60. セネシオ
ルルシアが頬を膨らませて顔にぶつけられた枕を元の場所に戻して顔を上げると、ちょうど興味深そうにルルシアを見つめるセネシオの視線とぶつかった。
「…セネシオさんはわたしに正体をバラすためにわざわざ来たんですか?」
「それもあるけど、それよりも俺はルルシアちゃんがあの時シャロちゃんに何をやったのかが知りたかったんだよね。魔力乗っ取るってやつ。真似できたら面白そうだなぁって思ってさ。でも前世持ちってことは真似するの難しそうだなぁ…」
セネシオは古代種エルフなので、おそらくとんでもなく長生きをしているはずである。自分の姿を別の種族に変えたり、転移魔法を使ったりも出来るのに、ルルシアにできる『同調』はできないらしい。
真似をするのが難しい理由が『前世の記憶を持っていること』――と、いうことはセネシオは他にも前世持ちのエルフを知っているのだろうか。
「…あの、その言い方だと前にもそういう人の魔法を真似しようとしたことがあるみたいな感じですけど、前世持ちって他にもいるんですか?」
「いるよー。ま、そんなにゴロゴロはいないと思うけど、先祖返りくらいの確率ではいるんじゃない?ただほら、彼らは自分が前世持ちだってこと隠そうとすることも多いでしょ?意外とそのへんにいる可能性も否定できないんだよね」
セネシオの言葉にルルシアはなるほどと頷いたが、横で聞いていたディレルは不思議そうに首を傾げた。
「それって隠そうとするものなんだ?」
その反応にルルシアがのほうが目を丸くする。
「え?だって、わたしは前世の記憶がありますっていきなり言われたら『ヤバい人だ!』って思うでしょ?」
「…どうだろう。そういうもん?」
いまいちピンとこないらしく、ディレルはライノールの方を見た。ライノールもディレル同様首をかしげる。
「そもそもルルの場合普段がおかしいから『あ、やっぱり』って方が強いよな」
「ひどい!」
セネシオは「仲良しだよねー君たち」とケラケラ笑ってから少しだけ真面目な顔をして居住まいを正した。
「多分ね、その辺の感覚も前世持ちのルルシアちゃんと持ってない俺らでちょっと違うんだと思うよ。ルルシアちゃんが前生きてた世界には魔法や魔術がなかったんじゃない?」
「…なかった、です」
「でしょう?でもこの世界には普通に魔法が存在してる。大抵のことは魔法で実現できるし、説明がついちゃうんだ」
「ああー…確かに…」
「前世持ちの人たちは前世の世界観や倫理観で物事を判断しがちなんだよね。しかも生まれたときから確固とした自我を持ってるし。だから俺らからするとちょっと変な感じに見える」
「う…それって、今わたしが普通だって思ってる色々なことが普通じゃないかもしれないってことでしょう?…ここまで生きてきたアイデンティティが揺らぐんですけど…」
食事に関する自分の嗜好が普通ではないことはルルシアにもわかっているが、それ以外のすべての場面でも世界観の違いが行動に現れているかもしれない…と考えると身動きが取れなくなってしまう。
ルルシアがベッドの上にコテンと倒れて「ううー」とうなっていると、ディレルが手を伸ばし、その頭をゆっくりなでた。
「別にそんなこと気にしなくても、個性の一つだと思えばいいんじゃないかな。『普通』なんて国やら種族やらが違えば全然違ったりするんだしさ。ルルはそのままでいいと思うよ」
「今更だしな」
「…ディル優しい…それに比べてライはもう少しいたわりという言葉を覚えるべきだと思いませんか」
「全く思わん」
「…だろうね。私も期待してない」
ルルシアはため息をつきながら体を起こして元の場所に座り直した。
「まあこんなふうに前世持ちの人の場合、ベースになる世界観そのものが違うから、なかなか感覚を共有できないんだ。魔法なんて特にイメージで使うものだからそのへんが顕著なんだよね」
「へえ…そういえばわたしの、魔力同調させるやつ…ライに説明した時『何言ってるかわからん』って言ってたもんね」
「言ったな。魔力の波長ってのがわからん」
「魔力を波としてとらえるのは難しいねー…気配とは違うんだよね?」
気配?とルルシアは首をかしげる。そして手のひらを波のようにグネグネさせながら説明する言葉を探した。
