65. その、原因
ルルシアも一応エルフなため瘴気には弱いのだが、それでも二日ほどで普通のメニューの食事が食べられるようになってきた。
それに合わせて射撃の練習も始めた。ちなみに今までやっていなかったのは魔力を使うのは控えたほうが良いということで医者に止められていたからだ。
だが一番の理由は、こっそり練習していたらディレルに見つかって捕まり、問答無用で荷物のように担ぎ上げられて部屋に強制送還され、にこりと微笑みを浮かべたまま説教をされて怖かったからだ。ライノールが怒った時よりも怖かった。
今回はきちんと医者の許可を得て、あとディレルにもお伺いを立てたうえでの射撃練習だ。
練習方法は庭木の高い位置にある葉を揺らす、というもの。ルルシアが使う魔弓につがえる矢は実体を持った矢ではなく、魔力で作りだすものなので威力や効果をある程度自由に変えることができる。それを利用して極限まで威力を絞り、葉にあたったら微かに揺らすだけで矢自体は消えるようにしているのだ。
だが、セネシオが言っていたように記憶の封印が解かれた影響か、魔力のコントロールがやや不安定気味なのでなかなかうまくいかない。うっかり出力を上げすぎて人様の家の庭木を傷つけたりするわけにはいかない、と自分に言い聞かせながらやっているのでかなり消耗するのだが、きちんと慣れておかないと実戦でのミスは命取りにつながりかねない。
キュンッと微かな高い音と共に青く光る矢が飛んで、狙っていた葉に当たる。
そして葉が揺れる――前に、ジュンッ!!と音を立てて消滅した。
消えないはずの葉が消え、逆にすぐ消えるはずの矢はその後ろの葉も数枚消し去ってから宙に溶けるように消えていった。
「おおすごいじゃないか。この庭の木の葉を消しつくすつもりなんだろう?」
「……ライ…」
後ろから聞こえたからかうような声に、ルルシアはそちらを睨みながら振り向いた。
そこには、にやにやと笑みを浮かべたライノールが立っていた。なんだかんだ言って彼はほとんど毎日この家にやってきている。ルルシアを心配して様子を見に来ている…というのも全くないわけではないのだろうが、むしろディレルの工房に入りびたることの方が目的ではないかと思っている。そのついでにルルシアにちょっかいをかけに来ているようにしか見えない。
ルルシアはライノールを睨みつけながら頬を膨らませた。からかわれるのもいまいち面白くないが、それより何より、ルルシアはしばらく工房立ち入り禁止を言い渡されているというのに、ライノールは好き勝手出入りしているのがかなり面白くない。
「早く工房に行ってディルといちゃついてくればいいじゃないですか」
「分かりやすく拗ねてるな。魔力制御上手くいかないのか」
「…いかないのよ」
ため息をついて肩を落としたルルシアは、ライノールがいつものように「じゃ、がんばれ」と笑って去っていくと思っていたのだが、予想に反して彼はその場に足を止めたまま少し考え込む顔をした。
「ルルの場合長い間変な癖の付いた状態での制御に慣れちまってるからなぁ…。本当だったら封印が解けて、体内の魔力が本来の流れになってるから前よりもスムーズに魔法に変換できるはずなんだけどな」
「スムーズすぎて上手くいかないのかなぁ。こう…ちょうどいいポイントが分かんない感じなんだよね」
「逆にあんまり考えずにやる方がうまくいくかもな。一番自然で無駄な力が入らないのが本来の形だからさ。…つっても、考えないで無駄な力抜くのが難しいんだけどな」
「…ですよねー」
後は慣れるしかねえよ。と、身も蓋もない言葉で締め括られる。本当にこの庭の木々から葉がなくなる日も近いかもしれない。
「まああんまり焦るな。長年の癖はそうそう抜けないだろうが、同調するのはお前の得意技だろ。人の流れに合わせられるんだから自分の流れにも合わせられるさ」
「同調…そっか、うん。やってみる」
自分の魔力の流れに同調というのは考えたことがなかったが、言われてみればなぜ今まで考えなかったのだろうかと思うくらいにわかりやすい。早速試してみよう、と弓を構えようとして、まだライノールがじっと自分を見ていることに気が付き、ルルシアは首を傾げた。
「どうかした?」
「…お前、シャロに会ってみる気あるか?」
「へ?シャロ?」
急に出てきた名前にかしげた首の角度が深まる。シャロは確か、セネシオに魔力を封じられて城の拘留施設にいるはずだ。面会できないわけではないと思うが、個人的な交流があるわけでもないルルシアが面会する意味がわからない。
