力をいじったのは申し訳ないですけど、あのまま瘴気を放っておいたらあなたもあの男の人も死んでいたかもしれないので許してください」
「アドを助けるから協力してっていってた」
「言いましたね」
「じゃあいいよ…っゲホッ」
「…ありがとうございます」
久しぶりに喋ったせいなのか、シャロは背中を丸めてしばらく咳き込んだ。背中をさすろうかと思ったが警戒されても困るのでただ見守る。今の健康状態であまり長く喋らせるのは酷だろう。
もとより話が聞けたらラッキー、だめならせめて食事を摂るように言い聞かせて、と言われて来ているので、ここは食事に絞って、その他については出直したほうが良さそうだ。
それに、信用されていない空気をひしひしと感じるのでここで無理をして完全に心を閉ざされてしまうと困る。
「ケホ…シャロになにか聞きに来たの?」
「そうですね。…でもその前に、ご飯をちゃんと食べてって言いに来ました」
「なんで?」
「あなたがご飯を食べなくって体が弱っていくのを心配してる人達がいるからです」
「シャロの心配をするのはアドだけだから、そいつらは嘘つき」
「…このままだと、アドさんが目を覚ます前にあなたが倒れちゃいます」
「アドは本当に生きてるの?」
「そう聞いてます。私は見てないけど」
「見てないならお前も騙されてるんだ。…人はすぐ死ぬってアドが言ってた。それに嘘ばっかりつくんだって。アドが生きてるって嘘ついてシャロを奴隷にするんでしょ」
「…この国に奴隷は…一応いないことになってますけど」
他人を簡単に信用しないようにアドがわざとそのように言い聞かせたのか、もしくは本当に奴隷商人に売られそうになったことでもあるのかもしれない。もし本当に奴隷取引が存在しているならばシャロほど美しい少女は引く手数多だろう。
「…とりあえずあなたが人を信用してないことはわかりました。…だから、わたしは今日は一旦帰って、アドさんが生きてるかどうか自分の目で確認してからまたここに来ます。それまでの間に死なれたら困るのであなたはちゃんと食事と睡眠をとってください」
「……」
「アドさんが生きてて、目が覚めたときにあなたが死んでたら可哀想です」
「アドがかわいそう?」
「アドさんも、あなたも」
シャロがじっとルルシアの目を見つめる。まるで心の中を見透かそうとしているかのようにまっすぐと見つめてくるので居心地が悪いが、こういうときに逸らしていいものかどうか分からないのでルルシアも我慢して見つめ返した。
しばらくして、シャロがふい、と目をそらした。そしてぼそっと呟く。
「…わかった。お前がまたくるまではシャロも生きてる」
「じゃあ約束です。アドさんが生きてたらあなたの話を聞かせてください」
「…アドが生きてたら考える」
「はい。それでいいですよ」
拘留部屋から出たところで室内の会話を送るために繋ぎっぱなしにしていた通信用の魔術具の通信を切断し、ルルシアはふうっと息を吐いた。そしてそのまま会議室へと足を向ける。
会議室の扉を開け、中にいたのはエルフ事務局の局長のユーフォルビア、冒険者ギルドの支部長のグラッド、アルセア教会の神の子の教育係を務めている司祭のセンナ、ついでにセネシオとライノールだ。
ライノールは「このメンツに俺いらなくねぇ?」と不満げだったが、一応教会襲撃と採石場どちらの現場にもいたので招集されている。
部屋に入っていったルルシアにユーフォルビアが声をかけてくる。
「お疲れ様、ルルシア」
「グラッドさんやセンナさんにも時間を割いてきて頂いてるのに申し訳ないですが、ものすごく警戒されているので、今はあまり踏み込まないほうがいいと判断してきりあげました」
「あれ?ルルシアちゃん俺の名前は?」
「うん、それでいいよ。情報は得られなくても現時点では上々の成果だ。とりあえず今は拘留中の餓死を防げるだけでもありがたい」
「それで、アドさんのことなんですが、彼の身柄は確か今冒険者ギルドの管轄ですよね」
ルルシアが目を向けるとグラッドが頷いた。
「ああ。まだ意識は戻ってないがな」
「わたしが様子を見に行くことはできますか?」
「ちゃんと約束を守るんだな。見るくらいなら別に問題はない」
「約束は守るものですし。――それに、自分で見ていないなら騙されてるっていうのは一理あると思いました」
「ルルシアちゃんって基本真面目だよね。そんで絶対俺と目を合わせないようにしてるよね」
ため息をひとつついて、ルルシアはセネシオに目を向けた。
「…ああ今気が付きました。いたんですねセネシオさん」
「女の子から放置プレイされるってのもなかなかいいけどね」
「……」
じっとりと睨みつけるとセネシオは嬉しそうにニッコリ微笑む。
「ルル、そいつ構うときりがないから話進めろ」
「……では、グラッドさん。訪問の日程を調整していただきたいんですが」
「…ああ。了解した」
満面の笑みとともにルルシアの注意をひこうとちょっかいを出すセネシオと、完全無視するルルシア。それに困惑した視線を向けるグラッドといつもの笑みを浮かべてスルーするユーフォルビア。センナは頭痛がするのかこめかみを押さえ、ライノールは面倒くさそうに頬杖をついているという混沌とした会議室の中、粛々と話は進められその日の会合はお開きとなった。