「気配とは違う気がする…。えーと、音と一緒。楽器のチューニングみたいな感じ?ずれてるとぐわんぐわんするけど合ってると綺麗に一つの音に聞こえるでしょ?」
「うーん…チューニングはわかるけど、音と魔力が近しいものとしてなかなか考えられないんだよねぇ。チューニングするにしても、合わせ方がわかんないし」
「わたし的にものすごくわかりやすく言うと自分の中にラジオがあって、その受信周波数をボタンでピピピって変えていって、聞きたいチャンネルに合わせる感じなんだけど…それを言葉で説明できない…これが世界観の違いってやつかな」
「もしくはルルの語彙と知識が貧弱すぎる」
「うっ…それは否定できない…」
自分の中で感覚的に知っているものを説明せよというのは難しいものだ。多分ルチアなら分かってくれるのだろうが…。
(ルチア様も分かってくれなかったら完全にわたしが駄目ってことだけどね…)
その確率が高そうでちょっとだけルルシアは落ち込んだ。
「まあつまり、ずっとそばにいて何回も見てるライノール氏がわかんないって言うなら簡単にはできないってことだね。ひとまず今回は諦めとくよ。…で、あともう一つ用事があるんだ。――ルルシアちゃん、魔術具使ってるよね?エルフ用の魔術具ってあんまり見たことなくてさ。見せてもらえないかな」
「…いいですけど…」
弓はいつも引っ掛けているベルトとともにベッドの横のナイトテーブルの上に置かれていた。自分で持っていってください、とルルシアが指差すと、代わりにライノールが手を伸ばしてセネシオの方に投げた。
「どうもー。…この弓もだけど、その腕につけてるやつも相当珍しいよね?どっかで買ったの?」
「両方もらった」
「ええ…誰がくれるのさ、そんなすごいやつ」
「弓は違うけどブレスレット作ったのは俺だよ」
「へえ!…え!?」
なんでもないことのようにさらっと言い放ったディレルに、セネシオはこれでもかというくらいきれいな二度見をする。
「え?…君、冒険者だろ?」
「ギルドには入ってるけど本業は魔術具師」
「……魔獣と渡り合えるくらい戦えて、魔術具作れて、親はクラフトギルド長で、家は豪邸…って君ヤバいな。モテるだろ」
「ギルド長は親であって俺じゃないし、家は豪邸って言ってもギルドの所有物だから、父親が引退したり死んだりしたら次のギルド長に明け渡さないといけないんだよ。むしろ不安要素だと思うけど」
ディレルは面倒くさそうな表情で答える。よく言われるのでうんざりしているのだ。
「ついでに母親が強烈だから寄ってきた女の八割くらい逃げそうだよな。で、二割は本人に無視されて逃げる」
「あー、うん、そんな感じだね」
ライノールが付け足した言葉にディレルは苦笑する。それに対してセネシオが信じられないものを見たかのように大げさに口元を手で覆った。
「十割逃げてるじゃん!…てかなんで無視するのさ。女の子かわいいじゃんか。寄ってきたってことは手を出していいんだよ?」
「駄目だと思います」
「あっ、ルルシアちゃんにすごい軽蔑した目で見られてる」
「気分的に弓が汚れるので返してください」
「ごめんなさい黙りますでもブレスレットも見せてください」
渋々ブレスレットを外して渡しながら、ルルシアは気になっていたことを聞いてみた。
「セネシオさんって、あのエフェドラのアルセア様と懇意にしてたっていうセネシオなの?」
「うん?そうだねえ。懇意っていうか恋人だったよ」
「………」
アルセアは初代の神の子だったが、人間だ。亡くなってから千年以上経っている。しまった、という顔のルルシアに気づいたセネシオはいつものようにへらりと笑ってみせる。
「あれ?ああごめんね、もう本当にはるか昔の話だから気を使わなくていいよ?」
「…不用意に聞いてごめんなさい」
「昔のこと引きずるタイプの古代種エルフはもう大体自殺か発狂して死んでるよ。俺はその辺割り切ってるし、たまに懐かしいなあって思い出すくらいだよ」
「さらっと重たい…」
「アルセアもね…さっきのルルシアちゃんみたいな軽蔑した目でよく俺を見てたな、とか。懐かしいね」
(多分空気を和ませるための冗談だと思う…けど、)
「…人の本質ってそうそう変わらないもんね…」
アルセアも苦労が絶えなかったのかもしれないな…というのがセネシオを除く全員の感想だった。