「あいつ、全く何もしゃべらないらしくてさ。食事もまともに食べなくてどんどん弱っていってるとかで局長が困りきってるんだよ。で、セネシオのやつが、ルル相手になら多少喋るかもしれないって言いだした」
「わたし…?なんで?」
「シャロがどう認識してるかはわからんけど、結局あいつの連れのアドとかいう男を助けたのはお前だろ? 一応、意識は戻ってないけど命は助かったっていうのは伝えてあるからな。大事な相手の命助けた奴になら口を開くんじゃないかって」
そういえばあの時、ルルシアはシャロに「助けるために協力してくれ」と言っている。だがシャロが拒んだのに無理やり魔力をのっとって好き勝手いじったのだから、感謝を抱いたとしても不快感と不信感で帳消しになっている気もする。
「ふうん…会って話するだけなら構わないよ。食事しないのは心配だし。――でも、ライはあんまり乗り気じゃないね?」
ただ話をするだけだ。魔法を封じられ、体の弱った少女一人と会うことに危険があるとも思えない。なのにライノールの話しぶりにはどことなく躊躇いのようなものが感じられた。
ルルシアの指摘に、彼は小さくため息をついた。
「ああ。乗り気じゃない。…あの娘について気になることがあって、少し調べたんだよ」
各領のエルフ事務局はその領内のエルフ集落の情報を管理している。そのため、事務局ではどこの集落に誰が所属していてどこに移動したのか、何歳くらいで何の仕事をしているか…などの情報をある程度調べることが出来るのだ。
「で、ここから話すことは根拠のない推測だが…俺は、フロリアの森を襲撃した魔獣を作り出したのがシャロじゃないかと思ってる」
「フロリア…の魔獣を作った?」
七年前、フロリアの森にあったエルフの集落が魔獣の襲撃を受け、壊滅した。そしてそこでルルシアの両親、ルミノアとジルは二人とも命を落としている。
(その、原因がシャロ?)
その頃のルルシアは十歳。シャロもほぼ同じ年齢だろう。そんな子供が集落を壊滅させるほどの魔獣を生み出したというのは、にわかには信じがたい話である。だがライノールは真剣な顔で頷いた。
「シャロは今どこの集落にも所属していない。が、フロリアにはお前と歳の近い子供がいたはずなんだよ。記録上は襲撃で死んだことになってるが…名前はシャルロット。…確か、ルミノアさんが、フロリアには体が弱くて寝たきりの子供がいるらしいって話をしてたの覚えてる。ルルと歳が近いから会わせてみたいけど、ルミノアさん自身も会わせてもらえないって言ってた。その時はそんなに具合が悪いのかと思ってたんだが…本当は集落内で幽閉されてたのかもしれない」
そのルミノアの話はルルシアも僅かだが覚えている。年の近い友人がいないルルシアは、その子供に会えないと聞いてひどくがっかりしたのだ。あのころの両親はフロリアの森を気にかけていた。その理由は確か――
「…あの頃、お父さんがフロリアの森の周辺で魔物が増えてるって言ってた。原因を調べてるって…。それが、シャロの瘴気のせい…?」
「ここしばらくテインツの近くの農村とかの周りで瘴気が湧いて魔物が家畜を襲うっていう案件が何回も起きてる。祭りの時の採石場とか、神の子の襲撃の時も同じように魔物が増えて襲ってきてる。フロリアの時と状況が似てるんだ。…幽閉されていてもシャロは転移で外に出ることができたはずだ。つまり外に出て、魔獣を作り出すこともできた。シャロが意図したのか偶然かは分からんが、その魔獣が集落を襲ったんじゃないか」
通常強力な魔獣が森の集落のそばに突然現れることはない。以前牧場を襲った狼の魔獣のように、奥深い山の中などから現れ、あちこちで目撃されながら移動していくものなのだ。
だが、フロリアの森に現れた熊の魔獣はそれまで一度も目撃情報がなかった個体だった。そもそもフロリアの森は魔獣が生息するほど深い森ではないし、それほど大きな山とも隣接していない。だというのに、魔法に長けたルルシアの両親ですら太刀打ちできないほどの魔獣が突如現れて、またたく間に集落を蹂躙したのだ。
魔獣の発生メカニズムはまだ解明されていないので「そういうこともあるのだろう」という話で一応決着はついているのだが、この件に関してはその当時から疑問を呈する声が多い。
それが、シャロの瘴気が原因だと考えると、すっきりと説明できてしまうのだ。