66. そばにいてあげる
「もう一回言っとくけどほとんど推測だ。記録を漁って確認できてるのはあの頃『シャルロット』っていう九歳の子供がフロリアにいて、遺体が見つからなかったから死亡って扱いになったってことだけだからな」
「…もしそのシャルロットがシャロだとしたら、あの子がわたしの親のかたきかもしれないってことね」
「…あの娘が原因だったとしても、本当に幽閉されて教育すら受けさせてもらえなかったとしたら同情されるべき立場だ。魔獣を作り出したのだって理由があるんだろ。…でも、だから仕方ないとか、許せるかって言うと、そういうもんでもないだろ」
珍しくライノールの瞳に暗い影が落ちている。
ライノールはルルシアが生まれるずっと前からルルシアの両親との付き合いがあった。彼は魔物との戦いで親兄弟を喪っていて、失意にくれていた頃に両親たちと出会い、二人に師事するようになった。そして、彼らを自分の親や兄姉のように慕っていたのだ。
悲しみややるせなさといった感情はルルシアよりもずっと強いのかもしれない。
ルルシアは無言のまま背伸びをして手を伸ばし、両手でライノールの頭をぐしゃぐしゃとなでた。ライノールはそんなルルシアをジトッとした目で睨みつける。
「…なにすんだよ」
「慰めてあげようと思って」
両親が亡くなった時、ライノールはルルシアの前では涙一つこぼさなかった。いつものように飄々と、泣きながらすがりつくルルシアの頭をぐしゃぐしゃとなでて慰めてくれた。
ライノールはこういう時いつも自分よりもルルシアを優先する。おそらく今、彼が憂いているのは、自分の感情が云々よりもルルシアがシャロの言葉や態度で傷つく可能性のほうなのだ。
「わたしは大丈夫だよ。シャロがやったっていうのが事実だったとして、何も知らないままいきなりあの子の口から聞いたら混乱しただろうけど、そういう可能性があるってのは今聞いたし。…あのね、多分ライが思ってるよりわたしは平気なんだよ」
「平気?」
「お父さんとお母さんが帰ってこなかったのは悲しかったよ。どれだけ泣こうが嘆こうが戻ってこなかったし、何も変わらなかったけど――でもそういう時、いつもライがそばにいてくれたでしょう? わたしね、一人じゃなくてよかったっていつも思ってたの。一人じゃないから耐えられるって思えたんだ。…だから、ライがいるからわたしは平気」
ルルシアはライノールを見上げてニッと笑ってみせる。そしてよしよしと再び頭をなでた。
「ライが泣くときはわたしがそばにいてあげるからね」
「別に泣かねえし」
はあーっ、と大きくため息をついたライノールはまだ頭を撫でようとするルルシアの両手首を掴んだ。彼はそのまま掴んだ手首を離すでもなく、下に下ろすでもなく、高い位置で固定したままじっと見下ろしてくるのでルルシアは強制的にバンザイをさせられている状態だ。
「なにこのポーズ」
「いや、こんなアホの子みたいなやつでも一応精神的に成長してるんだなと思って」
「…褒めよりも貶しのほうが割合的に多いよねそれ」
「いや、お前に対する最大限の褒めだよ」
怒りを表明しようにも手を上の方で掴まれているルルシアは地団駄を踏むしかない。ならば足を踏んでやろうとしたのだが、それを察したのか、ライノールが掴んだ手首をそのまま上に持ち上げた。ルルシアのつま先がかすかに浮きあがる。
「ぎゃっ、持ち上げないでよ!!」
「んー、前より重くなってねえ?」
「失敬な!!むしろ最近ご飯食べれてなかったから減ってるはずだし!前っていつ!」
「…五年くらい前?」
「十二歳のときじゃん!育ち盛りの時じゃん!」
「五年なんて昨日みたいなもんだろ」
「エルフの時間感覚で話すのやめて。っていうか肩はずれるから下ろして」
「お、ディルだ」
身動きがとれないので視線だけ巡らせると、少し離れたところでディレルが呆れた顔でルルシア達を見ていた。荷物を持って工房へ向かう途中だったようだ。
「二人して何やってんの」
「小動物の捕獲と計量」
「理不尽への抵抗!」
ディレルが近づいてきたところでやっとライノールが手を離したので、ルルシアはライノールから少し距離をとって肩をぐるぐる回した。
「もう!わたしは弓の練習するから二人とも向こう行ってください。…あ、さっきの話、別にいつでも良いから」
「わかった、局長に言っとく。状況的に割とすぐ来いってことになると思う」
「うん」
じゃあね、とひらひら手を振って再び弓を構える。
自分の魔力の流れに同調する、というのを試してみよう…と思うものの、先程のフロリアの話が頭の中でぐるぐるしていてなかなか集中できない。
(あと、やっぱり、ライは工房に入れるの気に入らない!)
二人が工房の方へ去っていく気配を感じながら放った矢は、キンッと音を立てて飛んで一気に十枚ほどの葉を消し去ってから消えていった。
***
「ルルがえらく機嫌悪いが、お前なんか怒らせたのか」
工房につくなりソファを陣取ったライノールは、肘置きに足を投げ出し寝そべったままメモ帳とペンを取り出した。そして特にディレルの方を向くでもなく、興味なさげな様子で言葉を投げかけた。
作業机の上に持ってきた箱を置き中身を確認していたディレルはその言葉に振り向く。
「…さっきの光景から推測するに、むしろライが積極的に怒らせてたように見えるけど」
「俺のはいつものことだし」
「…そうですか。ルルが怒ってるのは多分俺がしばらくの間、なるべく工房に入らないでくれって言ったからだと思う」
目を泳がせながらディレルが言ったことに対して、今まで興味なさげな顔をしていたライノールが片眉を上げ不審そうにディレルを見た。
「…なんで?」
「祭りのあとは注文が多くなるからしばらく忙しいんだ。ルルがいると…ちょっと気が散るので」
「最近ここにくっついてこないなと思ったらそういうことか…でもあいつ、別に騒ぐわけでもなくじっとしてるし、放置しときゃいいだろ」
「あー、うん、そうなんだけどさ…。ルル、作業してる手元見るの好きみたいで……そばにいることが多いから視界に入るんだよ。で、つい気になってそっち見ちゃうし、目が合うとにこって笑うし、何なのあれ可愛すぎる…」
「…あぁ、そうですか…」
喋りながら片手で顔を覆うディレルに、一気に興味を失ったライノールはメモを書き上げて魔法で飛ばす。ユーフォルビアにルルシアとシャロとの面会の了承を伝えるための通信魔法だ。
「ライだったらどこに転がってても気にならないんだけど」
「お前、なにげに俺に対してひどいよな」
「なんかいつも気がついたら勝手にいるし。家具とかの一部みたいな感覚で捉えてる。ソファのクッションとか」
「お前が気付かなすぎなんだよ。さすがにクッションよりは存在アピールしながら入ってきてるわ」
「ルルだったらノックの時点でわかるんだけどなぁ…」
不思議そうにつぶやくディレルをライノールは呆れ果てた目で一瞥した。
「そんだけベタぼれなら、もたもたしてないで無理やり既成事実作って嫁にもらえばいいのに」
「…それ絶対嫌われるやつじゃん」
「だろうな。あいつそのへん潔癖っぽいし。こういう話してるって知られただけでも多分しばらく軽蔑した目で見られる。俺ら二人とも」
「今のは俺完全にもらい事故だろ…」
はあ…とため息をついたディレルは、とりあえず溜まった仕事を早く終わらせてルルシアのご機嫌を取るべく、作業机に向き直った。




